七つと、ひとつの振動
八度目の鐘が消えたあとも、エリオはしばらく監視塔の方角を見つめていた。
森はすでに完全に暗くなっていて、山小屋の前に置いた灯りが照らせるのは数歩先までしかない。その向こうでは木々が黒い塊になり、風に揺れる枝の音だけが続いている。
だが、九度目の鐘は鳴らなかった。
「終わり?」
フィーナが尋ねる。
「たぶん。少なくとも、さっきまでと同じ間隔ならもう鳴ってる」
最初の鐘から最後の鐘まで、間隔は完全に一定ではなかった。短いときで三分ほど、長いときでも五分は空いていない。
八度目の音が消えてから、すでに十分近く経っている。
偶然途切れただけという可能性もなくはないが、今までの流れを考えれば、八回で一区切りになっていると考える方が自然だった。
「方向、全部分かる?」
シリルが聞く。
「大体なら」
「距離も?」
「正確には無理。でも、近いか遠いかは比較できる」
エリオは山小屋の中へ入り、机の上に紙を広げた。
監視塔の位置は、依頼書に添えられていた簡単な地図で確認できる。周辺の道や谷、沢の位置まで詳しく描かれたものではないが、少なくとも塔と現在地の関係は分かった。
エリオは自分たちがいる山小屋を一つの点として置き、そこから鐘の聞こえた方向を一本ずつ書き込んでいった。
「最初は塔より少し西。二回目はそこから少し北で、三回目はさらに北東」
四つ目、五つ目と順番に線を増やしていく。
《残響記録》に保存された音は、外へ再生しなくても自分の中で比較することができる。そのため、エリオは一つずつ聞き直すように記憶を辿りながら、方向とおおよその距離を紙へ落としていった。
七つ目まで書いたところで、シリルが身を乗り出した。
「これ、塔の周りを回ってないか?」
「うん。僕もそう見える」
八つ目を書き込むと、その傾向はさらに分かりやすくなった。
鐘の位置は無秩序に散らばっていたわけではない。正確な距離が分からないため、きれいな円になっているかまでは判断できないが、監視塔を中心にして、その周囲をほぼ一周するような配置になっている。
「八か所」
バルガスが紙を見ながら言った。
「たぶん。ただ、全部が同じ距離にあるとは限らない」
「鐘が八個置いてある可能性は?」
フィーナが尋ねる。
「あると思う」
「人が順番に鳴らしてる?」
シリルがすぐに首を振った。
「それなら相当面倒だぞ。八か所に人を置くか、一人が山の中を走り回ることになる」
「魔道具なら?」
「普通の音石だけでは無理ね」
フィーナは地図を見ながら答えた。
「あれは記録した音を再生するだけだから、遠隔で順番に起動させるなら別の術式が必要になる。でも、現代魔術でも不可能ではないわ。わざわざこんな山の中に八か所も仕掛ける理由があるなら、だけど」
少なくとも、古代魔術でなければ説明できない現象というわけではない。
エリオはその可能性を頭に置いた。
リュネ村の荷馬車も、最初は怪異のように思えたが、実際には人間が音石を使って作った偽物だった。今回も、不思議な現象だからという理由だけで古代神殿と結びつけるのは危険だろう。
「音は全部違ったんだよな?」
セドリックが確認する。
「少しずつ違う。でも、完全に別の鐘って感じもしない」
「どういう意味?」
「音の高さも余韻も違うけど、響き方に共通してるところがある。同じ種類の鐘を、大きさを変えて作ったみたいな感じ」
エリオは頭の中でもう一度、一音目から八音目までを順番に比べた。
最初の鐘は低い。
二音目は、それよりさらに低い。
三音目も同じように下がっている。
四音目以降も、一度も高く戻ることなく、最後の八音目が最も低かった。
「全部、順番に低くなってる」
エリオが言うと、フィーナの表情が変わった。
「きれいに?」
「同じ幅で下がってるかまでは分からない。でも、一度も上がってない」
フィーナは紙に八つの点を書き、その横へ一から八まで番号を振った。
「位置は塔の周りを順番に回って、音の高さも順番に下がっていく。かなり意図的ね」
「自然現象ではなさそうだな」
セドリックも地図を見る。
「自然に鐘は鳴らないけど」
シリルが言う。
「そういう意味じゃない」
「分かってるよ」
エリオは二人のやり取りを聞きながら、別の可能性を考えていた。
音が低くなる理由の一つとして、鐘そのものが大きくなっていることが考えられる。もし本当に八つの鐘が山中へ配置されているなら、順番に大きさの異なる鐘を並べているのかもしれない。
ただし、音源までの距離も違っているため、聞こえた音量だけでは鐘の大きさを判断できない。
「聞かせてもらえれば、音階として何か分かるかもしれないんだけど」
フィーナが言った。
エリオはすぐには答えなかった。
以前なら、その場で《残響記録》を再生していただろう。
だが、古代神殿では音そのものが装置を動かしたことが何度もある。今回の鐘が単なる音だったとしても、何らかの合図として使われている可能性は否定できない。
「外で再生するのはやめた方がいいと思う」
「あ」
フィーナもすぐに気づいた。
「そうね。ごめん」
「自分の中で比べるだけならできるから、必要ならそれで確認する」
「それでお願い」
エリオは改めて八つの音を思い返した。
一音目から八音目までの関係は確かに連続している。偶然似た鐘が八回鳴ったというより、最初から順番を持って組まれた音に聞こえた。
「明日は、一番近いところから探す?」
シリルが尋ねた。
セドリックは少し考えてから首を振った。
「まず塔を調べる。依頼対象は監視塔だし、八か所の位置も塔を基準にしているように見える。中心を確認した方が早い」
エリオもその判断に異論はなかった。
周囲の鐘が塔を中心に配置されているのなら、先にその中心を調べる方が自然だ。
「今日は見張りを二人ずつで回す。鐘がまた鳴ったら全員を起こす」
「エリオは最後でいいんじゃない?」
フィーナが言った。
「音を聞く役なのに?」
「だからよ。ずっと聞いてたら休めないでしょう」
「聞かないようにもできる」
「本当に?」
「意識しなければ、ある程度は」
「なら寝ておきなさい」
結局、最初の見張りはシリルとバルガス、次がセドリックとフィーナになり、エリオは最後に回された。
寝床へ入ってからもしばらくは外の音が気になったが、すべてを意識して拾う必要はないと考え、耳へ向けていた注意を少しずつ外した。
風が吹き、枝が擦れ、炉の中で薪が割れる。
鐘は鳴らなかった。
◇
翌朝になっても、新しい鐘の音は確認されなかった。
夜のあいだに見張りをした全員が異常なしと答えたため、今のところ鐘は特定の時間帯にだけ鳴っている可能性が高い。
「夜だけか」
セドリックが言う。
「今夜も同じように鳴るかは確認したいですね」
エリオが答える。
「今日中に帰る予定だったけど、一泊延長になりそうね」
フィーナが依頼書を見る。
「必要ならそうする」
山小屋を出た一行は、監視塔へ向かった。
道と呼べるものは途中までしか残っていなかった。
昔は巡回路として使われていたのだろうが、今では草と低木に覆われている。シリルが先頭に立ち、足場や獣道を確認しながら進み、その後ろをエリオたちが続いた。
エリオは歩きながら、昨夜の鐘が鳴った方向を意識していた。
一番目はこの先の西側。
二番目はもう少し北。
三番目はさらに塔の反対側へ回り込む位置。
ただ、森の中では視界が悪く、音から推定した場所へ直接向かうのは難しい。
「見えた」
シリルが前を指した。
木々の隙間から、灰色の石壁が現れる。
近づくにつれて監視塔の全体が見えてきた。
高さは三階建ての建物より少し高い程度で、細長い石造りの塔になっている。上部の一角は大きく崩れており、そこがかつて鐘楼だった場所らしい。
地面には崩れた石材が散らばっていたが、鐘そのものは見当たらなかった。
「ないな」
シリルが上を見上げる。
「十年も経ってるなら、持っていかれた可能性もあるわね」
フィーナが言う。
セドリックは塔の入口を確認した。
扉はすでになく、内部へはそのまま入れる状態だった。
「まず外周を確認する」
「足跡見てくる」
シリルがそう言うと、バルガスも一緒についていった。
エリオは塔の前に残り、周囲の音を聞いた。
最初は、割れた石壁を抜ける風の音だと思った。
だが、その音は風にしては一定しすぎていた。
低く、かすかな振動が長く続いている。
「フィーナ」
「何?」
「魔力、動いてる?」
フィーナはすぐに杖を取り出し、塔の周辺へ意識を向けた。
少しして、眉を寄せる。
「あるわ」
「塔に?」
「塔そのものというより、もっと下。地表より下から薄い反応がある」
「地下か?」
セドリックが尋ねる。
「可能性は高いけど、構造までは分からない」
エリオはしゃがみ込み、石畳へ耳を向けるように意識を集中した。
手をついたからといって、音が特別よく聞こえるわけではない。
それでも、意識する場所を絞れば、地面の下から続いている振動を捉えやすい。
ゴォォォ――。
風に似ている。
だが、それだけではない。
金属が低く震え続けているような響きが混じっている。
「鐘?」
フィーナが小さく尋ねた。
「違うと思う」
エリオは首を振った。
「鐘そのものじゃなくて、鳴る直前の金属みたいな音」
「直前?」
昨夜の八つの鐘を思い出す。
鐘が鳴る瞬間だけでなく、その少し前に、かすかな低い振動が混じっていた。
そのときは山の風か、谷に反射した別の音だと思っていた。
だが、今塔の下から聞こえている振動とよく似ている。
「昨夜の鐘、全部鳴る前にこれが入ってたかもしれない」
「じゃあ、塔の下にある何かが原因?」
「まだ分からない。でも、八か所の鐘がそれぞれ勝手に鳴っていたんじゃなくて、ここから何かが伝わっていた可能性はある」
そう考えれば、塔を中心に音が一周していたことにも一応の説明がつく。
ただし、それが何なのかまではまだ判断できない。
そこへ、外周を見ていたシリルとバルガスが戻ってきた。
「最近の足跡はほとんどない。少なくとも毎晩誰かが来てる感じじゃない」
「地下から魔力反応がある」
フィーナが説明する。
シリルはすぐに塔の内部を見た。
「階段は上にしかなかったぞ。前の調査記録にも地下室なんて書いてなかったはずだ」
「なら、隠されてるかもしれない」
五人で塔へ入る。
一階は狭かった。
壁沿いに壊れた棚が残り、古い机の跡がある。床には長い間積もった土埃が広がり、上階へ続く石段だけが比較的形を保っていた。
エリオはゆっくり歩きながら、足元から返ってくる音を聞いた。
一歩。
二歩。
三歩。
石床の下は詰まっている。
さらに中央へ進む。
そこで、足音の返り方が変わった。
エリオは止まり、靴の先で同じ場所を軽く叩いた。
周囲より音が軽い。
「ここ、下が空いてる」
シリルがしゃがみ込み、床の埃を払う。
よく見ると、一メートル四方ほどの石板だけ、周囲より継ぎ目が深かった。
「蓋だな」
取っ手も鍵穴もない。
だが、明らかに周囲の床とは別に作られている。
「前の調査員は見落としたのかしら」
「知らなきゃ普通の床だと思うだろ」
シリルが答える。
フィーナが杖を近づけると、地下から感じる魔力反応がさらに強くなった。
「この下ね」
セドリックが全員を見る。
「開けられるか?」
「仕組みを探す」
シリルとフィーナが石板の周囲を調べ始める。
エリオはその横で、もう一度地下の音に意識を向けた。
低い振動の奥に、さっきまでは気づかなかった一定の間隔が混じっている。
短い振動が続き、そのあとに少し長い振動が入る。
エリオは数えた。
一つ。
二つ。
三つ。
短い振動は七回。
そのあとに、長い振動が一回。
少し間を置いて、同じ周期がまた最初から繰り返された。
「待って」
エリオが言うと、全員の動きが止まった。
「どうした?」
セドリックが尋ねる。
「地下で、何かが一定の間隔で動いてる」
「どんな?」
「短い振動が七回。そのあとに長いのが一回。それをずっと繰り返してる」
フィーナの表情がわずかに変わった。
「七つと、ひとつ」
その言葉を聞いた瞬間、エリオにも古代神殿の構造が頭をよぎった。
八つの扉。
七つの同じ印と、一つだけ異なる印。
そして、地下で聞いた「七つ」という声。
似ている。
だが、それだけで同じものだと決めつけることはできない。
リュネ村で学んだばかりだった。
音が本物でも、その意味を読み違えれば判断を誤る。
「似てるけど、まだ神殿と同じだとは思わない方がいい」
エリオが言う。
フィーナもすぐに頷いた。
「そうね。まず、この塔だけで説明できるものがないか確認しましょう」
セドリックは石板を見る。
「開けよう。ただし、何があるか分かるまで装置らしいものには触らない」
誰も異論はなかった。
監視塔の地下では今も、短い振動が七回、そのあとに長い振動が一回という周期が繰り返されている。
昨夜、塔の周囲で鳴った鐘も八回だった。
二つが本当に関係しているのかどうかは、まだ分からない。
だが少なくとも、偶然として片づけるには、同じ数字が重なりすぎていた。




