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第2話 求婚帳簿の一冊目『俺の妻を、さがしてくれ』

 ◆◆◆

 『俺の妻を、さがしてくれ』

 ◆◆◆


「……お客様。今、娶ると仰いました?」

「言った。二度は言わん。事実を言ったまでだ、返事は要らん」

 返事は要らん、だそうだ。要らないのは、こちらの台詞である。

 私は綿帽子の内で三つ数え、商売の顔を作り直した。こういうときのために、口上がある。

 祖母直伝、断りの口上。仕込まれたのは十二の年だ。使うのは、今夜が初めてである。まさか初回を侯爵家の座敷で下ろすことになるとは。

「お客様。求婚は承っておりません」

「ほう」

「冥婚は、生涯独身の女の商いですので。——ご用命は、死人の分だけどうぞ」

 うちの家の掟だ。冥婚の家の女が生者に恋をすれば、早死にする。笑い話に聞こえるだろうが、実際に破った女の話も、家には伝わっているという。祖母は、その先を語りたがらない。だから宵坂の女は、死者とだけ祝言を挙げる。

 本当かどうかは知らない。掟に、本当も嘘もない。そういう顔をして、ただそこにあるだけだ。

 軍服の男——鷹尾暁人様は、私の口上を最後まで聞き、それから一礼した。

「承知した。今夜のところは」

 今夜のところは、が余計である。


 夜が明けるまでが、花嫁の勤めだ。

 死者の傍らで過ごす一夜は長い。けれどこの夜は、襖の際の軍服が身じろぎもせずに座り続けていたから、長さの種類が違った。

 依頼人というのは、金を払うと寝るものだ。別間に床を延べさせ、朝に首尾だけ聞く。

 この人は座っていた。そして蝋燭が一本尽きるたび、奉公人を呼ばずに立ち、祝言のときと同じ手つきで火を継いだ。軍服が燭台の世話を焼く図は妙なものだが、おかげで広間の灯は、朝まで一度も絶えなかった。

 兄君の枕元が暗くならないように、だろう。訊いてはいないが、たぶんそうだ。


 夜明け。勤めを終えた私に、女中が縁側で茶を出してくれた。

 吐く息が白い。庭の飛石に、今年最初の霜が下りている。湯呑みの湯気だけが、景色の中で動いている。

 湯呑みがふたつ。

「お客様の分まで、私が頂くわけには」

「俺の指図だ。飲め。それで、報告を聞く」

 言ってから、彼は庭へ目をやって、少しだけ黙った。

「……兄への報告は、いつも朝だった。夜のうちに考えて、朝に持って来い、と言う人だった」

 湿り気のある言葉は、それきりである。あとはもう、依頼人の顔に戻っていた。

 そういうことになった。祝言明けの縁側で、湯気ごしに依頼の話をする。のちのち「夜明けの茶」と呼ぶことになる習いは、この朝に始まった。


「妻、の当てはございますか」

「ない」

 言い切ってから、暁人様は懐から書類を出した。

「——と言いたいところだが」

 戸籍の抄本だ。兄君の欄。

 その、妻の項。

『婚姻ノ記載アリ。詳細ハ爵位局ニ照会中』

「……記載、あり?」

「役所の写しはこの一行きりだ。華族の身分の記録は、宮内省爵位局が握っている。照会は三度出した。三度とも『審査中』で返ってきた」

 断って、抄本を検めさせて頂いた。紙を検めるのは商売の癖だ。証文も約定も、まず判と日付から読む。

 判は役所のもの。写しの日付は、兄君が亡くなった後。綴じの傷みもない。紙そのものは、真っ当だった。

 真っ当な紙が、一番おかしなことを言っている。

「お待ちになれば」

「兄が死んで、十日になる」

 湯呑みの中で、茶柱がゆっくり沈んだ。

 紙が、ある。あるのに、読めない。壁の向こうで、誰かが紙を握って離さない。そういう据わりの悪さだった。

 頭の中の算盤に置いてみる。記載がある以上、誰かが届を出した。けれど兄君は、独身で通っていた。なら、紙と暮らしの、どちらかが嘘だ。

 紙の側は、いま塞がれている。検められるのは、暮らしの側だけ。

「正面の紙が塞がれているなら」私は湯呑みを置いた。「届の出ていないお相手、という筋もございます。言い交わしただけの、想い人」

「兄に限って、と言いたいが……兄に限って、はもう一度崩れている」

 妻がいないはずの兄に、妻の記載があった。ならば想い人がいないはずの兄に、想い人がいてもおかしくない。

「紙に残らない縁は、人が覚えているものでございます。奉公人、学友、出入りの店。聞いて回るのは骨ですが」

「その筋で、調べる。お前は引き続き冥婚の勤めに出ろ」

「は?」

「近頃、帝都で似た死に方が続いている。心臓の病で、急に。兄と、同じにだ」

 暁人様は茶を飲み干し、立ち上がった。

「俺は連続する不審死の筋で動く。宵坂銀子、お前の祝言には今後、俺が立ち会う。死者の家は軍人の来訪を嫌うが、冥婚の立会人なら座敷に上がれる」

「あの、それはつまり」

「お前の商いの傍らに、俺が座るということだ。無論、立会料は払う」

 理屈は通っている。軍服で弔問に来られれば家中が身構えるが、白無垢の隣の立会人なら、座敷の景色に紛れる。紛れるかどうかは、この目つき次第だと思うが。

 払う、と言われると弱い。うちは貧乏な分家である。

 試しに、相場より高めの立会料を言ってみた。暁人様は、瞬きもせず頷いた。

 ……もう一声、乗せておけばよかった。

「承ります。お仕事の分は」

「よし。では付けておけ」

「何をです?」

「本日の求婚、一件。返答は保留、と」

「却下です」

 私は懐から手控えを出し、その場で書いてみせた。求婚、一件。却下。

 暁人様は覗き込み、満足そうに頷いた。

「几帳面な女は、嫌いじゃない」

「褒めても値引きは致しません」

 立ち去りぎわ、軍刀の鞘が小さく鳴った。

 彼はそのまま玄関へは向かわず、広間へ戻って、兄君の枕元に膝を折った。昨夜と同じ、武人の礼だった。悔やみはいい、と言った人が、礼だけは欠かさない。

 ああいうのは、幾らにも換算できない。

 換算できないものを見ると、落ち着かない。商売人の性である。


 帰り道、ひとりになってから、手控えを開き直した。

 求婚帳簿、一冊目。記帳、一件。

 破って捨てればいいものを、なぜだかそのまま、懐に仕舞った。

 死人の花嫁の商いに、生きた客がついた。


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