第2話 求婚帳簿の一冊目『俺の妻を、さがしてくれ』
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『俺の妻を、さがしてくれ』
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「……お客様。今、娶ると仰いました?」
「言った。二度は言わん。事実を言ったまでだ、返事は要らん」
返事は要らん、だそうだ。要らないのは、こちらの台詞である。
私は綿帽子の内で三つ数え、商売の顔を作り直した。こういうときのために、口上がある。
祖母直伝、断りの口上。仕込まれたのは十二の年だ。使うのは、今夜が初めてである。まさか初回を侯爵家の座敷で下ろすことになるとは。
「お客様。求婚は承っておりません」
「ほう」
「冥婚は、生涯独身の女の商いですので。——ご用命は、死人の分だけどうぞ」
うちの家の掟だ。冥婚の家の女が生者に恋をすれば、早死にする。笑い話に聞こえるだろうが、実際に破った女の話も、家には伝わっているという。祖母は、その先を語りたがらない。だから宵坂の女は、死者とだけ祝言を挙げる。
本当かどうかは知らない。掟に、本当も嘘もない。そういう顔をして、ただそこにあるだけだ。
軍服の男——鷹尾暁人様は、私の口上を最後まで聞き、それから一礼した。
「承知した。今夜のところは」
今夜のところは、が余計である。
夜が明けるまでが、花嫁の勤めだ。
死者の傍らで過ごす一夜は長い。けれどこの夜は、襖の際の軍服が身じろぎもせずに座り続けていたから、長さの種類が違った。
依頼人というのは、金を払うと寝るものだ。別間に床を延べさせ、朝に首尾だけ聞く。
この人は座っていた。そして蝋燭が一本尽きるたび、奉公人を呼ばずに立ち、祝言のときと同じ手つきで火を継いだ。軍服が燭台の世話を焼く図は妙なものだが、おかげで広間の灯は、朝まで一度も絶えなかった。
兄君の枕元が暗くならないように、だろう。訊いてはいないが、たぶんそうだ。
夜明け。勤めを終えた私に、女中が縁側で茶を出してくれた。
吐く息が白い。庭の飛石に、今年最初の霜が下りている。湯呑みの湯気だけが、景色の中で動いている。
湯呑みがふたつ。
「お客様の分まで、私が頂くわけには」
「俺の指図だ。飲め。それで、報告を聞く」
言ってから、彼は庭へ目をやって、少しだけ黙った。
「……兄への報告は、いつも朝だった。夜のうちに考えて、朝に持って来い、と言う人だった」
湿り気のある言葉は、それきりである。あとはもう、依頼人の顔に戻っていた。
そういうことになった。祝言明けの縁側で、湯気ごしに依頼の話をする。のちのち「夜明けの茶」と呼ぶことになる習いは、この朝に始まった。
「妻、の当てはございますか」
「ない」
言い切ってから、暁人様は懐から書類を出した。
「——と言いたいところだが」
戸籍の抄本だ。兄君の欄。
その、妻の項。
『婚姻ノ記載アリ。詳細ハ爵位局ニ照会中』
「……記載、あり?」
「役所の写しはこの一行きりだ。華族の身分の記録は、宮内省爵位局が握っている。照会は三度出した。三度とも『審査中』で返ってきた」
断って、抄本を検めさせて頂いた。紙を検めるのは商売の癖だ。証文も約定も、まず判と日付から読む。
判は役所のもの。写しの日付は、兄君が亡くなった後。綴じの傷みもない。紙そのものは、真っ当だった。
真っ当な紙が、一番おかしなことを言っている。
「お待ちになれば」
「兄が死んで、十日になる」
湯呑みの中で、茶柱がゆっくり沈んだ。
紙が、ある。あるのに、読めない。壁の向こうで、誰かが紙を握って離さない。そういう据わりの悪さだった。
頭の中の算盤に置いてみる。記載がある以上、誰かが届を出した。けれど兄君は、独身で通っていた。なら、紙と暮らしの、どちらかが嘘だ。
紙の側は、いま塞がれている。検められるのは、暮らしの側だけ。
「正面の紙が塞がれているなら」私は湯呑みを置いた。「届の出ていないお相手、という筋もございます。言い交わしただけの、想い人」
「兄に限って、と言いたいが……兄に限って、はもう一度崩れている」
妻がいないはずの兄に、妻の記載があった。ならば想い人がいないはずの兄に、想い人がいてもおかしくない。
「紙に残らない縁は、人が覚えているものでございます。奉公人、学友、出入りの店。聞いて回るのは骨ですが」
「その筋で、調べる。お前は引き続き冥婚の勤めに出ろ」
「は?」
「近頃、帝都で似た死に方が続いている。心臓の病で、急に。兄と、同じにだ」
暁人様は茶を飲み干し、立ち上がった。
「俺は連続する不審死の筋で動く。宵坂銀子、お前の祝言には今後、俺が立ち会う。死者の家は軍人の来訪を嫌うが、冥婚の立会人なら座敷に上がれる」
「あの、それはつまり」
「お前の商いの傍らに、俺が座るということだ。無論、立会料は払う」
理屈は通っている。軍服で弔問に来られれば家中が身構えるが、白無垢の隣の立会人なら、座敷の景色に紛れる。紛れるかどうかは、この目つき次第だと思うが。
払う、と言われると弱い。うちは貧乏な分家である。
試しに、相場より高めの立会料を言ってみた。暁人様は、瞬きもせず頷いた。
……もう一声、乗せておけばよかった。
「承ります。お仕事の分は」
「よし。では付けておけ」
「何をです?」
「本日の求婚、一件。返答は保留、と」
「却下です」
私は懐から手控えを出し、その場で書いてみせた。求婚、一件。却下。
暁人様は覗き込み、満足そうに頷いた。
「几帳面な女は、嫌いじゃない」
「褒めても値引きは致しません」
立ち去りぎわ、軍刀の鞘が小さく鳴った。
彼はそのまま玄関へは向かわず、広間へ戻って、兄君の枕元に膝を折った。昨夜と同じ、武人の礼だった。悔やみはいい、と言った人が、礼だけは欠かさない。
ああいうのは、幾らにも換算できない。
換算できないものを見ると、落ち着かない。商売人の性である。
帰り道、ひとりになってから、手控えを開き直した。
求婚帳簿、一冊目。記帳、一件。
破って捨てればいいものを、なぜだかそのまま、懐に仕舞った。
死人の花嫁の商いに、生きた客がついた。




