㉗詩人として、ね
エフロックの私室を辞した後、私とアルフレッドは神殿長の執務室の前に立っていた。
「……今回はちゃんとノックしてから入るから、安心しろ」
私が無意識のうちに彼の手元を見つめ続けていたのを、どうやら別の意味に受け取ったらしい。アルフレッドは殊更に神妙な顔でそう言った。
先日のビーニィの部屋での一件を彼なりに反省していると見える。
彼は扉に向かって拳を上げ、コンコン、と二度叩いた。
しばしの沈黙。
扉の向こうからは、何の物音もしない。
首を傾げる。
アルフレッドがニヤリと笑う。
「……お? 留守か?」
「もしかしてまた『これは家探しする好機!』なんて思ってないでしょうね……」
「……流石に俺もそこまで馬鹿じゃないぞ。失敗からちゃんと学習するぞ」
不満そうに答える彼の視線が、わずかに泳いでいた。
私は深呼吸をしてから、再びノックする。
「神殿長様?」
扉に向かって声をかけるが返事はない。
やはり無音である。
──何かおかしい。
胸騒ぎがした。この扉の向こうで、何か良くない事が起きている気がする。
こういった私の『悪い予感』は案外当たる。
「すいません、いらっしゃらないんですか?」
もう一度呼びかけたが、反応はなかった。
何度ノックしても、沈黙だけが返ってくる。
「……様子がおかしいわ」
「なら、中を確認した方が良いな!」
なぜか嬉しそうに言うアルフレッド。その言葉に私は頷いた。
「ええ。確認したほうがいい気がする。なんだか雰囲気がおかしいもの」
ドアノブに手をかけると普通に回った。鍵がかかっていない。
「あの──失礼しまーす」
そのまま中を覗く。
扉を開けた瞬間、葡萄酒の香りが鼻をついた。
見ると執務机に神殿長が突っ伏していた。眠っているようには見えない。書類の上に伏せられた頬は動かず、伸ばされた指先が、何かを訴えるように机の端を握っていた。
彼の表情は、苦悶に満ちていた。
「……え? 神殿長様……?」
震える声で呼びかけたが、当然、返事はなかった。
あとから部屋に入ってきたアルフレッドが険しい顔をしてそのまま神殿長に歩み寄って首筋に手を当てた。
「……ダメだ。死んでいる」
アルフレッドの声はかすれていた。
私は部屋の中を見渡した。
机上には木製の杯がひとつ。中身は空に近い。傍らには葡萄酒の瓶が置かれていた。半分以上は残っているが、それなりの量が減っている。近くには、コルクが転がっていた。
そして、そのすぐ横に小さな小瓶。
ふと、違和感を覚えた。
前にこの執務室に入った時はもっと雑然としていた。全体的に整然としている気がする。
先程掃除を終えたばかり。そんな感覚だ。
そして、見つけてくれと言わんばかりの葡萄酒と小瓶だ。
アルフレッドは机に伏した神殿長を見下ろした。
そしておもむろに葡萄酒の瓶の匂いを嗅いだ。次にすぐ近くに置いてあった小瓶を嗅ぐと、呟くように言った。
「……この小瓶の中身は毒だ。葡萄酒に入れて飲んだらしい」
彼の眉間に深い皺が寄る。
「暗殺事件の首謀者であることを隠しきれないと悟ったんだろう。だが、こんな形で幕引きをするとは」
彼は吐き捨てるように続ける。
「……追い詰められた末の無様な死に方だな」
その言葉は、ひどく冷たかった。
いや、これは自害とか、そんな話じゃない。これは──明らかにおかしい。状況が不自然だ。
「……アル」
彼は、亡骸から視線を離し、ゆっくりとこちらを向いた。
「なんだ?」
「……自殺だとして、何故、神殿長は毒を『葡萄酒の瓶の中に』入れたのかしら?」
彼は何故突然そんな事言い出したのか、という顔をする。
「何故って……葡萄酒に混ぜたほう方が飲みやすいからだろ」
「自殺なら小瓶の中の毒をそのままあおったほうが話が早いでしょ。これから死のうという人間が、わざわざ葡萄酒を用意して毒を入れる手間をとる? それに、入れるなら、杯のほうの葡萄酒にするのが普通じゃない? 私ならそうするわ」
語りながら、静かに瓶を見つめる。
残っている葡萄酒の量を確認すると減り方が『一杯分』ではない。
瓶の半分程度まで減っている。
「それに……見て。瓶の中のワインの量。この量は……だいたい二杯分くらい減っているわ」
アルフレッドの表情が戸惑いに変わる。
「自殺をする人間が毒入りのワインをわざわざ二杯も飲む? 自殺なら一杯で十分足りるはずよ」
「毒が薄まって効きが悪くなるから二杯飲んだんじゃないか?」
「それなら、なおのこと小瓶から直接飲むと思うわ」
では、なぜ、葡萄酒が二杯分も減っているのだろうか。
「お酒がこぼれたような形跡はない。机も床もシミもなければ、完全に乾いてる。一杯は神殿長が飲んだとして、もう一杯はどうなったのか」
以前この部屋に入った時に色々と見たが、酒の類は一切無かった。
つまり、この葡萄酒は神殿長もしくは『何者か』がこの部屋に持ち込んだものだと言うことだ。
「それに、部屋の中が以前見たときに比べて整いすぎている。誰かが掃除をしたのかもしれない」
「……ええと、それはどういうことだ?」
「誰かが神殿長とお酒を飲んでいたってこと」
「……待ってくれ、神殿長が死ぬ直前まで誰かと一緒だったってことか?」
私は言葉を区切り、はっきりと言った。
「ええ。その誰かが毒の入った葡萄酒を神殿長に飲ませた。その後、痕跡をすべて消し、自分の杯だけを持って立ち去った」
沈黙の末、アルフレッドは少し遅れて事態を理解したようだった。
「……つまり、神殿長は毒を飲まされた……?」
「あくまで、その可能性があるってだけの話だけど」
アルフレッドは、信じられないものを見るように私を見つめた。
神殿長こそがすべての元凶である――その前提が、音もなく崩れ去った瞬間の顔だった。
その衝撃は理解できる。私自身も、同じ気持ちだ。
いや、それ以上に、恐怖を感じていた。
神殿長が全ての事件の犯人ではないのなら。
本当の犯人は、今もこの神殿のどこかにいる事になる。
「アルフレッド」
じっと彼の目を見つめ返す。
「シスリィ様たちに伝えて。神殿長が──毒を飲んで自殺したようだ、と」
一瞬、彼の動きが止まる。呆気にとられながら私の顔を凝視する。
「……おいおい、待てよ、さっき誰かに殺されたと言ったばかりなのに、なぜ自殺だと伝えなきゃならん」
困惑が隠しきれていない。
当然だ。他殺だと教えられたのに、自殺と報告しろと言われたのだ。
「私たちは、これまでの事件は、すべて神殿長一人の仕業だと考えていた。でも……もしかしたらさらに別の犯人が存在するかもしれない」
その言葉を私は噛みしめるように口にした。
「もしそうであるなら、この神殿の人間は誰も信じられないって事になる」
私はアルフレッドの方を見た。
彼はまだ迷っているようだった。
「このまま自殺として処理されれば、一旦は事件は解決したって事になるでしょう? そうなれば、犯人は、自分の計画が成功したと思うはず。神殿長に全ての罪を被せることに成功した、と」
アルフレッドは腕を組み、眉間に深い皺を刻んだまま考え込んでいる。
彼の中で様々な感情がせめぎ合っているのだろう。
「だからこそ、私たちは、あくまで今まで通りで過ごすの。そして犯人を油断させておいて、裏で調査を続ける。誰にも気づかれないように気をつけながら、ね」
数秒、あるいは、もっと短かったかもしれない。やがてアルフレッドは、ため息にも似た深い息を吐いた。
「……なるほど。そういうことなら了解した」
決意のこもった返事だった。
彼はもう一度、神殿長の亡骸に視線を向け、それから静かに踵を返した。
アルフレッドが扉を閉める音が、やけに大きく響いた。
私は一人、部屋に取り残される。
誰かが描いた筋書き。
これ以上、その人物の思い通りに進ませるつもりはない。
必ず真実を解き明かし、物語を書き換える。
「詩人として、ね」




