⑱ 誰かが人狼を殺したのだ
さて、翌朝である。
唐突にノックが響いた。窓の外が薄っすらと明るくなっている。夜明けが近いようだ。カーテンのようなものは据え付けられていないので、朝日が直接窓から部屋に入ってくる。
「ミュゼッタ殿、アルフレッド殿! 起きておられますか?」
半ば寝ぼけたまま髪を結び、扉を開けると、ディフォーが少しばかり緊張した面持ちで立っていた。
隣の部屋からアルフレッドも顔を出す。
「朝っぱらから随分と張り切ってるな……」
「……おはようございます、ディフォーさん」
「おはようございます。お二人とも、朝早くから申し訳ないですが、ご同行願いたいのです」
「……何かあったんですか?」
「これから昨晩捕らえた暗殺者の尋問を行うのですが、あなた方に立ち会っていただきたいのです」
「私たちが?」聞き返す。
ディフォーは静かに頷いた。
「アルフレッド殿は、昨夜あの男に傷を与えた方です。ああいう手合いは、自分を打ち負かした相手を前にすると口が軽くなる傾向があります。また、ミュゼッタ殿の推理も、やつの心を揺さぶる材料になるでしょう。内通者についても何か聞き出せるかもしれません」
そこまでの信頼を置かれているとは。なかなかに重要任務である。
「わかりました。すこしだけ待っていてください」
手早く身支度をして、一旦、ディフォーとともにアルフレッドの部屋に入る。
「……ミュゼッタを連れていくのに危険は無いのか?」
アルフレッドがディフォーに尋ねる。
「手枷に加え足枷もつけています。安全は保証いたします。危険があるとすれば、猿ぐつわを外すときくらいでしょうが、それは私が行いますので安心してください」
アルフレッドもディフォーの返答に納得したようで、私の方を見て、ゆっくりと頷いた。
「わかりました。私たちも同行します」
そう答えると、ディフォーは肩の力をわずかに抜いたように見えた。
「感謝します。十分後に出発しましょう。牢は半地下の懲罰房です」
そう言い残し、彼は廊下へ戻って行った。
扉が閉まり、部屋に静けさが戻る。
「まあ、行かないわけにもいかないわよね」
私が言うとアルフレッドは軽く伸びをする。
「尋問か。俺は話を聞きだすようなことは苦手なんだがな」
「宝物殿の時みたいに、しどろもどろで悪魔の角の硬さについて尋ねちゃうもんね」
「あれはお前が無茶振りをしたからだろ」
そんな会話を交わしつつ、部屋に戻ると上着を羽織り準備を整える。
これから向かう先は、昨夜あの男が運び込まれたという懲罰牢だ。
あの男が話すとしたら、何を語るのだろう。
内通者のことを聞き出せると良いのだけど。
それとも、まだ私たちが知らない何か別の真実があの男の口から明らかになるのだろうか。
しばらくすると再びノックがあった。
「お二人とも準備はよろしいですか?」
ディフォーの声だった。
私は気合を入れて、返事をすると、ディフォーと合流した。
私たちは、あまり語らずに廊下を歩いていた。
早朝ということもあるが、緊張感から、何を喋って良いのか悩ましい。
ディフォーの背を追いながら歩いていた私は、ふと、廊下の柱の陰に小さく震える影を見つけた。
白い法衣の裾。細い肩の上下。
巫女見習いのジーナだった。
うずくまるように座り込み、必死に声を殺して泣いていた。
「……ジーナ?」
呼ぶと、彼女はびくりと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れたまつげが、朝の薄光を受けてきらりと光る。
「ミ、ミュゼッタ……様……」
その声はひどく弱々しく、しかし目の奥にはどこか怒りに燃えているような輝きがあった。
「どうしたの? こんなところで……」
そっと近づくと、ジーナは唇を強く結び、俯いたまま小さく震えた。
「……ジェイト……のこと……思い出して……」
私は息を呑む。自分でも気づかぬうちに拳に力が入る。
──ジェイト。襲撃の夜に命を落としたあの青年神官だ。あの神官を助ける、と私はジーナに言った。
その言葉が、胸に重くのしかかる。
「ジーナ……」
「……ジェイトは……ただそこにいただけなのに……」
こぼれた声は、泣き声というより、押し殺した叫びだった。
「……どうして……どうして彼なんですか……!」
肩が震え、涙がぽたぽたと床に落ちる。
その涙の音が、やけに大きく聞こえた。
私はそっと腰を落とし、彼女と目線の高さを合わせた。
ジーナは私の目を睨んだ。
「……っ……私に力があれば……侵入者を同じ目に合わせてやるのに!」
「ジーナ……そんなこと……」
ジーナが顔を上げた。
涙に濡れた目が、怒りと悲しみで揺れている。
呼吸が乱れ、肩が上下する。
「ミュゼッタ様……は、嘘つきです! あの時……任せてって……言った……!」
ジーナは巫女服の裾をぎゅっと握った。
私は言葉を返せず、ただ俯いて謝ることしかできない。
「……ごめんなさい」
ジーナは震える声のまま続ける。
「あなたの護衛の騎士様は生きているのに……!」
そう叫んだ瞬間、ジーナは私の表情を見て息を呑み、口を押さえた。私は、一体どんな顔をしていたというのだろう。
「……っ……ごめ、なさい……そんな……そんなこと……言うつもりじゃ……」
首を左右に振りながら、必死に涙をぬぐおうとする。
しかし涙は止まらず、彼女の手の甲を伝って零れ続けた。
私を責めているわけではないのはわかる。
言っても仕方がないとわかっていても、胸の内に溜まった怒りと悲しみが、言葉の形でこぼれ落ちてしまうのだろう。
私はそれを受け止めるしかない。
軽々しく『任せて』などと言った。言ってしまったのだから。
その事実はずっと、私の胸の底で私自身を苛んでいる。
「……ごめんなさい、わたし……」
ジーナは息を詰まらせたまま、立ち上がろうとする。
私はそっと手を伸ばしたが、彼女はその手を取らず、震える足で立ち上がった。
「ほんとうに……ごめんなさい……失礼します……」
逃げるように廊下の奥へ消えていく。
白い裾が角を曲がって見えなくなる瞬間まで、私はただ立ち尽くしていた。
胸の奥に、小さな痛み。
「……行こう」
背後からアルフレッドの低い声がした。
振り向くと、彼は私の表情を伺うように立っていた。
私はかすかに微笑んで見せて、ちいさく頷く。
やるせない。
だが、ジーナの悲しみを少しでも和らげるためにも、暗殺を行おうとした人物を特定しなければならない。
私たちはディフォーを追い、懲罰牢へ向けて歩き出した。
長い廊下にジーナの悲しみの余韻が残っている気がした。
半地下へと続く階段を下りると、湿った石の匂いが鼻についた。
懲罰房は普段は誰も近づかない神殿の奥まった場所にあった。
「開けます」
ディフォーが神殿騎士の詰め所から持ってきたという鍵束を持ち上げ、私とアルフレッドに見せる。彼の声はどこか落ち着きがなかった。緊張しているのだろう。中にいるのは凶悪な賊だ。枷がしてあったとしても危険を意識せずにはいられないのだろう。
彼は鉄扉に鍵を差し込み、ゆっくりと回す。
鍵が開いた音がする。
宝物殿のような厳重さはないが、それでも強固な鍵だという事がわかる。
ディフォーはドアノブを捻って扉を押そうとした。
だが、扉はわずかに前に動いただけで、それ以上はピクリともしなかった。
「……ん?」
ディフォーが眉を寄せ、もう一度力を込める。やはり開かない。
「……内側で何かがつっかえているようだ」
私は思わずアルフレッドの横顔を見る。
彼もまた、神妙な顔つきになっていた。
昨夜の暗殺者。アルフレッドに深い傷を負わせたあの男。彼が、こんな場所で扉が開かないように抑えるなんて子どもじみた真似をするだろうか。
いや、そんなことをする意味がない。
ではなぜ扉は開かないのだろうか。
「……中から扉を押さえているのか? おい、おかしなことはやめろ」
ディフォーが中に向けて声をかけるが反応はない。
それ以前に、物音ひとつしない。
まるで、内部には誰一人として生きた人間がいないように。
「なんなんだ? 何故扉が開かない」
「中の様子を別のところから確認できないんですか?」
私の質問にディフォーが頷いた。
「外側に小窓があります。そこから中を確認できるはずです」
ディフォーはそう言って、一度扉を閉めて鍵をする。
「こちらです」
彼は足早にその場から駆けていく。
私とアルフレッドも後に続く。
中庭の端に当たる場所。外壁に面した小さなスペースに出ると、そこには石造りの壁に取り付けられた細い小窓があった。懲罰房は半地下のため、小窓は随分と低い位置にある。鉄格子が嵌められ、人の頭が入る程度の隙間しかない。
ディフォーが身を寄せ、小さく覗き込む。
その瞬間、彼の肩がわずかに震えた。
「……なんだ……これは……」
嫌な予感がした。私は小窓に近づいた。
先に覗き込んだアルフレッドが私の前に立ちはだかる。腕で小窓の中を隠そうとする。
「……ミュゼッタ、お前は見ない方がいい」
しかし、私は黙ってアルフレッドの手を退ける。見ずにはいられなかった。
アルフレッドもそれ以上無理に止めようとはしなかった。
私は格子に手を添え、顔を寄せた。
暗い懲罰房の中に、人間ではないシルエットが見える。
毛並みの乱れた、灰と黒の獣の姿だ。
狼が扉にもたれかかって倒れている。
その体が扉を塞いでいた。
内開きの構造がゆえに、懲罰房の扉は開かなかったのだ。
彼は目を見開いたまま、小窓に向かって何かを訴えるような表情で固まっている。
その胸元が赤く染まっていた。
彼の足元には血濡れた短剣が落ちている。
私はしばらく言葉を失った。
「胸を……ひと突きにされている……あれは……死んでいるのか?」
ディフォーの声は震えていた。
「誰かが昨夜の間にこの男を殺したということか?」
アルフレッドが眉間に深い皺を寄せて呟く。
私は格子から視線を外し、ゆっくりと息を吐く。
扉にもたれかかったまま動かない巨体。私たちが真実を聞き出すはずだった男は、もう何も語らない。
手枷に足枷までしているのだ。
自死ということは無いだろう。
そう、『誰か』が、人狼を殺したのだ。




