⑯なんでそんな堂々と入ろうとするのよ!
私とアルフレッド、ビーニィは、ほとんど言葉も交わさずに廊下を進んでいた。
上層階はひと通り調べたが、これといった収穫はない。手がかりの一つでも出てくれればと思うけれど、特にこれといった変化は見られなかった。
ビーニィの調べ方は、見ていて少し驚くほど丁寧だった。窓枠の隙間に指を這わせ、壁を叩いて空洞がないか確かめ、床板のわずかな段差さえ見逃さず確認していく。その真剣な横顔を見ていると、彼女がこの捜査にどれだけの覚悟を持って臨んでいるか、なんとなく伝わってくるような気がした。
それだけ、シスリィを守りたいと思っているのだろう。
隠し通路の一つでも見つかれば、一気に動けるのだけれど。
そんなことを考えながら歩いていると、ビーニィがふと足を止めた。
「……私の私室です。念の為、ここも調べましょう」
そう言って彼女が扉を開けると、アルフレッドは何の躊躇もなく足を踏み入れようとした。当然のような顔で、まるで自分の部屋に入る時のような自然さで。
ふと、開いた扉の隙間から部屋の中が見えた。ベッドの上に、脱ぎ散らかされた肌着が無造作に置かれている。ビーニィが鎧の下に着ているものだろう。
私は反射的にアルフレッドの腕を掴んだ。
「ちょっと待って!」
「なんだ、急に」
「女の人の私室に、なんでそんな堂々と入ろうとするのよ!」
「何か問題があるのか?」
「問題しかないわよ! 年頃の女性の部屋に男性がずかずか入るのは、それだけで色々まずいの。ビーニィさんだって、男の人に部屋を見られたら気分が悪いでしょう?」
ビーニィはわずかに首を傾けた。特に気にした様子はない。
「別にかまいませんが」
「ビーニィさんがかまわなくても、私が気にするの!」
なんだか自分一人が空回りしているみたいで、つい声が上ずってしまう。アルフレッドは相変わらず釈然としない顔をしていた。
「とにかく、こういうのは女同士のほうがいいの。アルは廊下で見張りしてて!」
「……よくわからんが、外にいればいいんだな」
アルフレッドはあくびをすると、扉の横の壁に背中を預けた。納得はしていないだろうけれど、それ以上は何も言わない。
私はビーニィと二人で部屋の中に入った。
彼女の私室は、シスリィの部屋とはまた違った形で質素だった。余計なものが何もない。
ベッドに、机、椅子。後は納戸があるだけだ。生活の温もりのようなものが、どこにも見当たらない気がした。不要なものを全て削ぎ落としたような、そんな部屋だった。
ビーニィは部屋の中央に立ち、静かにこちらを見ていた。
「……ミュゼッタ殿。アルフレッド殿を外に出したのは何故ですか? 調査の効率を考えれば、三人で手分けしたほうがよかったのでは」
「いや、まあ……ベッドの上に脱いだままの肌着が見えてたから、とっさに」
「昨夜は忙しかったので、片付ける時間がありませんでした」
「う、うん。そうよね、ごめんなさい」
気まずい沈黙が少し流れた。私は誤魔化すように部屋をぐるっと見渡した。特に気になるところはない。怪しい痕跡は皆無だ。ここも空振り。
でも、せっかく二人きりになったのだ。少し気になっていたことを聞いてみることにした。
「……ビーニィさん、一つ聞いてもいいですか」
問いかけると、彼女は不思議そうにこちらを向いた。
「なんでしょうか」
「シスリィ様って、あなたにとって……どんな存在なんですか?」
ビーニィは一瞬だけ目を見開いた。
彼女はすぐには答えず、しばらく黙っていた。色々な事を思い返しているのだろう。
やがて、彼女はふっと微笑んだ。それは、いままで彼女が見せたことがない表情だった。
「……シスリィ様は、私にとって『生きる理由』です」
淡々とした語り口調である。でも、その言葉の奥には、明らかに熱意がこもっている。
「物心ついた頃から、私はシスリィ様の傍に仕えてきました。あの方の悲しみも、痛みも、すべて自分が引き受ける。私はそのために生きています。それ以外の生き方を、私は知りません」
彼女は、迷いの無いまっすぐな目で私を見ていた。
「……もし仮に、シスリィ様のために命を捨てなければならなくなったのならば、私は迷わずそうします」
「それは騎士として、ですか?」
彼女は、ふっと悲しそうに瞳を下げる。
「私はシスリィ様のために命を捧げる事は怖くない。でも、本音を言えば……少しでも長く、あの方の笑顔を見ていたいとも思っています。私は、あの方の笑顔のためにここにある」
気づけば、アルフレッドの顔が頭をよぎった。
──彼も、同じなのだろうか。
あの夜、私のせいで負った傷。
血の匂いと、彼の苦痛に歪む顔がいまも焼きついて離れない。
もし、謝罪の言葉を口にしたら。
きっと彼は笑って言うだろう。
「気にするな」と。
ビーニィと同じように──誰かを守るために、命をかけることを誇りにして。
その横顔を思い浮かべた瞬間、胸の奥がきゅっとなった。
なんだろう、この感じは。
ただの申し訳なさとも、少し違う気がする。
うまく名前のつけられない何かが、胸の隅にそっと居座っていた。
深く考える前に、私は小さく首を振った。
今はまだ、それでいい気がした。
ただ、ビーニィに告げる。
「……ありがとう、ビーニィさん」
私がそう言うと、彼女はわずかに目を丸くして、それから苦笑を浮かべた。
「一体、なんの感謝ですか?」
その笑顔は、さっきまでの冷たく強い光とは違って、どこか人間味のあるやわらかさを帯びていた。
外の廊下から、唐突なくしゃみの音が響いた。
アルフレッドだ。
私とビーニィは顔を見合わせた。
扉を開けるとアルフレッドが私を見て、ほっと息をついた。
「何か見つかったか?」
「何もなかった」
「ふうん、そうか」
彼の声には、いつもの落ち着きがあった。
「……なんだ? ニヤニヤしながら俺の顔を見て。なんだか気持ち悪いな」
「そんなニヤニヤしているかな?」
後ろで、ビーニィが静かに扉を閉める。
扉が閉まる金具の音が、廊下に響いた。
私たちはそのまま上層階の最上層の居住区域まで足を運んだ。
「このあたりは上級神官の私室が集まっています」
ビーニィが淡々と説明する。
「ですが、高齢の神官たちは階段を使うのを嫌がり、一般神官のための下層階に私室を構えたがる者が多い。そのため、この階には空き部屋も多いのです」
歩き続けていたアルフレッドが、ある扉の前で突然足を止めた。
「この部屋も空き部屋か?」
ビーニィは頷く。
「ええ。誰も入居していないはずです」
「だとすると妙だな」
アルフレッドは眉をひそめた。
「最初から扉が少し開いていたぞ」
私たちは顔を見合わせ、慎重に扉を押し開けた。
部屋は静かだった。
机、棚、ベッド。どれもこの神殿の部屋には元々備つけてある普通の家具だ。
だが、ふと、違和感がよぎる。
私は息を整えながら視線を巡らせた。
「……やっぱり。この部屋はおかしいわ」
つぶやいた私に、ビーニィが近づいてきて尋ねる。
「何かおかしなところが?」
「……ベッドの位置が変」
ベッドは本来置かれるべき位置からずいぶんずれていた。
部屋の中央ではなく、窓の下へ押しつけられるように寄せられている。
人が使うには、不自然な位置だ。ほとんど壁に張りついたような形になっている。
アルフレッドも眉間に皺を寄せた。
「確かにこの位置は妙だな。しかも……」
彼は床を指差した。
「床に薄っすらと動かしたような跡がついている」
彼の言う通り、床には最近できたものと思われる細かい傷があった。それは、明らかにベッドの脚を引きずったと思われる跡だった。
やはり、このベッドは、なんらかの理由で窓際に移動されたのだ。
私は膝をつき、そのベッドの脚元をのぞき込んだ。
目を凝らすと、脚の部分に細い擦れ跡が幾筋も走っている。指先でそっと触れると、その部分はざらついていた。木材が何度も繰り返し擦られ、削れた痕のようだった。
「……これ、何かが擦れた痕みたい」
私が言うと、アルフレッドも身を屈めた。
「確かに。……この寝台の脚に、何か縄のようなものを結びつけてたのかもしれんな」
縄──?
私はふと思い立つと、立ち上がり窓に歩み寄った。窓の木枠に目を近づけると、隙間に小さな白い繊維が引っかかっているのが見えた。
窓の外には、明るい中庭が広がっている。
巫女見習いたちが法衣を干していて、白布が風を受けてゆっくり揺れている。
ベッドの痕跡。縄。そして、窓枠に付いている白い繊維。
──何かが繋がりそうな気がする。
私は中庭で揺れる白布を指差して尋ねた。
「ビーニィさん、あの法衣について教えてください。あれはどんな素材で作られているんですか?」
「丈夫な麻の布です。神官や巫女に支給される法衣ですね」
「誰でも簡単に手に入れることができるものですか?」
ビーニィは少し考えてから答えた。
「支給品ですが、洗濯場に行けば山のように積まれています。神殿内の者なら、誰でも手に入れるのは容易でしょう。特別な物ではありません」
私は木枠に残された白い繊維を見た。それは、まさに麻の繊維だった。
風に揺らぐ法衣。
寝台に刻まれた擦れ痕。
木枠に残った白い繊維。
誰も使っていないはずの空き部屋。
そして、神殿内に潜んでいるはずの内通者。
頭の中で、ばらばらだった要素がひとつの物語として組み上がっていく。
心臓が高鳴る。
「……物語が繋がった」
思わず声が漏れた。
アルフレッドとビーニィが同時にこちらを向く。
視界の端で、白布が風に揺れている。その動きが、まるで答えを教えてくれているかのように見えた。
「アル、ビーニィさん」
二人の視線が重なる。
胸の奥が確信で満たされ、声に自然と力がこもった。
「――侵入者がどうやって内部に入り込み、そして中庭に現れたのか、わかりました」
私の言葉に、ビーニィが目を細めた。
「説明していただけますか」
「ええ。でも、シスリィ様とディフォーさんにも聞いてもらいたい。一旦、応接室に集まってください。そこで説明します」
私は窓を一度だけ振り返った。
白布が、何かを見送るように、まだゆっくりと揺れていた。




