㉟それが、あなた達が隠したかった『真実』なんですね
時が止まったような感覚。
私の言葉が終わる前に、金属が擦れる音がした。
ビーニィの手が剣の柄にかけている。彼女が剣を抜けば、私の喉元に届く距離だ。
私は、思わず自分の首が胴体から切り離されているシーンを想像してしまう。
アルフレッドも咄嗟に前に出ようとする。
ビーニィが踏み込もうと身構える。
だが、その瞬間、シスリィが口を開いた。
「やめて!」
ビーニィの動きが止まる。
「やめて、ビーニィ……お願い」
「シスリィ様──」
「いいの。もういいのよ」
しばらくの沈黙。
そしてシスリィは、ゆっくりと眼帯に手をかけた。その指先が、かすかに震えているのが見えた。
「隠すのは、もう終わりにしましょう」
彼女はハッキリとした口調で言った。
今まで聞いた彼女のどの声よりも力強かった。
眼帯の結び目がほどけ、彼女の目を覆っていた布が落ちる。
彼女がゆっくりと目を開ける。
現れた瞳は深い紫色だった。吸い込まれるような、忌まわしくも美しい色。
ビーニィは、剣から手を離さないまま、ただシスリィを見つめていた。その表情からは、何も読み取ることができない。
「……それが、あなた達が隠したかった『真実』なんですね」
シスリィは視線を逸らさなかった。私の全てを見透かすように、まっすぐにこちらを向いていた。
「紫色の……瞳……」
ディフォーが言葉を失う。
それは単なる稀少な身体的特徴ではなかった。
この大陸の歴史を知る者ならば、誰もが理解するはずだ。その瞳の色は、かつて、この地を血で染め、神殿によって滅ぼされた狂王の血族の証である、と。
「そうです。私は、スケイズ最後の国王、……『紫眼の狂王』の娘です」
淡々と、彼女は呟くように言った。
その声に、私は胸が痛くなる。どれほど長い年月を、彼女はこの言葉を飲み込んで生きてきたのだろう。
「まさか……そんな事が……」
ディフォーが青ざめた顔で呟く。
ビーニィが苦々しい顔で目を伏せる。
私は続ける。
「……エリクス教が神敵と認定し、この世から痕跡を消し去ったはずの狂王。その血を引く者が、神殿で癒し手をしていた。しかも、多くの人々を救い、奇跡の巫女姫と崇められている。それが知れ渡れば、エリクス教の信仰を揺るがしかねない」
誰もすぐには言葉を返さなかった。その沈黙が、事の重大さをそのまま証明しているようだった。
「秘密が露見すれば、神官達は必死に隠蔽しようとするでしょう。シスリィ様は幽閉か、牢に繋がれるか……最悪の場合、存在を『消される』可能性もあった。だから、あなた達はその秘密を守らなければならなかった」
「つまり」アルフレッドが口を挟む。「神殿長が暗殺者を雇って命を狙ったのは……巫女姫が狂王の娘だと気がついて、消そうとした……と、そういうことなのか?」
私は首を振る。
「いいえ。逆よ。神殿長は、むしろシスリィ様のことを『守ろう』としていた」
「どういうことだ?」
「神殿長は秘密裏に肖像画を処分していた。もし彼女を消すつもりなら、狂王との繋がりを示す証拠となる絵画は手元に残すべきでしょう。いつでも使える切り札として。それを自ら処分したのは、彼女の出自を誰にも悟られたくなかったからってことよ」
誰も口を開かなかった。これまでの『神殿長はシスリィと敵対している』という推測を根底から引っくり返す発言なだけに、誰もが何をどう言って良いのかわからない様子だった。
私はゆっくりとシスリィに向き直った。
「シスリィ様。あなたは、きっとお母上にとてもよく似ていらっしゃったんだと思います。だから、神殿長はあなたを庇うために動いた」
シスリィのまぶたがわずかに動いた。
「……どういう、意味ですか」
彼女の声から、かすかな緊張が感じ取れた。
この問いに答えることが、今日いちばん難しい仕事かもしれない。
それは彼女にとって、隠さなければならない傷に近いものだ。それでも私はすべてを語らなければならない。知る権利は、誰よりも彼女自身にあるのだから。
「きっかけはエフロック神官の言葉でした」
私は息を整えてから、ゆっくりと話し始めた。
「消えた王妃の肖像画について思い出してもらっていたとき、エフロック神官はこう言ったんです。『誰かに似ている気がする』と。しかし、彼はそれが誰なのか最後まで思い出せなかった」
指先で机を軽く叩く。
「不思議だと思いませんか。この神殿の住人は百人に満たない。名前が出てこないことはあっても、顔が全く浮かばないなど——そんな事があるでしょうか」
シスリィをまっすぐに見つめる。
「ご本人は加齢による物忘れか勘違いだとおっしゃっていました。でも、何か引っかかった。小石が靴に入り込んだ時のような、ささいな、けれど、どうしても見過ごせない違和感……。しかし、その後、シスリィ様の目が、実は見えているのではないかという疑惑にたどり着いた時、その違和感の正体にたどり着いたんです。彼は、あのとき思い出せなかったのではなく、『そもそも印象が残りにくい人物の顔を思い出そうとしていたのではないか』と」
そう言いながら、自分の顔を片手で隠して見せる。口だけ見せて喋り続ける。
「人は誰かの顔を思い出す時、目や鼻だち、どんな眉か……そういったものを思い出そうとします。しかし、常にヴェールや眼帯で素顔を隠していれば、顔のイメージは自然と曖昧になる。だから、エフロック神官は、『なんとなく似ている気がする』という感覚だけで、具体的な顔立ちが浮かんでこなかった。……常に顔を隠して生活している。その条件に合致している人が、この神殿には一人だけ存在します」
シスリィの顔をじっと見つめ、ハッキリと告げる。
「あなたです。シスリィ様」
シスリィは頷かなかった。しかし否定もしなかった。ただ黙して語らなかった。
「絵画の王妃はあなたに似ていた。しかし、そうすると、なぜ神殿長はあなたをかばうのかという疑問が浮かびます。……実は、その謎を解く手掛かりを私は以前に耳にしていました」
声に出してみると、あのときの情景が蘇るような気がした。
「『いまだ影がちらつく、か』」
私はゆっくりと、そしてハッキリとその言葉を口にする。
「これは神殿長の呟きです。偶然耳にしたこの言葉が、私の頭の片隅にずっと残っていました。随分と印象的なセリフだったので」
ディフォーが私の言葉を繰り返し口にした。
「……影が、ちらつく?」
彼もその意味を理解できないようだった。
私は頷いてみせる。
「私も最初は意味がわかりませんでした。独り言にしては、妙に感情のこもった言葉だとは思いました。懐かしさか、それとも後悔か——割り切れない何かが詰まった、短い言葉」
そこで軽く息を吸う。
「でも、シスリィ様。あなたが王妃と生き写しだったとするならば──。それなら神殿長の呟きの意味もわかります。あの呟きが向けられたのは目の前のあなたに対してではなかった。あなたの中に重なる故人の面影に、彼は語りかけていたのです。かつて愛した人──肖像画に描かれた狂王の妃、ファリス妃に」
シスリィの紫の瞳が見開かれる。おそらく、彼女はその事を知らなかったのだろう。
「神殿長とファリス妃は、かつて互いに愛し合う関係にあった。それが、あの言葉の底にある感情の正体だと思います」
この先は論理の話ではなく、人の心の話だ。私の想像でしかない。慎重に語る必要がある。
「神殿長に絵の来歴について質問した時、彼は、例の絵画は『王との友情の証のために王妃から贈られたものだ』と語っていました。……しかし、おかしいとは思いませんか。友情の証ならば、王の肖像を贈るのが筋でしょう。しかし絵画に描かれていたのは王妃の肖像。そして贈り主も王妃本人です。これは——愛する人に、常に自分の姿を見ていてほしいと願って贈ったのではないか。そう感じられます。自分の姿を、常に彼の瞳に焼き付けておいて欲しい。 禁じられた恋に身を焦がした女性が選んだ『二人の心を繋ぎ止める秘密の贈り物』。それこそがあの絵画だった」
誰も口を開かなかった。私は構わず続ける。
「そして当の神殿長は、エリクス教全体の意志に逆らって長年絵画を保管し続けた。自分の立場を危うくするような物であるにも関わらず、です。彼が絵画を手放せなかった理由は──それが『愛する人の形見』だったから」
私はそこであえて一度言葉を途切れさせた。
「彼は戒めのために絵画を保管していると語りました。そこにきっと嘘はなかった。あの絵の存在は彼にとっての懲戒だった。それは、妃と許されざる恋に堕ちたこと。そして、友人である王を欺いたことだったのではないでしょうか」
部屋の中の空気が、静かに変わっていくのを感じた。
「……ですが、ここで奇妙なことが起こります。十年以上も大切に保管し続けていた絵画を神殿長は急に処分しました。しかも自ら盗み出して、破壊し、処分したのです。それには、きっと何か切迫した理由があったはずです」
ビーニィの視線が私へと向く。何かを訴えるような眼差しだ。
「神殿長が絵画を処分しようと決断するに至る何かがあった。この一年で、神殿に起こったもっとも大きな変化といえば……シスリィ様が赴任してきたことです。貴女がこの神殿に来たことこそが、神殿長に行動を起こさせた『何か』だったのです」
私は言葉を選びながら続ける。
「シスリィ様がが愛した人に似ていたならば。大事にしている肖像画の人物と瓜二つであるならば。神殿長は、その顔を間近に見たとき、きっと気づいたはずです。『この娘はファリス妃の子ではないか』と。かつて愛した人の娘が、自分の目の前に現れたのですから」
「……っ」
ビーニィが唇を噛み締めた。
シスリィも蒼ざめた顔で、私の話を聞いている。
「妃と瓜二つに育ったシスリィ様、その存在は神殿長の心をかき乱す存在だったでしょう。しかも、シスリィ様の出自が明らかになれば、ファリス妃との関係も、ひいては己の過去も露わになりかねない。愛情と保身——その二つが、神殿長の中では分かちがたく絡み合っていた。守りたいが、消したい。そんな相反する存在がシスリィ様だったのです」




