四百八十年前の残響
翌日から、エリオは本当に一人で依頼を探すようになった。正確には、毎回一人で行動したわけではない。昨日のゴードたちのように、欠員の出たパーティへ一日だけ加わることもあれば、王都近郊の配達や確認作業のように、一人で完結する依頼を選ぶこともあった。ただ、朝になれば同じ六人で食堂へ集まり、その日の仕事を相談するという時間がないため、ギルドへ行ってから何をするかを決めるところから全部自分でやる。それが久しぶりで、最初の二、三日は妙に時間がかかった。
三日目には王都南部で薬草商の荷車に同行し、四日目は街道沿いに設置された魔除け杭が倒れていないかを確認する仕事を一人で受けた。五日目には別のCランクパーティへ臨時で入り、小型魔物の討伐に加わった。どれも大きな事件にはならなかったが、毎回少しずつ違っていた。
昨日まで一緒に動いた人間が、今日はもういない。新しく会った人間には、自分が何をできるのかを最初から説明しなければならないし、相手がどのくらい自分の言葉を信用するのかも分からない。セドリックたちなら「三匹、右前、百くらい」と言えばそれで通じるところを、別のパーティでは「何を根拠に三匹なのか」「見えないのに本当にいるのか」と確認されることもあった。
最初は少し面倒だったが、そのやり取りを繰り返すうちに、エリオは自分が普段どれほど説明を省略していたのかにも気づいた。
「つまり、耳がいいってこと?」
五日目に組んだ剣士の男が、森へ向かう途中でそう聞いた。
「それだけじゃないです」
「じゃあ何?」
「聞いた音をそのまま残せます。あと、かなり正確に再生できます」
「それが索敵になる?」
「足音とか呼吸を聞けば」
「どこまで?」
「状況によります」
「便利だな」
男はそう言ったが、それ以上は聞かなかった。少し前までなら、その説明だけで自分の役割を分かってもらえたかどうか気になっていたかもしれない。けれど今は、必要になればその場で分かってもらえばいいと思えるようになっていた。
実際、森へ入って一時間もしないうちに、男たちはエリオの言うことを確認せず動くようになった。
「左奥、二匹。近づいてきてます」
「種類は?」
「牙鼠。たぶん」
「じゃあ避ける」
それだけで済む。信頼というほど大げさなものではない。ただ、一度使えると分かれば、その情報を次から判断材料にする。それはセドリックたちだけが特別だったわけではなく、冒険者なら普通にやっていることなのだろう。
そう考えると、少し安心した。自分の居場所が一つしかないわけではない。だからといって、今の六人がどうでもよくなるわけでもない。その二つは、別の話だった。
◇
五人が王都を出て六日目。
エリオがギルドへ入ると、受付の職員に呼び止められた。
「エリオさん、預かりものがあります」
「僕に?」
「中央教会からです」
その言葉で、エリオは足を止めた。
「教会?」
「はい。今朝届きました」
渡されたのは、小さな封書だった。管理局のものとは違い、白ではなく薄い灰色の紙で、表には中央教会の印と、エリオ・アルディス宛という名前だけが書かれている。
エリオはその場ですぐには開けず、ギルドの隅にある空いた席まで移動した。中央教会から連絡が来る理由は、一つしか思いつかなかった。
《残響記録》。
以前、五百年前の記録に同じ恩恵名が残っていることが分かり、さらに古い分類表にも《残響記録》が記載されていた。そのとき教会側は、過去の個別鑑定記録を調べ、同じ恩恵を持っていた人間が見つかれば連絡すると言っていた。
あれから、しばらく何もなかった。エリオ自身も、勇者候補パーティとしての依頼や推薦任務が続いていたせいで、毎日そのことを考えていたわけではない。それでも封を開くとき、少しだけ指が止まった。
中には短い手紙が一枚だけ入っていた。
過去の鑑定記録について、確認したい事項あり。
《残響記録》と同一、もしくは極めて近い名称の恩恵を持つ人物の記録を一件確認。
ただし、記録状態が悪く、恩恵の詳細については判読不能部分あり。
可能であれば、本人に直接確認してほしい資料がある。
都合のよい日に中央教会記録室へ来訪されたし。
エリオは最後まで読み、もう一度最初から目を通した。
過去に《残響記録》を持っていた人物が、本当にいた。五百年前の分類表に名前だけ残っていたのとは違う。今回は個人の記録だ。
行くかどうか迷ったわけではない。今日はまだ何も依頼を受けていないのだから、そのまま教会へ向かえばいい。ただ、手紙の中の「本人に直接確認してほしい資料」という一文だけが気になった。
読めない文字の確認なら、自分に頼む理由はない。エリオは古代文字の専門家でも、教会記録に詳しいわけでもない。では、なぜ自分なのか。
考えても答えは出ず、結局その日の依頼は受けずに、エリオはそのまま中央教会へ向かった。
◇
中央教会の記録室へ来るのは、前回以来だった。
高い石壁に囲まれた建物の奥へ進み、受付で名前と用件を伝えると、しばらく待ったあと、以前《残響記録》の分類資料を見せてくれた老司祭が現れた。
「お待ちしていました」
「見つかったんですか?」
「一件だけですが」
老司祭はそう答え、エリオを前回と同じ記録室へ案内した。
部屋の中にはすでに何冊かの古い帳簿が用意されていた。ただ、その中央に置かれているのは本ではなく、細長い木箱だった。
エリオはそれを見て足を止めた。
「これ?」
「後ほど説明します」
老司祭はまず一冊の帳簿を開いた。
「こちらが、今回見つかった個別鑑定記録です」
紙はかなり古く、端が黒ずんでいる。保存処理はされているようだが、文字の一部は薄くなっていた。
「年代は?」
「約四百八十年前です」
五百年前の分類表とほぼ同じ時期だ。
老司祭が該当箇所を指す。名前、年齢、出身地、恩恵名。エリオは一つずつ読んでいった。
名前は、ラウル・ネイス。
鑑定時、八歳。
出身地は王都ではなく、北東部の小さな町。
そして恩恵の欄には、はっきりと《残響記録》と書かれていた。
「本当にいたんだ」
「少なくとも、記録上は」
「能力は?」
「そこが問題です」
老司祭は少し下へ指をずらした。
恩恵説明の欄は、一部しか残っていない。
音声。
保持。
再。
そのあとの文字は擦れて読めず、行の最後も欠けていた。
「以前の分類資料にあった『音声保持』よりは少し長かったようですが、残念ながら全文は判読できません」
「この人、その後どうなったか分かります?」
「そこも調べました」
別の帳簿が開かれる。
「成人後の職業記録、婚姻、死亡記録については見つかっていません」
「全部?」
「当時は現在ほど個人記録が統一されていません。地方へ移住した可能性もあります」
「冒険者には?」
「登録記録なし」
エリオはもう一度、ラウル・ネイスという名前を見る。四百八十年前に、八歳で《残響記録》と鑑定された子ども。それだけでは自分との関係は何も分からないが、自分だけの恩恵ではないことは確かになった。
「それで」
エリオは木箱を見る。
「こっちは?」
老司祭もそちらへ目を向けた。
「ラウル・ネイス本人のものかどうかは分かりません」
「え?」
「この鑑定記録と同じ保管束に入っていたものです」
老司祭が箱を開けた。
中に入っていたのは、小さな金属板だった。掌に乗る程度の大きさで、形はほぼ円形。ただし一部が欠けており、表面には文字ではなく、細い溝が何本も刻まれている。
エリオはそれを見た瞬間、どこかで似たものを見たような気がした。
古代神殿の円盤。
完全に同じではない。神殿で見た黒い円盤や白い円盤よりずっと小さく、材質も違う。それでも、表面に刻まれた細い線の並びが、どこか似ている。
「これは何ですか?」
「不明です」
「教会の道具じゃない?」
「少なくとも現在使われている鑑定器具ではありません。また、当時の教会備品目録にも一致するものがない」
老司祭は金属板には触れず、箱ごと少しエリオの方へ寄せた。
「そして、ここからがあなたに来ていただいた理由です」
「何?」
「前回お話しした《残響記録》の古い分類記号を覚えていますか?」
エリオは思い出した。古い一覧の中で、《残響記録》を含む十一の恩恵名の横に付いていた、小さな記号。
円の中に一本の線。
「これです」
老司祭が金属板の端を指した。
そこにも、小さく同じ記号が刻まれていた。
エリオは無意識に少し身を乗り出した。
「これ、同じ?」
「形だけなら」
「じゃあ《残響記録》と関係ある?」
「分かりません。だからこそ、確認したかった」
「僕に?」
「あなたの恩恵が、音を保持し、再生するものだからです」
老司祭は少し間を置いた。
「この板、振ると音がします」
「音?」
老司祭は直接触れず、布を使って金属板を持ち上げた。軽く傾ける。内部に何か入っているようには見えない。
それでも、小さく高い音が鳴った。
キン。
エリオの身体が止まった。
大きな音ではない。高く短い金属音。ただ、それを聞いた瞬間に、前の世界の川辺と、古代神殿の地下で聞いた音が同時に頭へ浮かんだ。
同じ音だと、一瞬そう思った。
けれど《残響記録》に残っている音と比べれば、完全には同じではない。高さが少し違い、余韻も短い。ただ、単に似た金属音というだけではなく、音の立ち上がり方や、鳴ったあとに残る薄い響きに共通するものがあった。
「もう一回」
エリオが言った。
老司祭が再び金属板を傾ける。
キン。
エリオは目を閉じた。《残響記録》には、今聞いた音がそのまま残っている。
前世の最後に聞いた音。
古代神殿の台座が発した音。
第三区画の銀色の芽が最後に鳴らしていた音。
それらを一つずつ思い出し、頭の中で比べる。
「違います」
「違う?」
「同じ音じゃない。でも、近い」
老司祭は少し身を乗り出した。
「どの程度?」
「高さが違う。でも、鳴り方が似てる。うまく説明できないけど」
エリオ自身、何が似ているのかを完全に言葉へ置き換えることはできなかった。
「これ、再生していい?」
「できますか?」
「聞いたから」
老司祭は少し迷ったあと、頷いた。
「板には触れず、音だけなら」
エリオは今聞いた音をそのまま再生した。
キン。
記録室に高い音が響く。
その瞬間、木箱の中に戻されていた金属板が、わずかに震えた。
エリオも老司祭も、同時に動きを止める。
「……今」
老司祭が呟いた。
「動いた」
エリオは箱を見る。何も触れていないし、窓も閉まっていて風もない。
「もう一回やります」
今度は老司祭も止めなかった。
エリオは同じ音を再生する。
キン。
金属板が、また微かに震えた。大きく跳ねるわけではないが、見間違いとは思えない程度には反応している。
「音に反応してる?」
エリオが尋ねた。
「少なくとも、偶然とは思いにくい」
老司祭の声も、さっきまでより低くなっていた。
エリオは金属板を見ながら考えた。自分が鳴らしたのは、板自身が出した音と同じものだ。それに反応したのなら、似ている別の音でも何か起きるのかもしれない。
前世の最後に聞いた「キン」。
あれを再生したらどうなる。
そこまで考えたところで、エリオは止まった。
古代神殿で一度、知らない音を不用意に使う危険を学んでいる。何に反応するか分からないものへ、勝手に音を当てるべきではない。
「ほかの音、試さない方がいいですね」
エリオが言った。
老司祭が少し驚いたようにこちらを見る。
「試したい音があるのですか?」
「似た音を知ってる。でも、何が起きるか分からないから」
「賢明だと思います」
老司祭はすぐに布をかけ、木箱を閉じた。
「こちらでも、さらに由来を調べます」
「僕も来た方がいい?」
「必要があれば連絡します」
エリオは頷いた。
それで話は終わるはずだった。
けれど席を立つ直前、もう一度ラウル・ネイスの鑑定記録へ目を向けたとき、出身地の欄が気になった。
「この町」
「はい?」
「今もある?」
老司祭が目を細める。
「名称は変わっていますが、地域自体は残っています」
「どこ?」
「王都の北東です」
エリオは少し嫌な予感がした。
「どのくらい?」
「馬車で三日ほどでしょうか」
聞き覚えのある距離だった。
「山岳地域?」
「ええ。現在は街道の中継地として使われている地域です」
今度は、エリオもすぐには何も言わなかった。
五人が向かった場所。魔物の広域移動が起きている山岳地域。そこから、四百八十年前の《残響記録》の保持者が出ている。
もちろん、同じ地域だからといって関係があるとは限らない。四百八十年も前の人間と、今起きている魔物の移動を結びつける理由は何もない。それでも、偶然だと切り捨てるには、少しだけ気になるものが重なっていた。
「町の今の名前、教えてください」
エリオが言った。
老司祭は少し不思議そうにしながら、現在の地名を紙へ書いた。
エリオはその文字を見て、昨日まで何度も見ていた派遣書類の地図を思い出した。
同じだった。
五人が今、向かっている場所だった。




