第29話 白菊の依頼状『白菊は、数えるほどでいい』
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白菊は、数えるほどでいい。
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その使いは、夕刻に来た。
上等の羽織に、上等の物腰。名は名乗らず、口上は短く、三つの品を上がり框に置いていった。呼び止める隙のない、稽古された背中で帰っていった。
白菊が、三本。
依頼状が、一通。
前金の包みが、ひとつ。
白菊は、行灯の下で、造花のように整いすぎていた。茎の長さまで揃えてある。数は、数えるほど。けれど一本で、抱えの菊がいくつも買える育ちの花だ。
どこかで見た、花の買い方だった。思い出したくない、見覚えだった。
焼け跡の祭壇に、手ずから供えられた三本の白菊。あの、灰ひとつ付かない羽織の紳士。
依頼状を開く。
達筆だった。達筆すぎて、人の手癖が消えている。
『亡き弟の冥婚を、貴女様に。弟は生前、宮内省に相勤め、鷹尾直継様と同じ掛に奉職。独り身にて没し、思い残すことこれあるやに存じ候』
直継様の、名前があった。
祝言の場所は、川向こうの寺。日取りは、五日後の夜。
そして最後の一行に、こうあった。
『花嫁の実印ならびに生年月日、当日御持参のこと』
前金の包みを検めた。うちの通り値の、十倍あった。
十倍は、もう銭ではない。
餌である。それも、こちらの食いつく値打ちまで、検算済みの餌だ。
「見事なものだ」
立会人は、依頼状と白菊と包みを長いこと検めて、それから、感心と憎悪を等分に混ぜた声で言った。
「三つ、符合する」
「三つ?」
「一つ。この寺は霜会の息がかかっている。住職の代替わりに、爵位局の口利きが入った寺だ。調べの綴りに載っている」
彼は手帳の間から、小さな地図を出して見せた。霜会の息のかかった寺は、帝都の外周に飛び石のように散っている。石の並びは、もう長いこと変わっていないという。
「二つ。この銭だ。桁を知らん素人か、桁で人を釣り慣れた玄人か。——この筆の主は、素人ではない」
「三つ」
今度は、私が引き取った。
「焼け跡で、同じ花を見ました。数えるほどの、誂えたように上等な白菊。……あの方の癖です。人間、金の使い方にだけは、癖が出ますから」
白菊は、数えるほどでいい。
あの柔らかい声が、そういう花の買い方をするのだ。弔いの数ではなく、格で花を選ぶ人。
「冥婚の依頼状に見せた、呼び出し状だ」
「ええ。分かっています」
分かっていた。私にも、算盤はある。
役所の綴りに名を書いて、ひと月足らずでこれが来た。金脈の名義の戸籍に、娘の名前が触れた——その返事が、この白菊だ。
それにもうひとつ。最後の一行だ。
花嫁の実印と、生年月日。
うちの契約書が頂くのは、印影と生年月日。紙の写しで足りる決まりごとで、筋は本家しか知らない。それをこの依頼状は、初めから知っている。
しかも写しではなく、判そのものを当日持って来い、という。判をもう一度呼ぶのは、突き合わせるためだ。彫らせた判と、本物の判と。何と何を突き合わせる気なのかまでは、この紙は言わない。
差出人は、うちの内側の紙を読める場所にいる。読めた上で、検めたいものが、まだあるのだ。
「手口も、読める」と立会人は言った。「寺に呼んで、祝言をさせて、帰さない。骸は出さん。届も出させん。あとは怪談が始末をつける。——死者に連れられて、帰らなかった花嫁の怪談が」
帰らなかった花嫁。
母のときに、一度使われた筋書きだ。
母は、たぶん、こういう紙で呼ばれたのだ。上等な花と、破格の銭と、断りにくい口実を揃えられて。本家の座敷で支度をして、本家の俥で出て、それきり。
同じ筋書きが、今度は娘の番だと言っている。
「行かせてください」
言葉は、思ったより静かに出た。
「正気か」
「罠だと分かっています。分かっていて申し上げています。罠というのは、獲物の欲しがるものを知っている口です。この口は、直継様の名前で私を釣ろうとした。つまりこの口の奥は、兄君の真相に繋がっています」
「銀子」
「それに」
これは、言うつもりのなかった分だ。口が勝手に動いた。
「母は、この口の中に入って、帰りませんでした。私はあの人がどこで消えたのか、いまだに知らないままです。骨も、報せも、ないままです。この口の中を見れば、それが分かるかもしれない」
立会人は、何も言わなかった。
湯呑みを置く手が、こと、と音を立てた。この人の手が茶器で音を立てるのを、私は初めて聞いた。
「……三日、待て」
絞るような声だった。
「寺の裏を取る。それまで返事を出すな。約束しろ」
「三日ですね。承ります」
商売の返事をして、私は依頼状を文箱に仕舞った。承ります、は便利な言葉だ。行きます、とも、行きません、とも言っていない。
立会人が帰ったあと、奥の間から祖母が出てきた。聞いていたらしい。
「……行くのかい」
「三日、考えます」
「そうかい」
祖母は火鉢の前に座って、長いこと灰を均していた。均し終えてから、灰の面に火箸で、すっと一本、線を引いた。
「汐のときはね。あたしは、黙って見送ったんだ」
初めて聞く話だった。
「上等な花が来て、破格の銭が来て、本家の指図が来た。嫌な勘定だと思ったよ。思ったのに、掟だの家の格だのの帳面に付けて、あたしは口を噤んだ。……見送った俥の鈴の音を、まだ覚えてる」
火箸の先が、灰の線を、ゆっくり消した。
「二度は、御免だよ」
「お祖母ちゃん」
「行くなとは言わないよ。うちの女は、止めても行く。汐もそうだった。……ただ、行くなら独りで行くんじゃない。それだけだ」
「約束します。独りでは、行きません」
「なら、いい」
祖母はそれきり、繕い物に戻った。俥の鈴の音を覚えている、という言い方だけが、胸に刺さったまま抜けなかった。あの日からずっと、この人は自分だけの帳面に、その音を付け続けてきたのだ。
白菊は、仏間に供えた。花に罪はない。罪はないが、行灯を消したあとも、闇の中で白いところだけが、いつまでも浮いて見えた。
母も、この白を見ただろう。
三本を数え、銭の重さを量り、嫌な勘定だと気づいた。それでも俥へ乗った。
あの日の母が何を守ろうとしたのか、私はまだ知らない。




