恩恵も含めて、お前だろ
翌朝、エリオが冒険者ギルドへ向かうと、昨日よりも明らかに人が多かった。
普段なら依頼を探す冒険者たちで混み合う時間帯ではあるが、それだけではない。受付の奥では見慣れない服装の男たちが何人か出入りしており、そのうち二人は冒険者ではなく、役人らしい揃いの外套を着ていた。
古代神殿の報告が、すでに町のギルドだけで処理できる範囲を超えたのだろう。
エリオが周囲を見ながら中へ入ると、先に来ていたフィーナが奥の壁際から手を上げた。
「こっち。もう始まるって」
セドリックたち四人は揃っていた。ミラとルークの姿はない。昨日の時点で、今日の聞き取りは神殿調査に参加した者だけで行うと説明されていたため、二人は別の依頼を受けに行ったらしい。
「王都からもう人が来たんですか?」
エリオが小声で尋ねると、フィーナは首を振った。
「この町に駐在してた調査官。王都への正式な報告はこれからよ。ただ、古代遺跡に未確認の稼働設備が見つかったから、通常の依頼報告とは別扱いになったみたい」
「面倒そう」
「ものすごく面倒」
フィーナは即答した。
隣でシリルが笑う。
「昨日からそれしか言ってないな」
「じゃあ代わりに書いてくれる?」
「嫌だ」
「ほら」
そんなやり取りをしている間に、受付の奥から職員が出てきた。
昨日も報告を受けていた年配の男で、その横には紺色の外套を着た細身の女性がいる。年齢は四十前後に見え、胸元には王国の調査局を示す銀色の徽章が付いていた。
「お待たせしました。こちらへお願いします」
一行は奥の会議室へ案内された。
大きな机の上には、昨日フィーナたちが提出した写しや、神殿周辺の簡単な地図がすでに並べられている。
紺色の外套の女性は全員が席についたのを確認すると、自分から名乗った。
「王立遺構調査局、地方監査官のイレーナ・フォルスです。今回の報告について、追加でいくつか確認させてください」
硬い口調ではあったが、威圧的ではなかった。
エリオは少しだけ緊張した。
冒険者ギルドへの報告ならこれまでにも経験がある。しかし、王国の調査官を相手にするのは初めてだった。
イレーナは最初にセドリックへ視線を向けた。
「まず確認します。今回の依頼内容は、古代神殿内部で聞こえるという人声の調査。依頼受諾時点では、地下施設の存在は未確認だった」
「はい」
「隠し階段を発見したのは?」
「エリオです」
セドリックが迷わず答えたため、イレーナの視線がこちらへ移る。
「エリオ・アルディス。Dランク冒険者。《残響記録》という恩恵を持つ、と」
「はい」
「報告書には、壁の奥から聞こえた音を特定し、記録されていた古語を再現することで入口が開いたとあります」
「その通りです」
「古語を理解できる?」
「いいえ。聞いた音をそのまま再生しただけです」
イレーナは一瞬だけ手元の紙へ目を落とした。
「どの程度正確に?」
この質問は、これまで何度もされた。
「ほぼ同じ音を再現できます。声だけじゃなくて、鐘や動物の声でも」
「声質も?」
「はい」
「本人と区別できない程度に?」
「聞く人によると思います。でも、僕が再生するときに自分の声へ変わったりはしません」
イレーナは何かを書き留める。
質問は淡々としていたが、エリオは少し気になった。
神殿の構造より、自分の能力について確認されている時間が長い。
「その恩恵で再現した音だけが、いわゆる無音区画の内部でも他者へ届いた」
「はい」
「通常の発声は届かない」
「セドリックの声も、足音も聞こえませんでした」
「魔術による音は試した?」
フィーナが答える。
「試していません。未知の術式内だったので、余計な干渉は避けました」
「適切な判断です」
イレーナは短く頷き、次の資料へ移った。
「六番目の区画では、エリオ自身の記録した音が装置から再生された」
エリオは少し身構えた。
昨日、セドリックたちと相談して決めた通り、前世については報告していない。
神殿が「本人にしか分からない記憶の音」を再生した、とだけ記録されている。
「父親、母親、同行経験のある冒険者の声。いずれもエリオ本人が過去に聞いたものだと確認できる?」
「はい」
「その中に、本人が聞いた記憶のない音も含まれていた」
「少女の声だけは」
「同じ少女が神殿の複数箇所で確認されている」
「はい」
イレーナはそこで初めてペンを止めた。
「その少女について、何か心当たりは?」
エリオは一瞬だけ迷った。
嘘をつく必要はない。
ただし、すべてを話す必要もない。
「以前にも、似た声を聞いたことがあります」
セドリックがこちらを見たが、口を挟まなかった。
「いつ?」
「かなり昔です」
「場所は?」
「説明が難しいです」
イレーナはエリオの顔をしばらく見た。
追及されるかと思ったが、意外にもそれ以上は聞かなかった。
「個人的な事情に関わる?」
「はい」
「現時点で、遺跡の危険性判断に必要な情報だと思う?」
エリオは考えた。
前世から少女の声を聞いていたという事実は、遺跡との関係を考えるうえでは重要だ。
ただ、それが直ちに危険性へつながるかと聞かれると、分からない。
「まだ判断できません」
「なら、今回は保留で構いません。ただし、今後関連が明確になった場合は報告してください」
「分かりました」
エリオは少し意外に思った。
もっと強く聞かれると思っていた。
調査官という立場だからこそ、確証のない個人的な情報を無理に記録しないのかもしれない。
◇
聞き取りは、その後もかなり長く続いた。
地下の八つの扉。
黒い円盤。
大量の音が保存された保管庫。
植物区画。
空気循環設備。
無音区画。
六番目の部屋にあった巨大な円盤。
そして、さらに下層が存在する可能性。
イレーナはフィーナの写した図を何度も確認しながら、一つずつ質問していった。
「残る二つの扉は未開放」
「はい」
「下層への入口も未確認」
「その通りです」
「にもかかわらず、下から現代語と思われる『七つ』という声を聞いた」
エリオが頷く。
「僕だけですけど」
「《残響記録》には残っている?」
「はい」
「ここで再生できますか?」
部屋の空気が少し変わった。
エリオはすぐに答えなかった。
意味の分からない音を不用意に再生しない。
それは神殿で学んだことだ。
「この場所でやって安全か分かりません」
イレーナは少しだけ眉を上げた。
「音声を再生するだけでも?」
「神殿では、音で扉が開いたり装置が動いたりしました。ここに同じ仕組みがあるとは思わないけど、意味が分からないものは鳴らさない方がいいと思います」
数秒の沈黙があった。
イレーナはやがて頷いた。
「分かりました。再生は不要です」
その反応に、エリオは少し安心した。
以前なら、「聞かせて」と言われればそのまま再生していたかもしれない。
黒牙狼の件から始まり、今回の神殿で何度も同じ教訓を得た。
聞けることと、鳴らしていいことは違う。
「判断できるようになったな」
隣でセドリックが小さく言った。
「何ですか?」
「いや」
エリオは少しだけ気になったが、イレーナが次の質問へ進んだため、それ以上は聞かなかった。
◇
すべての確認が終わったのは、昼をかなり過ぎてからだった。
イレーナは資料をまとめると、最後に全員へ向けて今後の方針を説明した。
「神殿については、本日中に王都へ優先報告を送ります。現時点では内部への一般立ち入りを禁止し、入口周辺をギルド管理下に置きます」
「再調査はいつになります?」
フィーナがすぐに尋ねた。
「王都側の判断次第です。古代術式に詳しい研究員を派遣する可能性が高いでしょう。ただし、到着まで少なくとも数日はかかります」
「数日か」
フィーナは明らかに残念そうだった。
イレーナは続ける。
「また、再調査を行う場合、今回の調査隊と同じ人員で継続できるとは限りません」
エリオは顔を上げた。
「僕たちは行けない可能性がある?」
「あります。危険度の再設定によっては、参加可能な冒険者ランクが引き上げられるためです」
言われてみれば当然だった。
今回の依頼は、もともと「神殿で聞こえる声の調査」でしかない。
地下にこれほど大規模な古代施設があると分かった以上、依頼の等級そのものが変わる可能性がある。
エリオはDランクだ。
セドリックたちがBランクであっても、自分だけ条件から外れることはあり得る。
「でも、エリオがいないと扉を開けられない可能性があるわ」
フィーナが言った。
「それも報告します」
「可能性じゃなくて、今のところ実際にこの子しか開けてないのよ」
「分かっています」
イレーナは落ち着いて答えた。
「だからこそ、通常のランク基準とは別に判断される可能性もあります。ただ、私の権限で今ここで許可することはできません」
エリオは何も言わなかった。
行けないかもしれない。
そのことは思った以上に残念だった。
まだ二つの扉が残っている。
下層もある。
少女の声についても、何一つ答えが出ていない。
それでも、王国が管理する遺跡になった以上、自分の興味だけで入ることはできない。
「勝手に行ったら怒られますよね」
つい口にすると、イレーナが初めて少しだけ表情を崩した。
「怒られるだけで済めばいいですね」
「行かないです」
「そうしてください」
隣でシリルが声を殺して笑っていた。
◇
聞き取りが終わったあと、五人はギルドの食堂へ移動した。
朝からほとんど何も食べていなかったため、エリオは出されたパンと煮込みをいつもより早いペースで食べていた。
フィーナは食事をしながらも資料の話を続けている。
「王都の研究員が来たら絶対あの透明板見せてもらわないと。あと筒の材質も調べたいし、古語の照合も――」
「今は食え」
セドリックが止める。
「食べてるわよ」
「全然進んでない」
「頭使ってると食欲なくなるの」
「昨日は普通に食ってたじゃねえか」
シリルの指摘に、フィーナが黙った。
エリオはそのやり取りを聞きながら、昨日セドリックから誘われた次の依頼を思い出した。
「旧道の話は?」
「今から正式に受ける」
セドリックが答えた。
「ギルド側も許可した。神殿の追加調査が始まるまで待機していても仕方がないからな」
「今日出る?」
「さすがに明日の朝だ」
エリオは少し安心した。
昨日町へ戻ったばかりで、今日の朝から聞き取りを続けている。すぐに出発となれば準備する時間がほとんどない。
「場所は?」
セドリックが地図を取り出した。
町から北西へ二日ほど進んだ山間に、小さな村がある。
「リュネ村。人口は二百人程度。山を越える旧街道沿いに作られた村だが、十年ほど前に新しい道ができてから旧道はほとんど使われていない」
「そこで荷馬車の音?」
「ああ。始まったのは一か月ほど前。夜になると、旧道の山側から荷馬車が走ってくる音がするらしい」
「見た人は?」
「いない」
エリオは手を止めた。
「音だけ?」
「村人が何人も確認している。車輪、馬の蹄、荷台が揺れる音。旧道を村へ向かって下りてくる。ただし、音が村の手前まで来ると消える」
「毎日?」
「不定期。三日に一度のこともあれば、二晩続くこともある」
「時間は?」
「深夜が多いが、一定ではない」
エリオは地図を見ながら考えた。
自然現象なら、何かが荷馬車の音に似て聞こえている可能性がある。
風。
川。
木の揺れ。
山では離れた場所の音が地形によって予想外の方向から聞こえることもある。
だが、複数の人間が車輪と馬の蹄まで区別できるほど明瞭に聞いているなら、それだけでは説明しにくい。
「前に調査した冒険者は?」
「二組。どちらも旧道を調べたが痕跡なし。夜も見張ったが、その日は音がしなかった」
「危険は?」
「今のところ被害はない。ただし、村人が怖がって夜に外へ出なくなってる」
「なるほど」
エリオは地図へ視線を落としたまま、旧道の周辺地形を確認した。
「行ってみないと分からないな」
「そのために行くんだ」
セドリックが笑った。
◇
食事を終えたあと、エリオは一度宿へ戻り、次の依頼に必要な荷物を確認することにした。
ギルドを出るところで、セドリックが後ろから呼び止める。
「エリオ」
「はい?」
「一つ聞いておきたい」
少し離れた場所で、フィーナたちはまだギルド職員と話している。
セドリックは周囲に人がいないことを確認してから続けた。
「今回の依頼が終わったあとも、しばらく俺たちと組む気はあるか?」
エリオはすぐには答えられなかった。
昨日は一つの依頼として誘われた。
今の聞き方は少し違う。
「神殿のため?」
「それもある。追加調査が決まったとき、お前が必要になる可能性は高い」
「じゃあ、それまで?」
「いや」
セドリックは首を振った。
「神殿とは関係なく、お前の能力はうちと相性がいいと思ってる」
エリオは思わず彼を見る。
これまでにも役に立つとは言われた。
ミラとルークからも何度も評価された。
しかし、勇者候補として認定されているセドリックから、正式に近い形でそう言われるとは思っていなかった。
「もちろん、ミラたちのパーティに所属してることは分かってる。今すぐ移れって話でもない」
「じゃあ?」
「しばらく同行してみないか、というだけだ。俺たちも、お前も、お互いに合うかどうか分からないからな」
それは意外なほど慎重な誘いだった。
もっと単純に、「必要だから来てくれ」と言われるのかと思っていた。
「僕、戦闘ではほとんど何もできないですよ」
「知ってる」
「すごくはっきり言いますね」
「見たからな」
エリオは少し傷ついたふりをしたが、否定できない。
「でも、戦闘で剣を振ることだけがパーティの役割じゃない」
セドリックの声は変わらなかった。
「敵を先に見つける。数を把握する。地形の異常を察知する。罠や崩落の兆候を聞く。俺たちが見落としたものを、お前は何度も見つけた」
エリオは黙って聞いた。
「神殿でもそうだった。お前がいなければ、地下の入口すら見つからなかったかもしれない」
「でも、それは《残響記録》があったからで」
「恩恵も含めてお前だろ」
言われて、エリオは一瞬言葉を失った。
教会で《残響記録》を外れだと言われたとき。
それは戦えないからだった。
直接敵を倒せない。
人を治せない。
物を生み出せない。
だから役に立たない。
そんな評価を、どこかで自分自身も受け入れていたのかもしれない。
便利ではある。
でも、強くはない。
そう思っていた。
「返事は今じゃなくていい」
セドリックが言った。
「ミラとルークとも話せ。次の依頼を一緒にやって、それから決めればいい」
「……分かりました」
「明日の朝、東門に集合だ」
セドリックはそれだけ言って、ギルドへ戻っていった。
エリオはしばらくその場に残った。
勇者候補のパーティ。
自分とは縁のない場所だと思っていた。
Fランクで冒険者になった頃なら、同行することすら想像しなかっただろう。
それが今。
しばらく一緒に組まないかと誘われている。
嬉しくないはずがない。
同時に。
昨日ミラが言った言葉も思い出す。
『別に追い出してないから』
自分には、すでに帰る場所がある。
そのうえで、新しい場所へ行くことはできるのだろうか。
エリオにはまだ分からなかった。
ただ、明日からの依頼で確かめる時間はある。
セドリックが言ったように、お互いに合うかどうかもまだ分からない。
だから今は、先のことを決める必要はない。
エリオはそう考えながら宿へ向かった。
その途中でも、町にはさまざまな音が溢れていた。
店先で交わされる声。
荷車の車輪。
鍛冶場から響く金属音。
遠くの教会の鐘。
明日向かう村では、誰もいない道から荷馬車の音が聞こえるという。
それが何なのかは、まだ知らない。
けれど。
今のエリオにとって、知らない音を追うことは、以前とは少し違う意味を持ち始めていた。
ただ面白いから聞くのではなく。
その音が誰かを困らせているなら、何なのかを確かめる。
聞こえる自分にできることがあるのなら、それを使う。
《残響記録》は、まだ何も失われた古代魔術だけのためにあると決まったわけではない。
今ここにある音にも。
今ここで生きている人間にも。
使える。
エリオはそれを忘れないようにしながら、明日の支度を始めた。




