㉖こうなったら……毒を食らわば皿まで、よ
エフロック神官の私室は、思いのほか洒落ていた。
下手をすると王国にある私の部屋よりも小綺麗かもしれない。
甘い焼き菓子の香り。ちょうどティータイムだったようで、卓の上には茶と菓子鉢がおいてある。
「これはこれは。どうぞ、掛けてください」
エフロックは穏やかな笑みを浮かべ、私とアルフレッドを卓へ招いた。すぐに湯気の立つ茶器が用意される。
「いやあ、私の唯一の楽しみがお茶でして」
そう言いながら、彼は私の前に杯を置く。豊かな茶葉の香りが鼻をくすぐる。
「最近は色々と起こって、お茶どころではなかったのではないですか?」
私がそう切り出すと、エフロックは小さく肩をすくめた。
「ええ。このように次々と事件が重なるとは……。盗難事件だけではなく、シスリィ殿が狙われ、しかも、暗殺者が殺……自害したなど……。本当にいったいこの神殿で何が起きているのか……」
エフロックは、いつもの人懐っこい笑みを浮かべてはいるが、少しだけ疲れが見えた。
「お疲れのようですね」
「ええ……目がまわるような忙しさですからね。例の盗難事件以来、宝物殿の管理体制の見直しを迫られていましてね」
目がまわるような忙しさ、と言っている割に優雅にティータイムを嗜んでいるあたり、図太いというか肝が据わっているというか。
なかなかにマイペースな人物である。
「盗難があった、ということであれば仕方がありませんよね」
そこでエフロックは声を潜めた。
「……ここだけの話、神殿長様が元から絵画は無かった、ということにしてくださったのです。そのため、盗難事件も何も無かったことになり、私も責任を免れまして……」
少しだけ申し訳無さそうな顔をするエフロック。根が正直者なのだろう。
「ですが、やはり管理体制の問題は捨ておくわけにいかない、と神殿長様も仰られまして。台帳は宝物ごとに寸法や細かい性質まで記す形に作り直し、出入りの記録も一人ひとり署名させることになりました」
「神殿長様ご自身が、管理を強化しろと?」
「ええ。台帳の作り直しがまた大変で……毎日、この果てしない作業は、一体いつになったら終わるのやら、と絶望的な気持ちになっているところです」
頭を掻きながらエフロックは短くため息を吐いた。
「その管理体制の見直しで、神殿長様が宝物殿に自由に出入りできるようになった、とか、そういったことがあったりします?」
「……いいえ? 逆ですね。神殿長様でも、簡単には宝物殿に立ち入ることは難しくなりました。今は私を含めて、数名の神殿騎士の立ち会いの元でしか宝物殿には立ち入ることはできません」
「……確認なのですが、ここ数日で、神殿長様が宝物殿に入ったということはありますか?」
「いえ。ありませんね。宝物殿に入るには、私と数名の神殿騎士の立ち合いが必要になりますので」
彼は嘘をついているようには見えなかった。
エフロックの話を信じるのであれば、神殿長は人狼が殺害された夜に、神殿の主鍵を持ち出していない、ということになる。
神殿長が主鍵を使って密室を開けて、中の人狼を殺害したという説が完全に否定された。
では、やはり何か別の方法であの密室は突破された、ということになる。
横を見るとアルフレッドは茶に口をつけるふりをして、言葉を挟まずにずっと黙っている。
探りを入れるのはお前の役目だと言わんばかりである。
私は焼き菓子に手を伸ばしたい衝動を抑えながら、エフロックに尋ねた。
「あの、実はお聞きしたいことがありまして」
「聞きたいこと? まあ、私にわかることであれば」
エフロックは茶を一口すすった。
「例の王妃の肖像画になんですが、どのような絵柄だったのか、覚えていらっしゃいますか?」
エフロックは一瞬不思議そうな顔をした。何故そんなことを聞くのだろう、と言った顔だ。
しかし、すぐに微笑むとカップをソーサーに戻して話し始める。
「ああ、あの絵のことですか」
彼の視線が斜め上を向いた。そのまま、何も無い宙を視線が彷徨う。そうやって記憶の絵画を探っているのだろう。
「正直に言えば……長い間、見ていませんでしたので記憶が曖昧です。ずっと布も被せられたままでしたし……数度見ただけで、はっきりと、どんな絵だったかは……」
彼は親指の先で杯の縁をなぞりながら続けた。
「ただ……確かに美しい肖像画だった、というのは間違いありません。画面の中央に、妃が腰掛けておられて……体はやや斜めに、顔だけはこちらへ向けている、そんな姿勢だったと記憶しています」
「何かほかに思い出せませんか? 例えば、どんな服装だったかとか、背景に何があったか、とか」
「ええと……」
エフロックは目を閉じ、額に指を当てた。
「そうですね。着ていた服は深い緑……いや青だったか。随分と鮮やかだったのを覚えています」
「深い青……群青色でしょうか?」
短く補う。エフロックは、ああ、と小さく声を上げた。
「そうです。群青色のドレスでした。目が覚めるような鮮やかさでしたね。おそらく青い色の鉱物を粉末にした絵の具が使われていたのでしょうな。ああいう顔料は高価ですからね。王族の肖像ともなれば、画材ひとつとっても一級品が用いられるのでしょうね」
彼の言葉は、そのまま画材の蘊蓄へと流れ始めそうになる。だが、私が求めている情報は絵具の価値ではない。
紅茶の杯を持ったまま、話の筋を戻すように、続けて質問をする。
「服の色はわかりました。背景はどうでしたか? 何か変わったところは?」
「背景はありませんでしたね。無地、というわけではありませんが、うっすらと黒で塗られていただけでした。薄っすらと暗い中で、妃が豪奢なつくりの椅子に座ってこちらを見ている、そんな絵でした。そうです。確かに椅子に座ってこちらを見つめて……」
話を聞く限りでは、特に変わったところがあるわけではなさそうだった。なんの変哲もない、貴人の肖像画、といったところなのだろうか。
しかし、彼はそこで、ふと首を傾げた。
「……おや?」
「何か、思い出されましたか?」
「いえ、奇妙な感覚に囚われまして。今、あの肖像を思い出そうとしていたら……何故かその、顔立ちが、どなたかに似ていたような気が……」
私は身を乗り出す。
「似ている? それは誰です?」
エフロックはしばらく考え込んでいたが首を振った。
「……いえ、分かりません。どうにも曖昧で。印象がはっきりとしませんな」
エフロックは自嘲するように口元を緩める。
「歳のせいでしょうかね。似ている、と思いましたが、その方の顔がはっきりと思い出せん。……まあ、全部、気のせいかもしれませんけど」
彼は「あっはっは」と朗らかに笑った。
誰かに似ている。
狂王の妃、ファリスと誰かが似ている。
一体、それは誰だったのか。
私の中で一瞬、何かが繋がりかけた気がした。
結局、それ以上、エフロックが絵について思い出すことはなかった。
彼自身も記憶を探るように何度か言葉を探していたが、曖昧な「似ている」という感覚以上のものは何も浮かばなかったらしい。
話題は自然に途切れ、やがて、私たちは席を立つことになった。
廊下へ出ると、石の床に足音が響く。
私は歩きながら、アルフレッドに言った。
「わかったことは、二つあるわ」
彼が視線だけで続きを促す。
「ひとつは、神殿長は主鍵を持ち出していないということ。それに、鍵を持ち出すつもりなら、わざわざ自分から管理体制を強化しろなんて指示は出さないはず。自分の首を絞めることになりかねないもの。何かしら、別の方法で密室を突破できる算段があったのか、それとも、そもそも神殿長はあの密室殺人には関わっていないのか」
アルフレッドは神妙な顔で頷いた。
「それと、もうひとつ」
私はエフロックの言葉を思い出しながら続ける。
「妃の肖像画が『誰かに似ていた気がする』という証言。なんとも曖昧な話だったけど……考えてみれば何だか不思議な話だわ」
「不思議な話?」
「本当にただの物忘れなら、あの人はもっとあっさりと『忘れました、すみませんね』くらいで終わったはずよ。でも、そうじゃなかった。思い出そうと頑張って、それでもなお思い出せないでいた。『最初から曖昧な情報』を無理に思い出そうとしている、そんな感じに見えた」
「歳のせいだと本人は言っていたが」
「本人は、『だから思い出せないんだ』とそれで納得したんでしょう。でも、実際は違う気がする。元々記憶が曖昧になってしまう何かがあるんじゃないかって気がする」
言葉にしながら、あと少しで何かに気づけそうな気がしていた。
「それに、エフロックが思い出せないその『似ている誰か』こそが、今回の一連の事件を解き明かす手がかりになるって気がする」
「ほう、確証があるんだな?」
「……ううん、詩人の勘」
アルフレッドが眉間に皺を寄せた。
「確証があるわけじゃないなら、その『誰か』をどうやって突き止めるんだ? エフロック自身が分からないと言っているのに」
私は足を止めた。
「例の絵画について、いちばん詳しい人物に話を聞けばいいのよ」
「いちばん詳しい人物?」
「神殿長よ」
アルフレッドが目を見開いた。
「神殿長こそ、エフロック神官よりずっと長く、あの絵を見てきた人でしょ? きっと『誰に似ているのか』をはっきりと意識しているはず」
「よりによって、絵画を処分した張本人に、正面から話を聞こうってのか」
「だからこそ、よ」
私は一度、深呼吸をする。
「今のところ、事件のはっきりとした証拠は何もない。エフロック神官の証言も、しょせん『そんな気がした』程度のもの。これ以上、外側から少しずつ探りを入れて回っても、集められる情報にはもう限界がある。だったら、直接、核心にいちばん近い人にぶつかるしかない」
「下手すれば警戒されて、二度と本音を聞き出せなくなるかもしれない。そのまま俺たち自身が神殿から追い出される可能性だってある」
「そのリスクは分かってる。でも、このまま手をこまねいていれば、何もかもが、うやむやのまま終わってしまうわ。神殿長が証拠を消して回っているというのは確実なんだから。だったら、こちらから踏み込まない限り、いつまでたっても真実になんて辿り着けないわよ」
アルフレッドは何か言いかけて、結局は小さくため息をついただけだった。
「毒を食らわば皿まで、よ。ここまで踏み込んでしまった以上は、もう引き返せないから」
口にしてから、覚悟というものは、案外そうやって、知らない間に決まってしまうものなのだと思った。




