同じ役目じゃない
翌朝、六人はいつもの時間にギルドへ集まった。
北東部から戻った五人にとっては、十日以上ぶりの王都での依頼になる。エリオにとっても、全員が揃って受付前に立っている光景は久しぶりだった。昨日までなら、それだけで少し意識してしまったかもしれない。しかし実際にフィーナが依頼票を覗き込み、シリルがその肩越しから勝手に読み、リーナが邪魔だと二人を押しのけ、バルガスが少し離れたところで待っているのを見ると、考えるより先に「いつもの朝だ」と思った。
「これでいいと思う」
セドリックが選んだのは、王都の西を流れる支流沿いにある石造りの導水路の点検依頼だった。
古い農業用水路で、王都近郊の畑へ水を引くために今も使われている。数日前から流量が不安定になり、途中にある三か所の調整門のどこかに異常がある可能性が出ていた。ただし完全に水が止まっているわけではなく、魔物の目撃情報もない。水路管理の技師二人に同行し、道中の護衛と現場確認を手伝うという内容だった。
「地味」
シリルが言った。
「帰ってきたばっかりなんだからちょうどいいだろ」
「別に文句は言ってない。山ばっかり歩いたあとだから、平らな道は歓迎」
「でも水路沿いってぬかるんでそう」
リーナが依頼票を覗き込む。
「昨日雨降ってたしね」
「滑るなら気をつけろよ」
「それ、私に言う?」
「全員に言ってる」
そんなやり取りを聞きながら、エリオは依頼票の端に書かれた参加人数を見た。
六名まで。
昨日の話が頭に残っていなかったわけではない。それでも、セドリックがわざわざ六人で受けられる仕事を選んだようには見えなかった。依頼の内容を見て、必要な人数と難度を確認し、そのまま決めた。それだけだった。
少なくとも今日は、五つの席について考える必要はないらしい。
◇
同行する技師は、四十代ほどの男と、その助手らしい若い女だった。
二人とも冒険者ではないが、水路沿いを何度も歩いているらしく、王都を出てからの足取りに迷いはない。街道を外れ、小さな農村を抜けたあたりで石造りの水路が見え始めると、男の技師が歩きながら説明した。
「上流から三番目の門で流量を調整しています。昨日の測定だと、一番上と一番下では数値が合わない。漏れているなら途中で水が減るはずですが、そこまで大きな減少でもないんです」
「門の開き方が変わってる可能性は?」
フィーナが聞く。
「あります。ただ、三日前に確認したときは正常でした」
「魔術式は?」
「使ってません。全部機械式です」
「じゃあ私、あんまり出番ないかも」
「護衛してください」
「分かってる」
水路は低い石壁に囲まれ、その脇に幅の狭い管理道が続いていた。右側には畑が広がり、左側には雑木林がある。遠くまで見通せる場所もあれば、木々が水路近くまで迫っている場所もあり、歩きやすさは一定ではない。
先頭ではシリルが周囲を見ながら歩いていた。北東部での長期任務ほど慎重ではないが、地面の跡や林の枝の折れ方を自然に確認している。エリオも周囲の音を聞いていたが、同じ場所を見ているわけではなかった。
鳥の声。水の流れ。六人と技師二人の足音。遠くで農具を使う音。
水路の音は、場所によって少しずつ違う。
幅や深さだけではない。石壁の形や、水面までの高さ、底に溜まった砂の量でも響き方は変わる。一定の速さで流れているように見えても、耳で聞けば水がどこへ強く当たっているかが分かることがある。
「エリオ?」
リーナが隣から声をかけた。
「何?」
「さっきから水ばっかり見てる」
「聞いてる」
「やっぱりそっちか」
「変?」
「もう慣れた」
リーナはそう言って前へ戻っていった。
しばらくして、一つ目の調整門へ着いた。
技師たちは金属製の取っ手を回し、門の高さを測り、目盛りを記録していく。異常はないらしい。フィーナが周囲の魔力反応を簡単に確認したが、こちらも特に変化はない。
二つ目も同じだった。
「じゃあ三つ目か?」
シリルが言う。
「そう決めるのはまだ早いですね」
技師の男が記録板を見ながら答えた。
「門そのものが正常でも、途中で何か起きている可能性はあります」
「漏れとか?」
「小規模なら」
再び歩き始めてから、エリオは水路の音へ意識を戻した。
二つ目の門を越えてしばらくすると、流れの音が少し変わった。
大きな異音ではない。水が減っているようにも聞こえない。ただ、一定間隔で低い音が混じっている。ごく短く、石の内側へ響くような音だった。
エリオは足を緩めた。
「待って」
全員が止まる。
その瞬間、歩く音が消え、水路だけが残った。
ざあ、と流れる水の下から、少し遅れて低い響きが返ってくる。
「何かいる?」
セドリックが聞く。
「分からない。生き物っぽくはない」
「場所は?」
「もう少し先。たぶん水路の下か、壁の中」
シリルがすぐに前へ出た。
「地面見る」
「お願い」
エリオが音を追い、シリルが管理道と水路脇の地面を確認する。二人は同じ方向へ進んでいるが、探しているものは違っていた。
「こっち、少し沈んでる」
先に声を上げたのはシリルだった。
水路の外側、管理道の端がわずかに低くなっている。何も知らなければ見落とす程度の差だったが、周囲には新しい泥の筋もある。
技師がしゃがみ込んだ。
「昨日の雨だけじゃないな」
「中から水出てる?」
「可能性はあります」
男が水路の石壁へ手を当てる。
その間にも、低い音は続いていた。
エリオは一度、少し離れた場所へ移った。真正面から聞くより、横へずれた方が位置を絞りやすい。水音に混じる低い響きは、門の方向ではなく、今いる場所の下から返っている。
「ここだと思う」
エリオが指した場所と、シリルが見つけた地面の沈みはほとんど重なっていた。
技師二人が顔を見合わせる。
「壁じゃなくて、底かもしれません」
「底?」
「この水路、下に古い排水管があります。普段は閉じているはずですが、接続部分が壊れて水が入り込んでいるなら……」
男はそこまで言って、水路を見た。
「門を閉じて確認する必要があります」
「全部?」
「ここより上を一度止めます。ただ、急に止めると下流側の農家に影響が出る。三つの門を順番に調整しないといけません」
セドリックがすぐに確認する。
「どれくらい時間差が必要ですか?」
「上の門を半分閉じてから、二つ目を調整するまで五分。そこから三つ目まで七分くらいです。技師が二人しかいないので、本来なら往復しながらやります」
水路沿いの距離を考えれば、かなり面倒な作業になる。
「分かれて動けますか?」
セドリックが聞いた。
「操作方法が分かれば」
「難しくはないです。ただ、目盛りを間違えると困るので、誰か一人は技師と一緒の方がいい」
そこで自然に役割が決まった。
上流の一つ目には技師の男とバルガス。二つ目には助手とフィーナ。三つ目にはセドリックとリーナが残り、シリルは水路沿いを移動して途中の状態を確認する。
「エリオは?」
リーナが聞いた。
セドリックが少し考えた。
「真ん中にいて、音で門の動きを確認できるか?」
「たぶん」
機械式の門なら、開閉時には金属と歯車の音がする。それを聞き分けられれば、離れた場所からでも操作の開始や停止は分かるかもしれない。
「やってみる」
◇
全員が配置につくまでに少し時間がかかった。
エリオは一つ目と二つ目の門のほぼ中間に立った。普通なら目視できる距離ではないが、周囲に大きな音が少なければ金属音は届く。
セドリックたちとの連絡には、シリルが走ることになっている。
「じゃあ行くぞ」
シリルが言う。
「最初の門が動いたら教えて」
「どうやって?」
「叫ぶ」
「結局それか」
「一番確実だろ」
シリルは笑って下流方向へ走っていった。
しばらくして、遠くから金属の軋む音が聞こえた。
一つ目の門だ。
ゆっくり回る歯車の音と、水の勢いが少しずつ変わっていく音が重なる。途中で一度止まり、また短く動いた。
半分。
技師が指定していた位置まで閉じたのだろう。
エリオは時間を数え始めた。
正確な時計はない。それでも一定の間隔なら、頭の中で数えることはできる。《残響記録》で音を再生して合図に使うことも考えたが、今回は必要なかった。
五分近く経ったところで、上流側から水音が少し変わった。
「フィーナ!」
エリオが声を張る。
返事は聞こえなかったが、少しして二つ目の門が動き始めた。
今度は一つ目より近い。歯車が一段ずつ噛み合う音まで分かる。だが途中で、その音が一度不自然に途切れた。
エリオは眉を寄せた。
止まったのではない。取っ手を回す音は続いているのに、門側の歯車だけが動いていない。
「フィーナ!」
もう一度叫ぶ。
今度は遠くから、「何!」と返ってきた。
「止めて!」
少し遅れて、金属音が完全に止まった。
エリオはすぐに二つ目の門へ走った。
着いたときには、フィーナと助手が装置を覗き込んでいた。
「何だった?」
「回してる音はしてたけど、門が途中から動いてなかった」
「本当?」
助手が取っ手を少し触る。
「あ」
すぐに表情が変わった。
「空回りしてる」
「壊れた?」
「たぶん、固定具が緩んでます。ここで無理に回したら歯を傷めるところでした」
フィーナがエリオを見る。
「聞こえたの?」
「うん」
「こういうとき便利」
「索敵じゃないけどね」
言ってから、自分で少しおかしくなった。
昨日までなら、その言葉の後に何か考えたかもしれない。書類上では索敵支援とされる力が、今日は水門の故障を見つけている。それを制度の分類と比べたくなったかもしれない。
けれど今は、そんなことより作業を止めない方が大事だった。
「直せる?」
「簡単な調整なら。工具あります」
助手が作業を始める。
その間にシリルが戻ってきた。
「何かあった?」
「二つ目が空回りしてた」
「見ても分かんなかった?」
「外からはたぶん」
「じゃあ見張ってても無理だな」
「でもシリルが最初に地面の沈み見つけたでしょ」
「それとこれ別だろ」
「そうだね」
エリオは素直に頷いた。
同じ索敵という一つの欄へ入れられても、自分とシリルが見ているものは違う。
その違いは、どちらか片方が上位という話ではなかった。
◇
固定具の調整が終わり、作業は再開された。
二つ目の門が予定位置まで下がったあと、エリオは再び中間地点へ戻った。今度は水の流れそのものを聞きながら、下流の変化を追う。
七分ほどして三つ目の門が動いた。
そこから先は技師たちの仕事だった。
流量が落ちた水路へ入り、問題の場所を調べる。完全に乾くわけではないため、バルガスが技師の足元を支え、リーナが滑ったときのために近くで待つ。フィーナは簡単な風魔術で作業場所の水を押し退け、視界を確保した。
原因は、やはり底にある古い排水管だった。
石材の接合部が一部崩れ、そこへ水が流れ込んでいた。大きな破損ではないが、このまま放置すれば周囲の地盤が削られ、いずれ管理道ごと沈む可能性があったらしい。
「今日見つかってよかったですね」
リーナが言う。
「本当に」
技師の男は何度も頷いた。
「数値だけだと、もう少し様子を見るところでした。これくらいの差なら測定誤差の可能性もありますから」
「修理は今日できる?」
セドリックが聞く。
「応急処置までです。本修理は資材と人を呼びます。ただ、場所が分かったので十分です」
仮の栓と補強材を入れ、再び門を順番に開いていく。
帰る頃には日が傾き始めていた。
行きと同じ管理道を六人で歩きながら、シリルが大きく伸びをする。
「結局、魔物一匹も出なかったな」
「いいことでしょ」
リーナが言う。
「冒険者らしくない」
「水路守ったんだから十分冒険者でしょ」
「俺、地面見てただけ」
「それで沈んでる場所見つけたじゃん」
「エリオは音聞いてただけ」
「それで水門止めたじゃん」
フィーナが横から言う。
「私は風出しただけ」
「俺は?」
バルガスが聞いた。
「技師支えてた」
「十分だな」
珍しく自分から会話へ入ったバルガスに、全員が少し笑った。
セドリックは前を歩きながら振り返った。
「俺は?」
「指示」
シリルが即答する。
「雑だな」
「いつものことだろ」
誰か一人が特別なことをした依頼ではなかった。
シリルが地面の変化を見つけ、エリオが水路の下の異音を拾った。技師が原因を推測し、バルガスが作業を支え、フィーナが水を避け、リーナが安全を見ながら、セドリックが全体を動かした。
五人でも何とかしたかもしれない。
七人なら、もっと楽だった部分もあったかもしれない。
それでも今日ここにいたのは六人で、その六人で仕事を終えた。
エリオは少し先を歩くシリルの足音を聞いた。
北東部の任務では、シリルが自分より適していた。それは今でも変わらない。だが今日、地面を見るシリルと、水路の中を聞く自分は、同じ場所にいても互いの代わりにはなっていなかった。
似た役割だから、一人でいい。
そんな単純な話ではないらしい。
◇
ギルドへ戻ると、技師が報告書を書き、その横でセドリックも依頼完了の記録をまとめた。
エリオは何となくその手元を見ていた。
「気になる?」
セドリックが聞く。
「ちょっと」
「何が」
「今日、僕は何になるのかなって」
「何って?」
「記録上」
セドリックは一瞬だけ黙り、それから報告書へ目を落とした。
「水路内部の異常音検知。水門作動不良の早期発見」
「索敵支援じゃない?」
「今回は敵を探してないだろ」
「そうだけど」
「書いてほしいなら書くぞ」
「いらない」
エリオは笑った。
そのとき、少し離れた受付で別の職員がセドリックの名前を呼んだ。
「ヴァーンさん。管理担当から預かりものがあります」
セドリックがそちらへ行き、一枚の封書を受け取る。
昨日の「標準編成」の話があるせいか、エリオは無意識にその紙を見てしまった。セドリックも気づいたらしく、その場で封を開く。
「何?」
フィーナが寄ってくる。
「次回の推薦候補一覧」
「また?」
「候補だけだ」
セドリックは数枚の紙をめくったあと、一か所で手を止めた。
表情が変わったわけではない。
ただ、そのまま少し長く紙を見ていた。
「どうしたの?」
エリオが聞く。
「いや」
セドリックは紙を下ろした。
「明日話そう」
「今じゃだめ?」
「今日の依頼とは別の話だ」
それだけで、何の話なのかは何となく分かった。
それでもエリオは追及しなかった。
今日は六人で出て、六人で帰ってきた。
シリルにしか見つけられなかったものがあり、自分にしか聞こえなかったものもあった。誰かが欠ければ動けないわけではない。それでも、同じ役割の欄へ入れられているからといって、本当に同じことをしているわけではない。
昨日より、そのことだけは少し分かるようになっていた。
だからこそ、セドリックが手にしている紙の内容を、昨日ほど簡単には受け入れられない気もしていた。




