聞こえるから、見つけられる
ミラとルークと行動するようになってから、エリオの冒険者生活は思っていたよりも順調に進んだ。
最初の数回こそ三人とも互いの動きが分からず、森へ入るだけでも何度か立ち止まって相談する必要があったが、一か月も経つ頃には役割が自然と固まっていた。
前衛はミラ。
大きな盾で敵の攻撃を受け止め、片手剣で隙を作る。力任せに戦うように見えて、実際には周囲をよく見ている。敵が複数いるときは必ずルークが狙いやすい位置へ誘導し、危険だと判断すれば迷わず退く。エリオが初めて会ったときに黒牙狼の突進を真正面から受け止めていたが、あれも単に腕力が強かったからではないらしい。
後方から攻撃するのはルークだった。
弓の腕はかなり良い。特に動いている相手を狙うのが得意で、ミラが一瞬だけ作った隙を逃さず矢を打ち込む。普段は軽口ばかり叩いているが、戦闘が始まると別人のように静かになる男だった。
そして、エリオは二人より少し後ろを歩いた。
役割としては斥候に近い。
ただし、一般的な斥候とはかなり違う。
「右前方。たぶん二体」
森の中でエリオが小声で告げると、ミラが足を止めた。
「距離は?」
「まだ遠い。五十……いや、六十くらいかな」
「種類は?」
エリオは耳を澄ませた。
葉を踏む音。
短い呼吸。
それから、低い鼻息。
「角兎だと思う」
「それなら問題ないな」
ミラは盾を構えながら進み始めた。
しばらくすると、エリオが言った通り二体の角兎が姿を現した。
額から短い角を生やした大型の兎で、単体ならそれほど危険な魔物ではない。とはいえ、草むらから突然飛び出してくれば怪我をする程度の力は持っている。
一体目がミラへ向かって跳ぶ。
盾で受け止める。
鈍い衝撃音。
二体目が横へ回ろうとするが、その瞬間にはルークの矢が飛んでいた。
一撃。
残った一体をミラが剣で仕留める。
戦闘は十秒もかからなかった。
「楽だなあ」
ルークが弓を下ろしながら言った。
「何が?」
「エリオがいると、いきなり襲われない」
「前は違ったの?」
「森って普通、見えないところから来るんだよ」
「それはそうだけど」
「それが一番怖いんだって」
ルークは倒れた角兎へ近づきながら肩をすくめた。
「いる場所と数が先に分かるだけで、だいぶ違う」
ミラも頷いた。
「こっちが準備してから戦えるからね」
エリオは少し照れくさくなった。
冒険者になる前、《残響記録》をこれほど評価されたことはなかった。
町では珍しいだけの能力だった。
教会でも、戦闘に向かない《恩恵》だと言われた。
ところが実際に森へ入ってみれば、音から得られる情報は想像以上に多かった。
敵の数。
方向。
距離。
移動速度。
足音を覚えている魔物なら、姿を見る前に種類まで推測できる。
完全に判別できるわけではないし、風や雨が強ければ精度も落ちる。それでも奇襲を避けられるだけで、戦闘の危険性は大きく変わった。
それだけではない。
魔物に見つかりたくないときには、別方向から動物の声を再生して注意を逸らすことができた。
仲間と離れた場合も、事前に決めた鳥の鳴き声を合図として使える。
依頼の途中で道を見失っても、一度通った場所なら周囲の音を覚えているため、ある程度は元の道を辿れた。
前世では、ただ好きで集めていた音だった。
今では、その一つ一つが自分と仲間の命を守る情報になっている。
エリオにとって、それは素直に嬉しいことだった。
◇
三人が正式なパーティとして登録したのは、それから間もなくのことだった。
「名前、いるの?」
ギルドの受付で説明を聞きながら、エリオは思わず尋ねた。
「必須ではありませんよ」
受付係が答える。
「ただ、継続して活動するのであれば登録しておいた方が便利です。依頼の実績もパーティ単位で管理できますから」
エリオは隣を見る。
ミラとルークが顔を見合わせていた。
「考えてなかった」
「俺も」
「二人、今までどうしてたの?」
「一緒に依頼を受けてただけ」
「正式に組んではいなかったんだよ」
ずいぶん適当である。
結局その場では名前が決まらず、後日登録することになった。
エリオにとって重要だったのは、名前よりも依頼の内容が変わってきたことだった。
三人で安定して依頼をこなすようになると、最初はF級だったエリオも数か月でE級へ昇格した。
薬草採取や害獣駆除だけだった仕事は、次第に魔物討伐や護衛へ変わっていく。
そのたびに、エリオが記録する音も増えた。
ゴブリン。
コボルト。
角兎。
グレイハウンド。
黒牙狼。
森に住む魔物だけでも、それぞれに複数の鳴き声がある。
同じ魔物でも、警戒しているときと仲間を呼ぶときでは音が違う。
エリオは以前の失敗を教訓に、意味の分からない声を不用意に再生しないようにしていた。
代わりに、可能な限り観察する。
どんな状況で鳴いたか。
そのあと周囲の魔物がどう動いたか。
そうして一つずつ意味を推測し、使える音を増やしていく。
「最近さ」
ある日、依頼から帰る途中でルークが言った。
「エリオ、魔物より魔物の鳴き声詳しくない?」
「魔物本人には負けると思う」
「そういう意味じゃない」
前を歩いていたミラが笑う。
「でも、ずっと聞いてるものね」
「面白いんだよ」
「私には全部同じに聞こえるけどなあ」
「全然違うよ」
「そう言われても分からない」
そういう会話も、すっかり日常になっていた。
エリオはこの生活を気に入っていた。
前世の記憶を持ったまま異世界へ転生し、何をすればいいのかも分からなかった自分に、ようやく居場所ができたような気がしていた。
◇
転機になったのは、冒険者になって一年ほど経った頃だった。
三人はギルドから、廃坑の調査を依頼された。
町から半日ほど離れた山にある古い鉱山で、数年前に採掘を終えて閉鎖された場所だった。最近になって入口付近でゴブリンの姿が確認され、巣になっている可能性があるため内部を調べてほしいというものだった。
討伐が目的ではない。
数を確認し、危険であれば戻る。
それだけなら、三人でも問題ないと判断された。
廃坑へ入ってすぐ、エリオはいつも以上に慎重になった。
洞窟のような場所では音が反響する。
森の中とは勝手が違う。
壁に跳ね返った音が別方向から聞こえてくるため、単純に方向だけを頼りにすると間違える可能性がある。
「少しゆっくり行こう」
エリオが言うと、ミラが頷いた。
「何か聞こえる?」
「今のところは水だけ」
奥から一定の間隔で水滴が落ちる音がする。
天井から岩へ落ち、さらに下へ流れていく。
エリオはその反響を頭の中で追いながら歩いた。
前世で地下道や洞窟の音を録ったことが何度かある。その経験が、思わぬところで役に立っていた。
しばらく進むと、道が二つに分かれた。
「どっちだ?」
ルークが尋ねる。
エリオは答えず、耳を澄ませた。
左。
何も聞こえない。
右。
遠くで何かが擦れる音。
さらに小さな声。
ゴブリン。
「右にいる」
「何体?」
「待って」
エリオは目を閉じた。
一つ。
二つ。
三つ。
複数の声が重なっている。
だが、反響が強く、正確な数が分からない。
「少なくとも五。もっといるかも」
「戻る?」
ミラが訊いた。
今回の依頼は調査だ。
無理に戦う必要はない。
「もう少しだけ確認したい」
エリオは答えた。
声の大きさから考えると、それほど近くはない。
三人は右の通路を慎重に進んだ。
やがて、エリオが手を上げる。
全員が止まった。
前方に弱い光が見える。
その奥からゴブリンの声が聞こえていた。
数は十を超えている。
「十分だな」
ルークが囁いた。
「戻って報告しよう」
エリオも頷きかけた。
そのときだった。
別の音が聞こえた。
ゴブリンとは違う。
もっと小さい。
一定の間隔で。
カン。
少し間を置いて。
カン。
金属同士が触れるような音だった。
「待って」
エリオが言う。
「まだ何かいる?」
「分からない」
音は、ゴブリンのいる方向とは少し違うところから聞こえている。
カン。
カン。
規則的だ。
自然に発生している音には思えない。
誰かが鳴らしている。
「人かもしれない」
ミラの表情が変わった。
「捕まってるってこと?」
「可能性はある」
調査だけなら戻るべきだった。
だが、人間がいるなら話は違う。
三人は相談し、音の正体だけ確かめることにした。
エリオが先頭に立ち、音を頼りに進む。
ところが、しばらく歩いたところで道が途切れた。
目の前には岩壁しかない。
「行き止まり?」
ミラが小声で言う。
「でも向こうから聞こえる」
エリオは壁へ近づいた。
カン。
やはり壁の向こうだ。
前世なら、何かで壁を叩いて反響を確認するところだった。
エリオは少し考えてから、《残響記録》を使った。
以前、鍛冶屋で記録した金属を叩く短い音を再生する。
カン。
音が廃坑へ響いた。
返ってくる反響を聞く。
右側。
硬い。
左側は少し違う。
音の戻りが遅い。
エリオは位置を変えながら何度か音を鳴らした。
「何してるの?」
「壁の向こうの広さを見てる」
「音で?」
「たぶん」
ルークが呆れたような顔をした。
「たぶんでやるなよ」
だが、エリオには確信があった。
左側の壁の向こうには空間がある。
そして、その空間へつながる場所がどこかにあるはずだ。
三人で周囲を調べると、岩陰に古い木製の扉が見つかった。
土と石で半分ほど埋もれており、遠目では壁の一部にしか見えなかった。
「本当にあった」
ミラが驚いた声を出す。
「開けるぞ」
ルークが扉を引く。
長い間使われていなかったのか、ひどく軋んだ。
その先に細い通路が続いていた。
そして。
「誰かいるのか!」
奥から男の声がした。
三人は顔を見合わせた。
◇
発見したのは、二人の鉱夫だった。
廃坑へ勝手に入ったわけではない。数日前、鉱山跡周辺で新しい鉱脈がないかを確認するため、領主から許可を受けて調査に来ていたらしい。
ところがゴブリンの群れに遭遇し、逃げ込んだ古い通路で崩落が起きた。
出口を見失い、三日近く閉じ込められていた。
「この鉄片をずっと叩いてたんだ」
救出された男が、手に持っていた小さな金属片を見せた。
「誰かが近くに来れば、聞こえるかもしれないと思ってな」
ミラとルークがエリオを見る。
エリオは少し居心地が悪くなった。
「何?」
「いや」
ミラが笑った。
「本当に聞こえるんだなと思って」
二人を連れて廃坑から脱出すると、そのままギルドへ戻った。
依頼内容以上の成果だったらしく、三人には追加報酬が支払われた。
さらに数日後。
ギルドを訪れたエリオたちは、受付係から別室へ呼ばれた。
「今回の働きと、これまでの実績を考慮して」
机の向こうに座った職員が、三枚の冒険者証を並べた。
「三名ともD級への昇格を認めます」
ルークが小さく口笛を吹いた。
ミラは嬉しそうに笑う。
エリオは新しい冒険者証を受け取りながら、不思議な感覚を覚えていた。
冒険者になって一年。
戦闘系ではないと言われた《恩恵》で、ここまで来た。
「それと」
職員が続ける。
「今回の件で、あなた方について問い合わせが来ています」
「問い合わせ?」
ミラが尋ねた。
「王都から来ている冒険者パーティです」
三人の表情が変わる。
「あなた方というより、正確には」
職員の視線がエリオへ向いた。
「《残響記録》を持つエリオさんについて、ですが」
「僕?」
「ええ」
エリオは眉を寄せた。
自分の《恩恵》に興味を持つ人間など、これまでほとんどいなかった。
「何のために?」
職員は一枚の紙を取り出した。
「一度、話をしてみたいそうです」
その紙の上部には、エリオでも知っている紋章が描かれていた。
王国から特別な任務を与えられた者だけが使用を許される、白銀の剣と翼。
そして、その下に書かれていた名前を見て、ミラが息を呑んだ。
「……勇者候補?」
エリオは、もう一度紙へ目を落とした。
自分とは縁のない言葉だと思っていた。
少なくとも、この日までは。




