冒険者になる
十五歳になった春、エリオは父から譲り受けた短剣を腰に下げ、町の冒険者ギルドを訪れていた。
冒険者になると決めてから、すぐに家を飛び出したわけではない。
父のガイルに言われた通り、まずは身体を鍛えた。剣を扱う才能があるとは思えなかったが、それでも最低限、自分の身を守る程度の技術は必要だった。父の知り合いである元兵士に頼み込み、半年ほど基礎から教えてもらった結果、ようやく短剣ならそれなりに扱えるようになった。
それなりに、というところが重要だった。
剣士の《恩恵》を持つ者と比べれば、動きも遅いし力もない。正面から魔物と戦えば、まず勝てないだろう。
だが、エリオは最初から前衛になるつもりなどなかった。
自分にできることは、別にある。
冒険者ギルドの建物へ入ると、思っていた以上の騒がしさに迎えられた。
広い一階には長い受付があり、その前では何人もの冒険者が列を作っている。壁には依頼書らしき紙が大量に貼られ、奥では酒を飲みながら大声で話している者もいた。
剣士。
弓使い。
魔術師。
鎧をまとった大男もいれば、エリオと大して年齢の変わらない少年や少女の姿もある。
それよりも、エリオの注意を引いたのは音だった。
革鎧が擦れる音。
剣の鞘が椅子へ当たる音。
酒杯が机に置かれる音。
硬貨の触れ合う音。
誰かが笑い、その奥では別の誰かが依頼の報酬について受付係と交渉している。
これまで住んでいた町の中だけでも、それなりに多くの音を集めてきた。
だが、ここには知らない音がいくらでもある。
「……面白いな」
思わず呟いてしまった。
「何が?」
不意に声をかけられ、エリオは振り向いた。
受付の列に並んでいた若い男が、怪訝そうな顔でこちらを見ている。年齢は二十歳前後だろうか。革鎧を着て、背中には剣を背負っていた。
「いや、なんでもない」
「初めてか?」
「分かる?」
「入口で突っ立ってるやつは大体そうだ」
男は笑った。
「登録なら、あっちの端だぞ」
「あ、ありがとう」
教えられた方向を見ると、通常の受付とは別に小さな窓口がある。
エリオは礼を言ってそちらへ向かった。
◇
「冒険者登録ですね」
受付にいたのは、栗色の髪を後ろでまとめた女性だった。
「はい」
「十五歳以上であれば登録できます。身分を確認できるものはありますか?」
エリオは父から預かっていた町の証明書を差し出した。
受付係は内容を確認しながら、慣れた手つきで別の紙へ書き写していく。
「エリオ・アルディス。十五歳。出身はここから北にあるラーデ村……で合っていますね」
「はい」
「《恩恵》は?」
「《残響記録》です」
受付係の手が止まった。
「残響……?」
「聞いた音を記録して、再生できます」
説明すると、女性は一瞬だけ考え込んだ。
「ああ。珍しいタイプですね」
「知ってるんですか?」
「記録上では見たことがあります。ただ、実際に持っている方は初めてです」
教会の神官と似た反応だった。
珍しい。
しかし、特にすごいとは言われない。
エリオはもう慣れていた。
「戦闘系ではないということでいいですか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「使い方によっては、役に立つと思うんですけど」
受付係は少し困った顔をした。
「冒険者登録では、基本的に申告された能力をそのまま記録します。《残響記録》、非戦闘系として登録しておきますね」
「分かりました」
エリオが頷くと、受付係は一枚の薄い金属板を取り出した。
名前と登録番号が刻まれている。
「これが冒険者証です。紛失すると再発行に費用がかかるので気をつけてください」
エリオは金属板を受け取った。
思ったより重い。
「冒険者には階級があります。最初は全員F級です。依頼をこなして実績を積めば、E級、D級と上がっていきます」
「どこまであるんですか?」
「A級までです。その上に特級がありますが、ほとんど別枠ですね」
受付係は壁に貼られた依頼書を指した。
「F級で受けられるのは、町の雑用、薬草採取、小型動物の駆除などが中心です。討伐依頼を受ける場合は、できれば複数人で行動してください」
「分かりました」
「特にエリオさんは戦闘系の《恩恵》ではないので、一人で森の奥へ入らないようにしてくださいね」
念を押された。
たぶん正しい忠告なのだろう。
エリオ自身、自分が強いとは思っていない。
だから最初から無茶をするつもりはなかった。
登録を終えると、エリオは依頼書が並ぶ壁へ向かった。
薬草採取。
荷運び。
倉庫整理。
害獣駆除。
町外れの柵の修理。
思っていたより地味なものが多い。
「まあ、最初からドラゴン退治なんてあるわけないか」
前世で読んだ物語を思い出しながら、エリオは一人で苦笑した。
その中から、一枚の依頼書を選んだ。
森の入口で採れる薬草の採取。
指定された量を持ち帰れば報酬が出る。
危険度も低い。
初仕事にはちょうどよさそうだった。
◇
町の外へ出るのは、これが初めてではない。
父に連れられて近くの森へ行ったこともあるし、農作業を手伝った経験もある。
それでも、冒険者として一人で町の門を出るとなると、少しだけ景色が違って見えた。
腰には短剣。
背中には小さな荷物。
薬草を入れる布袋と、水筒。
それだけだ。
いかにも新人冒険者らしい装備だと思う。
目的地の森までは歩いて一時間ほどだった。
街道を外れると、人の声が減っていく。
代わりに聞こえてくるのは、鳥や虫の声だった。
エリオは自然と耳を澄ませた。
これまでにも聞いたことのある鳥が多い。
だが、ときどき知らない声が混ざる。
気になったものは、そのたびに意識して記録した。
前世で録音をしていた頃と同じだった。
違うのは、機材を持ち歩く必要がないことくらいだ。
「便利だよな、やっぱり」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
森の入口へ着くと、依頼書に描かれていた薬草を探し始めた。
細長い葉。
先端に白い小さな花。
日陰に群生することが多い。
初めての採取だったため最初は時間がかかったが、見つけてしまえばそれほど難しくない。
一時間ほどで、指定量の半分近くが集まった。
順調だった。
少なくとも、エリオはそう思っていた。
森の奥から、聞いたことのない音がするまでは。
ガサッ。
エリオは手を止めた。
草むらが揺れる音だった。
風ではない。
何かが動いている。
エリオはゆっくり立ち上がり、短剣へ手を伸ばした。
もう一度。
ガサ。
少し近づいた。
足音も聞こえる。
軽い。
四足歩行。
ひとつではない。
エリオは息を止めて耳を澄ませた。
右から一体。
正面に二体。
さらに奥にもいる。
「……四?」
いや。
もう一つ聞こえた。
五体。
姿はまだ見えない。
それでも音だけなら、どこにいるかはある程度分かる。
エリオは短剣を抜いた。
正面の茂みが揺れた。
そこから姿を現したのは、犬に似た魔物だった。
灰色の体毛。
細長い口。
背中には黒い斑点がある。
大きさは中型犬ほどだが、口から覗く牙は明らかに普通の犬より長い。
エリオは名前を知っていた。
グレイハウンド。
森の浅い場所にも現れる低級魔物。
一体なら新人冒険者でも倒せる。
問題は、一体ではないことだった。
姿を現した魔物が低く唸る。
その声に呼応するように、別方向の茂みから二体目が出てきた。
さらに三体目。
「まずいな……」
五体すべてを相手にするのは無理だった。
逃げる。
そう判断した直後、エリオの頭に一つの音が浮かんだ。
三年前。
父の知り合いの狩人に聞かせてもらった鳴き声。
グレイハウンドよりも遥かに大きな魔物。
この森の奥にも生息しているという、黒牙狼。
狩人は言っていた。
グレイハウンドは黒牙狼の縄張りには近づかない。
「……やってみるか」
エリオは目の前の魔物を見ながら、《残響記録》へ意識を向けた。
記憶の中から、黒牙狼の声を探す。
すぐに見つかった。
低い唸り声。
腹の底へ響くような音。
狩人が倒した個体から記録したものだった。
エリオはそれを再生した。
グルルルルル――。
森の中に、低い唸り声が響いた。
空気が変わった。
目の前にいたグレイハウンドの耳が立つ。
二体目が動きを止めた。
エリオはもう一度、今度は少し大きく再生する。
グォォォォッ!
黒牙狼の咆哮が森へ響き渡った。
効果は予想以上だった。
グレイハウンドたちは一斉に身を翻し、茂みの奥へ逃げていった。
姿を見せていなかった二体も、足音が急速に遠ざかる。
しばらくして、森は元の静けさを取り戻した。
エリオは短剣を構えたまま、その場に立っていた。
「……いけた」
戦っていない。
剣も振っていない。
魔法も使っていない。
それでも五体の魔物を退けた。
エリオはゆっくり短剣を鞘へ戻した。
教会では、鳥の声を真似するくらいの力だと言われた。
町では、面白いだけの《恩恵》だと思われていた。
だが、魔物の声を記録していれば、それを利用することができる。
誘き寄せることも。
遠ざけることも。
もしかすると、仲間へ合図を送ることだってできる。
「やっぱり、外れじゃないだろ」
エリオは思わず笑った。
そのとき。
森のずっと奥から、低い鳴き声が聞こえた。
グォォォォォ――。
エリオの笑顔が止まった。
今の音は、自分が再生したものではない。
聞き覚えがある。
つい先ほど、自分が使ったものと同じ種類の声。
黒牙狼。
しかも。
かなり近い。
「……呼んだ?」
背中に冷たい汗が流れた。
どうやら《残響記録》は、使い方を間違えると少し面倒なことになるらしい。




