ラウルが使った音
五人から返事が届いたのは、エリオが農村の依頼を終えて王都へ戻った二日後だった。
朝、いつものようにギルドへ入ると、依頼板へ向かうより先に受付の職員が手を上げた。ここ数日で何度も顔を合わせているせいか、もうエリオが何を確認しに来るのか分かっているらしい。
「届いてますよ」
「五人から?」
「北東中継拠点からです」
差し出された封筒には、セドリックの名前が書かれていた。エリオが送ったものより少し厚く、触っただけでも中に数枚入っていることが分かる。
「いつ届いた?」
「今朝です。夜明け前の便で」
「ありがとう」
エリオはそのままギルドの隅にある席へ移動した。
手紙を送ってから、急いで返事を待っていたつもりはなかった。教会で見つかったラウル・ネイスの記録と、五人の派遣先が同じ地域だったとしても、それだけで何かが起きていると考える理由はない。そう自分に言い聞かせながら、この二日も普通に依頼を受けていた。
それでも封を開ける指は、思っていたより早く動いた。
最初の一枚はセドリックの字だった。
全員無事。
現地任務も予定どおり進んでいる。
魔物の移動は実際に確認しているものの、今のところ古代神殿や《残響記録》と直接結びつく異常は見つかっていない。
そこまで読んで、エリオは少しだけ肩の力を抜いた。
自分が送った手紙のせいで、五人が必要以上に古代の何かを探し始めていたら嫌だった。けれどセドリックは、現地の任務と今回の情報をきちんと分けて考えているらしい。
その続きには、少し違うことが書かれていた。
ラウル・ネイスという名前について、現地の中継拠点に残る古い記録を確認した。
現在の町は、四百八十年前とは名称も規模も変わっている。ただし旧集落の行政記録の一部が、街道管理所へ移されて残っていた。
そこで、一件見つかった。
エリオは読む速度を少し落とした。
ラウル・ネイス。
十七歳。
山岳街道の旧中継所にて、記録補助として雇用。
担当業務――警戒音の記録、および照合。
エリオはそこで手を止めた。
「記録……」
思わず声が出た。
八歳で《残響記録》と鑑定されたラウルは、その後も少なくとも十七歳までは同じ地域にいた。そして、音に関係する仕事をしていた。
しかも単なる楽器演奏や鐘楼の管理ではなく、「警戒音の記録、および照合」。
自分の恩恵と、あまりにも相性がいい。
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当時の山岳街道では、拠点間の連絡や魔物接近の警告に、複数種類の金属音を使っていたらしい。遠くまで通るよう加工された鳴器を中継所ごとに設置し、音の高さや間隔によって、通行可、警戒、退避などを伝えていた。
ラウルは、それらが正しい音で鳴っているかを確認する仕事を任されていた。
記録には一行だけ、彼の恩恵について直接触れた記述も残っていた。
――ラウル・ネイス、恩恵により基準音を保持。鳴器調整時、再生音との照合に用いる。
エリオは、その一文を二度読んだ。
これは推測ではない。
ラウルは実際に《残響記録》を使っていた。
それも、エリオが今までやってきたこととよく似た使い方だった。
聞いた音を残す。
必要なときに再生する。
正しい音と違う音を比べる。
四百八十年前にも、同じ恩恵を持った人間が、そうやって音を仕事にしていた。
エリオは少しだけ笑った。
なぜ笑ったのか、自分でもすぐには分からなかった。
特別な古代魔法を使っていたからではない。
世界を救った記録が出てきたわけでもない。
むしろ逆だった。
山の中継所で、金属音が正しく鳴っているか確かめていた。
それだけだった。
でも、その「それだけ」が妙に嬉しかった。
《残響記録》を持った人間が、自分より四百年以上前にもいて、誰かに必要とされる形で普通に働いていた。それが初めて具体的に分かった。
エリオは続きを読んだ。
そこからはフィーナが付け足したらしく、字が変わっていた。
旧中継所で使われていた鳴器そのものは残っていない。ただし、記録によれば薄い金属板を内部に組み込み、決められた高さの音を維持する構造だった可能性がある。
中央教会で見つかった金属板が、それと同じものかは不明。
円に一本線の記号については、現地資料では未確認。
ここまでは事実。
その下に、フィーナらしい追記があった。
「似ているから同じ」と決めるのは禁止。
エリオは少し笑った。
「僕が言われるんだ」
自分が手紙で「勝手に触らないで」と書いた仕返しなのかもしれない。
さらにその下には、シリルの字で短く、
こっちは普通に仕事してる。勝手に来るな。
と書かれていた。
「行かないよ」
誰もいないのに返してしまった。
最後にはリーナの字で、
ちゃんと食べてますか。
とだけあり、その横にバルガスらしい大きな字で、
無理するな。
と書かれている。
エリオはしばらく手紙を見ていた。
古い記録の話より、最後の二行の方が少しだけ困る。
「なんでみんな僕の心配するんだろ」
自分では普通に生活しているつもりだった。
依頼も受けているし、食事もしている。危険な場所へ一人で突っ込んでもいない。
それでも五人から見ると、何か心配するところがあるらしい。
◇
エリオはその日の依頼を受ける前に、もう一度中央教会へ向かった。
今度は呼ばれたわけではなかったが、受付で事情を説明すると、前回の老司祭へ話を通してもらえた。
「新しい記録が?」
老司祭は、セドリックから届いた手紙を読みながら尋ねた。
「現地に残ってたみたいです」
「十七歳で、中継所の記録補助……」
「警戒音を覚えて、鳴器の調整に使ってた」
「これは重要ですね」
「やっぱり?」
「少なくとも、《残響記録》が当時どのように利用されていたかを示す最初の具体例です」
エリオも同じように考えていた。
これまでは恩恵名と、断片的な説明しかなかった。「音声保持」という言葉だけでは、それがどこまで現在の《残響記録》と同じなのか判断できなかったが、音を保持し、再生し、基準音との照合に使っていたとなれば、かなり近い。
「僕と同じ?」
「少なくとも、その用途については」
「でも、ラウルも僕みたいに遠くの足音聞けたとかは分からない」
「ええ。恩恵そのものが同一でも、持ち主がどこまで使いこなしていたかは別の問題です」
老司祭は手紙の内容を別紙へ写しながら答えた。
「ただ、これで一つ分かりました。《残響記録》は、あなた一人に突然現れた未知の恩恵ではない。少なくとも四百八十年前にも存在し、実際に利用されていた」
「うん」
その確認だけでも大きかった。
エリオは前回見た木箱の方へ目を向けた。今日は棚の奥へ戻されているらしく、机の上には出ていない。
「金属板も、中継所の道具だったのかな」
「可能性はあります」
「でも分からない」
「分かりません」
老司祭ははっきり答えた。
「だから今の段階では、『ラウルが中継所で音の記録と照合を担当していた』『その鑑定記録と同じ保管束から不明な金属板が見つかった』。この二つを分けて扱うべきでしょう」
「僕もそう思う」
エリオは頷いた。
以前なら、そこをすぐにつなげたくなったかもしれない。
ラウルが金属板を使った。
金属板は古代装置だった。
《残響記録》は古代魔法を再生するための恩恵だった。
そういう形で一気に答えを作れば、分かりやすい。
でも、今ある資料はそこまで言っていない。
「中継所の警戒音って、今も残ってる?」
エリオが尋ねた。
「現在のものは?」
「現代の中継拠点では魔術式の警報具を使っています。四百八十年前の方式とは異なるでしょう」
「記録は?」
「楽譜みたいなの」
「音階記録ですか」
「うん。ラウルが何を覚えてたのか分かれば」
老司祭は少し考えたあと、別の帳簿を開いた。
「中央教会にはないと思います。ただ、街道管理関係の古文書であれば、王都の行政記録院に残っている可能性があります」
「見られる?」
「一般閲覧できるものなら。ただし四百年以上前の資料となると、申請が必要でしょう」
「時間かかる?」
「数日から、長ければ数週間」
エリオは少し迷った。
五人が戻ってくるまで、あと数日。
急ぐ理由はない。
「じゃあ申請だけしておこうかな」
「紹介状を書きましょう」
「いいんですか?」
「こちらとしても確認したい内容です」
老司祭はすぐに用紙を取り出した。
エリオはそれを見ながら、少し不思議な気分になった。
古代神殿へ入ったときには、自分たちだけで巨大な謎の中へ足を踏み入れているような感覚があった。
今は違う。
教会が資料を探す。
現地ではセドリックたちが記録を確認する。
必要なら行政記録院にも調べてもらう。
一人で全部を見つける必要はない。
その方が、ずっと確実だった。
◇
行政記録院への申請を済ませたあと、エリオはようやくギルドへ戻った。
すでに昼を過ぎていたため、遠出する依頼はほとんど残っていない。今日はもう休んでもよかったが、一日中古い記録だけを考えていると、また必要以上に意味を探し始めそうだった。
依頼板の下の方を見ると、王都内で完結する仕事が一件残っていた。
倉庫に保管された輸送箱の確認。
荷物の一部から異音がするため、破損しているものがないか調べてほしい。
エリオは少し笑った。
「また音」
受付へ持っていく。
「これ受けます」
「今日中ですけど大丈夫ですか?」
「王都内ですよね」
「西区の倉庫です」
「じゃあ行けます」
◇
倉庫には、地方から届いた木箱が三十ほど積まれていた。
依頼主の商人によれば、そのうちどれか一つから、運ぶたびに中で小さな金属音がするらしい。本来は陶器と乾燥食品しか入っていないため、何かが割れて留め具に当たっているのではないかと心配していた。
「全部開けると詰め直しが大変なんだよ」
「だから音だけで?」
「できるって聞いた」
「誰に?」
「ギルド」
また、そういう扱いになっている。
エリオは少し笑いながら箱の間を歩いた。
一つずつ軽く揺らしてもらい、中の音を聞く。
陶器。
乾燥した種。
布。
木。
二十個目を過ぎたあたりで、違う音がした。
「これ」
「分かる?」
「金属あります」
「やっぱり壊れてる?」
「開けてみないと」
箱を開ける。
中には陶器が六つ。
どれも割れていない。
その隙間に、小さな金属製の匙が一本落ちていた。
商人がそれを見て、しばらく黙る。
「……これか?」
「たぶん」
「誰だよ入れたの」
「知らないです」
陶器の梱包に使った布の中へ、誰かが誤って匙を巻き込んだらしい。
依頼は十分もかからず終わった。
「これだけで報酬もらっていいの?」
エリオが尋ねる。
「三十箱全部開けるより安い」
商人は即答した。
「じゃあいいか」
そのまま報酬を受け取った。
◇
夕方、宿へ戻ってから、エリオはセドリックからの手紙をもう一度読んだ。
ラウル・ネイス。
十七歳。
中継所の記録補助。
警戒音の保持と照合。
これまで分からなかったことの一つに、ようやく答えが出た。
ラウルは《残響記録》を持っていただけではない。
実際に使っていた。
それも、何か伝説的なことをした記録ではなく、街道を守るための音を覚え、正しいか確かめるという仕事だった。
エリオは、その事実が思っていた以上に好きだった。
前の世界でも、自分は大きな音だけを集めていたわけではない。
雨。
踏切。
電車。
雪を踏む音。
シャッター。
風。
誰も記録しなくても困らないような音を、ただ残していた。
この世界に来てからは、それが誰かを助けることにつながるようになった。
四百八十年前のラウルも、似たように音を残していた。
何のために生まれた恩恵なのかは、まだ分からない。
古代魔法と関係があるのかも分からない。
それでも《残響記録》を持った人間が、過去にちゃんと生きて、音を使って働いていた。
それだけは、もう推測ではなかった。
エリオは手紙を折り直し、机の上へ置いた。
分からないことは、まだ多い。
でも今日は一つ、分かったことが増えた。
それで十分だった。




