③この方に出会うために旅をしてきたんだわ
ついに神殿の内部へ足を踏み入れた。
ああ、この瞬間をどれほど夢見てきただろう。
門番の神殿騎士が若い神官を呼び寄せ、私たちはその背中に続いて大理石の廊下を進んでいく。
「アル! 見て!」
思わず声が弾んだ。
「壁に神話の物語が彫られてる!」
回廊に果てしなく連なるレリーフ。天地開闢から大地の創造、女神の降臨、約束された楽園……。
一つひとつが静かに物語を語りかけてくるみたいだった。私は思わず見惚れてしまう。
「名のある彫刻家の仕事に違いないわ! ペンじゃなくて、ノミで物語を刻んだのね。同じ芸術家として、負けていられないわね」
私の興奮をよそに、隣を歩くアルフレッドは何も言わない。まるでこの神殿の石壁と同化したのかと思えるくらい神殿の装飾に興味を持っていない。
仕方がないので、案内役の青年神官に話しかける。
「あなたは毎日この回廊を歩いているのよね? 羨ましいわ。いつかあの彫刻の女神様が、動き出してあなたに神託をくださるんじゃないかとか、そんな想像する事ってない?」
案内役の神官は、びくりと肩を震わせ、困ったように私をちらりと見た。
「いえ……そんな、女神様が話しかけてくださるなど、そんな畏れ多い……」
彼は小さくモゴモゴと呟くとすぐに視線を逸らした。
真面目そうな顔立ち。歳は私と同じか少し下くらいだろうか。オロオロしていて、不慣れながらも、案内役という職務を全うしようと頑張っている所には、なかなか好感が持てる。
「ミュゼッタ。案内役を困らせるなよ。それくらいにしといてやれ」
アルフレッドにそう言われて黙る私。
何故か安心したような青年神官。
そうして再び私たちは歩き出した。
「……待って! 見て! 今度はこっち!」
今度は大窓のステンドグラスに目を奪われる。赤、青、緑、黄色。差し込む光が床一面に広がり、模様を織りなす。まるで大理石の床に万華鏡を映し出したみたいである。こんなの、立ち止まらずにいられるものか。
私はその光の絨毯に向かうと、懐から紙を取り出して詩を書き連ねようとペンを走らせた。
「ミュゼッタ!」
アルフレッドが大きなため息をつき、ステンドグラスの方に駆け出そうとする私の前に立ちはだかる。
「……いいか、お前の目的は巫女姫シスリィに会い、そして歌を作ることだ。寄り道ばかりしていたら、巫女姫が待ちくたびれて会ってくれなくなるかもしれんぞ」
確かに彼が言わんとすることもわかる。けれど私は胸を張る。
「そうはいうけどね、アル。この神殿は凄いのよ。私にとってはすべてが歌の題材。まさに宝の山。宝を目の前にして立ち止まらないトレジャーハンターがいる?」
アルフレッドは眉をひそめて、呆れ顔。
「俺は詩人でもトレジャーハンターでもないからな。目の前にあるのは、ただの石壁とガラス窓でしかない。つべこべ言ってないで歩け」
私は思わず白目を剥きそうになる。
「ただの石壁にガラス窓? なんて枯れた感性してるの! 信じられない!」
口では不満を並べつつも、アルフレッドが言うことももっともだ。私は観念して歩を進めた。もちろん、歩きながらも壁の彫刻や光の模様をしっかり目に焼き付けながら。
少々歩き疲れてきたかもしれない。
いい加減、この神殿は広すぎる。
幾つもの廊下を抜け、何度も階段を上った。
息が上がり、胸がわずかに上下し始めたところで、重厚な木の扉が目の前に現れる。
どうして神官もアルフレッドも息ひとつ切らさずにいられるんだろう。
案内役の青年神官が扉の前で立ち止まり、姿勢を正した。
彼の頬は緊張でわずかに強ばっている。
なるほど、この部屋が目的の場所というわけだ。
「こちらでシスリィ様がお待ちです」
その声音には、この中がただの部屋ではなく聖域であると言わんばかりの響きがあった。
思わず私もつられて緊張してしまう。
人前で歌うことは得意だが、謁見のようなことは苦手だ。
私は隣のアルフレッドの袖をぎゅっと掴んだ。
彼は振り払わず、ただ静かに頷いた。
こういう場面では不思議と頼もしい。
青年神官が扉をノックする。
次の瞬間、音もなく、扉は内側から開いた。
「わたくしの案内はここまでです」
それだけ言い残し、青年神官は軽く頭を下げると、元来た回廊へと戻っていった。
「失礼します」
声をかけて中に入ると、部屋は驚くほど質素だった。巫女姫の応接室というからには、もっと華美な装飾や金銀の調度品で彩られているものと想像していた。だが実際は違っていた。
生活に必要な最小限の家具だけが計算されたように配置されているだけである。
そして、部屋の中央に置かれた椅子に、一人の女性が座っていた。
彼女の傍らには、二人の護衛騎士が控えている。
それはまるで聖画の一場面のようだった。
中央の女性は、丁寧に編み上げられた濃い黒髪で、顔は薄絹のヴェールに覆われているが、その奥に見え隠れしている肌は、真珠のように白く美しいのが見てとれた。
何より印象的だったのは、彼女の両目を覆っている、細やかな刺繍が施された純白の眼帯である。
それは、彼女こそが盲目の巫女姫である事を物語っていた。
私は思わずその佇まいに見惚れてしまう。
精霊が人の世に迷い込んだ?
いやいや、月光が人の姿を借りて現世に降り立った?
動くことも、声を発することもなく、ただそこに座っているだけなのに、部屋全体の空気が神聖なものに感じられるほどだ。
ああ……私はこの方に出会うために旅をしてきたんだわ!
言葉にならない感嘆が、胸の奥から込み上げた。
巫女姫様だけではなかった。
左に立つ女性騎士は、頭の先から爪先まで真っ白な甲冑に身を包んでいる。短く切り揃えた銀髪から、一見すると男のようにも見える。背中には、純白のマント。いかにもな格好の神殿騎士である。
その表情は仮面のように硬く、わずかな感情の欠片も読み取れない。鋭い視線で私たちを値踏みするように見据えており、いつでも剣を抜く準備ができているという威圧感を放っていた。
対して右に立つ男性騎士は、まったく異なる雰囲気を醸し出していた。他の神殿騎士とは違い、彼の甲冑は深い青色に塗られている。金髪に深い緑色の瞳。その瞳には親しみやすさと、どこか茶目っ気のようなものが宿っていた。神殿という厳格な場所には似つかわしくない、自由な雰囲気を纏っていた。
ただ、隣に立つアルフレッドはやけに緊張している様子だった。
彼の右手が、剣の柄を強く握りしめ、臨戦態勢を整えているのが分かる。
それも当然の反応だ。
何故か、白い甲冑の女騎士が私たちに対して、殺気に近いような威圧感を放っていたからだ。
ほんの少しでも軽率な行動を取れば容赦なく排除する、と彼女の目は語っていた。
……何がそんなに気に入らないのだろう? 突然押しかけた事だろうか。それとも、得体の知れない旅人が急に訪ねてきたからだろうか。
なんにせよ、彼女からは、私たちは明らかに歓迎されていない、ということはよくわかった。
数秒ほどの沈黙を破って、中央の白い眼帯の女性が口を開いた。
「ロウクス神殿へようこそ。旅のお方。私が癒し手のシスリィと申します」
場の息苦しさをすっと和らげるような、とても優しく美しい声だった。
続いて、青い甲冑の騎士が朗らかな声で自己紹介をした。
「俺はディフォー。シスリィ様の護衛を務めさせていただいております。こちらの無愛想な美人が、相棒のビーニィ。いつもこの二人で護衛をしています。まあ、堅いことは抜きにして、ゆっくりしていってください」
「……ディフォー、軽薄な挨拶はやめろ。それに、私の紹介は不要だ」
白い甲冑の女性騎士、ビーニィが低く押し殺したような声で相棒を制した。その声色には、部屋の温度を数度下げるような冷ややかさがあった。……正直、少し怖いし、苦手なタイプだ。
「はいはい、すみませんでした」
ディフォーは苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。しかし、その軽口のおかげか、ビーニィの剣呑な気配が多少柔らかいものになった。
シスリィの醸し出す神秘性。清楚でありながら気高い佇まい。
そして彼女を守る、性格の異なる二人の騎士。
なんと絵になるメンバーなのだろうか。
詩を司る神様が私に贈ってくれた最高の素材としか思えない。
──白き神殿の頌歌──。
──癒しの姫と護衛騎士──。
──光なき瞳が紡ぐ奇跡──。
頭の中で、いくつも詩のタイトルが浮かんでは消えていく。
私が求めている英雄とは、単純に剣や魔法に秀でた者ではない。
言うなれば、その人の背景に人を惹きつける「何か」があるかどうか。
それこそ私が求めている英雄だ。
目の前にいるのは、人々の心に信仰心にも似た希望という光を灯す聖女。
こんなにも素晴らしい歌のモデルに出会ったのはこの旅を開始して初めてのことだ。
私は三人の姿を眺めながら、この風景をどうやって歌にするかを考えていた。
自己紹介をしてからは、彼女たちも何も言おうとはしない。
沈黙に耐えかねたのか、アルフレッドが口を開いた。
「……ミュゼッタ。来訪の目的を伝えたらどうだ」
確かに。




