聞こえる範囲
灰背熊と牙狼の件を終えて王都へ戻ってから三日後、エリオたちは再び冒険者ギルドの二階にある会議室へ呼ばれていた。
今回はいつものようにセドリックたちだけで依頼を受けるわけではない。
王都北西部の丘陵地帯で、複数種類の魔物が同時に確認されており、被害が広い範囲へ散っているため、三つの冒険者パーティをまとめて投入する合同討伐になった。
討伐対象は、主に角狼と鎌爪蜥蜴。
どちらも一体ずつなら高位冒険者にとって大きな脅威ではないが、今回は群れがいくつかに分かれて行動しているらしく、家畜の被害だけでなく、街道を通る商人が襲われた例も出ているという。
問題は、群れの位置が一定しないことだった。
丘陵地帯は小さな谷と林が多く、視界が開ける場所と閉ざされる場所が短い間隔で繰り返される。斥候が一方向を確認している間に、別の谷から魔物が回り込む可能性もあるため、広い範囲を一つのパーティだけで押さえるのは難しい。
会議室にはすでに、ほかの二組も集まっていた。
一組は四人。
剣士が二人、弓使いが一人、斥候が一人。
もう一組は五人で、重装の前衛が二人、槍使い、治癒術師、それから斥候役と思われる軽装の女性がいる。
セドリックたちを含めると、全部で十四人。
エリオは部屋へ入った瞬間に、それぞれの装備や立ち位置を確認した。
こういう場に来ると、以前ならまず「自分だけ場違いではないか」と考えていたかもしれない。
今は違った。
この中で誰が何をするのか。
自分がどこに入れば情報を渡しやすいのか。
そちらを先に考えている。
会議を仕切るギルド職員が、机の上へ周辺地図を広げた。
「今回の対象区域はこの三つです」
職員が指したのは、丘陵地帯の北側、中央、南側だった。
「目撃情報が最も多いのは中央ですが、街道被害は南側で出ています。三組で分担しつつ、必要に応じて合流してください」
一組目のリーダーらしい黒髪の男が地図を見ながら尋ねる。
「斥候は各組に一人ずつ?」
「基本はそうなります」
「なら北と南を先に確認して、中央を挟む形がいいんじゃないか?」
もう一組の女性斥候も頷いた。
「谷が多いなら、左右から見た方がいいですね」
シリルも地図を覗き込みながら考えている。
そこで黒髪の男の視線がエリオへ向いた。
「そっちの五人目は?」
一瞬だけ、部屋の空気が止まった。
エリオ自身はすぐに意味が分からなかった。
セドリックが答える。
「エリオ。索敵と記録を担当してる」
「斥候じゃないのか?」
「違う」
男は少しだけ首を傾げた。
「索敵なら、こっちに一人、そっちにシリル、向こうにも一人いる。三人いれば十分じゃないか?」
嫌味な言い方ではなかった。
純粋に役割の重複を気にしているだけなのだろう。
エリオも、その疑問自体は自然だと思った。
普通なら、索敵は斥候がする。
視線で痕跡を追い、地形を読み、敵の位置を確認する。
《残響記録》のように「音を聞いて位置を絞る」という役割は、外から見れば分かりにくい。
「エリオは俺たちと動く」
セドリックはそれだけ答えた。
「役割が被るって意味じゃない。シリルとは使い方が違う」
「どう違う?」
今度は別のパーティの槍使いが興味を示した。
セドリックが説明しようとすると、エリオはその前に口を開いた。
「音を聞きます」
「音?」
「足音とか、呼吸とか。見えないところに何匹いるか、大体の方向や距離を取ります」
黒髪の男は少し考えた。
「それで種類まで分かるのか?」
「分かるときもあります。でも、分からないときは分からないって言います」
エリオがそう答えると、横でシリルが少し笑った。
「そこは信用していいぞ。こいつ、分からないのに分かったふりしないから」
「なるほど」
男はそれ以上否定しなかった。
「じゃあ、目で拾えないところを聞く感じか」
「そんな感じです」
エリオは頷いた。
以前なら、もっと能力の価値を説明しようとしたかもしれない。
これまで何度役に立ったか。
どれだけ遠くまで聞けるか。
どんな魔物を見つけたか。
そういう実績を並べて、自分がここにいていい理由を証明しようとしていた。
今は、そこまで言う必要を感じなかった。
使えば分かる。
それで十分だった。
◇
作戦は、三組で区域を分ける形に決まった。
セドリックたちは中央。
黒髪の男が率いる四人組が北。
もう一組が南。
ただし、完全に別行動するのではなく、一定の間隔で合流地点を設ける。魔物の群れが別区域へ移動した場合は、近い組同士で連携して対応する。
ギルド職員は最後に、討伐記録の取り方まで説明した。
「今回は複数組なので、討伐数と支援内容は個別に記録してください。帰還後にまとめます」
その言葉を聞いて、エリオは机の端に置かれた報告用紙を見た。
名前。
役割。
討伐数。
負傷者対応。
偵察。
魔術支援。
荷物運搬。
いくつかの項目が最初から並んでいる。
自分ならどこに入るのだろう、と一瞬考えた。
おそらく偵察か索敵補助。
それで合っているような気もする。
深く考えるほどのことではないと思い、そのまま視線を戻した。
◇
翌朝、十四人は王都の北西門から出発した。
丘陵地帯までは二時間ほど。
途中までは広い街道を使い、そこから先は細い農道へ入る。
三組がまとまって歩くと、普段よりかなり騒がしい。
装備の金属音。
靴。
会話。
荷物。
十四人分が重なるため、エリオは最初から必要な音だけを拾うよう意識していた。
昨日までなら、自分の仲間の音はすぐに区別できる。
セドリックの歩幅。
バルガスの重い装備。
シリルの軽い足音。
フィーナの杖が時折服へ触れる音。
しかし今日は、そこへ知らない九人分が混ざっている。
最初の三十分ほどは、むしろそちらを覚えることに時間を使った。
「何してる?」
シリルが横から尋ねる。
「みんなの足音覚えてる」
「十四人分?」
「だいたい」
「やっぱり変だな、お前」
「昨日の人にも言われた」
「褒めてる」
「そうなの?」
そんな話をしているうちに、丘陵地帯が見えてきた。
地図で見た通り、なだらかな丘がいくつも重なり、その間に細い谷と林が入り込んでいる。
視界は広そうに見えて、実際には死角が多い。
三組は最初の分岐でそれぞれの区域へ散った。
セドリックたちは中央へ進む。
そこからは、いつもの五人だった。
人数が減っただけで、エリオには周囲が急に静かになったように感じられた。
「何か聞こえるか?」
セドリックが尋ねる。
「まだ遠くは何も。右の谷に小さい獣がいるくらい」
「魔物?」
「たぶん普通の獣」
「分かった」
それだけで会話は終わる。
誰も能力の説明を求めない。
どこまで確かかも聞かれない。
エリオ自身も、必要以上のことは言わない。
いつもの形だった。
◇
一時間ほど進んだところで、最初の群れを見つけた。
「左前」
エリオが声を落とす。
四人はすぐに足を止めた。
「数」
セドリックが尋ねる。
「三。たぶん角狼」
「距離は?」
「八十くらい」
シリルはもう前へ出る準備をしている。
「見てくる」
「頼む」
数分後。
戻ってきたシリルが頷いた。
「三匹。角狼で合ってる」
「周囲は?」
「今見える範囲はそれだけ」
セドリックは地形を確認した。
「ここで倒す。逃げ道は右側だけ残す」
フィーナが位置を変え、バルガスが前へ出る。
エリオはその間も周囲を聞いていた。
戦闘そのものは短かった。
三匹のうち二匹はセドリックとシリルが仕留め、一匹は逃げようとしたところをフィーナの魔術で止めた。
エリオは攻撃には加わらない。
その代わり、戦闘中も周囲を聞き続けていた。
だから。
三匹目が倒れる少し前。
別の足音に気づいた。
「右から来ます」
セドリックが剣を抜いたまま振り返る。
「何匹?」
「二。速い」
説明している間にも距離は縮まる。
「角狼?」
「たぶん」
バルガスが位置を変える。
フィーナもすぐに次の魔術へ切り替える。
シリルは倒した個体を確認することもなく右側へ回った。
その動きに迷いはなかった。
数十秒後、二匹の角狼が谷から現れた。
一匹はバルガスが受け止め、もう一匹はセドリックが横から斬る。
追加の戦闘も短く終わった。
「五匹か」
シリルが息を整えながら言う。
「最初の三匹だけだと思ってた」
「だからエリオを残してた」
セドリックは当たり前のように答えた。
エリオは少しだけ首を傾げた。
「残してた?」
「戦闘に入れず周囲を見てもらってただろ」
「いつもそうじゃないですか」
「ああ。だから言った」
そのままセドリックは討伐した魔物の確認へ向かった。
エリオもそれ以上考えなかった。
いつものことだった。
◇
正午前、三組は予定していた合流地点へ集まった。
北側の四人組は角狼を六匹。
南側の五人組は鎌爪蜥蜴を四匹確認し、そのうち三匹を討伐したらしい。
「そっちは?」
黒髪の男が尋ねる。
「角狼五」
セドリックが答える。
「最初三だったけど、横から二匹来た」
「斥候が見落とした?」
男がシリルを見る。
「いや」
シリルは水を飲みながら首を振った。
「俺が見た範囲には三匹しかいなかった。二匹は谷の奥から後で来た」
「よく気づいたな」
シリルがエリオを親指で示す。
「こいつ」
男はエリオを見る。
「音か」
「はい」
「戦闘中でも分かるのか?」
「近ければ。今日はみんなの足音を覚えてたから、それ以外が増えたのが分かりました」
男は少しだけ驚いたような顔をした。
「十四人分を?」
「今は五人だけだったので」
「そういう問題か?」
横にいた女性斥候が笑った。
「便利ね。それ」
「便利ですよ」
シリルがなぜか代わりに答えた。
「お前が言うな」
エリオが返すと、周囲から小さな笑いが起きる。
最初の作戦会議で感じたような、役割への疑問はもうそれほど残っていないらしい。
実際に一度見れば、何をしているのかは分かる。
エリオも、それで十分だと思った。
◇
午後は三組が少し近い距離を保って動くことになった。
中央区域で角狼が確認されたため、群れが北や南へ移動している可能性がある。
セドリックたちは谷沿いを進み、一定の間隔で左右の組と位置を合わせる。
エリオは周囲の魔物だけでなく、離れて動いているほかの冒険者たちの音も意識するようになっていた。
完全に位置を把握できるほど近くはない。
ただ、金属音や声が風に乗って届くことがある。
午後も半ばを過ぎた頃だった。
左側。
北組の方向から。
何かが聞こえた。
「セドリック」
「何だ?」
「北の方、戦ってるかもしれない」
全員が足を止める。
「聞こえる?」
「金属音が続いてる。あと叫び声」
距離はかなりある。
内容までは分からない。
ただ、通常の移動音ではない。
セドリックはすぐに判断した。
「行くぞ」
五人は進路を北へ変えた。
走りながら、エリオは音を追う。
金属がぶつかる。
何かが地面へ落ちる。
声。
その中に。
獣の足音が複数混じっている。
「数、多いです」
「どのくらい?」
「まだ分からない。でも五とか六じゃない」
セドリックは速度を落とさない。
「近づいたら教えろ」
エリオも頷いた。
しばらく走ると、音がはっきりしてきた。
北組の四人。
それ以外。
八。
九。
さらに重なる。
「十以上います」
フィーナの表情が変わる。
「種類は?」
「角狼が多い。でも違う足音もある」
「鎌爪蜥蜴?」
「たぶん二匹」
セドリックはすぐに前方を確認した。
「シリル、先行して状況だけ見ろ。エリオは数を追え。バルガス、フィーナ、着いたら北組と合流する」
もう誰も、エリオへ「本当に分かるのか」とは聞かなかった。
エリオ自身も、聞き取った情報を説明することより、次に必要になるものを探していた。
どこに何匹いるのか。
どの方向が薄いのか。
北組がどこまで押されているのか。
五人の中では、それがもう当たり前になっている。
ただ、その当たり前を初めて外側から見る人間たちが、これからどう受け取るのか。
今のエリオは、まだそんなことを考えていなかった。




