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㊱そこで彼は『盤面』を打開するために一計を案じたのです

 誰も口を開かなかった。

 シスリィは目を伏せたまま、何も言わなかった。その沈黙の奥に、どんな感情が渦巻いているのか、私には推し測ることができなかった。


「しかし」


 ディフォーが口を挟む。その顔色はまだ戻っていない。かなり動揺しているように見える。


「それならば、なぜシスリィ様は暗殺者に狙われたのですか? 神殿長がシスリィ様を守りたがっていたのなら、暗殺者など雇わないはずです」


 私はゆっくりと首を振る。


「それは、暗殺の標的が『シスリィ様ではなかった』からです」


「シスリィ様が標的ではなかった?」


 ディフォーが怪訝そうな顔をする。

 私はまっすぐにビーニィを見つめた。


「本当に狙われていたのは──ビーニィさん、あなただったんです」


「私が?」


 ビーニィが目を見開いた。驚いている様子だった。

 ディフォーが言葉にならない声を漏らし、私とビーニィを交互に見た。

 彼は困惑したまま口を開いた。


「暗殺者はシスリィ様の部屋に現れたんですよ? それでもビーニィが標的だと?」


「そう。狙いはビーニィさんだった。思い出してください。暗殺者が、部屋に入ってきた時に、まず攻撃されたのはビーニィさんだった。それはビーニィさんがご自分でおっしゃったことです」


 私は皆の反応を待ってから切り出した。


「おかしいと思いませんか?」


 誰も口を開かない。私は続けた。


「シスリィ様の暗殺が目的であるなら、普通は真っ先に標的であるシスリィ様を狙うはずです。しかし、暗殺者は護衛であるビーニィさんを最優先で排除しようとした」


「確かに」アルフレッドが腕を組む。「もし俺が暗殺者なら、護衛など後回しにして標的の首を取りに行く」


「それだけではありません。夜間にビーニィさんがシスリィ様の護衛につくことは、神殿内の誰もが知っている話です。わざわざ護衛がいる瞬間を狙わせるのはおかしい」


「暗殺者の調査不足……ではないな。神殿長が手引きしたということなら、それはあり得ないな。命を狙うなら、護衛がいる瞬間にあえて踏み入らせるなんて無駄な事はしない」


「そう。神殿長はあえて、暗殺者を『護衛がいる瞬間に踏み込ませた』」


「あえて?」アルフレッドが怪訝そうに眉間に皺を寄せる。


 私は頷き、逆に問いかける。


「もしビーニィさんが、突然自室で暗殺されたとしたら、神殿の人々はどう思う?」


 しばらく沈黙が続いた。アルフレッドがゆっくりと首を傾け、やがてぽつりと言った。


「『ビーニィは、なぜ殺されたんだ?』と思うだろうな」


「ええ」


 私は頷いた。


「もしビーニィさんが突然暗殺されたならば、必ず誰かが疑問を持つ。『なぜ一介の護衛騎士が、命を奪われたのだろうか』と。そして一度そう思われれば、その理由を探る者が現れるでしょう。不自然な事には、必ず首を突っ込もうとする人間が現れるものです」


「……ミュゼッタみたいにな」


 アルフレッドが小さくつぶやいているのが聞こえたが、私は無視して続ける。


「ですが、殺された場所がシスリィ様の私室であればどうでしょうか。ビーニィさんの死は『暗殺者から主を守ろうとして護衛が命を落とした』と解釈されるはずです。そうなれば、その死は自然なものとなります。誰も詳しく詮索しようとはしないでしょう。そして『何者かに命を狙われた』という事実は、神殿長がシスリィ様を自分の庇護下に置く大義名分となる。監視し、幽閉したとしても、守るためだといえば怪しまれる事はない。さらにシスリィ様を献身的に保護している姿を見せていれば──誰も暗殺者を雇ったのが神殿長だなどと疑わない」


「……なるほど……」アルフレッドが唸った。


「おそらく、計画では、ビーニィさんを殺害した時点で、神殿長がシスリィ様のもとに駆けつける。そして暗殺者は逃亡する──。そういう手はずだったのではないでしょうか。そうすれば、ビーニィさんの命を犠牲にシスリィ様がかろうじて助かったように演出できる。そのときに神殿長自身も浅傷のひとつでも作れば、疑いの目も逸らせます」


 私は続けた。


「しかしその計画に誤算が生じてしまった」


 ゆっくりと全員の顔を見る。


「暗殺者は、盲目だと聞いていたシスリィ様から、思いもよらぬ反撃を受けて動揺した」


「巫女姫が杖を投げつけて、ビーニィを救ったというアレか」


 アルフレッドの言葉に頷いてみせる。


「シスリィ様の目が本当は見えているということ──それは、神殿長すら知らなかった事実だった。眠る前だったため、シスリィ様は眼帯を外していた。そして、ビーニィさんを助けるために、迷いなく目を開いて、暗殺者に杖を投げつけた。反撃を受けた暗殺者は、シスリィ様のほうへ視線を向け──」


「ずっと隠してきた紫色の瞳を見てしまったというわけか」アルフレッドが感心したようにつぶやいた。


 ディフォーが尋ねる。


「……ビーニィが狙われていた。それはわかりました」


 彼はどこか納得が行かない様子で続ける。何かにすがるような、信じたいものを必死で求めているような、追いつめられたような雰囲気だった。


「しかし——どうしてビーニィが狙われなければならなかったのですか?」


 皆の視線が集まる。私はゆっくりと息を吸い込み、口を開く。


「——ビーニィさん、あなたはおそらく、私よりもずっと前に『神殿長とファリス妃の関係』に気づいていましたね?」


 ビーニィに向き直ると、彼女はじっとこちらを睨みつけてきた。


「あなたは、過去にエフロック神官の宝物殿の目録作りを手伝ったと言っていました。……その時にあなたは、王妃の肖像画を目にしていたんじゃないですか?」


 ハッキリとした口調で彼女に告げる。


「あなたは、常にシスリィ様の傍に寄り添っていた。だからこそ、神殿長がシスリィ様に見せる仕草に違和感を覚えていた。そして宝物殿でシスリィ様にそっくりな絵画を見つけてしまう。あなたはすぐに神殿長がシスリィ様に向けている視線の意味に気が付いた」


 ビーニィの体が、かすかに強張った。


「あなたは神殿長に自分が真実を知っているという事を伝えた上で、シスリィ様を守るために絵画の破壊するように神殿長に要求したのではないですか?」


 返事はなかった。しかしビーニィは否定もしなかった。その沈黙が、それを肯定していると思わせた。


「神殿長は、その条件を呑んだ。ビーニィさんと神殿長の間で、シスリィ様を守るという利害が一致したからです。……でも、本当は、彼はあの絵を処分したくはなかった。それは彼にとって、かつて愛した女性との唯一の繋がりだったからです」


 私の声は、知らず知らずのうちに静かなものになっていた。


「それでも、十年以上手元に置き続けた『形見』を自らの手で壊した。それはシスリィ様を守るためであると同時に、あなたに弱みを握られ、強制されたからだ。……神殿長にとって、あなたはシスリィ様を守る同志である以上に、自分の醜い未練と秘匿しなければならない真実を知っており、それを武器に自分を操ろうとする『もっとも危険な存在』になってしまった」


 シスリィが小さく息を飲む音がした。


「……結局、神殿長はあなたの要求に屈して絵画を処分した。約束は果たされ、シスリィ様は、表向きの平穏を手に入れた。それが半年前の出来事。これが絵画盗難の真相です」


 私は一度、視線を落とした。


「しかし——今になって不測の事態が生じた」


「不測の事態?」


 ディフォーが鸚鵡返しで聞き返す。


「私が宝物殿で絵画の消失に気づいてしまったのです」


 部屋が静まり返る。


「部外者が絵画の消失に気づいて調べ始めた。簡単に真相に辿り着けるわけでは無いとはいえ、あまりに神殿内部で騒がれては、エフロック神官のように肖像画のことを思い出し、ファリス妃とシスリィが似ている事に気づく人間が出てくるかもしれない。そうなれば今までの隠蔽工作はすべて水泡に帰す」


 私は目を瞑る。


「万が一、秘密が暴かれれば、神殿長は破滅です。そして、シスリィ様の出自も明らかになる。そんな事は許されない。そこで彼は『盤面』を打開するために一計を案じたのです」


 誰も口を開かなかった。


「暗殺者を雇い、シスリィ様が何者かに命を狙われているという状況を作り、保護という名目で自身の庇護下に置く。そして同時に——自分以外で全ての事情を知るビーニィさんという極めて危険な存在を排除する。それが神殿長が思い描いた計画でした。あとは、部外者である私たちを何かしら理由をつけて神殿から追い出してしまえばいい」


 私はゆっくりと言った。


「ですが、神殿長の策は最悪の形で裏目にでてしまった。暗殺は失敗。アルフレッドは負傷し、簡単に私たちを追い出せる状況ではなくなった。そして、ビーニィさんは、神殿長の行動を別の意味にとらえた。外部の人間に秘密が露見しそうになったがために、シスリィ様を含めた関係者全員を消そうとしたのだと、そう解釈した。それは醜悪な保身にしか見えなかった」


 私は一度言葉を止める。


「このままでは、いずれまたシスリィ様が狙われてしまう。ならば——先に動くしかない。ビーニィさんはそう決断したのでしょう。神殿長の執務室に訪ね、葡萄酒を持ち込んで杯を交わした。何を話したのかは、もはやわかりませんが……。そこで神殿長の杯に毒を仕込んだ。神殿長が倒れた後、自分の杯を持ち去り、乱れた痕跡をひとつひとつ消して、部屋を元通りに整えてから立ち去った」


「それは……」シスリィが目を見開く。


「つまり、神殿長は自殺ではなかった。ビーニィさんは自殺に見せかけて神殿長を毒殺した。……シスリィ様を守るために」


 私はそれだけ言って口を閉ざした。それ以上、語る気分にはなれなかった。

 ビーニィは目を伏せたまま、何も言わない。 そのまましばらく、誰も口を開かなかった。

 神殿長はシスリィを守ろうとした。

 ビーニィもシスリィを守ろうとした。

 そして、結果的に一方は死に、もう一方は手に血を染めたわけだ。

 どちらもシスリィを守りたいという気持ちでは同じ方向を向いていたはずなのに。

 私はゆっくりと、部屋の中を見渡した。ディフォーの蒼白な顔。アルフレッドの深い眉間の皺。そして、剣から手を離さないまま押し黙るビーニィと——深い紫の瞳で、静かに私を見つめ続けるシスリィ。

 全員が、少しずつ歩む道を間違えていた。

 これはそんな歪な物語だったわけだ。


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