第9話 子供に甘い大人たち
分厚い装甲ガラスの向こう側で、また一つ紫電が岩肌を爆砕した。
雷鳴の谷。その名の通り、絶え間なく降り注ぐ落雷が地表を焦がす死の領域である。オールド・ベルの堅牢な装甲をもってしても、雷の直撃を連続で受ければ機体のアース(接地回路)が焼き切れ、内部まで黒焦げになりかねない。完全に足止めを食らったアルドとガレットは、操縦席で重苦しい沈黙を落としていた。
そんな荒狂う雷雨の合間を縫うようにして、岩陰から一つの影がひょっこりと姿を現した。
小柄な体躯。背丈ほどもある不格好な金属棒の束――即席の避雷針を傘のように背負い、泥だらけの台車で大量のスクラップを引いている。
「……ガレット、ハッチを開けろ」
「正気か? 雷が飛び込んでくるぞ」
「あの動き、雷が落ちない安全なルートを知っている。交渉の余地がある」
アルドはガレットの制止を振り切り、重いハッチのロックを外した。外の焦げたオゾン臭と轟音が流れ込んでくる。
「おい、そこのお前!」
アルドが大声で呼び止めると、泥だらけの少年――のような身なりの子供がビクッと肩を揺らし、警戒に満ちた目を向けた。
「安全なルートを教えてくれたら、その重い荷物ごとこれに乗せて運んでやる。雷さえ避ければ中は快適だぞ」
子供は泥に沈む自分の重い台車と、雨を弾くオールド・ベルの装甲を交互に見比べた。損得を天秤にかけるように、警戒に満ちていた双眸がスッと細められる。
すかさず、巨体を滑り込ませたガレットがアルドの腕を掴み、物陰へ引き寄せる。
「馬鹿を言うな。赤の他人を機体に入れるべきじゃない。ここは無法地帯だぞ」
ガレットは小声で、しかし強い語気で反対した。
だが、ゲート外とはいえ落雷の危険が続く中で悠長に揉めている大人たちを見て、子供は興味を失ったように台車を引き直した。
「そっちで話がまとまんないなら行くよ。ここにいたら雷落ちるし」
立ち去ろうとするその後ろ姿に、アルドは焦燥を滲ませてガレットを睨みつけた。
「このままじゃ奥へはいけないだろ。どう見てもただのガキだ。中を見られたところで何ができるわけでもない」
珍しく食い下がるアルドの身も蓋もない正論と、目前に迫る落雷の緊迫感。ついにガレットがしぶしぶと折れた。
「チッ……分かったよ! おい坊主、待て!」
案内人を失うまいとガレットが大声で呼び止めると、子供はくるりと振り返り、一転して一切の警戒心を捨てて物理的な距離を一気に詰めてきた。
「おじちゃん、これ乗ったら本当に歩かなくていいの? ラッキー!」
「うおっ!?」
無警戒に飛びついてきた子供の泥だらけの手が、ガレットの分厚いコートを容赦なく汚す。歴戦の用心棒は反射的に銃口をそらし、頭を抱えるように大きなため息を吐き出した。
「チッ、とりあえず早く入れ! 泥は中で落としてやる!」
ガレットは半ば強引に子供と台車を引きずり込み、分厚いハッチを乱暴に閉め切った。
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機内に逃げ込み、轟音が遮断されて一息ついたところで、ガレットは無造作にタオルを投げつけた。
「ほら、泥を拭け。お前、名前は?」
タオルを受け取った子供は、顔の泥と一緒に、外で見せていた無邪気な表情をあっさりと拭き去った。
「オレはルカ。で、おっさんたちは?」
一段低くなった擦れた声で、胡乱な目を向けてくる。素の荒っぽい口調への見事な切り替わりに、ガレットは呆れ果てて額を押さえた。
「俺は用心棒のガレット。こっちの無愛想なのが雇い主のアルドだ」
ぶっきらぼうに名乗りながらも、ガレットは機内の隅にある小さなストーブから湯気を立てるマグカップを取り出し、ルカへ突き出した。
「ほら、飲め。泥水被って冷え切ってるだろ」
「……睡眠薬とか入ってないよな?」
差し出されたカップに疑いの目を向けるルカに、ガレットはフッと鼻で笑う。
「安心しろ。ガキを攫って売り飛ばすような趣味はねぇよ。冷める前に飲んどけ」
促されて恐る恐る口をつけたルカは、温かいスープの味に一瞬だけホッとしたように目元を緩ませた。ガレットはさらに分厚い毛布をルカの頭からバサリと被せ、「案内する前に風邪引かれたら迷惑だからな」と不器用な言い訳を付け加える。
そんな二人のやり取りを、当のアルドは気にも留めていなかった。彼が一瞥をくれたのはルカではなく、床に置かれた自作の「避雷針の傘」に対してだった。
「……即席の避雷針か」
「あ? ああ。まあな」
ぽつりとこぼしたアルドの確認にルカが胡乱に頷くと、彼は顔をしかめて手元に工具箱を引き寄せた。
「ここをしっかり繋がないと次に死ぬぞ。直してやる、貸せ」
「ちょっと待てよ。直すって……」
「俺は修復師だ。いいから貸せ」
有無を言わさぬ口調で傘を引ったくると、アルドは危うい結線を引き剥がし、熟練の技術屋としての手つきで安全な構造へと補強していく。手早く作業を終えると、直した傘をルカの足元へ放り投げ、自分の仕事は終わったとばかりに再び計器盤へと向き直った。
「おいおい、仕事じゃないと受けない主義じゃなかったのか?」
呆れたようなガレットの軽口に、アルドは背を向けたまま忌々しげに吐き捨てた。
「仕事じゃない。あんな致死的な欠陥構造がずっと視界に入り続ける俺の身にもなれ」
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そうして奇妙な同乗者を迎えたオールド・ベルは、ルカのナビゲートに従って再び谷の深部へと歩みを進める。外は地獄のような雷鳴が続いているが、機内は異質なほど穏やかな日常空間となっていた。
『ご案内感謝いたします。私は当機の中枢を担う知識の精霊、通称ベルと申します』
ふいに、壁面に備え付けられた真鍮のスピーカーから、ひどく流暢で、どこか澄ましたトーンの合成音声が響き渡った。
『道案内には感謝しますが、しかしあなたには無い知識が私にはあるのです。わからないことがあれば、何でも私に聞くといいですよ』
「うわっ、喋った! 何この機械、すげぇ偉そう!」
ルカはスピーカーからの高尚な申し出には見向きもせず、目を輝かせて壁面の端末にへばりついた。明滅する真空管をコンコンと乱暴に叩き、真鍮のツマミを無遠慮に弄り回す。
「この部品、都市のジャンク屋に持っていけば絶対高く売れる……」
商魂たくましく物色し始めるルカに、スピーカー越しの音声が明らかな怒気を帯びた。
『人の話を聞きなさい! 私をその辺のジャンク品と一緒にしないでください! 気安くインターフェースに触らないでください!』
「なんだよ、ちょっと触っただけじゃんか。ケチ」
抗議を意に介さず、ルカは口を尖らせながらも面白がって端末を突き続ける。けたたましい言い合いが機内に響き渡り、ガレットは頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。
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雷地獄を慎重に進む過酷な探索は数日がかりに及んだ。ルカとベルの他愛ない口喧嘩や、何かと世話を焼くガレットの小言が絶えない、賑やかすぎる道中を経て。
ルカの的確な案内により、オールド・ベルはついに雷鳴の谷の最深部へと到達した。
厚い岩壁が大きく抉れた奥地に、それは鎮座していた。
岩壁と一体化するように埋め込まれた、重厚な金属の巨大エントランス。表面には大戦期特有の無骨なリベットが幾重にも打ち込まれているが、百年近い雷雨に晒され続けた装甲はひどく錆びつき、無数の焦げ跡に覆われていた。ハインツが遺した気象制御研究施設跡である。
アルドは外の雷鳴も、ガレットの「不用意に近づくな」という制止も耳に入っていないようだった。
彼は土砂降りの雨の中へ無防備に歩み出ると、錆びついたゲートの装甲を愛おしげに撫で、傍らの岩壁に設置された制御ボックスへと向き直った。完全に錆で固着した金属カバーの隙間にバールをねじ込み、雨水と泥に塗れながら力任せにこじ開ける。腐食した外殻がひしゃげて剥がれ落ちると、その奥から、魔導インクで緻密なコードが焼き付けられた無傷の回路基板が現れた。
「外殻はこれほど腐り落ちているというのに、内部の論理は完全に生きている。……現代の技術では到底再現できない、この堅牢な記述配列。間違いない、あの時代の論理設計だ」
轟音と豪雨が吹き荒れる中、ずぶ濡れになりながら盤面に顔を近づけるアルドの口元は、ひどく歪な笑みの形に吊り上がっていた。
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