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音を覚えるだけの外れスキルで追放された俺、失われた古代魔法を全部再生できるらしい  作者: 山吹 ことり
第三章 勇者候補のパーティ

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五人で動く

 岩猪の巨体が大きく傾いた。


 右へ進路を変えようとした瞬間、傷めていた前脚が地面を捉えきれず、勢いを残したまま肩から街道脇へ滑り込む。土と枯れ葉が巻き上がり、近くにいた馬たちが驚いて嘶いたが、御者たちはすぐに手綱を引き締め、荷馬車をその場から動かさなかった。


 完全に倒れたわけではない。


 岩猪は低い唸り声を上げながら、すぐに身体を起こそうとしていた。


「バルガス、正面を塞げ!」


 セドリックの声に、バルガスが大盾を構えたまま一歩前へ出る。


 岩猪が立ち上がるより早く、シリルが側面へ回り込み、フィーナも杖を向けた。ただし、すぐに強い魔術を撃つことはしない。荷馬車がすぐ近くにある以上、爆発や火炎を使えば、魔物を倒せても護衛対象へ被害を出す可能性がある。


 エリオも岩猪から目を離さず、耳だけでなく動きそのものを追った。


 荒い呼吸。


 地面を掻く前脚。


 そして、立ち上がろうとするたびに右側へ一瞬だけ体重が逃げる。


 怪我をしているのは間違いない。


 だが、それだけで安心できるほど弱ってはいなかった。


「まだ走れます!」


 エリオが声を上げる。


 セドリックは岩猪から視線を外さずに答えた。


「分かってる。荷馬車へ向かわせるな」


 岩猪が身体を起こした。


 先ほどの転倒でさらに興奮したのか、鼻息は荒く、牙の先が何度も上下する。逃げる様子はなく、目の前に立つバルガスを敵と認識したらしい。


 次の瞬間、岩猪は再び地面を蹴った。


 今度は最初から距離が近い。


 バルガスは盾を正面へ構えたまま、突進を真正面から受けるのではなく、わずかに角度をつけていた。


 岩猪の牙が盾へ当たる。


 重い衝撃音が街道へ響き、バルガスの身体が半歩だけ後ろへ押された。それでも盾は倒れず、岩猪の頭が横へ流れる。


「シリル!」


「分かってる!」


 できた隙へシリルが入り込み、短剣で岩猪の後脚付近を浅く切りつける。


 致命傷を狙った攻撃ではない。


 さらに体勢を崩し、荷馬車から意識を逸らすためのものだった。


 岩猪が大きく身体を振り、シリルを追おうとする。


 その動きの途中で、エリオは一つの違和感に気づいた。


「セドリック!」


「何だ?」


「左は普通に動ける!」


 岩猪は右へ曲がるときだけ大きく速度を落とすが、左へ向きを変えるときにはほとんど迷いがない。


 単に右前脚を傷めているというだけではない。


 戦い方そのものに偏りができている。


「じゃあ左へ回す!」


 セドリックは迷わず判断した。


「フィーナ、右を塞いでくれ!」


「任せて!」


 フィーナが地面へ杖を向け、小さな土壁を岩猪の右側へ作る。


 高さは膝ほどしかない。


 それでも、右側へ逃げる道が狭くなれば、岩猪は自然に動きやすい左へ向かう。


 予想どおり、魔物は土壁を避けて左へ身体を振った。


 その先には荷馬車がない。


 空いた街道脇だった。


「今なら離せる!」


 エリオが言うと、セドリックは一瞬だけ考えた。


 倒すことはできる。


 しかし、こちらから深追いする必要はない。


 今回の目的は岩猪の討伐ではなく、商隊を無事に届けることだ。


「バルガス、下がれ! 道を開ける!」


 バルガスが盾を少しずつ引く。


 シリルも距離を取った。


 突然目の前が開いたことで、岩猪は一瞬だけ戸惑ったように立ち止まった。


 フィーナが土壁をさらに伸ばし、荷馬車側と魔物の間を分ける。


 岩猪はしばらくその壁と一行を睨んでいたが、再び突進してくることはなかった。


 やがて鼻を鳴らし、ゆっくりと森の方へ向きを変える。


 エリオはその足音を追い続けた。


 林の奥へ入っていく。


 まだ近い。


 少しずつ遠ざかる。


 そして、やがて音が木々の間へ消えていった。


「……行きました」


 エリオがそう言うと、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。


 バルガスは盾を下ろし、フィーナも杖を戻す。


 シリルは岩猪が消えた方向を見ながら、大きく息を吐いた。


「結局、倒さなかったな」


「倒す必要がなかったからな」


 セドリックは剣を鞘へ戻しながら答えた。


「怪我をした個体を追って森へ入る方が危険だ。それに、もう一頭いる」


「ああ、そうだった」


 エリオはその言葉を聞いて、もう一度遠くへ意識を向けた。


 最初に聞いたもう一頭の足音は、かなり離れた場所に残っている。


 こちらへ近づく様子はない。


「もう一匹は動いてないです。たぶん大丈夫」


「なら出発する」


 セドリックがそう言うと、商隊の人々もようやく動き始めた。


 荷馬車に異常がないか確認し、馬を落ち着かせる。先ほどの衝撃で積み荷が少しずれたらしく、三台目の御者と警備員が荷台へ上がって固定し直していた。


 戦闘そのものは短かった。


 けれど、エリオには今までの戦いとは少し違って感じられた。


 誰かが倒すために前へ出て、自分は後ろから危険を知らせただけではない。


 岩猪の動きの癖を見つけ、それを仲間が使い、全員で進路を作った。


 その結果、戦わずに済むところまで持っていけた。


 セドリックが言っていた「護衛は何も起こさないのが一番」という言葉が、少しだけ分かった気がした。


        ◇


 再出発してしばらくすると、商隊の先頭を歩いていた中年の商人がエリオの近くへ来た。


 今回の依頼主である商会の代表者で、名前はグレンという。


「さっきの魔物なんだが」


「はい」


「姿が見える前から分かっていたのか?」


「足音は聞こえてました」


「どのくらい前から?」


 エリオは少し考えた。


「最初にいた場所なら、百メートル近く離れてたと思います。でも木が多かったし、荷馬車も動いてたので正確ではないです」


 グレンは驚いた顔をした。


「そんな遠くから?」


「いつも全部聞こえるわけじゃないですよ」


 誤解されないように説明する。


「風とか地形で変わります。今日は岩猪が大きかったから、足音も分かりやすかっただけで」


「それでも十分だ」


 グレンはそう言ったあと、前を歩くセドリックたちへ目を向けた。


「勇者候補の一行だから、もっと派手に魔物を倒すものだと思っていた」


「僕も最初はそう思ってました」


「違うんだな」


「みたいです」


 エリオが答えると、グレンは少し笑った。


「商人からすれば、派手に戦われるより荷物が一つも壊れない方がありがたい」


 確かにそうだろう。


 討伐数を競う依頼ではない。


 岩猪を倒したとしても、その戦闘で荷馬車が壊れたり、馬が怪我をしたりすれば、護衛としては失敗に近い。


「お前さんの耳も、護衛向きだな」


 そう言われ、エリオは少しだけ返事に迷った。


 以前なら、「耳じゃなくて恩恵です」と訂正していたかもしれない。


 だが今は、わざわざ言い直す必要もない気がした。


「役に立ったならよかったです」


 そう答えると、グレンは満足したように頷き、先頭の荷馬車へ戻っていった。


 その背中を見送っていると、横からシリルが近づいてくる。


「また評価されてるな」


「何が?」


「お前の耳」


「聞こえたから言っただけだけど」


「それで十分なんだよ」


 シリルは軽い調子で言った。


「俺が斥候やってても、森の中の全部が見えるわけじゃない。お前が先に音で拾って、俺が確認する。結構やりやすいぞ」


「そうなの?」


「そうなのって、お前今まで気づいてなかったのか」


 エリオは考えてみた。


 自分の中では、《残響記録》を使って情報を集めることは自然になっていた。


 だが、シリルにとってもその情報が役に立っているとは、あまり考えたことがなかった。


「前は、お前が何か聞くたびに俺が確認しに行ってただろ」


「うん」


「最近は、だいたい何がいるか分かってから確認できる。方向も数も聞いてから行けるから、かなり楽だ」


「じゃあ僕、シリルの仕事減らしてる?」


「違う」


 シリルは即座に否定した。


「失敗する確率を減らしてる」


 その言葉は、エリオの中に少し残った。


 誰かの役割を奪うのではない。


 その人が仕事をしやすくする。


 それもパーティで役に立つということなのかもしれない。


        ◇


 夕方、一行は予定していた野営地へ到着した。


 街道から少し外れた場所にあり、旅人が何度も使っているらしく、簡単な焚き火跡と石組みが残っている。近くには小さな水場もあり、荷馬車四台を止めても十分な広さがあった。


 商会側が馬の世話をしている間に、セドリックたちは周囲の安全確認を行った。


 シリルが目で確認し、エリオが音を聞く。


 日中と違って荷馬車が止まっているため、周囲の音はずっと分かりやすかった。


 森の奥に小型動物が数匹。


 鳥。


 水音。


 それ以外に大きな足音はない。


「大丈夫そう」


 エリオが報告すると、セドリックは野営を決めた。


 食事の準備が始まり、暗くなる前に見張りの順番も決める。


「エリオは最初、俺とだ」


 セドリックが言った。


「僕も見張りするんですか?」


「何でしないと思った?」


「いや、するけど」


 これまで複数人で泊まる依頼はあったが、セドリックたちと正式なパーティになってからの野営はまだそれほど多くない。


「耳がいいから夜中ずっと起きてろとか言わないから安心しろ」


「それは無理です」


「分かってる」


 セドリックは笑った。


 日が落ちると、一行は焚き火を囲んで簡単な夕食を取った。


 商人たちは岩猪の話を何度もしていたが、セドリックたちは特に武勇談として語る様子もない。フィーナは明日の天気を気にし、バルガスは黙々と食事をし、シリルは商会の警備員から別の街道の話を聞いていた。


 エリオはその様子を見ながら、少し不思議に思った。


 勇者候補のパーティ。


 最初にその言葉を聞いたときは、もっと特別な人間たちだと思っていた。


 実際、戦えば強い。


 セドリックの剣も、フィーナの魔術も、バルガスの防御も、シリルの身のこなしも、自分とは比べものにならないほど経験がある。


 それでも彼らがやっていることは、派手な戦いだけではなかった。


 危険を避ける。


 荷物を守る。


 馬を驚かせない。


 商人を無事に町へ届ける。


 そういう地味な判断の積み重ねで仕事をしている。


 自分がここにいることも、少し似ているのかもしれない。


 大きな魔法を撃つわけではない。


 剣で魔物を倒すわけでもない。


 けれど、聞こえたものを伝える。


 それによって他の誰かが、少しだけ安全に動ける。


 それでいいのだと思えた。


        ◇


 夜。


 最初の見張りについたエリオは、焚き火から少し離れた場所でセドリックと並んで座っていた。


 商隊の人々はすでに休んでいる。


 仲間たちも、それぞれ毛布に包まれて眠っていた。


 昼間とは違い、夜の森には静かな音が多い。


 虫の声。


 水の流れ。


 ときどき風が枝を揺らす。


 その中に異常がないかを確認しながら、エリオはぼんやり前を見ていた。


「疲れたか?」


 セドリックが小さな声で尋ねる。


「少し」


「今日はずっと聞いてたからな」


「でも、前より楽です」


「何が?」


 エリオはすぐには答えなかった。


 何が変わったのか、自分でもまだうまく言葉にできない。


「最初は、聞こえたことを説明しないといけないと思ってたんです」


「説明?」


「何でそう思ったかとか。本当に聞こえたのかとか。間違ってないかとか」


 セドリックは黙って聞いていた。


「でも最近は、方向とか距離だけ言えばみんな動くでしょう」


「ああ」


「それが楽なのかもしれない」


 言葉にしてみると、自分でも納得できた。


 信じてもらえるから楽なのではない。


 自分の情報が、パーティの判断材料として普通に扱われている。


 そのことが楽だった。


 セドリックはしばらく何も言わなかったが、やがて静かに口を開いた。


「俺たちも慣れたんだよ」


「僕に?」


「お前が聞くことに」


 エリオはセドリックを見る。


「最初は、どこまで正確なのか分からなかった。神殿でもそうだった。でも一緒に動いて、お前がどういうときに確信を持って、どういうときに『分からない』と言うのかも分かってきた」


「……そんなところ見てたんですか?」


「リーダーだからな」


 セドリックは当然のように答えた。


「お前、分からないときはちゃんと分からないって言うだろ」


「言いますけど」


「だから、確かだと言ったときは信用できる」


 エリオは少し黙った。


 能力そのものを信用されているのだと思っていた。


 だが、どうやらそれだけではなかったらしい。


 《残響記録》が正確だからではない。


 それを使っているエリオ自身の判断も含めて信頼されている。


「それに」


 セドリックが続ける。


「俺たちは五人で動いてるんだから、それぞれ全部できる必要はない」


 その言葉を聞いて、エリオは少し笑った。


「五人って普通に言いましたね」


「何が?」


「いや」


 セドリックは本当に気づいていないらしい。


 以前なら、セドリック、フィーナ、バルガス、シリル。


 そこへエリオが加わる、という感覚がどこかにあった。


 だが今、セドリックは何の迷いもなく「五人」と言った。


 たったそれだけのことだった。


 それでもエリオには、その言葉が妙に嬉しかった。


「何笑ってるんだ?」


「別に」


「変な奴だな」


 セドリックがそう言って、再び森へ視線を戻す。


 エリオも前を向いた。


 夜の森から聞こえる音は、いつもと変わらない。


 それでも今夜は、その中で自分の居場所だけが、少し前よりはっきりした気がした。

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