④雲のように爽やかな青年だなあ
あまりの感動に本来の目的を忘れるところだった。
私は深呼吸をして心を整えた。
背筋をまっすぐに伸ばし、いかにも詩人らしく、少し芝居がかった口調を意識する。
「私は、モルガナ女王陛下の勅命を受けて国内を旅をしております宮廷詩人、ミュゼッタと申します。そして、こちらが、私の護衛を務める騎士、アルフレッド」
アルフレッドが恭しく一礼する。
王宮で培われた完璧な礼儀作法である。
普段の粗野なところはどこへやら。
なぜ私に対してはこれができないのだろうかと少しばかり不満に感じる。
まあ、それは今は置いておこう。
シスリィには見えてはいないだろうが、護衛二人の評価はこれで多少は変わるはずだ。
まさに王宮からやってきた使者という感じなのだから。
「女王陛下の勅命、ですか」シスリィが小首を傾げる。
「はい、その通りです!」と私。
「陛下が私に託された使命、それは、『今を生きる英雄の叙事詩』を作り上げることです!」
「今を生きる英雄?」
「そうです。今を生きる英雄達の叙事詩編纂。それは、我が国の未来に関わる大事業です。十五年前の戦争は、各地に深い傷跡を残しました。しかし、人々の不屈の努力により、その傷は着実に癒えつつあります。今では戦火を知らぬ新しい世代の子どもたちが笑顔で駆け回っています」
私は大袈裟に身振り手振りを加えながら、歌うように訴える。詩人の本領発揮といったところだ。
「確かに、子どもたちが幸せに暮らせる世が来ている。本当に素晴らしい事ですね」
シスリィのその言葉を聞いて、私は好感触だと喜んだ。
そして一歩前へ進み出る。
シスリィに近づくと、私の動きに呼応するように、ビーニィが無言で剣に手をかけるのが見えた。
アルフレッドが慌てて手を柄に移動させる。いつでも私を守れるように、ということだろう。
何も巫女姫様に危害を加えようとしている訳じゃないのに。
何故そんなに警戒するのだろう。
構わず私は続けた。
「……ええ、世の中は変わりつつあります。良い方向に向かっています。新時代の到来です」
私はそこで歩を止める。もちろん演説は続ける。
「そこで、女王陛下は、新しい時代には、それに見合った復興の象徴が必要だとお考えになりました」
「復興の象徴? なるほど……それが『今を生きる英雄』ということですか」
シスリィの言葉に頷いてみせる。
「その通りです。夜空に煌めく星座として語られるような過去の傑物ではなく、私たちの身近にいて共に今の国を作っている英雄たち。彼らを歌った詩は、多くの人々にとって、この太平の世の道標となるはずです!」
シスリィの表情がかすかに曇る。
「生まれながらに盲目でありながら、奇跡の癒しの力で、数多の人々を救い導く『巫女姫シスリィ』様。ぜひあなたを歌にさせていただきたいのです! あなたの偉業はまだほんの一握りの人々しか知らない。私は、あなたの物語は王国中に伝え響かせるべきものだと思っています!」
語りきった、という満足感があった。少しばかり高揚している自分に気づく。
じっとシスリィを見つめる。彼女は少し考え込んでいる様子だった。
しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いた。
「ミュゼッタ様。あなたの熱意と女王陛下のお志は、確かに受け取りました」
その声は穏やかだった。
しかしどこか拒絶するような気配を感じる。
「……ですが、私を歌にするというのは、どうかご遠慮ください。私はただの癒し手の一人にすぎません。私にできるのは、ほんの一握りの方の傷を癒すことだけ。人々を導くような英雄ではありません」
彼女はそこで一度言葉を切った。
拒絶。その目はとにかく「歌などにされては困る」と訴えていた。
だが、私も引き下がるわけにはいかない。
「いいえ! 私はあなたにお会いして確信しました。あなたこそ歌に残すべき方です! あなたを目にした瞬間——こう、雲間から光が差し込んだような、まるで雷が落ちたような、なんとも言えない閃きが、私の心を貫いていったのです! ああ、あなたを歌にしないなんて、詩の神様への冒涜です」
気がつけば、私の足はシスリィへと近づこうとしていた。もっとよく見たい。もっとそばで感じたい。詩人としての本能が、理性より先に体を動かしていた。
私が興奮して近づいていくのを見て、女騎士ビーニィの手が剣を抜こうとする。
アルフレッドが慌てて私の袖を引っ張った。
「おい、ミュゼッタ、少し冷静になれ」
アルフレッドの心配そうな視線を感じながらも、私はどうしても引き下がることができない。
会って確信したのだ。まさにこの人は歌にするべき逸材だ!
「だけど、アル!」
私は思わず声を荒げる。気づけば、シスリィ様や騎士たちそっちのけで、アルフレッドに向かって捲し立てていた。
「シスリィ様は女王陛下が望む歌の題材として理想的な存在よ! この方を歌にせずして、誰を歌にするっていうのよ!」
「いや、まあ、お前の気持ちはわかる」
アルフレッドが理解してくれた——そう喜んだのも束の間、彼の言葉は続いた。
「だが、本人が歌にしないで欲しいと訴えているのに、お前は無理やり歌にするつもりか?」
その言葉に、ようやく我に返る。
……そうだ。本人に望まれない物語を無理やりに作る。それは詩人としての矜持に反する。
すうっと、頭の中が冷えていくのを感じた。アルフレッドは心底ほっとした顔で、私の頭に優しく手をのせる。
「……ありがと。確かにあなたの言う通りだわ」
小さくアルフレッドに向かって言う。そして、シスリィに向き直ると静かに頭を下げる。
「申し訳ございません……つい熱が入ってしまいました。お耳汚しをお許しください」
シスリィは安堵の表情を見せた。その顔に浮かんだ微笑で、少しだけ救われた気がする。
「……ミュゼッタ様、お顔をあげてください。あなたの熱意に心を動かされたのは本当です。ですが、私のような者が英雄と呼ばれるのは畏れ多い事です。ご容赦ください」
穏やかな声だった。それでも、私は恥ずかしさにうつむいたまま動けずにいた。しかし、シスリィは静かに続けた。その声には、先ほどとは異なり、ほんのりと温かさが滲んでいた。
「しかし、遠路はるばる、この北の果ての神殿までお越しくださったのです。何もご覧にならずにお帰りいただくのは、あまりにも忍びないこと」
思わず顔を上げる。シスリィの口元は微笑んでいる。慈愛に満ちた微笑みだ。
「ここロウクス神殿には、古の聖騎士イーゴが残した聖剣が保管されています。今を生きる英雄という題材を求めるあなたにとって満足のいくものになるかはわかりませんが、彼の人生は、今なお人々の間で語り継がれる物語。あなたの創作の足しにはなるかもしれません」
私は思わず叫びそうになったのを、寸前で飲み込んだ。
イーゴを題材にした歌は、数ある英雄譚の中でも特に人々に好まれ、歌い継がれる人気の演目だ。
その騎士の使っていた聖剣!
そんなもの、見たいに決まっている。
「よろしければ、ご覧になりますか?」
「いいんですか! もちろんです! 拝見させていただきます!」
ほとんど反射的に答えていた。今の私の顔がどんな表情をしているか、想像するだに恥ずかしい。詩人としての矜持も、先ほどの反省も、綺麗さっぱりどこかへ吹き飛んでいた。
アルフレッドは、また私が暴走しないかという不安げな目で私を見つめていた。
しかし、彼もまたイーゴの聖剣という単語に少しだけ興味を覚えたようで、何も言わなかった。
騎士として、伝説の武器への興味には抗えないのだろう。
「神殿長のエイワン様には、私の方からお二人の宝物殿への立ち入りを許可していただくようにお願いをしておきます。許可が降りるまで、しばらくお待ちいただけますか?」
シスリィは、ディフォーの方を向く。
「ディフォー。このお二人を客室にご案内して」
「承知いたしました、シスリィ様」
ディフォーは、軽く頭を下げると、私たちを促すように廊下に出た。彼に続いて私とアルフレッドも頭を下げる。
シスリィは微笑んでいた。ビーニィだけは複雑そうな顔で私たちを見つめていた。
シスリィの部屋を後にして、私は安堵のため息をついた。
「緊張しますよね。わかります」
ディフォーは私たちと肩を並べて歩きながら話しかけてくる。
「シスリィ様も普段はあんなに饒舌に話されることはないんですよ。ミュゼッタ殿の熱意に、よほど心を動かされたんでしょうね」
「それは、なんだか光栄です!」
「はは。まあ、シスリィ様も久しぶりに患者以外の人間が訪ねてきて嬉しかったのかもしれないですけどね」
ディフォーは、まるで友人と話すかのように気さくだった。神殿騎士というよりは、旅の途中で出会った流れ者の傭兵といった方がしっくりくる。
「ディフォー殿は、神殿騎士の中でも少し雰囲気が違いますね」
アルフレッドが少し警戒を解いた様子で問いかける。
「よく言われますよ。俺は元々、とある傭兵団で働いていたんですけどね。ある時、魔物狩りの仕事で大怪我をしてしまいまして。その時にシスリィ様に命を救っていただいたんです。それ以来、傭兵を辞めて、護衛をさせていただいているんです。押し掛けの護衛って奴ですかね」
「そうだったんですね」
私は頷く。なるほど、それならば、この人の砕けた態度にも納得だ。元々が神殿騎士ではなく、傭兵だったのだから。
ディフォーは続けた。
「あの時は、もうダメかと思いましたよ。片脚が千切れてしまったんで。それをシスリィ様は、その奇跡的な癒しの力で、元通りにしてくださったんです」
彼はそう言って自慢げに脚で地面を踏み鳴らして見せる。
その動きをみると、一度千切れたとは到底思えない。
「脚が千切れたのに、完全に治療したってのか」
アルフレッドも思わず感嘆の声を上げる。
「ええ。シスリィ様は、まさに奇跡の癒し手です。もちろん、どんなものでも、と言うわけにはいきません。欠損部位が残っているとか、あまり時間が経ってないとか、そういった制約はあるみたいですが」
「へえ、すごいな」
「すごいな、で片付けちゃダメよ。アル。千切れた四肢の一部を繋げるなんて、まさに奇跡だわ!」
私の言葉にディフォーは嬉しそうに笑う。
「そう。だから、我々にとってシスリィ様はまさに英雄なんです」
ディフォーはどこか遠くを見るような目をして、小さく笑った。
「……実は、あの場では言えなかったんですけど、俺は正直、ミュゼッタ殿にシスリィ様の歌を作ってもらうことには賛成なんですよ」
ディフォーは誇らしげに胸を張る。その表情にはシスリィへの深い敬愛が感じられた。
やがて私たちは神殿の宿泊区画に到着した。
廊下の両側には木製の扉が並んでいる。
どの扉も質素ながら丁寧に手入れされていた。
ディフォーは立ち止まると、腰の革袋から二本の鍵を取り出した。
「ミュゼッタ殿はこちらの部屋を使ってください」
彼は私に一本目の鍵を差し出しながら、右手の扉を示した。
「そしてアルフレッド殿はこっちの部屋」
続いて二本目の鍵をアルフレッドに手渡し、私の部屋と隣り合う左側の扉を指し示す。
二つの部屋は厚い石壁一枚を挟んで隣接しており、何かあった際にはすぐに駆けつけられる配置だった。
気さくなだけでなく気遣いもできる男、ディフォーさんである。
なるほど、あの怖そうな女騎士ビーニィとも上手くやっていけるわけだ。
「宝物殿への立ち入り許可については、明朝までには神殿長から回答をもらえるはずです。許可が下りましたら、担当の神官が迎えに来ます」
ディフォーは一礼してみせる。
宝物殿——そこには神殿の秘宝である聖剣が安置されているはずだ。
盲目の巫女姫を英雄譚の主人公にすることは叶わなかったが、せめて伝説の武器を目にすることができれば、何らかの歌の着想を得られるかもしれない。
「ありがとうございます、ディフォーさん」
私は深々と頭を下げた。
アルフレッドも無言で会釈する。
「それでは失礼します。何かあれば、廊下の突き当たりにある詰所に声をかけてください。そこにいる神殿騎士が対応するので」
そう言うと、ディフォーは軽やかに踵を返し、青い甲冑の足音を響かせながら廊下の向こうへと去っていった。
「……雲のように爽やかな青年だなあ」などと少々年寄りめいた感想を思わず呟いた。




