残された信号
監視塔へ戻ったあと、一行はその日のうちに、見つけた設備と記録簿の内容をまとめることにした。
三番目の観測地点で聞こえた高音についても、エリオが聞き取った周期や位置、フィーナが確認した魔力反応まで含めて記録へ残した。ただし、その正体については推測を書き加えなかった。
短い音が二回。
続いて、少し長い音が一回。
それが一定の間隔で繰り返されている。
分かっているのは、それだけだった。
「故障の可能性あり、でいいんじゃないか?」
シリルが記録を覗き込みながら言った。
「あり、ならいいけど」
フィーナはペンを止めずに答えた。
「故障だと決めるのはだめ。観測装置とは別の魔力反応があった以上、別設備の可能性もあるもの」
「面倒だな、報告書って」
「適当に書いて、あとで違った方が面倒でしょうが」
「それはそうだけど」
二人のやり取りを聞きながら、エリオは監視塔の外へ耳を向けていた。
昼間の山は静かだった。
昨夜のように八つの鐘が順番に鳴ることもない。観測設備の定期試験が夜間に設定されているという記録が正しいなら、次に鐘が鳴るのは今夜だろう。
今回の依頼は、監視塔周辺で夜になると鐘が鳴る原因を調べることだった。
その答えは、ほぼ出た。
昔使われていた大型魔物の監視設備。
八方向に設置された観測鐘。
夜間の自動点検。
長く放置されながらも、設備の一部がまだ動き続けていた。
怪異ではなかった。
少なくとも、八つの鐘に関しては。
それだけなら、この依頼はもう終わっている。
それなのに、エリオの意識はどうしても、三番目の観測地点に残した音へ戻ってしまう。
「気になるか?」
声をかけてきたのはセドリックだった。
「まあ」
エリオは素直に答えた。
「でも、掘らないって決めたから」
「意外と聞き分けがよくなったな」
「最初から聞き分けいいですよ」
「そうだったか?」
「たぶん」
自信がなくなって最後だけ弱くなると、セドリックが笑った。
この数週間で、自分でも少し変わったと思う。
以前のエリオなら、聞いたことのない音があれば、それが何なのか確かめるまで気になって仕方がなかった。もちろん今もその性格自体は変わっていない。
ただ、音を聞いたからといって、すぐに動く必要はないことを覚えた。
記録しておけば、あとから確かめられる。
分からないまま残しておくことも、調査の一つなのだと。
「領主側へ報告すれば、正式に掘れるかもしれない」
セドリックが言った。
「また来るんですか?」
「必要ならな。ただ、俺たちが来るとは限らない」
その言葉に、エリオは少しだけ引っかかった。
「別のパーティになるかも?」
「今回の仕事は、本来そこまで大きな依頼じゃない。設備の確認なら技師を連れてくる方がいいかもしれないし、領主の兵が対応するかもしれない」
「そっか」
当然の話だった。
すべての謎を自分たちが最後まで調べるとは限らない。
冒険者の仕事は、見つけたものすべてを解明することではない。
依頼された範囲をこなし、必要な情報を次へ渡す。
その役割もある。
エリオは頭では理解していたが、それでも少し惜しいと思った。
あの高音の正体を、自分の耳で確かめたい気持ちはある。
「そんな顔するな」
「どんな顔ですか」
「置いていかれた犬みたいな顔」
「だから犬扱いやめてください」
セドリックは笑いながら、まとめた記録を閉じた。
「もし次の調査が回ってきたら声はかける」
「本当ですか?」
「興味があるのは俺たちも同じだ。ただ、順番を守るだけだ」
エリオはそれで少し納得した。
◇
夜。
予想通り、八つの鐘は再び鳴った。
最初の高い鐘。
続いて二番目。
三番目。
山の周囲を一周するように、少しずつ音程を下げながら八つの音が続いていく。
仕組みが分かってから聞くと、昨日とはまったく印象が違った。
不気味な音ではない。
山の各地点にある設備が、自分はまだ動いていると順番に知らせている。
百年近く前、この監視塔にいた人間たちも同じ音を聞いていたのだろう。
新人の見張りが八種類の鐘を覚え。
どの方向で異常が起きたのか、耳だけで判断する。
誰かにとっては、毎日の仕事の音だった。
そう考えると、エリオは少し親近感を覚えた。
前世では録音したファイルへ名前をつけていた。
この世界の見張りたちは、鐘の高さへ方向を割り当てていた。
音を情報として整理する。
やり方は違っても、考え方は同じだった。
八つ目の鐘が鳴り終わる。
地下設備が一度だけ低く震えた。
そのあと、監視塔には静けさが戻った。
「どう?」
フィーナが聞いてくる。
「昨日と同じ」
「例の高音は?」
「一番目と三番目に入ってる」
エリオは今回も聞き逃さなかった。
鐘の余韻の奥。
一番目。
短い高音。
三番目。
同じ種類の音。
「二つとも同じ?」
「似てるけど、完全には同じじゃない」
昨日はそこまで細かく比較できていなかった。
今夜は最初から意識していたため、違いが分かる。
一番目の音は、ごく短い音が一つ。
三番目は。
短い音が二つ。
そのあとに長い音が一つ。
昼間、地中から聞こえていたものと同じだった。
「一番目の方も調べる必要があるわね」
フィーナが言った。
「一番目は昼に何も聞こえなかった」
「夜だけ動いてる可能性がある」
エリオは少し考えた。
「今行ってみる?」
口にした瞬間、セドリックとフィーナの両方に見られた。
「いや、確認しただけです」
「誰にだ」
「一応」
「行かない」
「はい」
以前なら少し不満を感じたかもしれないが、今は素直に頷いた。
夜の山を、正体不明の音を追うためだけに移動する必要はない。
明るくなってから調べればいい。
「でも」
エリオは、もう一度《残響記録》の中で二つの高音を比較した。
一番目。
短い一音。
三番目。
短い二音と長い一音。
同じ仕組みなら、意味の違う信号なのかもしれない。
「どうした?」
「これ、故障の音じゃない気がする」
「理由は?」
「故障なら、毎回同じタイミングで同じ形になるのは変だから」
フィーナが腕を組む。
「装置が定期動作したときだけ擦れる部品があるなら、同じ音になることはあるわよ」
「それは分かる。でも、一番目と三番目で鳴り方が違う」
「別々に壊れてる可能性もある」
「そうなんだけど」
エリオはうまく説明できなかった。
音を聞いた感覚だけなら、明らかに「意味がある」ように思える。
だが、それを根拠にすることはできない。
短い二回、長い一回。
その並びを知っているような気がするのだ。
前世で。
どこかで。
「……信号みたいなんだ」
「信号?」
フィーナが聞き返す。
「前の世界では、音の長さを組み合わせて文字を送る方法があった」
そこまで言ってから、エリオは記憶を探った。
モールス信号。
名前は覚えている。
短い音と長い音の組み合わせで、文字や数字を表す方法。
ただし、自分は専門家ではなかった。
代表的なものをいくつか知っている程度だ。
「解読できるの?」
「全部は無理。でも、確認することはできる」
「どうやって?」
「僕の前世の記憶と比べる」
エリオは三番目の音を頭の中で並べた。
短い。
短い。
長い。
点、点、線。
何の文字だったか。
すぐには思い出せない。
だが。
一番目は短い一つ。
もし前世のモールス信号と同じなら。
「……違う」
エリオは首を振った。
「同じじゃない」
「何が?」
「前の世界の信号と似てるけど、そのまま当てはまらない」
それでも。
規則を持った短音と長音。
その組み合わせで情報を送るという考え方そのものは似ている。
「だったら、この世界にも似た信号方式があった可能性は?」
セドリックが尋ねた。
「あると思う」
フィーナも頷いた。
「軍や鉱山では、鐘や灯りを使って簡単な合図を送ることはあるわ。短く二回なら集合とか、長く一回なら危険とか」
「この監視塔の記録には?」
「少なくとも、今日見た範囲にはなかった」
エリオは静かになった監視塔の外を見た。
怪異は解けた。
八つの鐘の意味も分かった。
それでも。
一番目と三番目だけに残された信号らしき音。
これは、古代神殿のような途方もない謎ではないかもしれない。
百年前の誰かが追加した設備。
見張り同士が使っていた古い合図。
それくらいのものかもしれない。
だが。
もし誰かが音を使って情報を残したのなら。
エリオには、それを無視する理由がなかった。
◇
翌朝。
一行は一番目の観測地点へ向かった。
昨日も調べた場所だったが、今回は鐘そのものではなく、地面の下を重点的に確認する。
フィーナが魔力の流れを追い、シリルが金属柱の周囲を調べる。
しばらくして。
「ここ」
フィーナが地面を指した。
「三番目と同じ。観測装置とは別の弱い魔力がある」
「昨日はなかった?」
「昼間はほとんど止まってたから分からなかった。夜に動いたあとだから、まだ少し残ってる」
エリオも耳を近づける。
三番目ほど明瞭ではない。
それでも。
地中からごく短い高音が聞こえた。
一度。
しばらく沈黙し。
また一度。
「同じだ」
「一回だけ?」
「うん」
シリルが金属柱の根元を調べていた手を止めた。
「ちょっと待て」
彼は土を軽く払い、柱の裏側を指した。
そこには、小さな刻印があった。
昨日は泥に隠れて見えなかったものだ。
「文字?」
エリオが覗き込む。
「いや」
フィーナが指で泥を落とす。
現れたのは文字ではなかった。
三つの細い線。
そのうち一つだけが長い。
エリオはしばらくそれを見た。
短い線。
短い線。
長い線。
昨夜、三番目の観測地点で聞いた音と同じ並びだった。
「……これ」
セドリックも気づいた。
「音の長さを表してるのか?」
「たぶん」
フィーナは刻印を慎重に確認した。
「少なくとも偶然には見えない」
「じゃあ昨日の音は、故障じゃない」
エリオは刻印から目を離さずに言った。
誰かが。
この設備に。
意図的に、音の並びを残している。
しかし。
なぜ一番目の観測地点に、三番目と同じ記号があるのか。
エリオは違和感を覚えた。
「待って」
「何?」
「ここで聞こえるのは短い一回だけ」
三番目では短い二回と長い一回。
刻印も短・短・長。
なら、一番目の観測地点の刻印が同じなのはおかしい。
エリオは柱の周囲をさらに見る。
そして。
下側。
土に埋もれていた部分に、もう一つ小さな刻印を見つけた。
今度は。
短い線が一本だけ。
「こっちだ」
エリオが指す。
フィーナが泥を落とす。
一本の短い線。
昨夜の音と一致する。
「じゃあ、さっきの三本は?」
シリルが尋ねる。
エリオは二つの刻印の位置を見比べた。
短い一本。
短・短・長。
別々の場所に刻まれている。
そして。
三番目の観測地点では、短・短・長の音が鳴っていた。
「これ」
エリオの中で、一つの可能性が浮かんだ。
「観測地点ごとの印じゃないのかも」
「どういうこと?」
「音そのものの一覧」
エリオは柱を見上げた。
「この設備で使う信号を、ここに刻んでる」
フィーナの表情が変わった。
「つまり、短音一回にも意味があって、短・短・長にも別の意味がある?」
「たぶん」
「ほかの組み合わせもあるはずだな」
セドリックが言った。
全員で柱の周囲を調べる。
泥。
苔。
錆。
それらを傷つけないよう少しずつ落としていくと。
さらに刻印が見つかった。
短・長。
長・短。
短・短。
長一回。
全部でいくつもある。
「信号表だ」
エリオは確信した。
前世のモールス信号とは違う。
だが。
音の長さを組み合わせ、意味を割り当てる。
考え方は同じだった。
「記録簿にない理由は?」
シリルが尋ねる。
「これは観測設備の正式な機能じゃないのかもしれない」
フィーナが答えた。
「後から現場の人間が追加した?」
「可能性はある」
セドリックが刻印を見ながら言った。
「見張り同士の連絡用か」
「それなら」
エリオは昨夜の音を思い返した。
一番目。
短一回。
三番目。
短・短・長。
二つの信号が送られている。
「意味を調べれば」
エリオは言った。
「昨日の音が、何を伝えてたのか分かる」
怪異は終わったと思っていた。
残ったのは、ただの故障かもしれないと考えていた。
だが。
違った。
誰かが音に意味を持たせ。
設備の中へ残していた。
そして今も。
百年近く経ったあとまで。
その信号は鳴り続けている。
エリオは、柱に刻まれた短い線と長い線を見つめた。
古代神殿とは違う。
魔法の起源でもない。
世界を変えるような力でもないかもしれない。
それでも。
これは誰かが残した音だ。
なら。
聞いてしまった以上。
その意味を知りたいと思った。




