六人で帰る
リーナの正式加入が決まった翌日、六人は久しぶりに推薦任務とは関係のない依頼を受けることにした。
管理局からの次の通知を待つ必要はあるものの、それまで王都で何もせず過ごす理由はない。むしろ推薦任務のあいだは、行動の一つ一つに評価が付くことを意識させられていたため、普段どおりの依頼へ戻れることをシリルは朝から露骨に喜んでいた。
「今日は点数つかないんだよな」
依頼板の前で最初に確認したのがそれだった。
「たぶんね」
フィーナが答える。
「ギルドの評価はつくでしょうけど」
「それはいい。普通のやつだから」
「何が違うの?」
「何をしても最後に『総合的に判断します』って言われない」
エリオには、その気持ちが少し分かった。
推薦任務の三日間が嫌だったわけではない。むしろ今まで知らなかった六人の動き方を試すことができたし、自分たちが予想外の状況にどう対応するのかも見えた。
それでも、目的が明確な仕事には別の気楽さがある。
今日の依頼は、王都西側にある灌漑水路の点検護衛だった。
数日前から水量が不安定になっている場所があり、管理技師が上流側を確認する。その同行と周辺警戒が仕事で、魔物討伐が主目的ではない。
「また技師?」
エリオが依頼書を見ながら言う。
「採石場の次は水路ね」
リーナが横から覗く。
「エリオさん、技師に縁ありますね」
「僕が選んでるわけじゃないです」
「でも音使えそう」
「それは分からない」
以前なら、そう言いながら内心では少し期待していたかもしれない。
音に関係する異常があるなら、自分にできることがあるのではないか。
今は、そこまで考えなかった。
水量が変わっているなら、原因は水門の不具合かもしれないし、土砂が詰まっているだけかもしれない。技師が確認する依頼なら、自分たちの役目はまず安全に連れていくことだ。
「これにするか」
セドリックが依頼書を外した。
「異論ある?」
誰もなかった。
「じゃあ六人で行こう」
言ってから、本人も少しだけ笑った。
「何?」
フィーナが気づく。
「いや。前なら言わなかったなと思って」
「何を?」
「六人で、って」
エリオも少し笑った。
確かに、五人でいた頃には人数を確認することなどなかった。
六人になったばかりだから、まだその数字を意識している。
そのうちこれも、言わなくなるのだろう。
◇
依頼主の技師は、ノルドという五十代の男だった。
日に焼けた顔と太い指を見る限り、机の上で図面だけを見る人間ではなく、現場へ出ることの多い技術者らしい。
「問題が出ているのは三番水門の下流です」
王都西門を出てすぐ、ノルドは歩きながら説明した。
「完全に止まっているわけではありません。ただ、朝と夕方で水量が妙に変わる」
「普通は変わらない?」
エリオが尋ねる。
「多少は変わる。ただ、今の時期にここまで差が出るのはおかしい」
「上流で誰か使ってるとか?」
「その可能性も見た。農地側の取水量は記録どおりだ」
「じゃあ漏れてる?」
「それも含めて見る」
ノルドは簡単な地図を出した。
水路は山から引いた水を複数の農地へ分けるため、途中でいくつもの水門に分かれている。三番水門周辺は少し森に近く、管理道から外れる場所もあるらしい。
「魔物は?」
セドリックが尋ねる。
「小型は出ます。去年、沼蜥蜴が二匹いたくらいだ」
「大型の報告は?」
「ない」
「分かりました」
話はそれで終わった。
推薦任務のように、何か隠された課題があるわけではない。
聞かれたことに答え、必要な情報を共有する。
それだけだった。
エリオには、その普通さが少し新鮮に感じられた。
◇
三番水門までは、一時間半ほど歩いた。
道中で魔物に遭遇することはなく、リーナも正式加入後初めての依頼だというのに、特別緊張している様子はなかった。
「もっと何か言われると思ってました」
水路沿いを歩きながら彼女が言う。
「何を?」
エリオが聞く。
「正式に入ったんだから、隊列こうするとか、役割こうするとか」
「昨日まで一緒に動いてたからじゃない?」
「そうなんですけど」
「変える必要ある?」
「ないですね」
その返事が妙に自然だった。
推薦任務の三日間で、誰がどこへ入りやすいかはすでにある程度分かっている。
セドリックとバルガスが前方を維持し、シリルが必要に応じて先へ出る。フィーナは中央から動き、リーナはその近く。エリオは周囲を聞きながら位置を変える。
固定された陣形ではない。
そのとき必要な場所へ動く。
六人になったことで、むしろ一人ひとりの位置は以前より少し自由になったように思えた。
三番水門へ到着すると、ノルドはすぐに作業を始めた。
石造りの水路は幅が二メートルほどあり、水深は膝より少し高い。水門そのものに壊れた様子はなく、木製の板も正常に上下する。
「ここじゃないな」
ノルドが言う。
「下流を見る」
セドリックたちは彼を囲むように移動した。
水路沿いの管理道は狭く、片側が低い斜面になっている。その先は木が多く、見通しが悪い。
シリルが少し前へ出た。
エリオも周囲へ耳を向ける。
水の音が大きい。
常に流れ続ける音が近くにあるせいで、普段より小さな足音を拾いにくい。
それでも、人や大型の魔物が近づけば分かる程度には聞こえる。
「今のところ何もいないです」
「なら進む」
セドリックが答えた。
そのまま二百メートルほど下ったところで、ノルドが足を止めた。
「ここだ」
水路の横に、小さな枝道がある。
本来なら水がほとんど流れないはずの排水路らしいが、今はかなりの量がそちらへ流れ込んでいる。
「誰か開けた?」
フィーナが尋ねる。
「違う」
ノルドがしゃがみ込む。
「地面が削れてる」
見ると、水路の側面に細い亀裂があり、そこから水が外へ逃げている。
ただ、単純に壊れたというより、その先の土が大きく掘られていた。
「動物?」
リーナが言う。
「可能性はある」
ノルドは周囲を確認した。
「でも、これだけ掘るなら結構大きい」
エリオも地面を見る。
土が湿っている。
その先に草が倒れた跡が続いている。
「シリル」
セドリックが呼ぶ。
「分かってる」
シリルはすでに痕跡を確認していた。
「四足。大きいのが一匹」
「魔物?」
「たぶん。ただ、足跡が変だな」
「どう変?」
「右後ろだけ浅い」
エリオはその言葉を聞いて、少し耳を澄ませた。
足跡は古くても、本人がまだ近くにいるなら音は聞こえるかもしれない。
水音から意識を少し外し、森の方へ広げる。
鳥。
葉。
枝。
さらに奥。
重い呼吸が一つ。
「います」
全員がこちらを見る。
「どこ?」
「森の中。百くらい」
「動いてる?」
「今はほとんど動いてない」
「種類は分かる?」
「まだ」
セドリックがノルドを見る。
「水路の修理、今すぐ必要ですか?」
「このまま放っておけば流出が増える。塞ぎたい」
「魔物が近くにいる状態で作業できる?」
「できれば避けたいな」
セドリックは少し考えた。
「じゃあ先に確認する」
ノルドをその場へ残すのではなく、全員で少し安全な位置まで戻り、バルガスとリーナが彼の近くについた。
「私も残る?」
リーナが聞く。
「いや」
セドリックは首を振る。
「全員で行く。ノルドさんも一緒に下がってもらう。戦闘になったらリーナはノルドさんを守ってくれ」
「了解です」
六人で動く。
それがもう説明の必要のない形になり始めていた。
◇
森へ入ると、水路の音が少しずつ遠ざかった。
その分、エリオには重い呼吸がはっきり聞こえるようになった。
「前。八十」
小声で伝える。
「動いた?」
シリルが尋ねる。
「少し。右脚か……後ろ脚、引きずってる」
「足跡と同じだな」
さらに近づく。
やがて木々の間に、大きな黒い影が見えた。
「泥角鹿」
フィーナが小さく言う。
鹿と呼ばれているが、普通の鹿とはかなり違う。
肩の高さは成人男性の胸ほどあり、頭から前方へ伸びた太い角には泥と苔がこびりついている。森や湿地を好み、普段は人間を避けるが、追い詰められると角を使って突進する。
その個体は右後脚を地面へほとんどつけていなかった。
「怪我してる」
リーナが言う。
「それで水路の近くにいた?」
エリオが尋ねる。
シリルが少し考える。
「水飲みに来たか、泥場を作ろうとしたか」
「泥場?」
「こいつら身体に泥つけるんだよ。虫除けとか体温調整とか」
「それで掘った?」
「可能性はある」
泥角鹿はまだこちらへ気づいていない。
セドリックは全員を少し下がらせた。
「倒す必要ある?」
フィーナが尋ねる。
「ノルドさんは水路を直したいだけだ」
「でも戻ってくるかも」
「そうだな」
リーナが泥角鹿の脚を見た。
「怪我、治せるかもしれません」
全員が彼女を見る。
「近づける?」
セドリックが尋ねる。
「動物相手に治癒したことはあります。ただ、暴れられたら無理です」
「治したら水路から離れるかな」
「それは分かりません」
エリオは泥角鹿の呼吸を聞いていた。
速い。
痛みのせいかもしれない。
けれど、警戒して荒くなっているわけではなさそうだった。
「追い払うだけなら?」
シリルが言う。
「怪我してる状態で無理に走らせると、悪化するかも」
リーナが答える。
「じゃあどうする?」
フィーナが腕を組む。
今回の依頼は魔物保護ではない。
水路を正常に戻すことが優先だ。
必要なら倒しても問題はないはずだった。
それでも、六人の中で誰もすぐに武器を抜かなかった。
「僕、音で動かせるか試していい?」
エリオが言った。
セドリックがこちらを見る。
「何を使う?」
「泥角鹿の嫌がる音、知ってるわけじゃないです」
「じゃあ?」
「僕たちがいる方向だけ分からせる」
エリオは少し考えながら説明した。
「直接近づかないで、反対側から人の声とか足音を出せば、こっちへ来ないように動くかもしれない。怪我してるから走らせたくないし」
「追い立てるんじゃなくて、道を選ばせる?」
「そんな感じです」
フィーナが周囲を見た。
「森の奥へ行く道ある?」
シリルが地形を確認する。
「西側なら緩い。水路と逆」
「リーナは?」
「動かせるなら、その方がいいと思います。治療は近づかないと無理だし」
セドリックは少しだけ考えた。
「やってみよう。無理なら別の方法に切り替える」
◇
エリオは《残響記録》の中から、普段の街道で聞いた複数人の足音を選んだ。
人の声ではなく、まずは歩く音だけ。
泥角鹿の正面から少し東側。
水路へ戻る方向に、音を再生する。
ざっ。
ざっ。
何人かが近づいてくるような足音。
泥角鹿の耳が動いた。
頭を上げる。
逃げるほどではない。
ただ、明らかに音の方向を警戒した。
「反応してる」
リーナが小声で言う。
エリオは少し間を置き、今度はもう少し近い位置で再生した。
泥角鹿が身体の向きを変える。
右後脚をかばいながら、ゆっくり西へ一歩動いた。
「そのまま」
シリルが言う。
「西なら奥へ抜ける」
エリオは急がなかった。
大きな音を出せば、驚いて走る可能性がある。
だから距離を保ち、泥角鹿が止まるたびに、戻ってほしくない方向へ小さく足音を置く。
一歩。
また一歩。
怪我をした脚を引きずりながら、泥角鹿は森の奥へ進んでいった。
エリオたちも一定の距離を保って追う。
十数分。
水路の音がかなり遠くなったところで、泥角鹿は小さな湿地へ入った。
そこで足を止め、地面の泥へ身体を落とす。
「ここなら戻らないかな」
エリオが言う。
「少なくとも今すぐは」
シリルが周囲を確認する。
「水もあるし、こっちの方がこいつには良さそうだな」
リーナは少し離れた場所から泥角鹿の脚を見ていた。
「切り傷じゃないですね。捻ってるのか、骨か」
「治したい?」
エリオが尋ねる。
「できれば。でも近づいたらたぶん怒ります」
「じゃあ無理しない方がいい」
「そうですね」
できるから、必ずやるわけではない。
その判断も必要なのだろう。
エリオは泥角鹿の呼吸が少し落ち着いたのを確認し、全員で水路へ戻ることにした。
◇
ノルドは話を聞くと、すぐに納得した。
「泥角鹿か。なら原因はそれだな」
「よくあるんですか?」
エリオが尋ねる。
「水路そのものを壊すのは珍しいが、泥場を作るために土を掘ることはある。怪我してたなら、森の奥まで水を探しに行けなかったのかもしれん」
「戻ってきたら?」
「補強する」
ノルドは道具を取り出した。
「ここだけ塞いでもまた掘られる可能性があるから、石を入れて側面を固める。あと管理人にも見回りを増やすよう伝える」
「倒さなくてよかった?」
シリルが尋ねる。
「別に水路を守るために魔物を全部殺す必要はない」
ノルドはあっさり答えた。
「原因が分かって、再発しにくくできるならそれでいい」
エリオは、その言葉を聞いて少し笑った。
自分たちと同じだった。
何か問題が起きたとき、必ず敵を倒して終わらせる必要はない。
原因を知り、その場に合った方法を選ぶ。
それで十分なこともある。
◇
修理には二時間ほどかかった。
六人は周囲を警戒しながら、必要なときだけ石や道具の運搬を手伝った。
リーナは途中でノルドが手を擦りむいたのを見つけ、本人が「これくらい平気だ」と言っているのに小さな治癒術を使った。
「これくらいで魔力使うの?」
エリオが聞く。
「ほとんど使いません」
「でも本人、平気って」
「傷から泥入る方が面倒でしょう」
「なるほど」
「治せるものを全部大げさに治すわけじゃないですけど、放っておく理由もないので」
そう言って、リーナはまたノルドの作業を見ていた。
エリオはその横顔を少しだけ見てから、周囲へ耳を戻した。
正式加入したからといって、リーナが急に変わったわけではない。
推薦任務のときと同じように、必要なところで自分の仕事をする。
ただ、それがもう「今回だけ」ではなくなった。
◇
王都へ戻ったのは夕方だった。
依頼は問題なく完了し、水路の原因も特定できたため、報告は簡単だった。
ギルド職員が内容を確認する。
「三番水門下流、側壁損傷。原因は泥角鹿一頭による掘削行動。個体は負傷状態。討伐せず、水路から離れた湿地へ誘導。側壁補強済み」
「はい」
セドリックが答える。
「負傷個体の追跡は?」
「していません。依頼主と相談して不要と判断しました」
「了解しました」
職員はそのまま記録する。
推薦任務のときのように、その判断が何点になるのかを聞かれることはない。
誰がどの程度貢献したのかを細かく分類されることもない。
依頼を達成した。
それだけだった。
「終わり?」
シリルが尋ねる。
「はい。報酬はこちらです」
「楽だ」
「何がです?」
職員が不思議そうな顔をする。
「いや、こっちの話」
外へ出ると、まだ空は明るかった。
六人で並んで歩く。
「晩飯どうする?」
シリルが聞く。
「リーナの加入祝い、まだちゃんとしてないでしょう」
フィーナが言った。
「昨日やってない?」
「管理局から帰って普通に食べただけじゃない」
「じゃあ今日?」
「今日」
リーナが少し困ったように笑う。
「別にいいですよ」
「正式加入なんだからやる」
「何食べたい?」
エリオが尋ねる。
「何でも」
「一番困るやつだ」
「じゃあ肉」
「急に広い」
そんな話をしながら歩いていると、エリオはふと、自分が人数を数えていないことに気づいた。
昨日までは、六人という数字を何度も意識していた。
リーナが増えた。
六人になった。
正式に六人になった。
今日も依頼を受けるときには、確かにそう思っていた。
けれど帰り道では、もう誰が一人増えたという感覚が薄くなっている。
セドリックの声。
フィーナとシリルの言い合い。
バルガスの重い足音。
リーナの腰の小瓶が触れ合う音。
そして自分の足音。
それらがまとめて近くにある。
五人だった頃と同じように、それをわざわざ確認しなくなり始めていた。
当たり前になるというのは、たぶんこういうことなのだろう。
エリオはそう思ったが、口には出さなかった。
その日の依頼には、評価も選抜もなかった。
誰か一人を欠かせる必要もなかった。
六人で出て、六人で帰った。
ただそれだけの一日だった。




