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㉑さて、その後、どうやって部屋を出たのか

 シスリィの私室の扉を開けると、ハーブティーの良い香りに出迎えられる。

 確かこの香りは、消耗した魔力を回復させるのによく使われる茶葉だ。精神を落ち着かせる効果もあるはずだ。


 シスリィは随分と顔色が悪かった。体調が悪いようだ。

 その背後に立つビーニィの姿が目に入る。いつもの純白のマントを羽織っていない。――珍しい、と思ったが、今は口に出すことでもない。

 ビーニィは怒りが頂点に達しているのか、眉間にしわを寄せ、じっと目を閉じている。正直雰囲気がかなり怖い。もしかしたら、このハーブティーはビーニィの怒りを鎮めるために淹れられたのではなかろうか。


「……自死だと? ふざけるな……」


 私たちの報告を黙って聞いていたビーニィが絞り出すように言った。随分と辛そうだ。怒りによるものなのな、少しばかり顔色が青白かった。

 ディフォーがシスリィの前に膝をつき項垂れる。


「シスリィ様、このような事態になり、面目ありません……」


 シスリィは静かに首を振った。


「いいのです、ディフォー。あなたはよくやってくれています。それに、私は一介の癒し手にすぎません。会議でそのように決まったのだとしたら、私には異を唱える権限はありません」


 彼女の言葉は、達観を通り越して諦観に近い。


「……しかしこれではっきりした」


 ビーニィの声には、いつもの冷たさはない。むしろ、怒りを抑え込むように声を押し殺している。


「神殿長はあれを使ったのだ。『神殿の主鍵』を」


「主鍵?」ディフォーが訊ねる。


「私は、この神殿に赴任して間もないころ、エフロック神官に頼まれて宝物殿の目録作りを手伝ったことがある。そこで見たのだ。この神殿のすべての鍵を開けることができるという主鍵を。……あの時、エフロックは自慢げに言っていた。『これを扱えるのは神殿長ただ一人だ、我々が触れることすら許されない』と」


 エフロック神官の性格を思い出す。確かにあの人ならビーニィが鍵を眺めていただけで、その鍵の由来から使用方法まで長々と語りそうではある。


「主鍵!」


 アルフレッドが驚いた声を上げる。


「確かに、宝物殿にはそういう鍵があった。俺もエフロックから聞いたぞ。それがあればどこにでも入り放題ではないか」


「神殿長は『神殿の主鍵』を扱う権限を持っている。いつでも懲罰房に入ることができるのはあの方だけだ」ビーニィが重ねるようにつぶやく。


「……なるほど。それなら神殿長が懲罰房に忍び込むのは容易だ。詰所に鍵があったとしても何の意味もない」


 アルフレッドはうんうんと頷きながら言う。


「そういうことか! 内通者である神殿長は暗殺者の口封じをした。しかし、主鍵を持ち出したと分かれば、自分が疑われる。だからこそ、早急に『自死』ということにしてこの件をうやむやにしたんだ! なんと卑劣な!」


 アルフレッドは、その情報を持って今にも神殿長のところに怒鳴りこみにでも行きそうな勢いだ。


「……ねえ、ちょっと待って。確かに神殿長は主鍵を扱う権限を持っているのかもしれないけど、主鍵は宝物殿の中でしょう? 神殿長はどうやってその鍵を取り出したの? 絵画を持ち出した時とは状況が違うのよ? 神殿長であっても、正規の方法で宝物殿に立ち入れば記録は残るでしょうし、鍵を持ち出してまた元に戻さないといけない。それを誰にも気づかれずに行える状況だったとは思えないわ」


 私の言葉にビーニィは首を振る。


「エフロックや宝物殿の扉番の騎士を抱き込んでいれば簡単な話でしょう」


「待ってください。そんな簡単にエフロック神官や扉番を黙らせることができるというのなら、絵画を盗み出した時もそうすればよかったのです。なのに、それをしなかった。それは、エフロック神官や扉番の騎士たちが、神殿長の言いなりではない、ということになりませんか?」


 私の言葉にアルフレッドは苛立たしげに割り込んだ。


「なんでも開けることができる鍵を扱えるのが神殿長ただ一人だった。この事実だけでも奴の犯行である事は確定じゃないのか?」


 私は反論する。


「そう簡単な話ではないわ」


 アルフレッドが怪訝そうな表情で聞き返す。


「何故だ? どこにでも入れる鍵を使えるんだぞ?」


「確かに、主鍵があれば懲罰房に『入る』ことはできる。でも、それはあくまで入室の手段があるというだけであって、『密室』の解決にはならないのよ」


 アルフレッドはどういうことかいまいち理解できていないようだった。


「仮に神殿長がその主鍵を持っていて、昨晩の間に誰にも見られずに懲罰房に入ったとしましょう。彼はそこで人狼を刺し殺す。……さて、その後、どうやって部屋を出たのか」


 アルフレッドが虚を突かれたような顔をする。


「そのまま扉から出たんだろう?」


「そう。扉から入ったなら、扉から出なければならない。あの懲罰房には人間が通るには小さすぎる小窓しかなかった。出入り口はあの扉ひとつだけ。そして思い出して。人狼の死体は、扉が開く内側に、扉を塞ぐように寄りかかって倒れていたのよ。もし神殿長が人狼を刺してから、扉を開けて外に出たのだとしたら、死体は扉の前ではない、どこか別の床に転がっていたはず。でも実際は、死体は扉にぴったりと寄りかかった状態で見つかった。入ることはできても、出ることはできなかったはず」


 それまで黙っていたシスリィが口を開いた。


「……そもそもの前提を疑うべきかもしれません。人狼が刺されたのは、本当に懲罰房の中だったのでしょうか」


「もしや、外で刺されたと?」アルフレッドが驚いた顔をする。


 シスリィは頷いた。


「たとえば、部屋の外に連れ出された人狼が、廊下で襲われます。人狼は、そのまま追手から逃れるために懲罰房へ戻った。そして最後の力を振り絞って扉を閉め、体を預けるようにして、自身の重みで扉を封じた。しかし、そこで力尽きてしまった……。この仮説なら、遺体のあった位置にも、一応の説明はつくのではないでしょうか」


 ビーニィが顎に手を当てる。


「それなら、人狼の死体があの位置にあったことも、密室の謎も解決します。さすがはシスリィ様」


「いえ、それはないと思われます」


「どこに不都合があるというのです」ビーニィがにらんでくる。


「ひとつは血痕です。懲罰房の中には、人狼の血がそこら中に飛び散っていた。でも、扉の外側には血の跡がまったく無かった」


 ディフォーが口を開いた。


「……扉の外の廊下は、私が確認しました。確かに血の跡どころか、争ったような痕跡すら、何もありませんでした」


 その言葉に私は頷く。


「懲罰房の内部にはおびただしい量の血が流れていました。あれだけの血液は、拭き取ったところで完全に消せるものじゃない。どこかに必ず痕跡を残しているはずです。それが外には全く無かった。ということは、人狼は外で刺されたのではない、と考えるべきです」


 誰も反論がなかった。私はつづけた。


「そして、あの人狼は手枷と足枷をつけられたままでした。かなり動きにくかったはず。そんな状態で、致命傷を負って、また扉に入って閉めて、身体を預けて塞ぐ、なんてそんな悠長にしていられるでしょうか。せいぜいが、短い距離を這うことくらいsかできなかったのではないでしょうか」


「そう考えると……やはり彼は懲罰房の中で刺されたと考えるほうが自然でしょうか……」


 シスリィが困ったように首を傾げた。


「もうひとつ、気になることがあります」


「まだあるのか」


 アルフレッドがうんざりしたように言う。


「扉の施錠そのものです。あの扉は、騎士の詰め所にある鍵でのみ開け閉めができる。もしそれを使わないのであれば、主鍵を使うしかない。そうですよね?」


「ええ。その通りです。詰め所の鍵はずっと詰め所に置かれており、誰も持ち出していません」ディフォーが答える。


「つまり、あの扉が施錠されていたという事実は、『詰め所の鍵は使われていない』という前提のもとでは、『神殿長しか扱えない主鍵が用いられた』ということに必ず繋がってしまう」


「だったら、なおさら神殿長が怪しいってことじゃないか」


 アルフレッドが声を上げる。


「怪しい、で終わるならそれでいいわ。でも、神殿長が本当に狡猾な内通者だったとしたら、彼は、わざわざ扉を施錠して『主鍵でなければ説明のつかない密室』を自らの手で作り出したことになる。そんな自分の首を絞めるような真似をするかしら?」


「……では、逆に、施錠しなければどうだったというのです」


 ビーニィが静かに問う。


「もし扉が施錠されずに開いたままだったら、私たちが最初に疑ったのは、もっとありふれたことだったと思います。『最後に様子を見に来た騎士が鍵を掛け忘れていたのではないか』『詰め所の騎士の中に裏切者がいて嘘をついているのではないか』とか。神殿長が犯人だと決め打ちできず、むしろそういう、誰の仕業とも決めがたい状態になったんじゃないかしら。主鍵の存在を疑うよりも先に、誰かの不注意や詰め所の鍵の保管を疑ったはず。つまり、鍵をかけないほうが、神殿長にとってはずっと安全だったはずなんです」


 ビーニィが唸る。


「……つまり、神殿長が犯人であるなら、鍵はかけないほうが合理的だ、と?」


「そう。だから鍵の有無だけを見て『神殿長が主鍵を使ったに違いない』と決めつけるのは早計だと思います。むしろ施錠されていたという事実は、神殿長犯人説にとって都合の悪い事実だとすら言えるわ」


 アルフレッドが眉を寄せる。


「……だが、それを言うなら、そもそも主鍵が本当に宝物殿から持ち出されたのかどうかすら、まだわかっていないんじゃないのか?」


「そうね。さっきビーニィさんは、エフロックか扉番の騎士を抱き込んでいれば持ち出せると言った。でも、それは『可能だ』という話であって、実際に誰かが抱き込まれていたという証拠はまだ何もないわ」


 ビーニィが押し黙る。

 ディフォーが小さく息を吐いた。


「堂々巡りだな」


「ええ。鍵の話だけを追いかけていても、この密室は解けない。主鍵が使われていたとしても、いなかったとしても――扉に寄りかかっていた死体をどう説明するかという根本の問題は残ったままだから」


 しばらく、誰も言葉を継げなかった。


「……もしかして死体を動かす魔法を使ったんじゃないか? 死んだ後に操作して扉の前に動かした、とか」


「死霊術なんて神殿で使えない魔法の筆頭じゃないの。何度も言うけど、この神殿では使える魔法は限られているのよ。いいかげん魔法から離れなさいよ!」


 私はアルフレッドの肩にグーでパンチをする。


「神殿長は怪しい。動機も、手段もある。でも、犯人だと断定するには、密室の謎が立ち塞がる。鍵の有無は、この不可解な状況を説明する『回答』にはならない、そういうことですね」


 ディフォーが難しい顔で言った。


「そう。なぜ神殿長がわざわざこんな『密室』を作り出す必要があったのか。それを解き明かす方が先決だと思います」


 皆、釈然としない顔であったが、それでも頷いていた。

 アルフレッドだけは、なんとも不満そうにしていたが、それ以上は何も言わなかった。


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