⑲ 何もかも、わからない事だらけだ
「まず、生死の確認を」
ディフォーの言葉に無言で頷く。
おそらく確認というのは形式でしかない。あれはどうみても死んでいる。それでも、確認しなければならないのだろう。
ディフォーと共に、私たちは再び懲罰房の扉の前まで足を運んだ。
ディフォーとアルフレッドが示し合わせて、二人で扉を押す。二人が力一杯押す事で、ゆっくりとではあるが扉が開く。
人ひとりが通れるほどの隙間ができ、私たちはそこから中に入った。
血の匂いが鼻をついた。
扉に寄りかかっていた遺体は押されて、石畳の床に転がっている。
ディフォーが狼の遺体をひっくり返し、首もとに手を伸ばす。指先が触れた瞬間、彼は表情を歪める。
「冷たい――既にかなりの時間が経っています」
ディフォーはそのまま膝をつき、狼の胸を調べた。私の位置からでもわかる。深い刺突痕だ。流れでている血はすでに乾いている。
……刺された時には、狼はすでに扉に寄りかかっていたのだろうか。あるいは刺された後に、なんらかの理由で寄りかかるように倒れ込んだか。
見ると、狼の右手が血で汚れている。もしかしたら、自身の胸部に刺さった短剣を自分で抜き取ったのかもしれない。
そのまま扉に目を向ける。
鍵穴の状態を確認する。
異常はない。こじ開けたりした形跡はなかった。扉にも蝶番にも傷も変形したような形跡はなかった。
隙間に何かが挟まっていた様子も、開かないように細工されたような形跡もない。
内開きの構造。狼の体が寄りかかり、内側から塞いでいたので開かなかったということで間違いなさそうだ。
「誰かが狼の死体を扉の前まで運んだのか?」
アルフレッドが言う。
「それはないでしょう」
ディフォーが断言する。
「出入りはその扉からしかできません。ここに死体を置いたのであれば、犯人は外に出ることができなくなってしまう」
私はもう一度、部屋の内部を見た。確かに他に出入りできそうな場所はない。
唯一、明かり取りのための小窓だけが外界と繋がるルートだが、格子の隙間は小さすぎる。おおよそ人が通れるとは思えない大きさだ。
「つまり──誰一人この懲罰房に入る事はできなかった、ということね」
アルフレッドとディフォーが互いに視線を交わす。
遺体はここにある。扉は内側から塞がれている。出入りは何人にもできない。
では、一体誰がどうやって人狼を殺害したのか。
一見すれば不可能だ。だが、誰かが何らかの方法で人狼を殺害したのは確実だ。
──口封じ。
その単語が頭をよぎる。
ディフォーは額にうっすらと汗を浮かべ、まるで悪夢を見ているかのような表情をしている。
「……まずは事態を報告します。シスリィ様に……それに神殿長、上級神官たちにも……侵入者が死んだなど……隠しようがない」
ディフォーは数歩だけその場をうろうろと歩いた。
彼は少し混乱しているようだった。
当然だろう。
侵入者を尋問しようと牢に来たらその尋問対象は死んでいたのだから。しかも、密室で、だ。
やがて彼は深く息を吸い込み、私たちに一礼した。
「すぐに戻ります。……動かずに待っていてください。誰もこの場に近づけぬよう騎士を連れてきます」
そう言い残すと、彼は駆け足で神殿の奥へ消えていった。
足音が遠ざかるにつれ、残された私たちのまわりに、静けさだけが残った。
私とアルフレッドも一旦懲罰房を出る。
小さくため息をついて石壁に背をあずける。
「……まったく、次から次へと……この神殿は一体どうなってるんだ」
アルフレッドが眉間に深い皺を作りながら言う。
「そう言いたい気持ちもわかるわ」
それは本心だった。
そして同時に、それしか言いようのないというのも事実だった。
暗殺者から聞き出すべきことが山ほどあった。
彼が誰に雇われ、何を目的としてシスリィを襲ったのか。侵入の方法と退路の確保の方法。私の予想が正しかったのか否か。
だが――その唯一の証人は、もういない。
アルフレッドが少し空を仰ぐ。
「暗殺の首謀者につながる証人がいなくなったというわけか」
彼は言葉を選び、静かに続けた。
「……人狼の口から情報が漏れる事を恐れた者がいる。そういうことだろう?」
断言はできない。けれど、その可能性が高いのは事実だ。
「そうかもしれない」
アルフレッドは、妙に納得したような顔で頷いていた。
しばらくその場で待っていると、遠くから複数の足音が近づいてきた。ディフォーが騎士たちを連れて戻ってきたのだ。
彼の表情は、先ほどよりもさらに強張っていた。
報告がどれほど騒ぎを引き起こしたのかは、聞かずとも分かる。
「ミュゼッタ殿、アルフレッド殿……ひとまずここは封鎖します。お二人は部屋へ戻っていてください。詳しいことは追って伝えます」
言葉の端に、焦りと怒りが混じっていた。
私は頷き、アルフレッドとともにその場を離れた。
私とアルフレッドは、部屋に帰る前にもう一度だけ中庭にまわり、懲罰房の小窓を調べる事にした。
格子に触れてみる。ひやりとした鉄の感触が指先に伝わる。造りは古いが、歪みも錆もない。こじ開けられたような様子もない。
「……首だけなら、入るわね」
私は小窓の格子の隙間に頭を差し込む。頭はするりと入り、暗い室内がよく見えた。
血の匂いが残る室内。倒れた狼の死体。それを運び出そうとしている神殿騎士。
騎士と目があった。
彼はギョッとした目で私を見たが、何も言われなかった。
何となく、この神殿の中で、奇行を繰り返す存在として定着している気がする。
それはそれで悲しい。
思わず私は外気を求めるように一度顔を引き抜いた。
そして、大きく息を吐いた。
「どうしたミュゼッタ、大丈夫か?」
背後でアルフレッドが聞いてくる。
「あ、大丈夫大丈夫」
答えてからもう一度頭を入れてみる。だがそれ以上はどうやっても身体を押し込むことはできない。
再び首を抜く。
「……やっぱりここからの侵入は無理ね。頭は入るし、多分、息を止めれば胸も通りそう。でもどうしても肩だけは引っかかって通らない。どんなに細身でも無理」
「子どもみたいに細くて小さい人間だったら通れないか?」
アルフレッドが言った。独り言に近い呟き。
その言葉に、巫女見習いの細い肩が頭に浮かぶ。
揺れる白い衣。
小さく結んだ腰紐。
泣き腫らしたジーナの顔。
同じ目に合わせてやりたいと言った彼女の声。
私は首を振る。
現実に当てはめれば、巫女見習いの子たちでさえ無理だ。ジーナよりもさらに小さい子もいるが、それでも無理だろう。実際、肩幅だけなら彼女らも私と大きく違わないのだから。
「……無理よ。子どもだったとしてもこの隙間の狭さは、胸郭の幅で完全に引っかかるわ。肩の幅は大人も子どももさほど変わらないもの。両肩を通すのは無理」
小窓のまわりの石を改めて見回してみる。
打ち込まれた格子は太く、一本抜けたとしても人体はどうやっても通らない太さだ。
「格子に破損もない……」
アルフレッドの顔を見る。
「やはり魔法──」
「この神殿では神聖魔法以外は阻害される。そして神聖魔法で壁抜けはできない」
アルフレッドが言う前に否定する。
そう。この神殿内では、使用できる魔法は限られている。それに懲罰房だ。この部屋の壁面は、外部からも内部からもおそらく簡単には干渉できない作りになっているはずだ。
窓は格子で塞がれ、扉は内開きで、その扉の前には狼の死体が巨大な塊となって横たわり、完全に塞いでいた。
アルフレッドが、静かに腕を組む。
「鍵も閉まっていたし、死体が塞いでいて中には入れない。窓からも通れない。魔法も不可。なのに、中の男は殺されている。どういうことだ?」
私は無意識に唇を噛んでいた。
「……完全な密室、ということよ」
内部で起きた殺人なのに、外からの手段はすべて断たれている。
犠牲者自身が狼の姿のまま扉を塞いだことが、皮肉にも出入りを不可能にしていた。
そこでふと気になった。
──何故、人の姿ではなく、人狼の姿で死んでいたのだろう?
考えたが、その疑問の答えに行きつけそうにはなかった。
結局、私たちは自室に戻る事にした。
アルフレッドが先を歩き、私はその後ろをついていく。
少し歩いたその時だった。
――足が、ふっと沈んだ。
「……っ」
体勢を崩し転びかける。だが、そこは身軽な私。なんとか体勢を整えて踏みとどまった。
「ミュゼッタ!」
振り返ったアルフレッドが駆け寄る。
私は何故足が沈んだのか、そちらが気になって視線を落とす。
そこだけ、土が抉り取られていた。
小窓のすぐ近くの地面が、誰かに掘り返されて穴ができている。
「……穴だな。しかもつい最近のものだ。まだ土が湿っている」
アルフレッドが眉をひそめてしゃがみ込む。
「誰がこんなものを……まったく、イタズラにしちゃタチが悪いな」
アルフレッドは苛立ちを隠さずに言う。
私は答えず、めくれた土の形を見つめる。
本当にイタズラだろうか。こんな場所に穴を掘る意味があるとも思えない。
密室に何か関係があるのだろうか。
何もかも、わからない事だらけだ。




