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㊵不器用な騎士のための小夜曲

 さて、あれから半年ほどが過ぎた。

 私とアルフレッドは、王都の西方にある小さな石造りの館を訪れていた。

 高い石壁が周囲を囲み、入り口には見張りが立っている。客を迎える館にしては、いささか物々しい佇まいだった。

 見張りに許可証を提示し、訪問の事情を伝えると、すんなりと中に入れてもらえた。私たちが会いたがっている人物は、庭園にいるという。


 錆の浮いた鉄の門を静かに押し開け、庭へと足を踏み入れる。初夏の柔らかな風が、名もない野花の香りを運んでくる。

 美しく手入れされてはいるが、どこか寂しい印象受ける庭だった。


 その庭の隅で、一人の女性が枯れた葉を摘んでいるのが目に入る。


 かつて彼女は白い甲冑を身にまとい、主人を脅かすものすべてを拒むような、鋭い気配を纏っていた。だが今、彼女が身にまとっているのは、空の色を幾分薄めたような、淡い水色のドレスだ。


 以前は耳にかかる程度だった銀の髪も、今では首筋のあたりまで伸びている。


「……髪を、伸ばしたのですね」


 声をかけると、鋏を持つ手が止まった。

 彼女はゆっくりと顔を上げる。その所作には、以前のような鋭さはなく、どこか儚げで、たおやかな雰気があった。


「……お久しぶりです、ミュゼッタ殿。アルフレッド殿も」


 記憶の中の彼女とは、決定的に何かが違っていた。あの険しい眼差しや、何かを追い払うように引き結ばれていた口元は消え、今はどこか優しげに微笑んでいるように見える。


「……髪は、もっと伸ばすつもりです。シスリィ様と同じくらいの長さまで」


 その一言だけで、彼女がこの半年をどう過ごしてきたのか、少しだけわかるような気がした。

 彼女は私の背後に控えるアルフレッドへと目を向ける。アルフレッドは軽く会釈を返すだけだった。彼女の変わりように、どこか困惑しているようだった。


「あなた方は、まだ旅を続けているのですか?」


「ええ、英雄を探して、西へ東へ。色々な場所を訪ね歩いています」


 私が軽く笑ってみせると、彼女もつられるように、わずかに口角を上げた。唇には薄く紅が引かれ、白粉も使っているようだった。


「……座って、お話ししましょう」


 その女性──ビーニィに促されるまま、庭の隅、蔦が絡まった古びた東屋へと歩を進める。木漏れ日が椅子にまだらの模様を描いていた。座面が軋む音とともに、私たちは腰を下ろす。


「……神殿は、どうなりましたか」


 ビーニィが静かに問う。

 私はゆっくりと首を振った。


「いつも通りです。神官たちが日々祈りを捧げて、人々に説教をし、時折癒し手が癒しを与える。表向きは何も変わていません」


「……表向きは、ですか」


「ええ。シスリィ様も、あなたも、ディフォーさんも──ある日突然、何も言わずに神殿を去った。彼らがどこで何をしているのかはわからない。それがエリクス教が公式に発表した『事実』です」


「……また、何もかもが、無かったことにされた、というわけですね」


 ビーニィは花壇に視線を向けたまま、ぽつりと呟いた。その声には怒りも憎しみもなかった。ただ、諦めにも似た哀しげな響きがあった。


「ええ。誰も理由を知らない。三人とも、いつの間にか姿を消した。……それだけの話として、片付けられました。誰がそんな話で納得するというんでしょうね。……でも、誰もその話に異論を述べません。結局、神殿はそういう場所なのでしょう」


 その声には、皮肉めいた響きが滲んでいたかもしれない。だがビーニィは、それを咎めるでもなく、ただ小さく頷いた。


 ──結局、私はシスリィの出自について知り得た事実を女王陛下に密かに書状で伝えた。

 迷いはあった。シスリィが、そしてビーニィが必死に隠し続けてきた秘密を晒すことになるのだから。


 だが、もはや私やアルフレッドだけでどうにかできる話ではなかった。だから、せめて、エリクス教に対して、無視できない権力を持った相手にすべてを託すしかない。そう判断した。


 女王陛下がどう動いたのか、私も詳細を知らされてはいない。

 だが、どうやら、神殿には、実は私が女王陛下の密偵だったという話が伝えられたらしい。

 最初にその話を聞いた時は、思わず笑ってしまった。密偵どころか、私はただ、行く先々で見聞きしたものを歌に変えているだけの、しがない旅の宮廷詩人だ。柄にもない話だった。


 女王は、その「密偵」が握っているという情報を公にしない代わりに、ディフォーとビーニィの身柄を王家で預かる──そう神殿側と交渉を交わしたのだという。

 女王陛下の意図は明らかだ。

 近年、急速に権力を拡大しつつあるエリクス教が、いつか王家を脅かすような事態を引き起こした時、『生き証人』として利用するために、二人の身柄を確保した、といったところだろう。


 神殿側にとっても、苦渋の決断だったに違いない。

 神殿長が何を考えており、なぜ死んだのか。シスリィがなぜ、どこで、どのようにして命を落としたのか。彼らがこの事件に対して知りえている真実は、ほんの断片に過ぎない。

 これまで積み重ねてきた隠蔽の、そのツケが今になって回ってきたのだ。事件の全貌に対して、より多くの情報を得ているらしい王家から、「これ以上情報を漏らさない代わりに、聖騎士二人の身柄を差し出せ」と持ちかけられれば、もはや、頷く以外に道はなかっただろう。


 こうして、事件は神殿にとって都合がよい結末を与えられた。

 神殿長の死は、『持病による自然死』。

 シスリィたち三人の消息は、『知らぬ間に姿を消した』。


 ロウクス神殿の住人たちの中には、神殿長の死と、シスリィたちの失踪について、何か裏があると、薄々勘づいていた者もいたかもしれない。だが、それを口にする者は、誰一人としていなかった。

 それが、あのロウクス神殿という場所だった。



 結局、ビーニィは、この館に幽閉されることとなった。

 自由はなく、世の中からも、その存在そのものを消されている。

 それでも、生き続けなければならない。

 それが、ビーニィに与えられた罰であり、彼女が自らに課した贖罪だった。

 ビーニィは、自分の手のひらを静かに見つめていた。


「私は、このままここで過ごします。シスリィ様のために。そして、私自身のために」


 その横顔には、喪失を飲み込みながらも、なお生きようとする者の強さがあった。


「ディフォーはどうしていますか?」


「彼は……あなたと同じように別の場所で匿われています。ただ……心が壊れてしまって、話すこともままならない状態でした」


 ビーニィは目を瞑り首を振った。そして、祈りを捧げる仕草をする。


「ディフォーさんに祈りを?」尋ねるとビーニィは頷く。


「今はもう彼を恨んではいません。……それに、彼もまた救われてほしい」


 言葉が出なかった。

 今のビーニィは──まるでかつてのシスリィのようだ、と思った。


「……ミュゼッタ殿。あの時お願いしたものは出来ましたか?」


 ビーニィの問いに、私はゆっくりと頷いた。

 懐に手を入れ、丁寧に折り畳んだ紙束を取り出す。旅の間、何度も書き直し、擦れて少し角の丸くなったその紙を、両手でビーニィに差し出した。


「……でも、渡す前に先に言っておきたいことがあります」


「何でしょうか」


 ビーニィは紙束を受け取ろうとした手を、ふと止めた。怪訝そうにこちらを見つめる。


「あなたが望んだのは、シスリィ様を題材にした英雄譚だった。だから私も、最初は叙事詩を書くつもりだった。癒しの力で人々を救う奇跡の癒し手の物語を」


「……はい」


「でも、書いているうちに、どうしても違うと思った。シスリィ様が本当に心の底から救いたいと願っていたのは誰か──」


 私は一度、言葉を切る。庭の花が、風でわずかに揺れた。


「結局、出来たのは、共に長い人生を歩んだ騎士と癒し手の小夜曲です」


 ビーニィの瞳が、わずかに見開かれた。


「……叙事詩ではなく、ですか」


「ええ。傑作ができたと自負します。自分で言うのもおこがましいのですが」


 軽く笑ってみせると、ビーニィの手に紙束を渡す。彼女はそれを、まるで壊れ物を扱うかのように、そっと受け取った。


「ただ……これは、世には出せません。女王陛下と神殿の密約がありますので。お蔵入りなんですよ。ひどいと思いませんか? こんな大傑作なのに。誰の目にも触れることなく、貴方の手元で眠ることになる」


 苦笑混じりに、私はそう続けた。実は残念な気持ちなど微塵もない。

 なぜなら、この物語は、誰かに読まれるために書いたのではない。

 ただ、一人の騎士のために書いた物語なのだから。

 そう。

 これは、ビーニィという『不器用な騎士のための小夜曲』だ。


「……それをどうするかは自由です」


 ビーニィは何も言わず、紙束を開いた。

 風が一枚、また一枚と、紙の端を揺らす。彼女は声に出さず、唇だけを動かして文字を追っていく。東屋に差し込む木漏れ日が、紙面の上で揺れていた。

 しばらくの沈黙があった。

 やがて、ビーニィの瞳の縁に、うっすらと涙が滲んだ。彼女はそれを拭うこともせず、ただ紙束を見つめ続けていた。

 しばらくして、ビーニィはそれを胸に抱き、深く頭を下げた。


「……ありがとうございます、ミュゼッタ殿。これ以上の贈り物はありません」


「大袈裟です。でも、喜んでもらえたなら、作った甲斐がありました」


 彼女は涙の跡を指先で軽く拭い、柔らかな微笑みを浮かべた。


「さて、渡すものも渡したし、私たちはそろそろ行きますね」


 立ち上がり、軽くお尻をはたく。


「お気をつけて。あなた方の旅路に、女神エリクスドットの祝福がありますように」


「ええ。あなたも――」


 言葉を選びかけて、私は止めた。元気で、とも、お幸せに、とも、この場に相応しい言葉が見つからなかった。代わりに、私は深く一礼するだけにした。

 ビーニィは詩を抱いたまま、東屋に座り続けていた。私とアルフレッドは、彼女に背を向け、庭を後にした。


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