一人分の足音
翌朝、六人はいつもより少し早く食堂へ集まった。誰かが集合時間を決めたわけではないが、昨日の話が中途半端なまま残っていたせいか、全員が自然と同じ時間に下りてきていた。テーブルの上には朝食より先に、例の派遣書類が置かれている。
五人。紙の上では、やはりその数字だけが妙に目についた。
「じゃあ、決めるか」
セドリックが言った。
フィーナが椅子へ深く座り直し、シリルはまだ半分眠そうな顔のまま水を飲んでいる。バルガスはいつもどおり表情を変えず、リーナは手元のカップに触れたまま黙っていた。
エリオも全員の顔を見た。昨日、一人で歩いていたときには、自分が残ればいいと思っていた。十日か二週間なら大したことではないし、その間だけ別の依頼を受ければ済む。けれどセドリックから、これが今回だけの話ではないかもしれないと聞いてからは、単純にそう言う気にはなれなくなっていた。今回、自分が残る。その次も自分。そのさらに次も。そうなれば、いつの間にか「五人で行く方が普通」になってしまうかもしれない。
「最初に確認したいんだけど」
フィーナが書類を指した。
「今回の任務そのものを断る選択肢は、まだあるのよね?」
「ああ」
セドリックが答える。
「ただし、推薦順位に影響する可能性がある」
「どの程度?」
「分からない。管理局も明確には言わなかった」
「そこが嫌ね」
「でも、断るなとは言われてない」
シリルが口を挟む。
「だったら今回は断って、六人で行ける任務待つのもありじゃないか?」
その意見は、昨日より現実味があるように聞こえた。無理に誰か一人を選ぶくらいなら、仕事そのものを断る。単純ではあるが、選択肢としては十分にあり得る。
けれど、バルガスがゆっくり首を振った。
「それを続けるのは難しい」
「今回だけなら?」
「今回だけで終わる保証がない」
シリルが黙る。
それは昨日、エリオとセドリックが話したことと同じだった。五人制の長期派遣が今後も出てくるなら、そのたびに断ることになる。そうすれば勇者候補として上位任務へ進む道そのものが細くなっていく。
「じゃあ結局、一人決めるしかない?」
リーナが言った。
セドリックはすぐには答えず、書類へ視線を落とした。
「今回については、そうなる」
「今回については?」
エリオが聞く。
「標準編成を五人にする話は、まだ別だ。そこまで今まとめて決める必要はない」
それを聞いて、エリオは少しだけ安心した。昨日から頭の中で、今回の派遣と今後の編成が一つにつながりすぎていたのかもしれない。今決めるのは、十日から二週間の派遣に誰が行くか。それだけだ。少なくとも、今は。
「じゃあ役割で考える?」
フィーナが言った。
「感情で決めても仕方ないし」
「感情で決めたら全員行くだろ」
シリルが返す。
「だから役割で考えるの」
紙が中央へ寄せられた。必須技能は、前衛防御、魔術戦闘、治癒、索敵、長期野外行動。五つ。
「治癒はリーナで固定」
フィーナが言う。
「そこは異論ないわよね」
全員が頷いた。
「防御はバルガス」
それにも反対は出なかった。
「魔術は私」
「まあそうだな」
シリルが言う。
「そこまでで三」
残る二枠は、索敵と、実質的にはセドリックの指揮と前衛対応だった。
「これ、長期野外行動経験者ってセドリックじゃなくてもいいんだよな?」
シリルが尋ねる。
「条件上は」
セドリックが答える。
「でも俺を外す案も普通に考えてくれ」
「それは嫌」
フィーナが即答した。
「早いな」
「推薦任務で一回やったから分かるでしょう。できなくはない。でも長期派遣で十日以上、毎回判断分散するのは効率悪い」
シリルも頷く。
「俺もセドリックは入れた方がいいと思う。地形見ながら前走って、戻ってきて、そのたびに全体判断までやるのは正直だるい」
「だるいで決めるなよ」
「でも事実」
バルガスも短く言った。
「セドリックは必要だ」
そこで四人目まで、ほぼ決まった。
残る一枠。シリルか、エリオか。
誰もすぐには言わなかった。
エリオは、その沈黙が嫌だった。最初から分かっていた形なのに、実際に全員で役割を並べてみると、紙の上の五つの席が急に具体的になる。
「僕とシリルですね」
自分から言った。
シリルが眉を上げた。
「そうなるな」
責めるような言い方ではない。だからこそ、その一言が妙に重く感じられた。
フィーナが書類を指で軽く叩く。
「索敵技能保有者って条件だけなら、どっちでも満たせる」
「でも同じじゃない」
リーナが言う。
「そこが問題なんですよね」
「シリルは足跡、地形、先行確認。エリオは広い範囲の音と、戦闘中の位置確認」
フィーナは一つずつ整理するように言った。
「長期の山岳任務って考えると、どっちが必要?」
誰もすぐには答えなかった。
エリオ自身にも簡単には決められない。山岳地帯で移動経路や痕跡を追うなら、シリルの方が強い。地図にない道を探すことも、危険な場所を先に確認することも彼の仕事だ。一方で、視界の悪い場所や夜間、谷越しの音を拾うならエリオの方が役に立つ。どちらが上かではなく、何を求められている任務なのかで変わる話だった。
「現地情報、これだけ?」
エリオが尋ねた。
セドリックが書類を見直す。
「魔物の広域移動。中継拠点周辺の街道警備。発生状況の調査」
「山の中を歩く?」
「可能性は高い」
「だったらシリルじゃない?」
言った瞬間、フィーナがこちらを見る。
「また自分から外れようとしてる」
「違う」
「同じに見えるけど」
「任務だけ見てる」
エリオは少し強めに返した。自分でも反応が早かったと思う。
「山岳で移動経路探すなら、僕よりシリルの方ができる。足跡も見られるし。僕は音が聞こえても、その魔物が昨日どこを通ったかまでは分からない」
「でも夜間警戒は?」
リーナが聞く。
「それは僕の方がいいと思う」
「じゃあ決まらないじゃない」
「だから任務の比重が分からないと決められない」
そこまで言ってから、エリオは少し落ち着いた。前なら、自分が一番形を崩さないから外れると考えていた。今は少し違う。自分にできることもあるし、シリルにしかできないこともある。それを無視して、ただ自分を抜けばいいとは思えなくなっていた。
「管理局に聞けない?」
リーナが言った。
「現地で何が一番必要なのか」
「聞いてみる価値はあるな」
セドリックが頷く。
「昨日は編成人数のことしか確認してない」
「じゃあ今日行こう」
フィーナが言う。
「決めるのはそのあと」
「賛成」
話は一度そこで止まった。
◇
昼前、六人全員で管理局へ向かった。前回までならセドリック一人が確認に行っていたが、今回は自分たち全員に関わる話なのだから、全員で聞いた方がいいということになった。
応対したのは、推薦任務の評価説明にもいた管理官だった。
「編成についてですね」
「はい」
セドリックが派遣書類を出す。
「索敵枠について確認したい。現地では、先行偵察と広域警戒のどちらを重視していますか?」
管理官は少し考え、別の資料を開いた。
「現地から上がっている報告では、魔物の種類そのものより、移動経路の把握が優先されています」
シリルがわずかに姿勢を変える。
「経路?」
「はい。複数種の魔物が通常の縄張りから外れて移動しています。どこから来て、どちらへ流れているかを確認する必要があります」
「痕跡追跡が必要?」
「高い方が望ましいです」
その答えで、かなり明確になった。
エリオは一瞬だけシリルを見た。シリルもこちらを見たが、どちらも何も言わない。
「夜間の警戒は?」
リーナが尋ねる。
「重要です。ただし中継拠点には常駐兵がおり、交代監視も行われています。派遣隊だけで全警戒を担うわけではありません」
今度は、もっとはっきりした。
この任務に限れば、シリルの方が向いている。
エリオにも、それは理解できた。
「もう一つ」
フィーナが尋ねる。
「今回、六人での参加に変更することは?」
「できません」
管理官は即答した。
「現地の宿泊区画、補給配分、移動用馬車を一隊五名で組んでいます。今回は複数隊を同時派遣するため、例外は設けられません」
「分かりました」
誰もそれ以上食い下がらなかった。理由は明確だった。嫌がらせでも、評価の低い人間を落とすためでもない。単純に五人分しか用意されていない。
◇
管理局を出てから、六人はしばらく無言で歩いた。王都の通りはいつもどおり賑やかで、露店から呼び声が飛び、荷車が横を通り過ぎ、道の向こうでは子どもたちが走っている。
その中で、エリオは妙に自分たち六人の足音だけを意識していた。
数えるつもりはなくても、六つあることは分かる。少し前までは、人数を数えなくなったことが嬉しかった。リーナが加わったことをわざわざ意識しなくなり、それが六人として馴染んだ証拠のように思えていた。今日は逆に、その六つの音のうち一つだけが次の任務へ行かないという事実が、歩くたびに頭へ戻ってきた。
「僕が残ります」
エリオが言った。
全員が足を止めた。
「今度は決めた?」
セドリックが尋ねる。
「うん」
昨日までとは違う。自分が一番いらないからではないし、紙の上で役割が薄いからでもない。
「今回の任務なら、シリルの方が合ってる」
エリオはシリルを見る。
「移動経路を追うなら、僕よりできる」
「夜はお前の方が強い」
「でも拠点に兵士いるって言ってた」
「そうだな」
「だったら今回だけなら、僕が残る方がいい」
シリルはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「分かった」
その返事が、変に遠慮されるよりよかった。
フィーナはまだ納得しきっていないようだった。
「本当にいいの?」
「いい」
「嫌じゃない?」
その質問には、少しだけ考えた。
「嫌ではある」
正直に言うと、フィーナが目を瞬いた。
「でも、嫌だからって任務に合わない人を入れるのも違うでしょう」
「エリオが合わないって意味じゃないわよ」
「分かってる」
エリオは少し笑った。
「僕も行けると思う。でも、五人しか行けないなら、今回はシリルの方がいいってこと」
バルガスが頷く。
「それならいい」
「何が?」
「自分を低く見て決めていないなら」
エリオは少し驚いた。バルガスがそういうことを言うのは珍しい。
「みんなそれ気にしてた?」
「少し」
リーナが答える。
「かなり」
フィーナが付け足す。
「そんなに?」
「あなた、放っておくと自分から余ってる場所に行くから」
「そんなつもりないけど」
「ある」
即答された。
エリオは言い返そうとして、やめた。前なら確かにそうだったかもしれない。役に立てればいい。邪魔にならなければいい。自分がいなくても困らないなら、それでいい。どこかでそう考えていた。
でも今は、六人でいる方がいいと思っている。
だから今回残ることも、前とは少し違っていた。
◇
宿へ戻ったあと、セドリックは管理局へ参加者名簿を提出した。
セドリック、フィーナ、バルガス、シリル、リーナ。
五人。
エリオの名前はない。
それだけだった。パーティを辞めたわけではなく、登録から外れたわけでもない。十日から二週間ほど、一つの任務へ参加しないだけで、冒険者なら珍しいことでもない。
それなのに、夕食の席についたとき、エリオはいつもと少し違う感じがした。
六人で食べている。明日も六人。派遣出発まではまだ数日ある。何も変わっていないはずなのに、もう数日後には五人だけが遠くへ行くことを知っているせいで、今の六人が期限付きのように見えてしまう。
「エリオ、留守番中どうする?」
シリルが尋ねた。
「留守番じゃない」
「じゃあ何する?」
「依頼受ける」
「一人で?」
その質問に、エリオは少し止まった。
一人で依頼を受ける。Fランクだった頃には普通だった。それどころか、最初は一人で動くことしか知らなかった。ミラとルークに出会い、そのあとセドリックたちと一緒に動くようになってから、いつの間にか一人で依頼を探すこと自体がなくなっていた。
「一人でもできるやつ」
「気をつけろよ」
セドリックが言う。
「子どもじゃないです」
「知ってる」
「じゃあ言わなくていい」
「言うくらいいいだろ」
エリオは少し笑った。この会話も、今までと変わらない。
だから大丈夫なのだと思った。
五人が出発する。自分は王都に残る。任務が終われば、また六人になる。
今は、それだけのことだ。
◇
三日後、北門の外には長期派遣へ向かう馬車が並んでいた。
エリオは見送りに来ていた。荷物の積み込みはすでに終わっており、リーナは治癒薬の数を最後まで確認し、シリルは地図を眺め、バルガスは装備の留め具を締め直している。
「本当に来たんだ」
フィーナが言う。
「なんで?」
「寝てると思った」
「昼じゃないですか」
「朝よ」
「起きました」
セドリックが最後にこちらへ来る。
「何かあったらギルドに言え」
「何かって?」
「何でも」
「だから子どもじゃないって」
「分かってる」
前にも同じやり取りをした気がした。
「そっちも気をつけて」
「ああ」
そこで会話が途切れた。言うことは、それほどない。十日か二週間なら、すぐだ。
「じゃあ」
セドリックが言った。
「行ってくる」
「うん」
エリオは答えた。
「行ってらっしゃい」
五人が馬車へ乗り、扉が閉まる。やがて車輪が動き始めた。
エリオはその音を聞いていた。馬の蹄。車輪。荷物が揺れる音。中からシリルが何か言い、フィーナが返している。リーナの小瓶も、小さく鳴っていた。
聞き慣れた音が、少しずつ遠ざかっていく。
エリオはその場から動かず、聞こえなくなるまで見送った。最後に残ったのは、王都の門を出入りする別の馬車と人々の足音だった。
静かになったわけではない。周りにはいくらでも音がある。それでも、いつも近くにあった五つの音がなくなると、同じ場所が少しだけ広く感じられた。
「……さて」
エリオは一人で呟いた。
宿へ戻る必要はない。せっかく起きたのだから、そのままギルドへ行けばいい。十日ほど、一人で何をするか。そう考えながら歩き始めたとき、エリオは久しぶりに、自分一人分の足音だけを聞いた。




