第1話 死者には渡さん『■■の■を、■■してくれ』
【前書き】
本作に幽霊・怪異は出ません。超自然はただ一つ、花嫁の耳だけ。謎の正体は、すべて「人」です。
全42話・毎日更新・完結保証。本日は第10話まで一挙掲載します。
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今夜、私が嫁ぐ男は、もう死んでいる。
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『■■の■を、■■してくれ』
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冥婚、というものがある。
死んだ者に、生きた花嫁を一夜だけ娶らせる弔いである。
嫁ぐのは、絵に描いた花嫁でも人形でもない。生き身の娘だ。白無垢を着て、盃を交わし、夜明けまで死者の傍らに座る。それで死者の未練は祓われる。世間では、そういうことになっている。
生きた娘を死者に貸す家は、帝都広しといえど宵坂だけ。
私、宵坂銀子。十八。その「生きた娘」を商売にしている。
だから世間は私を、こう呼ぶ。
——死人の花嫁。
「鷹尾侯爵家から冥婚の依頼だ。銀子、お前が行け」
本家の座敷で、当主は私を見もせずに言った。長火鉢の向こうで、煙管の雁首だけがこちらを向いている。
「侯爵家なら、本家の姉様がたのお仕事では」
「先方は急いでおられる。格式は装束で足りる」
最上の白無垢さえ着せれば、中身は分家の娘で構わない、ということだ。
「……分家の娘なら、障りがあっても惜しくない」
障り、というのは死の穢れのことだ。つまりそういう扱いである。
言い返す筋はある。が、日当は弾むという。私は畳に手をついて「承ります」と言った。
銭は取りな、同情はおまけでいい。祖母の教えだ。腹が立つ日ほど、よく効く。
座敷を出るとき、廊下で従姉の志乃さんとすれ違った。本家の一人娘で、私より四つ上。もう何年も、笑った顔を見ていない。
「……死人の花嫁が、侯爵家の敷居を跨ぐの」
棘のある声。なのにその手が、一瞬、私の襟元へ伸びて——半衿の折れを直しかけて、止まった。
止めた手は、袖の中へ戻った。
なんだったのだろう。考えるだけ日当にならないので、考えないことにした。
鷹尾侯爵邸は、灯りより先に沈黙が出迎える家だった。
車寄せから玄関まで、砂利を踏む音が咎めのように響く。白無垢を納めた柳行李を抱え直して、私は敷居を跨いだ。
大広間に金屏風。百目蝋燭が焔を並べ、その奥に、白い死装束の男が横たわっている。
亡くなったのは嫡男・鷹尾直継様、二十九。急な病、と家扶は言った。宮内省のお勤めで、それは真面目な方でした、と言うときだけ、老いた声が少し揺れた。
広間に、御当主夫妻のお姿はない。嫡男の死に当主様は臥せったきりで、奥方様が枕頭から離れないのだと、家扶は目を伏せて言い足した。
私は死者の枕元に膝をつき、死装束の襟を正した。左前の合わせが、ほんのわずか乱れていたからだ。湯灌のあとで誰かが触れて、直しきれなかったのだろう。奉公人たちが遠巻きにする。誰も死者に触りたがらないのは、侯爵家でも長屋でも同じだ。
「手慣れているな」
背後の声に振り向くと、軍服が立っていた。
短く刈った髪。飾りのない立ち姿。焔を映しても温度の変わらない目。年の頃は二十五、六に見えるのに、襟には佐官の雷紋、腰には軍刀。
「弟の暁人だ。今夜の依頼主は俺になる」
「宵坂銀子と申します。このたびは、お悔やみを」
「悔やみはいい」
悔やみはいい、ときた。
軍服の男は、懐から袱紗を出して畳に置いた。厚みが、相場の倍ある。
「兄は病死として処理された。だが俺は、殺されたと思っている」
広間の空気が固まった。家扶が「暁人様」と何か言いかけて、視線ひとつで黙らされる。
「冥婚の家の花嫁は、死者の最期のひと言を聞くそうだな。本当か」
「白無垢を着た一夜だけ。一言だけ。問い返しは、できません」
「充分だ。聞いて、意味を解け。それがこの金の分だ」
私は袱紗を開き、札の厚みを半分に分けて、片方を静かに押し返した。
「うちは、相場しか頂きません」
軍服の男は、返された金と私の顔を順に見た。それきり、何も言わなかった。
妙なお客だ、と思った。
この商売、客の目は二通りしかない。気味悪がるか、縋るかだ。この人はどちらでもない。真っ直ぐ「仕事」として買っている。買われる側としては、いっそ清々しい。
契約書を交わす。うちの契約書には、いつもの条項がある。花嫁の実印の印影と、生年月日を、先様に納めること。
「死人の婚礼に実印とは、お役所も無粋ねえ」
軽口を叩きながら判を捺す。本家経由の決まりごとで、理由を訊いたことはない。訊かずに捺す判子ほど、早く乾くものだ。
祝言は夜半に始まった。
白無垢に、綿帽子。式の間、夫以外に顔を見せないための被り物だ。夫はもう、誰の顔も見ないけれど。
三三九度。大中小の三つ重ねの盃で、三口ずつ、計九度。一つの盃に三口のところを、私が二口、死者の分は末期の水でひと口。銚子には雄蝶雌蝶の折り紙が結ばれ、蝋燭の火を映して、羽の先だけ橙に光る。
参列は家扶と奉公人が数名。それから広間の端、襖の際に、あの軍服がひとりで座っていた。
妙なお客は、目を逸らさない。値踏みでも好奇でもなく、歩哨みたいな目だった。
盃を置く。綿帽子の内側は、小さな夜だ。
私は死者の傍らに座り、耳を澄ます。
来る。
これは魔法でも祟りでもない、と私は思っている。宵坂の女に生まれた者の、ただの耳だ。祖母もそうだった。母も、そうだった。だから聞こえるのは一言きり。届くのは声だけで、姿も気配も、何もない。
『——俺の妻を、さがしてくれ』
……。
思わず、死者の顔を見た。
蝋燭の焔が揺れて、白い頬に影が動いた。それだけだ。死者は何も言い足さない。言い足さないのが、死者だ。
直継様は独身だ。婚約者すらいないと、家扶が言っていた。だから冥婚なのだ。妻がいるなら、そもそも私は呼ばれない。
妻。どこの。誰が。
綿帽子の内で凍っている私の前に、軍靴が止まった。
「聞いたな」
「……鷹尾様。あの、これは」
「顔に出ている。言え」
「『俺の妻を、さがしてくれ』と。それだけを」
軍服の男は、長いこと黙った。
百目蝋燭の一本が、音を立てて燃え尽きた。彼は黙ったまま立ち、奉公人を呼ばず、自分の手で新しい一本に火を継いだ。兄君の枕元の闇が、ひと呼吸ぶんだけ浅くなる。
それから彼は、死者に向かって膝を折り、深く一礼した。弔いの礼ではない。武人が、同輩に執る礼だった。
私に向き直る。
「依頼を追加する。兄の『妻』をさがせ。報酬は言い値だ」
「お受けする前に申し上げますが、亡くなった方に、妻は」
「いないはずだ。だから、さがす価値がある」
彼は袱紗の隣に、もう一枚、同じ厚みを置いた。それから、何でもないことのように言った。
「それと、もうひとつ」
「はい」
彼は、死者の顔ではなく、私の手を見ていた。
「お前はいずれ俺が娶る。——死者には渡さん」
……この人は今、何と言った?
【後書き】
この後、第10話まで一挙に続きます。明日からは毎朝七時に、一話ずつ。




