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音を覚えるだけの外れスキルで追放された俺、失われた古代魔法を全部再生できるらしい  作者: 山吹 ことり
第三章 勇者候補のパーティ

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音がしたから

 荷馬車の音は、旧道を確実に下ってきていた。


 馬の蹄。木製の車輪。荷台の軋み。ときおり混じる、小さな金属音。それぞれを単独で聞けば、本物の荷馬車としか思えない。


 だが、一度「同じ音が繰り返されている」と気づいてしまえば、違和感ははっきりしていた。


 十数秒ほどのまとまりがある。


 二頭の馬が数歩進み、右前の車輪が一度だけ高く軋む。その少しあとに荷台の中で金属がぶつかり、短い間を置いて左側の馬が鼻を鳴らす。


 そこまで進むと、また同じ順番に戻る。


 音量だけは少しずつ大きくなっているため、遠くから近づいているように聞こえる。しかし中身は変化していない。現実の荷馬車が山道を走っているなら、道の傾斜や石の位置、馬の歩幅によって音は常に少しずつ変わるはずだった。


「どのくらいの間隔で繰り返してる?」


 セドリックが低い声で尋ねた。


「十五秒くらい。正確には少し短いです。ただ、全部が一緒に繰り返してるわけじゃないかもしれない」


「どういう意味?」


 フィーナが窓際まで近づいてくる。


 エリオは目を閉じたまま、音を一つずつ切り分けた。


 馬車そのもののまとまりは同じだ。


 だが、先ほどから聞こえている女の声だけは少し違う。


 長く伸ばす高い声。


 最初は一定の旋律を繰り返しているように聞こえた。しかし注意して聞けば、声が入る位置は毎回同じではない。荷馬車の音が一周しても歌だけが続いていることもあれば、途中で途切れることもある。


「女の声は別です」


「別?」


「荷馬車の音みたいに同じところを繰り返してない。たぶん、あっちは今鳴ってる」


 セドリックの表情が変わった。


「つまり、荷馬車は偽物でも、人間はいる可能性がある?」


「あります」


 その可能性を口にした直後、外で見張っていたシリルから合図が入った。


 小さな鳥の鳴き声。


 事前に決めていた、異変を見つけたときの合図だ。


 セドリックがすぐに立ち上がる。


「行くぞ。バルガスはフィーナとエリオを頼む」


 一行は空き家を出た。


 月は薄い雲に隠れ、村の北側はかなり暗い。家々の灯りもすでにほとんど消えているため、旧道へ続く道だけが黒い帯のように山へ伸びていた。


 シリルは少し先の石垣の陰にいた。


「何か見えた?」


 セドリックが近づくと、シリルは旧道の方向を指した。


「光。かなり小さい。道の右側、森の中」


 エリオも目を凝らしたが、すぐには分からなかった。


 しばらく見ていると、確かに木々の間で淡い光が一度だけ揺れた。


 荷馬車の音は、そこよりさらに上から聞こえている。


「音と位置が合ってない」


 エリオが言った。


「光は三百メートルくらい。でも荷馬車の音はもっと上です」


「誰かが別の場所から鳴らしてる?」


 フィーナが尋ねる。


「それなら説明できます」


 音源そのものを移動させなくても、鳴らす音量を少しずつ上げれば近づいているようには聞こえる。


 前世なら、左右の位置や残響まで調整すればさらに複雑な錯覚を作ることもできた。


 この世界に同じ技術があるとは思っていなかったが、魔術なら別だ。


「光の方を先に確認する」


 セドリックが判断した。


「ただし、荷馬車の音が急に変わったらすぐ教えてくれ」


「分かりました」


 五人は道を外れ、木々の間へ入った。


 暗闇の中ではフィーナの灯りも最小限に抑える。光を出しすぎれば、こちらの位置を知らせることになる。


 エリオにとっては視界が悪くてもそれほど問題ではなかった。


 前を歩くセドリックの足音。


 少し右を進むバルガス。


 後方のフィーナ。


 さらに先を行くシリル。


 仲間の位置は、見えなくても把握できる。


 一方で、荷馬車の音は相変わらず旧道を下っていた。


 同じ十五秒。


 同じ車輪の軋み。


 同じ金属音。


 それとは別に、女の声が木々の奥から聞こえてくる。


 距離は縮まっていた。


「女の人は光と同じ方向にいます」


 エリオが囁く。


「一人?」


「声だけなら。でも」


 さらに耳を澄ます。


 呼吸。


 服が木の枝に触れる小さな音。


 そして、もう一つ。


 金属を操作するような細い音がした。


「もう一人いる」


 エリオが言うと、全員が足を止めた。


「どこ?」


「女の人より少し奥。しゃべってないけど、何か触ってる」


「気づかれてる?」


「たぶん、まだ」


 セドリックはシリルへ目で合図した。


 シリルが大きく迂回して奥へ回る。


 バルガスはエリオたちの前へ出て盾に手をかけた。


 そこから先は、ゆっくり距離を詰めた。


 やがて木々の向こうに、淡い青色の光が見えた。


 地面へ置かれている。


 ランタンではない。


 拳二つ分ほどの丸い石が、弱い光を放っていた。


 その近くに、一人の女が座っている。


 年齢は二十代後半ほどに見える。旅装束ではなく、村人に近い簡素な服を着ていた。


 女は目を閉じ、低く息を吸った。


 そして。


 高い声を一つ、長く伸ばした。


 村で聞いた「歌」だった。


 女の前には、もう一つ小さな黒い石が置かれている。


 その石から。


 馬の蹄が聞こえた。


 エリオは足を止めた。


「石からです」


 セドリックが小さく頷く。


 神殿にあった円盤とは形も大きさもまったく違う。


 それでも、音を保存し、繰り返し鳴らしているという点では似ている。


 エリオは思わず神殿との関係を考えかけたが、すぐに止めた。


 まずは目の前の状況だ。


 女のさらに奥。


 木の陰に男が一人しゃがんでいる。


 彼は細長い棒のようなものを手にし、地面の黒い石へ向けていた。


 棒の先を動かすたび、荷馬車の音量が少し変わる。


 近づいているように聞こえた理由はこれだった。


「何をしてる?」


 セドリックが声を上げた。


 男と女が同時に振り返った。


 女は驚いて立ち上がり、男は即座に黒い石を掴もうとした。


 しかし、その前に横から飛び込んだシリルが腕を取った。


「動くな」


「離せ!」


 男が抵抗する。


 次の瞬間、地面の石から流れていた荷馬車の音が大きく乱れた。


 蹄。


 車輪。


 金属音。


 それまで一定の順番だったものが一気に重なり、耳障りな大音量になる。


「フィーナ!」


「分かってる!」


 フィーナが杖を向けると、黒い石の周囲に薄い光の膜が広がった。


 途端に音量が落ちる。


 完全には止まらないが、村まで届くほどではない。


 バルガスが男の逃げ道を塞ぎ、セドリックが女との間へ入った。


「冒険者ギルドの依頼で来た。抵抗しなければ危害は加えない」


 女は青ざめた顔で両手を上げた。


「私は何も……」


「歌ってたでしょう」


 フィーナが言う。


 女は黙った。


 男もシリルに押さえられたまま口を閉じている。


 エリオは黒い石へ近づいた。


「触るなよ」


 セドリックがすぐに言う。


「分かってます。聞くだけです」


 石からは、今も小さく荷馬車の音が続いている。


 十五秒ほどの記録。


 完全に同じ内容の繰り返し。


 魔力の流れも感じられるらしく、フィーナが横から調べ始めた。


「これ、珍しいけど古代魔道具じゃないわ」


 エリオは少し意外に思った。


「分かるの?」


「構造が普通の魔道具に近い。音を入れて、一定時間再生するだけの道具だと思う」


「そんなものあるんですか?」


「あるにはあるわよ。劇場とか、祭りの演出とかで使う。こんな長い音を綺麗に保存できるものは高いけど」


 神殿の技術ではない。


 そのことに、エリオはなぜか少し安心した。


 すべてがあの遺跡につながっているわけではない。


 世の中には、単純に人間が作った不思議な音もある。


「それで」


 セドリックは男を見る。


「村を怖がらせて、何をしてた?」


「別に怖がらせたかったわけじゃない」


「じゃあ何のためだ」


 男はしばらく黙っていた。


 だが、シリルに腕を固定され、バルガスが目の前に立っている状況では逃げられないと分かったらしい。


「……人を旧道に近づけたくなかった」


「どうして?」


 男は女を見る。


 女は俯いたままだ。


「旧道の上に、古い坑道がある」


 その言葉に、セドリックの目が細くなった。


「鉱山か?」


「昔の採掘場だ。とっくに閉じられてる」


「そこで何をしてる?」


 再び沈黙。


 今度はフィーナがため息をついた。


「ここまで来て黙っても無理よ」


 男は悔しそうに顔を歪め、ようやく答えた。


「石を掘ってる」


「何の石?」


「青晶石」


 フィーナの表情が変わった。


「魔晶石?」


「違う。安物だよ。ただ、加工屋に売れば多少になる」


 セドリックが尋ねる。


「採掘許可は?」


 答えは必要なかった。


 男の表情だけで分かる。


「無許可か」


「閉じた坑道だ。誰も使ってない」


「使ってない土地なら勝手に掘っていいわけじゃない」


 シリルが呆れたように言った。


 エリオは女を見る。


「歌は?」


 女がびくりとした。


「荷馬車の音だけでよかったはずですよね」


 男が答えるより先に、女が小さな声で言った。


「私が頼まれたの」


「何を?」


「声を出してほしいって。荷馬車だけだと、何度か聞けば不自然だって気づく人がいるかもしれないから」


 なるほど、とエリオは思った。


 一定の記録へ、不規則な生の声を重ねる。


 それだけで、音全体はかなり自然に聞こえる。


 実際、最初に女の声が混じっていたからこそ、エリオもすべてが同じ記録だとはすぐには気づかなかった。


「誰が考えたんですか?」


「俺だ」


 男が答えた。


「昔、劇団で働いてた。音石の扱いもそこで覚えた」


 それなら技術を知っていても不思議ではない。


 荷馬車の音は、どこかで実際に録ったものなのだろう。


「村まで音を近づけて、そこで止めてたのは?」


「誰も外に出てこないようにだよ。幽霊馬車だと思えば、夜中に旧道へ来る奴はいない」


「思った以上に単純な理由だったな」


 シリルが言った。


 男は睨み返したが、反論できなかった。


        ◇


 二人を村へ連れ戻す前に、セドリックたちは旧坑道の位置だけ確認することにした。


 無許可採掘が行われている以上、現場を放置するわけにはいかない。


 男をシリルとバルガスが連れ、女は逃げる様子を見せなかったためフィーナの近くを歩かせる。


 エリオは最後に黒い音石を確認した。


 フィーナが魔力を切ると、荷馬車の音は完全に止まった。


「持っていく?」


「証拠だからね」


 布で包み、フィーナの荷物へ入れる。


 それを見ながら、エリオは少し不思議な気持ちになった。


 神殿では、音を保存すること自体が失われた古代技術のように見えた。


 だが、この世界にも簡単な形なら音を残す魔道具は存在する。


「フィーナ」


「何?」


「音を保存する魔道具って、珍しいけど普通にあるんですよね」


「ええ。ただ、今の音石は保存できる時間も短いし、音質もそこまで良くない。魔力も結構食うから、一般家庭にはまずないけど」


「神殿の円盤とは全然違う?」


「比較にならないわよ」


 フィーナは即答した。


「あそこにあったものは何百年、下手したらもっと長い間、音をほとんど劣化させずに残してた。しかも本人の記憶から直接引き出してる可能性まである。今の魔道具とは別物」


「そうですよね」


「でも、何か気づいた?」


「ちょっとだけ」


 前世でもそうだった。


 最初から高性能な録音機が存在したわけではない。


 音を記録する技術は少しずつ進歩してきた。


 なら、この世界でも同じなのかもしれない。


 現代にある音石。


 失われた古代の円盤。


 両者に直接のつながりがあるとは限らない。


 しかし、人間が「音を残したい」と考えること自体は、世界が違っても変わらない。


 相沢律がそうだったように。


「何笑ってるの?」


「笑ってた?」


「少し」


 エリオは首を振った。


「何でもない」


        ◇


 旧坑道は、音石を置いていた場所からさらに山を上った先にあった。


 入口は木や枝で巧妙に隠されており、知らなければ通り過ぎてしまうような場所だった。


 中へ入る前に、エリオは耳を澄ませた。


「人がいます」


 セドリックがすぐに男を見る。


「仲間か?」


 男が渋々頷いた。


「二人」


「エリオ?」


「僕にも二人に聞こえます。かなり奥。作業してる」


 金属が石へ当たる。


 一定ではない。


 本物の作業音だ。


 さらに、その奥。


 別の音がした。


 エリオは眉を寄せる。


「待って」


「何だ?」


 坑道の内部から、時折小さな破裂音が聞こえる。


 石が自然に割れる音とは違う。


 乾いている。


 そして、その直後に細かな砂が落ちる。


 エリオは以前、廃坑で聞いた音を思い出した。


 岩盤が動く前。


 天井へ荷重がかかったとき。


 ごく小さな亀裂が増えていく音。


「中、危ないです」


「崩れる?」


「すぐとは言えない。でも、奥の天井から割れる音が増えてる」


 男の顔色が変わった。


「そんなはずない。昨日までは――」


「昨日と今が同じとは限らない」


 エリオは入口からさらに集中した。


 二人の作業音。


 金属。


 石。


 その上から。


 また一つ。


 パキ。


 小さな亀裂。


 続いて別の場所。


「作業止めさせた方がいい」


 エリオが言うと、セドリックは迷わなかった。


「シリル、中の二人を呼び戻せ。バルガスは入口から動くな。フィーナ、崩落が始まった場合に備えて補強できるか?」


「短時間なら」


「エリオは音を聞いて、変化があればすぐ言え」


 命令が一気に飛ぶ。


 誰もエリオの判断を疑わなかった。


 シリルが坑道へ入り、エリオはその足音を追う。


 奥にいる二人はまだ作業を続けている。


 亀裂音は少しずつ増えていた。


 場所も広がっている。


「シリル、あと十メートルくらいで二人です!」


 エリオが声を上げる。


 坑道内から返事が届く。


 しばらくして、作業音が止まった。


 話し声。


 驚く声。


 そして三人分の足音がこちらへ向かってくる。


 だが、その直後。


 これまでとは明らかに違う低い音がした。


 岩盤全体が、わずかに沈む。


「走って!」


 エリオが叫んだ。


 セドリックとバルガスが同時に入口へ向かう。


 奥から足音が速くなる。


 フィーナも杖を構えた。


 数秒後、シリルと二人の男が坑道から飛び出した。


 最後の一人が入口を越えた直後。


 内部で大きな音が響いた。


 岩が落ちる。


 土煙が入口から吹き出し、バルガスが盾を上げて前へ出る。


 完全な崩落ではない。


 だが、先ほどまで人が作業していた場所の一部は確実に潰れた。


 救い出された二人は地面へ座り込み、呆然と坑道を見ていた。


「……なんで分かった?」


 一人がエリオを見る。


「音がしたから」


「俺たち、何も聞こえなかったぞ」


「小さかったから」


 説明としてはそれしかなかった。


 エリオには聞こえた。


 だから知らせた。


 それだけだ。


 セドリックは崩落した入口を確認してから、エリオへ視線を向けた。


「助かった」


 短い言葉だった。


 しかしエリオは、その一言を以前より素直に受け取ることができた。


 《残響記録》があったからだ。


 同時に。


 その音が何を意味するのか、これまでの経験から判断したのは自分だった。


 能力も。


 経験も。


 判断も。


 その全部があって、三人が坑道から出ることができた。


 昨日セドリックが言ったことを、少しだけ理解できた気がした。


 恩恵も含めて。


 自分なのだと。


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