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音を覚えるだけの外れスキルで追放された俺、失われた古代魔法を全部再生できるらしい  作者: 山吹 ことり
第四章 当たり前になった音

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群れを押すもの

 牙狼の群れから距離を保ったまま、エリオたちは森の奥へ進んだ。


 先ほど確認した八匹は、すぐにこちらへ向かってくる様子を見せていない。村側へ戻るでもなく、森のさらに奥へ入るでもなく、一定の範囲を行き来しているようだった。群れとして落ち着きがないのは確かだが、何かを待っているのか、それとも周囲を警戒して動けずにいるのかまでは分からない。


 その奥にいる一匹は、さらに動きが少なかった。


 エリオは歩きながら何度も耳を澄ませ、その重い足音が途切れていないことを確かめた。正確には、足音と呼べるほど頻繁に動いているわけではない。数十秒、あるいはもっと長い間隔を置いて、地面へ体重がかかる音が一度だけ聞こえる。そのたびに、牙狼とは明らかに違う大きさが伝わってきた。


「距離、少し縮まってます」


 エリオがそう言うと、セドリックは前方の木々を見ながら歩調を落とした。


「向こうが動いた?」


「たぶん僕たちが近づいた分です。大きい方は、ほとんど同じ場所にいます」


「牙狼は?」


「八匹とも大体同じ範囲。二匹だけ少しこっち寄り」


 セドリックはそこで一度立ち止まり、全員へ手で待つよう合図した。


「ここからはシリルが先に確認する。ただし、姿が見えなくても深追いするな」


「了解」


 シリルは短く答え、木々の間へ消えていった。


 その間、エリオたちはその場で周囲を警戒する。


 フィーナは木の幹へ手を触れ、森の魔力の流れを確認していた。植物や土の中にも弱い魔力はあるため、大型魔物の反応があっても距離が遠ければ判別しづらいらしい。


 バルガスは後方を向き、牙狼がこちらへ回り込んでこないかを見ている。


 エリオは先ほどと同じ場所へ意識を集中した。


 牙狼の足音はまだ聞こえる。


 その奥に、重い音。


 さらに耳を澄ませると、今度は足音とは別のものが混じっていることに気づいた。


 低い呼吸。


 一度。


 少し間を置いて、もう一度。


 かなり大きい。


「呼吸も聞こえる」


 エリオが小さな声で言うと、フィーナが顔を上げた。


「どんな感じ?」


「遅いです。寝てるのかもしれない」


「寝てる?」


「動かなさすぎるから」


 もちろん断定はできない。


 ただ、歩き回っている魔物なら、もっと身体が動く音があるはずだった。


 今聞こえるのは、時折体勢を変える音と、低く長い呼吸だけ。


 エリオがそう説明すると、セドリックは少し考え込んだ。


「牙狼が近づかないのも、それが原因かもしれないな」


「怖がってる?」


「可能性はある」


 そのとき、シリルが戻ってきた。


 足音は抑えていたが、表情を見るだけで何か見つけたことは分かった。


「いた」


 セドリックがすぐに尋ねる。


「何だ?」


「灰背熊」


 フィーナの表情が少し変わった。


「成体?」


「かなり大きい。たぶん雄」


 灰背熊は、森に棲む大型魔物の中でも比較的よく知られている種類だった。


 普段は人里へ積極的に近づくことはなく、単独で行動することが多い。ただし、縄張り意識が強く、巣や餌場へ近づいた相手には容赦なく襲いかかる。


 牙狼より危険度は高い。


 正面から戦えば、バルガスでも突進を完全に受け止めるのは難しい。


「何してた?」


 セドリックが尋ねる。


「倒木の根元で伏せてる。寝てるようにも見えたけど、右肩に傷がある」


「傷?」


「ああ。浅くはない。血はもう乾いてた」


 エリオはその言葉を聞きながら、先ほどの岩猪を思い出した。


 怪我をした大型魔物。


 それだけで警戒する理由にはなる。


「牙狼にやられた?」


 エリオが聞くと、シリルは首を振った。


「傷の大きさが違う。牙狼の牙じゃないと思う」


「じゃあ別の魔物?」


「分からない」


 セドリックは少し黙った。


 依頼の目的は、村の近くに出ている牙狼の群れを確認し、必要なら討伐することだ。


 灰背熊は依頼対象ではない。


 しかも今のところ、村へ向かっているわけでもない。


「位置関係は?」


「熊の手前に牙狼がいる。正確には、熊のいる場所を避けながら周りをうろついてる感じだ」


「やっぱり追われたのかな」


 フィーナが言う。


「縄張りから?」


「そう考えるのが自然ね」


 群れの本来の縄張りに灰背熊が入り込んだ。


 あるいは、別の場所で争ってこちらへ押し出された。


 結果として牙狼が村側へ近づいた。


 少なくとも、今の情報だけならそう考えることはできる。


「でも、それなら熊をどうにかしないと、牙狼だけ倒してもまた別の魔物が押し出されるかもしれない」


 エリオが言うと、セドリックは頷いた。


「そこが問題だ」


 依頼書には牙狼の討伐としか書かれていない。


 灰背熊まで倒せば、追加の危険を排除したことにはなるが、必要のない戦闘を増やすことにもなる。


 まして、傷を負っている理由も分からない。


 ここで倒していい相手なのかどうか、判断材料が足りなかった。


「もう少し見たい」


 セドリックが言った。


「熊の周囲と、牙狼の動きを確認する。群れが本当に熊を避けてるなら、先に追い払う方法を考える」


「倒さずに?」


 シリルが聞く。


「できるならな」


 その答えを聞いて、エリオは少しだけ安心した。


 護衛依頼のときと同じだ。


 強いから倒す。


 依頼対象だから倒す。


 それだけで判断しない。


 必要なことだけをする。


 セドリックたちと動くようになってから、その考え方が少しずつ自分にも馴染んできていた。


        ◇


 五人はさらに少しだけ位置を変え、牙狼の群れと灰背熊の両方を確認しやすい場所を探した。


 エリオは音を頼りに進み、シリルが地形を見て安全な場所を選ぶ。


 やがて、大きな岩と倒木が重なった場所の陰から、牙狼の一部を目視できる位置へ出た。


 六匹が見える。


 少し離れて二匹。


 数はエリオが聞いたとおりだった。


 群れは森の中を落ち着きなく動いているが、一定以上奥へ進もうとはしない。


「確かに避けてる」


 フィーナが小さな声で言う。


「熊の方に近づくとすぐ戻るわね」


「熊の縄張りに入れないって感じだな」


 シリルも同意する。


 しばらく見ていると、牙狼のうち一匹が少しだけ奥へ進んだ。


 その直後。


 森のさらに向こうから、低い唸り声が響いた。


 エリオには、その前から灰背熊が身体を起こした音が聞こえていた。


 牙狼はすぐに後退する。


 ほかの個体も一斉に距離を取った。


「決まりだな」


 セドリックが低く言った。


「少なくとも今は、熊が群れを村側へ押してる」


「じゃあ熊を追い払う?」


 エリオが尋ねる。


「その前に傷を確認したい」


「近づくんですか?」


「近づきすぎない。シリルが見た範囲でいい」


 セドリックはシリルを見る。


「傷の状態、何か変だったか?」


「んー……」


 シリルは少し考えた。


「裂けてるっていうより、抉られてる感じだった」


「爪?」


「それも違う気がする」


 フィーナが眉を寄せた。


「魔法の跡は?」


「見ただけじゃ分からない」


 そこで全員の視線がフィーナへ集まる。


「少し近づけば分かるかもしれない。でも、熊が起きてるなら危険ね」


「エリオ、動きは追えるか?」


「追えます」


「なら、熊がこっち向いたらすぐ言ってくれ」


「分かりました」


 それだけで役割は決まった。


 フィーナとシリルが少しだけ前へ出る。


 セドリックとバルガスはその後方。


 エリオはさらに少し離れた位置から、灰背熊の音を追い続ける。


 大型魔物の呼吸は、さきほどより分かりやすくなっていた。


 ゆっくり。


 重い。


 時々身体を動かす。


 今はまだこちらを警戒していない。


「まだ大丈夫」


 エリオが小声で伝える。


 フィーナたちは少しずつ距離を詰めた。


 しばらくして、フィーナがその場でしゃがみ込み、杖の先を地面へ向ける。


 直接熊へ魔術を使うのではなく、周囲に残っている魔力の痕跡を拾っているらしい。


 数十秒。


 フィーナが顔を上げた。


 その表情が変わっていた。


「セドリック」


「何だ?」


「傷に魔力が残ってる」


 エリオはその言葉を聞いた瞬間、少し嫌な予感がした。


「自然なものじゃない?」


「少なくとも、牙狼に噛まれた傷じゃない」


「魔法?」


「たぶん」


 フィーナはさらに慎重に言葉を選んだ。


「でも、普通の攻撃魔術とも少し違う」


 セドリックが目を細める。


「どう違う?」


「魔力が散ってない。傷の周りに、細く残ってる」


「何かを刻んだみたいに?」


「そう見える」


 エリオは灰背熊の呼吸を追いながら、その説明を聞いていた。


 依頼は牙狼の討伐だった。


 その原因らしい灰背熊を見つけた。


 そして、その熊には何者かによって付けられた可能性のある傷がある。


 少しだけ、話が変わってきた。


「熊、動きます」


 エリオが言う。


 フィーナとシリルがすぐに下がる。


 灰背熊は身体を起こしたものの、こちらへ向かってくる様子はなかった。ただ、立ち上がったことで肩の傷がさらに見やすくなったらしい。


 シリルが戻ってきながら、低い声で言う。


「傷の形、変だぞ」


「どういうふうに?」


「真っ直ぐすぎる」


 フィーナも頷いた。


「偶然ついた傷には見えない」


 セドリックはすぐには答えなかった。


 牙狼の群れは依然として周囲をうろついている。


 灰背熊もいる。


 村は近い。


 ここで無理に謎を追えば、依頼の本来の目的を見失う。


「まず牙狼を村から離す」


 しばらく考えたあと、セドリックはそう決めた。


「熊の傷は、そのあとだ」


 エリオも頷いた。


 今すぐ全部を調べる必要はない。


 監視塔でもそうだった。


 分からないことを見つけても、まず今やるべきことを終える。


 それでも、《残響記録》には覚えておける。


 灰背熊の重い呼吸も、牙狼の動きも。


 必要なら、後からもう一度確かめられる。


「エリオ」


「はい」


「群れを動かしたい。熊から離れる方向で、一番薄いところを教えてくれ」


 エリオはすぐに牙狼の足音へ意識を戻した。


 八匹の位置を一つずつ分ける。


 密集している場所。


 幼い個体の位置。


 移動しやすそうな方向。


 その情報を、セドリックたちが使える形にして渡す。


 今は、それが先だった。

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