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音を覚えるだけの外れスキルで追放された俺、失われた古代魔法を全部再生できるらしい  作者: 山吹 ことり
第四章 当たり前になった音

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評価より先に

 声のする方向へ近づくにつれて、谷は思っていたより深いことが分かってきた。


 街道から外れた斜面は途中から急になり、足場も悪い。ところどころに露出した岩があり、その間を細い獣道のようなものが谷底まで続いている。上から見るだけでは人がいる場所を確認できず、エリオは聞こえてくる声と呼吸を頼りに方向を絞っていた。


「もう少し左です」


 エリオが言うと、前を進んでいたシリルが進路を変えた。


「足場悪い。走るなよ」


 さっきまで急いでいたが、ここで転べば救助どころではない。セドリックも全員へ速度を落とすよう合図し、バルガスが最後尾から一人ずつ足元を確認しながら降りていく。


 エリオは耳を澄ませたまま、谷底にいる二人の状態を追っていた。


 一人は何度も助けを呼んでいる。


 声量はまだある。


 もう一人はほとんど話していないが、呼吸は聞こえる。ただし速く、一定ではない。ときどき短く息を止めるような間があり、そのたびにエリオは少し不安になった。


「リーナ」


「はい」


「一人、呼吸かなり速いです。途中で止まるみたいになる」


「痛みかもしれないし、胸を打ってる可能性もあります。着いたら先にそっち見ます」


 リーナはそう答えながら、普段より少し前へ出た。


 昨日までは五人の中でエリオが周囲を聞き、必要な情報を誰かへ渡すことが多かった。


 今は、その情報を受け取る相手が一人増えている。


 しかもリーナは、同じ「音」でもエリオとは違う意味を拾う。


 呼吸の速さ。


 痛がり方。


 声の弱まり。


 エリオが位置や数を判断するために聞いていたものを、リーナは身体の状態を判断するために使う。


 それだけで、同じ音の意味が変わる。


「見えた!」


 先行していたシリルが声を上げた。


 谷底に、二人の人間がいた。


 一人は三十代ほどの男性で、倒木に背を預けて座っている。もう一人はその数メートル先で横向きに倒れていた。


 二人とも参加者用の装備ではない。


 一般の旅人か、近くで作業をしていた人間らしい。


「管理局の課題じゃない」


 フィーナが言う。


 セドリックも一目見て分かったらしく、すぐに表情を変えた。


「リーナ、頼む。バルガスは倒木側。シリル、周囲確認。エリオも何か来てないか見てくれ」


「はい」


 今度は誰も、これが推薦任務の一部かどうかを気にしなかった。


 実際の負傷者なら、まず助ける。


 それだけだった。


        ◇


 リーナは横向きに倒れている男の横へ膝をついた。


「聞こえますか?」


 反応はある。


 目は開いているが、意識がはっきりしていない。


「名前、言えます?」


 男の唇が動く。


 声は小さい。


 エリオには聞こえたが、意味までは取れなかった。


 リーナはすぐに胸元と腹部を確認し、次に呼吸へ意識を向けた。


「胸を打ってますね」


「骨?」


 セドリックが尋ねる。


「分かりません。少なくとも呼吸が浅い。あと左脚」


 見ると、膝下が不自然な向きになっている。


「折れてる」


 フィーナが顔をしかめる。


「たぶん」


 リーナは杖を取り出した。


「まず呼吸を安定させます。骨は後。動かさないでください」


 セドリックが頷き、すぐにもう一人の男の方へ向かった。


 こちらは意識もはっきりしていた。


「何があった?」


「崖の上から……荷物が落ちてきて」


「荷物?」


「木材です。上で運搬してたやつが外れて」


 男はそう答えながら、右腕を押さえている。


「二人で避けようとして、こいつが斜面から落ちた」


「ほかに人は?」


「上に三人いるはずです。でも……俺たちが落ちたあと、声が聞こえなくなって」


 エリオはその言葉を聞いて、すぐに谷の上へ意識を向けた。


 さっきまで自分たちが降りてきた方角とは少し違う。


 さらに北側。


 風。


 木の葉。


 遠くの鳥。


 その下に、人の声らしいものがある。


「います」


 全員がエリオを見る。


「上に人。たぶん二人か三人」


「動いてる?」


 セドリックが尋ねる。


「一人は歩いてます。あと、何か大きいもの動かしてる音」


「木材か?」


「たぶん」


 倒木に座っている男が息を吐いた。


「生きてるのか……」


「上の人たちは今すぐ危ない感じ?」


 リーナが治癒を続けながら尋ねる。


 エリオはもう一度聞いた。


 叫び声はない。


 走っている様子もない。


「今のところ、急いで逃げてる感じじゃないです」


「なら先にこの人を安定させます」


 リーナは迷わなかった。


 セドリックも頷く。


「そうしよう」


        ◇


 数分後、男の呼吸は少し落ち着いた。


 完全に治ったわけではない。


 リーナによれば、胸部の損傷そのものをここで完全に直すのは難しく、今は痛みを抑えて呼吸を安定させただけらしい。


 脚の骨折についても、移動できるよう最低限固定し、あとで正式な治療を受ける必要がある。


「運べます?」


 バルガスが尋ねる。


「このままなら」


 リーナは答えた。


「ただ、揺らしすぎない方がいいです」


「担架作るか」


 セドリックが言うと、シリルが周囲の木を見た。


「枝ならある。布は?」


「予備の外套を使おう」


 バルガスがすぐに自分の荷物から取り出す。


 作業は早かった。


 シリルが長さの合う枝を選び、セドリックとバルガスが組み、フィーナが紐を締める。


 エリオも手伝ったが、その間も完全には周囲の警戒を外さなかった。


 今の場所は谷底だ。


 視界が悪く、上から何か近づいてきても気づくのが遅れる。


 リーナが負傷者へ集中している以上、昨日話していた通り、周囲を見るのは自分の役目でもある。


「右奥に動物一匹」


 エリオが小声で言う。


「危険?」


 フィーナが尋ねる。


「小さいです。こっち来てない」


「ならそのまま」


 それだけで終わる。


 誰も作業を止めない。


 必要な情報だけが流れ、必要な人だけが反応する。


 六人になってまだ二日目なのに、少しずつ形ができている。


        ◇


 担架が完成したところで、問題が一つ出た。


 谷底から元の道へ戻るには、かなり急な斜面を登らなければならない。


 負傷者を担架に乗せたまま運ぶには危険だった。


「別の道ない?」


 セドリックがシリルへ尋ねる。


「南側に少し緩い斜面がある。ただ、かなり遠回りになる」


「時間は?」


「この人連れてなら、一時間以上」


 フィーナが地図を出した。


「第二地点の制限、日没までよね」


「ああ」


「間に合わない可能性あるわ」


 そこで初めて、推薦任務のことが全員の意識へ戻った。


 現在地から第二地点までは、予定どおりならまだ十分余裕がある。


 しかし負傷者二人を安全な場所まで運び、さらに上に残っている作業員の確認までしていれば、かなりの時間を使う。


「管理局へ知らせれば?」


 シリルが言った。


「監督役は近くにいるはずだろ」


「位置が分からない」


「合図出す?」


 推薦任務用に、緊急時の信号筒は渡されている。


 使用すれば管理局側が介入し、負傷者の救助も引き継いでくれるだろう。


 ただし、緊急介入を求めた場合、任務評価へ影響する可能性があると事前説明には書かれていた。


 セドリックは信号筒を手に取らなかった。


「まず上の作業員を確認する」


「任務は?」


 シリルが尋ねる。


「後だ」


 答えは早かった。


「一般人の負傷者を見つけて、制限時間があるから置いていくなんて選択肢はない」


 誰も反対しなかった。


 エリオも、それが当然だと思った。


 ただ、少しだけ気になった。


「評価、下がるかな」


 口にすると、セドリックがこちらを見る。


「下がるかもしれない」


「いいんですか?」


「よくはない」


 セドリックは担架の状態を確認しながら答えた。


「でも、推薦を取るために冒険者やってるわけじゃない」


 その言葉に、エリオは一瞬返事ができなかった。


 勇者候補。


 推薦任務。


 上位区分。


 ここ数日は、その評価の話ばかりしていた。


 紙の上では自分の価値が低く見えることも、編成に条件が付くことも、六人目としてリーナが入ったことも、すべてその仕組みの中で起きた。


 それでも、セドリックの中では順番が変わっていない。


 目の前に助ける必要のある人がいる。


 なら、そちらが先。


「分かりました」


 エリオは頷いた。


 それ以上、評価のことを考える必要はないと思った。


        ◇


 負傷者のうち、腕を痛めている男は自力で歩けた。


 もう一人を担架へ乗せ、バルガスとセドリックが前後を持つ。


 フィーナとリーナは負傷者の状態を確認しながら横につき、シリルが安全な道を探す。


 エリオは少し後ろから全体を聞いた。


 六人。


 負傷者二人。


 谷の上に残る作業員。


 その位置を頭の中で分ける。


「上の人、動き始めました」


 エリオが言う。


「こっちへ?」


 セドリックが尋ねる。


「谷沿いに南へ。たぶん下りられる道探してる」


「なら合流できるかもしれないな」


 シリルが先へ出る。


 十分ほど進むと、谷の反対側から声が聞こえた。


「おーい!」


 今度は全員にも聞こえる。


「こっち!」


 セドリックが声を返した。


 しばらくして、作業着を着た三人の男が斜面を降りてきた。


 全員無事だった。


 事故が起きた直後、落下した木材が道を塞ぎ、すぐには谷へ降りられなかったらしい。別の斜面を回って仲間を探していたところだった。


 負傷者を見つけると、三人とも明らかに安心した。


「助けていただいたんですか」


「まだ途中です」


 セドリックが答える。


「この人は治療が必要です。近くに人のいる施設は?」


「南へ二キロほど行けば、作業小屋があります。馬車もあります」


「ならそこまで運ぶ」


 第二地点とは完全に逆方向だった。


 それでも誰も迷わなかった。


        ◇


 作業小屋へ着いた頃には、かなり時間が経っていた。


 負傷者はすぐに馬車へ乗せられ、近くの町へ運ばれることになった。


 リーナは最後まで状態を確認し、必要な治療内容を作業員へ説明していた。


 馬車が出ていくのを見送ったあと、六人はようやく任務の地図を広げた。


 太陽はすでにかなり傾いている。


「第二地点、無理だな」


 シリルが言った。


「走れば?」


 エリオが聞く。


「お前、今から山二つ越える気か?」


「無理?」


「着いても暗い」


 フィーナも地図を見て首を振った。


「安全を考えたら、今日はここで野営する方がいいわ」


 セドリックも同じ判断だった。


「そうする。管理局には信号を出して現在地を知らせる」


「失格になる?」


 エリオが尋ねる。


「分からない」


「ならないんじゃない?」


 リーナが言った。


 全員が彼女を見る。


「何で?」


「推薦任務って、時間どおりに目的地へ着く人を選ぶだけじゃないでしょう」


「まあな」


「だったら、これも評価されるんじゃないですか?」


 リーナはあっさり言った。


「もし人を助けたら失格になる試験なら、私は上の任務に行きたくないですけど」


 シリルが少し笑った。


「意外と強いこと言うな」


「治癒術師なので」


「関係あるか?」


「あります」


 リーナは真顔で答えた。


 エリオも少し笑った。


 この人が六人目でよかったかもしれない。


        ◇


 夕方、管理局の監督官が作業小屋までやってきた。


 事情は作業員側からもすでに伝わっていたらしく、セドリックが最初から細かく説明する必要はなかった。


「第二地点への到達は未達成ですね」


 監督官が確認する。


「はい」


「負傷者救助のため進路変更。一般人五名と接触し、うち二名負傷。一名を治癒術師が応急処置。その後、作業小屋まで搬送」


「その通りです」


「分かりました」


 監督官は記録用紙へ書き込んだ。


 それだけだった。


「評価は?」


 シリルが聞く。


「任務終了後に通知します」


「これ減点?」


「お答えできません」


「やっぱり」


 シリルは少し不満そうだったが、セドリックは気にした様子もない。


「明日はどうなります?」


「第二地点は未到達として残っています。明日の行動は自由です。そこへ向かうか、第三地点を優先するかも含めて判断してください」


「分かりました」


 監督官はそれ以上何も言わず、来た道を戻っていった。


 結局、今日の判断が正しかったのかどうかは分からないままだった。


 それでもエリオは、不安には感じなかった。


 もし同じ状況へ戻れたとしても、きっと同じことをすると思う。


 声を聞いた。


 助けを求めている人がいた。


 だから向かった。


 それだけだ。


 評価表にどう書かれるかは、その後の話だった。


 そして今夜は、六人で初めての野営になる。


 予定どおりではなかった。


 けれど、エリオにはむしろ、その方が少しこのパーティらしいような気がしていた。


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