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第29話 白菊の依頼状『白菊は、数えるほどでいい』

 ◆◆◆

 白菊は、数えるほどでいい。

 ◆◆◆


 その使いは、夕刻に来た。

 上等の羽織に、上等の物腰。名は名乗らず、口上は短く、三つの品を上がり框に置いていった。呼び止める隙のない、稽古された背中で帰っていった。

 白菊が、三本。

 依頼状が、一通。

 前金の包みが、ひとつ。

 白菊は、行灯の下で、造花のように整いすぎていた。茎の長さまで揃えてある。数は、数えるほど。けれど一本で、抱えの菊がいくつも買える育ちの花だ。

 どこかで見た、花の買い方だった。思い出したくない、見覚えだった。

 焼け跡の祭壇に、手ずから供えられた三本の白菊。あの、灰ひとつ付かない羽織の紳士。

 依頼状を開く。

 達筆だった。達筆すぎて、人の手癖が消えている。

『亡き弟の冥婚を、貴女様に。弟は生前、宮内省に相勤め、鷹尾直継様と同じ掛に奉職。独り身にて没し、思い残すことこれあるやに存じ候』

 直継様の、名前があった。

 祝言の場所は、川向こうの寺。日取りは、五日後の夜。

 そして最後の一行に、こうあった。

『花嫁の実印ならびに生年月日、当日御持参のこと』

 前金の包みを検めた。うちの通り値の、十倍あった。

 十倍は、もう銭ではない。

 餌である。それも、こちらの食いつく値打ちまで、検算済みの餌だ。


「見事なものだ」

 立会人は、依頼状と白菊と包みを長いこと検めて、それから、感心と憎悪を等分に混ぜた声で言った。

「三つ、符合する」

「三つ?」

「一つ。この寺は霜会の息がかかっている。住職の代替わりに、爵位局の口利きが入った寺だ。調べの綴りに載っている」

 彼は手帳の間から、小さな地図を出して見せた。霜会の息のかかった寺は、帝都の外周に飛び石のように散っている。石の並びは、もう長いこと変わっていないという。

「二つ。この銭だ。桁を知らん素人か、桁で人を釣り慣れた玄人か。——この筆の主は、素人ではない」

「三つ」

 今度は、私が引き取った。

「焼け跡で、同じ花を見ました。数えるほどの、誂えたように上等な白菊。……あの方の癖です。人間、金の使い方にだけは、癖が出ますから」

 白菊は、数えるほどでいい。

 あの柔らかい声が、そういう花の買い方をするのだ。弔いの数ではなく、格で花を選ぶ人。

「冥婚の依頼状に見せた、呼び出し状だ」

「ええ。分かっています」

 分かっていた。私にも、算盤はある。

 役所の綴りに名を書いて、ひと月足らずでこれが来た。金脈の名義の戸籍に、娘の名前が触れた——その返事が、この白菊だ。

 それにもうひとつ。最後の一行だ。

 花嫁の実印と、生年月日。

 うちの契約書が頂くのは、印影と生年月日。紙の写しで足りる決まりごとで、筋は本家しか知らない。それをこの依頼状は、初めから知っている。

 しかも写しではなく、判そのものを当日持って来い、という。判をもう一度呼ぶのは、突き合わせるためだ。彫らせた判と、本物の判と。何と何を突き合わせる気なのかまでは、この紙は言わない。

 差出人は、うちの内側の紙を読める場所にいる。読めた上で、検めたいものが、まだあるのだ。

「手口も、読める」と立会人は言った。「寺に呼んで、祝言をさせて、帰さない。骸は出さん。届も出させん。あとは怪談が始末をつける。——死者に連れられて、帰らなかった花嫁の怪談が」

 帰らなかった花嫁。

 母のときに、一度使われた筋書きだ。

 母は、たぶん、こういう紙で呼ばれたのだ。上等な花と、破格の銭と、断りにくい口実を揃えられて。本家の座敷で支度をして、本家の俥で出て、それきり。

 同じ筋書きが、今度は娘の番だと言っている。


「行かせてください」

 言葉は、思ったより静かに出た。

「正気か」

「罠だと分かっています。分かっていて申し上げています。罠というのは、獲物の欲しがるものを知っている口です。この口は、直継様の名前で私を釣ろうとした。つまりこの口の奥は、兄君の真相に繋がっています」

「銀子」

「それに」

 これは、言うつもりのなかった分だ。口が勝手に動いた。

「母は、この口の中に入って、帰りませんでした。私はあの人がどこで消えたのか、いまだに知らないままです。骨も、報せも、ないままです。この口の中を見れば、それが分かるかもしれない」

 立会人は、何も言わなかった。

 湯呑みを置く手が、こと、と音を立てた。この人の手が茶器で音を立てるのを、私は初めて聞いた。

「……三日、待て」

 絞るような声だった。

「寺の裏を取る。それまで返事を出すな。約束しろ」

「三日ですね。承ります」

 商売の返事をして、私は依頼状を文箱に仕舞った。承ります、は便利な言葉だ。行きます、とも、行きません、とも言っていない。


 立会人が帰ったあと、奥の間から祖母が出てきた。聞いていたらしい。

「……行くのかい」

「三日、考えます」

「そうかい」

 祖母は火鉢の前に座って、長いこと灰を均していた。均し終えてから、灰の面に火箸で、すっと一本、線を引いた。

「汐のときはね。あたしは、黙って見送ったんだ」

 初めて聞く話だった。

「上等な花が来て、破格の銭が来て、本家の指図が来た。嫌な勘定だと思ったよ。思ったのに、掟だの家の格だのの帳面に付けて、あたしは口を噤んだ。……見送った俥の鈴の音を、まだ覚えてる」

 火箸の先が、灰の線を、ゆっくり消した。

「二度は、御免だよ」

「お祖母ちゃん」

「行くなとは言わないよ。うちの女は、止めても行く。汐もそうだった。……ただ、行くなら独りで行くんじゃない。それだけだ」

「約束します。独りでは、行きません」

「なら、いい」

 祖母はそれきり、繕い物に戻った。俥の鈴の音を覚えている、という言い方だけが、胸に刺さったまま抜けなかった。あの日からずっと、この人は自分だけの帳面に、その音を付け続けてきたのだ。

 白菊は、仏間に供えた。花に罪はない。罪はないが、行灯を消したあとも、闇の中で白いところだけが、いつまでも浮いて見えた。

 母も、この白を見ただろう。

 三本を数え、銭の重さを量り、嫌な勘定だと気づいた。それでも俥へ乗った。

 あの日の母が何を守ろうとしたのか、私はまだ知らない。


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