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翌朝、エリオたちは予定どおり五人で冒険者ギルドへ向かった。
昨日、セドリックだけが勇者候補を管理する部署へ呼ばれ、上位区分の推薦任務に関する説明を受けたばかりだったが、正式な通知が出るまでは今までと同じように依頼を受けて構わないと言われている。
そのため、今日も特別な任務を待つのではなく、通常の依頼一覧から自分たちで仕事を選ぶことになった。
ギルドへ着くと、セドリックはいつものように依頼板の前へ立った。
フィーナは魔術師向けの依頼がまとめられている列を先に確認し、シリルは報酬額の高い紙だけを目で追っている。バルガスは少し離れた場所から全体を眺め、エリオもその隣でいくつかの依頼書を読んでいた。
昨日までと何も変わらない。
誰か一人だけ別の場所へ行くわけでもなく、五人で次の仕事を探している。
それでもエリオは、自分がそのことを意識しているのに気づいた。
以前なら、五人で依頼板を見ることなど当たり前すぎて考えもしなかった。ところが今は、昨日セドリックから聞いた「五人制の任務では編成調整を求められる可能性がある」という話が、頭の片隅に残っている。
不安というほど強いものではない。
今すぐ何かが変わるわけでもない。
ただ、これまで意識する必要のなかったことを一度知ってしまうと、まったく考えずにいるのも難しいらしい。
「これどう?」
フィーナの声で、エリオは依頼板から視線を上げた。
彼女が指しているのは、王都東部の採石場から出された護衛依頼だった。
採掘作業そのものではなく、山中に設置された魔導測量器をいくつか回収する仕事で、技師二名を現地まで護衛してほしいという内容になっている。
「討伐じゃないのか」
シリルが少し残念そうに言う。
「昨日まで合同討伐してたでしょう」
「だから今日はもう少し簡単なのでもいいって意味だよ」
「今の言い方だと戦いたそうに聞こえたけど」
「報酬が良ければどっちでもいい」
「結局そこなのね」
二人のやり取りを聞きながら、セドリックは依頼書を外して内容を確認した。
「採石場自体はもう閉鎖されてるのか」
「一時閉鎖みたい」
フィーナが横から読む。
「崩落の危険が出たから作業を止めて、その前に測量器だけ回収したいらしいわ」
「魔物の報告は?」
「小型が数回。あと、昔使ってた坑道があるから中には入るなって」
エリオはその一文に少しだけ反応した。
「坑道?」
「気になる?」
フィーナがすぐにこちらを見る。
「いや、監視塔のときみたいなのかなって」
「今回は入らないからね」
「分かってます」
念を押され、エリオは苦笑した。
依頼の目的は明確だった。
閉鎖された採石場周辺に残された測量器を、技師と一緒に六か所回って回収する。山道を歩く時間は長いが、大きな戦闘を想定した依頼ではない。
セドリックも内容を最後まで読み、しばらく考えたあとで依頼書を持ち上げた。
「これにするか」
「五人で?」
エリオが反射的に尋ねた。
言ってから、また自分でも少し気になった。
昨日と同じことを聞いている。
セドリックも気づいたらしく、一瞬だけエリオを見た。
「ああ」
それだけだった。
特別に意味を持たせた返事でもない。
だからこそ、エリオもそれ以上考えずに頷いた。
◇
依頼主の技師二人と合流したのは、王都東門の外にある馬車乗り場だった。
一人は四十代くらいの男性で、名前をローデンといった。もう一人は二十代半ばほどの女性で、こちらはミレイという。どちらも採石場の管理を担当している技術者らしく、武器らしいものは小型の護身用短剣しか持っていない。
「採石場そのものへ入る必要はありません」
馬車へ乗る前に、ローデンが地図を広げながら説明した。
「回収するのは、外周に置いてある測量器だけです。全部で六基。崩落の兆候が確認された場所からは距離を取って設置してあります」
「崩落はいつ?」
セドリックが尋ねる。
「三日前です。実際に大きく崩れたわけではなく、地面の振動値が基準を超えたため作業を停止しました」
「地震?」
「その可能性もありますが、まだ分かりません。地下の空洞が広がっているだけかもしれませんし、古い坑道の一部が落ちた可能性もあります」
エリオはその説明を聞きながら、監視塔の地下で聞いた振動を思い出したが、今回は無理に結びつけなかった。
採石場で地盤が動くこと自体は珍しくない。
「測量器って何を測るんですか?」
エリオが尋ねると、今度はミレイが答えた。
「主に地面の揺れと魔力の流れです。採掘中は人が入るから、危険な変化がないか見てるんです」
「音は?」
「音?」
「地面の中の音とか」
ミレイは少し考えた。
「直接音を測る機能はありませんね。ただ、振動は拾います」
「なるほど」
エリオはそこで会話を終えた。
こういう装置を見ると気になることは多いが、今回は調査依頼ではない。
回収する。
守る。
それだけでいい。
◇
採石場へ着いたのは昼前だった。
現場は低い山の中腹にあり、切り開かれた斜面が何段にも分かれている。作業が止まっているため人影はほとんどなく、普段なら聞こえるはずの採掘音もない。
その静けさの中で、エリオにはいくつかの音が普段より明確に聞こえた。
風。
斜面を転がる小石。
遠くの鳥。
人がいない分、人工的な音が少ない。
「何かいる?」
セドリックが尋ねる。
「今のところ近くにはいないです」
「なら一基目から行く」
ローデンが地図を確認し、全員で山道へ入った。
測量器は大人の腰ほどの高さがある金属製の箱で、地面へ杭のような部品を差し込んで固定されていた。回収には専門の工具が必要で、技師二人が一基ずつ停止処理を行い、それをバルガスとセドリックが運搬用の荷車へ積んでいく。
一基目。
二基目。
三基目。
作業は問題なく進んだ。
エリオも周囲を警戒していたが、聞こえるのは小型動物ばかりで、魔物らしいものは近づいてこない。
四基目へ向かう途中で、道が少し細くなった。
左側は斜面。
右側には古い採掘跡があり、木製の柵で立ち入りを制限されている。
「ここから先が旧坑道です」
ミレイが説明した。
「中には入らないでください。入口近くは補強してありますが、奥の状態までは確認できていません」
エリオは柵の向こうへ目を向けた。
岩壁に黒い入口が見える。
距離は二十メートルほど。
ただし、今のところ中から変わった音は聞こえなかった。
「行くぞ」
セドリックに促され、エリオも視線を戻した。
◇
四基目を回収したところで、最初の問題が起きた。
ローデンが測量器の固定具を外している途中で、ミレイが地面へ手をついた。
「待って」
「どうした?」
「少し揺れた」
全員が動きを止める。
エリオも足元へ意識を向けた。
自分自身は揺れを感じなかった。
「今?」
フィーナが尋ねる。
「ほんの少し。気のせいかもしれないけど」
ローデンはすぐに携帯用の測定器を取り出し、地面へ接触させた。
数秒。
数値を確認する。
「上がってないな」
「じゃあ私の気のせい?」
「分からない」
エリオはその会話を聞きながら、周囲の音を確認した。
地面の振動は、必ずしも耳で聞こえるとは限らない。
それでも、地下で岩が動けば何かしらの音が出る可能性はある。
少し集中する。
風の音を外す。
人の衣服。
工具。
その下。
何かが聞こえた。
低い。
非常に小さい。
ただし、一度だけではない。
「音、します」
全員がエリオを見る。
セドリックはすぐに尋ねた。
「どこ?」
「下だと思う」
「坑道側?」
「まだ分からない」
エリオはしゃがみ込んだ。
地面へ耳を付ける必要はない。
むしろ周囲の音を減らした方が聞きやすい。
少し待つ。
また。
ゴ、と遠くで何かが擦れるような音。
間。
今度は小さく、石が落ちる。
「岩が動いてるかもしれない」
ローデンの顔が変わった。
「ここを離れましょう」
判断は早かった。
回収途中だった四基目はそのままにする。
工具だけを持ち、全員で斜面から距離を取る。
エリオも歩きながら音を追った。
大きくなってはいない。
ただ、消えてもいない。
「どのくらい続いてる?」
セドリックが尋ねる。
「途切れながら。さっきより少し近い気がします」
「方向は?」
エリオは歩きながら聞いた。
単純に下ではない。
右側。
旧坑道のある方へ少し偏っている。
「坑道側です」
ローデンが振り返った。
「入口じゃなく?」
「もっと奥だと思います」
「古い坑道の一部が落ちてるのかもしれない」
ミレイが言った。
それなら十分あり得る。
今回の作業が止まった理由とも一致する。
「残り二基は?」
セドリックが尋ねる。
ローデンは地図を見た。
「五基目はここより奥です。六基目は別の斜面」
「奥はやめる」
セドリックはすぐに決めた。
「六基目だけ安全なルートがあるなら回収する。五基目は置いて帰る」
「賛成です」
ローデンも反対しなかった。
依頼を完遂するために危険な場所へ戻る必要はない。
測量器一基より、人間の安全の方が優先される。
エリオもその判断に異論はなかった。
◇
六基目は採石場の反対側にあり、旧坑道からも十分距離があった。
そちらでは地面の音に変化はなく、作業も問題なく終わった。
結局、六基中五基を回収したところで撤収することになった。
帰りの馬車へ向かう途中、ローデンがエリオの近くへ来た。
「助かりました」
「僕?」
「地面の音です」
「ああ」
「測量器の数値にはまだ大きな変化が出ていませんでした。あのまま作業を続けていたら、五基目まで行っていたかもしれません」
「でも、本当に崩れるかは分からないですよ」
「それでいいんです」
ローデンはそう言った。
「危険かもしれない、と早めに気づくための測量ですから。確実に崩れると分かってから逃げても遅い」
エリオはその言葉を聞いて、少し納得した。
冒険者の仕事でも似ている。
魔物が確実に襲ってくると分かってから動くのではなく、可能性がある段階で備える。
「《残響記録》でしたっけ」
「はい」
「地盤調査でも使えそうですね」
「僕、地面のこと分からないですよ」
「音が聞こえるだけでも十分です。あとは技師が判断すればいい」
その言葉が、エリオには少し印象に残った。
自分が全部を分かる必要はない。
音を聞く。
その情報を、判断できる人へ渡す。
監視塔でも同じことをした。
それが《残響記録》の使い道の一つなのだろう。
◇
王都へ戻ったのは夕方だった。
依頼は六基すべてを回収できなかったため、形式上は「一部未達成」になる。
しかし現場の危険が確認されたこと、技師側の判断で撤収したことから、依頼失敗として扱われることはなかった。
ギルドの報告窓口で、ローデンは地盤の異音について詳しく説明した。
「現地の測定値には大きな変化がありませんでしたが、旧坑道側から継続的な岩盤音を確認しています」
職員が尋ねる。
「誰が確認を?」
「エリオさんです」
「《残響記録》の?」
職員は記録を確認した。
「勇者候補パーティの索敵補助ですね」
「索敵?」
ローデンが少し不思議そうな顔をした。
「いや、今回は地盤の異音を聞いてもらったんですが」
「分類上は特殊索敵技能として登録されています」
「そうなんですか」
ローデンは納得したような、していないような顔をした。
エリオは横で聞きながら、別に訂正する必要はないと思った。
索敵。
確かに、見えないものを音で探しているという意味なら間違ってはいない。
職員はそのまま報告書へ記入を続けた。
「では、現地異常の早期発見。索敵支援として記録します」
「はい」
エリオは普通に答えた。
その横で、セドリックが一度だけ報告書へ視線を落とした。
何も言わない。
フィーナも今回は口を挟まなかった。
ただ、昨日までなら気にもしなかった同じ言葉が、五人の中で少しだけ違って聞こえるようになっていた。
◇
宿へ戻る途中、シリルが突然口を開いた。
「地面の音まで索敵なんだな」
「そうみたい」
「じゃあ何でも索敵になるんじゃないか?」
「見えないもの探してるからじゃない?」
「便利な分類だな」
フィーナが小さく笑った。
「昨日私が言ったこと、分かった?」
「何が?」
「小さい箱に全部入れられるって話」
エリオは少し考えた。
魔物を探しても索敵。
信号を聞いても調査補助。
地面の異常を聞いても索敵。
確かに、外側から見れば全部似た言葉へまとめられている。
でも、今日の自分がしたことが軽くなったとは思わなかった。
技師が危険を避ける判断に使った。
それだけで役割は果たしている。
「でもローデンさんには伝わってたから、いいんじゃない?」
エリオが答えると、フィーナは一度こちらを見たあと、少しだけ肩をすくめた。
「あなたは本当にそういうところ変わらないわね」
「変わった方がいい?」
「今は、そのままでいいと思う」
今は。
また、その言葉だった。
エリオは少しだけ気になったが、それ以上は聞かなかった。
セドリックは前を歩いている。
バルガスもその隣。
五人で依頼へ行き、五人で帰る。
昨日までと何も変わっていない。
ただ、外から自分を説明するときに使われる言葉と、実際に現場でやっていることの間には、少しずつ距離ができている。
エリオ自身はまだ、それを困ることだとは思っていなかった。




