第14話 結び切りの包帯『その簪は、俺に挿すな』
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『その簪は、俺に挿すな』
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「兄貴分みたいな人でした」
依頼の客は、湯呑みに目を落としてそう言った。桶屋の慎吾さん。三十絡みの、静かな職人である。
弔うのは、幼馴染の柊銀次郎さん。小間物問屋・柊屋の若旦那で、二十八。流行り風邪をこじらせての急逝だという。男伊達で鳴らした、粋な人だったそうだ。
「柊屋は代替わりで揉めてまして、弔いがどうにも寂しくなりそうで。それに、あいつが独り身のまま逝ったのが、忍びなくて」
幼馴染が、身銭を切っての冥婚である。
金子は、真新しい半紙に角を揃えて包んであった。断って検めると、一文の欠けもない。むしろ、言い値より心持ち多い。
「棺も、手前が拵えたんです。桶屋ですから。あいつには、木口のいいのを使いました」
義理堅い話だ。
義理堅い話のわりに、慎吾さんは、位牌から目を逸らし続けていた。
祝言は柊屋の奥座敷で。店の者は代替わりの談判で出払い、参列は慎吾さんと、立会人の二人きり。
床の間には高砂の軸。尉と姥、連れ添うて白髪までの図だ。独り身のまま死んだ人に掛ける図ではないが、これから娶るのだから帳尻は合う。この商売の帳尻は、そういう合い方をする。
遺品が枕元に並ぶ。煙管、燐寸、矢立。それから、場違いなものがひとつ。
螺鈿の簪だ。
黒蝶貝の貝殻が、行灯の火で虹色に光る。女物の、それも上物だ。男伊達の若旦那の遺品としては、浮いている。粋人の洒落で集めた品、と言えば言えるが。
三三九度。末期の水。
耳を澄ます。
『——その簪は、俺に挿すな』
聞き間違えようのないほど、「俺」の一字が強かった。
枕元には、女物の簪。
それを挿すなと、柊屋の若旦那は言った。
私は謎を解くより先に、誰かがあの人へ勝手な答えを被せようとしているのだと気づいた。
「慎吾さん」
式を終えると、私は簪を袱紗ごと差し出した。
「ご遺言です。この簪は、棺に入れるなと。あなたにお返しするようにと、そう聞こえました」
嘘は言っていない。挿すな、は棺に入れるなだ。返す先は、私が決めた。この座敷でこの簪を受け取るべき人は、ひとりしかいない。
慎吾さんは、袱紗の上の螺鈿を見て、それから初めて、位牌を正面から見た。
「……子どもの頃、店では、あいつを銀って呼んでたんです」
声が、絞るように掠れていた。
「長い髪を結われてた。けど十五の春、跡取りがないからって、遠縁から来た銀次郎になった。俺は、いつか店を出て、昔のなりが恋しくなったら、これを挿してやるって約束した。あいつは笑って、莫迦、俺は柊屋の若旦那だぞって。それっきり、二人ともこの話はしませんでした。俺は……」
俺は、あいつの秘密ごと、独り身で墓まで持っていくつもりでした。
最後の方は、言葉になっていなかった。
「銀次郎さんは、『俺に挿すな』と仰いました」
生まれたとき周りが決めた姿と、十五から自分で名乗り続けた名。そのどちらがどれほど苦しかったか、私は死人に問い返せない。聞けたのは、一言だけだ。
「昔の姿を待つ約束で、あなたまで独り身を通すな。この簪は、生きている側の袂に持たせておけ。私には、そう聞こえます」
慎吾さんは簪を両手で受け取って、長いこと、うなだれていた。鑿と鉋で節の張った、桶屋の手だった。棺を拵えた手が、螺鈿を割れ物のように包んでいる。あの手より確かな仕舞い場所を、私は知らない。
柊屋の若旦那は、自分が最後に名乗った「俺」のまま葬られた。
家は跡取りの欄を埋めるため、十五の子の名も装いも一夜で替えた。だからといって、その後の十三年まで家が作った嘘にしていいものではない。あの人が生きた男の名を、最後の一晩で剥ぐ権利は誰にもなかった。
片付けの段になって、しくじった。
簪を袱紗に戻すとき、留めの金具が緩んでいたのだろう。抜き身の先が、掌をすっと裂いた。
「っ……」
血は、白無垢に落ちる前に握り込んだ。商売物を汚すのは二流だ。
「見せろ」
立会人が、座敷を横切ってきた。断る間もなく手首を取られ——られる寸前で、彼の手が止まった。手袋の指が、宙で待っている。
「……手当てだ。障るか」
「掟は、恋の話です。手当ては商いのうちですので、どうぞ」
妙な理屈だと自分でも思ったが、彼は頷いて、私の手を取った。
手袋を、外していた。
畳に片膝を突くので、軍人が花嫁に跪く恰好になる。指摘はやめておいた。傷を検める顔が、あんまり真剣だったからだ。
生き身の手は、存外に熱い。位牌ばかり相手にしていると、そういう相場を忘れる。
素手が触れたのは、たぶん、十秒。晒しを裂いて、巻いて、結ぶまで。軍人の手当ては早い。早いのに、結び目を作るときだけ、妙に丁寧だった。
「掟に障るというなら、障ったのは俺の側だ」
結び終えて、彼は手袋をはめ直しながら言った。
「早死にの分は、俺が引き受ける」
「……縁起でもないことを言う軍人がありますか」
「軍人は縁起で死なん。弾で死ぬ」
屁理屈である。屁理屈なのに、笑ってしまった。祝言明けに笑ったのは、この商売を始めて、初めてかもしれなかった。
「手当て代は、お代から引いておいてください」
「要らん。あれは商いではない」
では何です、と訊かなかったのは、私の都合だ。訊けば必ず、答えの返ってくる男だからだ。
家に帰って、包帯を替えようとして、気がついた。
晒しの結び目が、蝶々結びではない。
固結びを重ねた——ほどけない結び方。婚礼の水引と同じ、結び切りだった。
軍人の手当ての流儀だ。きっとそうだ。そういうことにして、私はその晩、包帯を替えるのをやめた。




