第7話 お留守番する良い子はお土産がもらえると、私の知識が言っています
煤煙と油の匂いが染み付いた重工都市の最外周。廃炭鉱街の巨大な停泊ドックに鎮座する移動書斎の前で、カーラはくわえていた葉巻の煙を細く吐き出した。
「私は基本的にこの重工都市の顧客相手に商売してるわ。今回みたいに、荒野を動き回っていることも多いけどね。……縁があったら、また厄介な仕事を持ってきてあげる」
「……ああ。仕事なら受けてやるよ」
アルドが短く答えると、傍らのガレットが低い声で言葉を継いだ。
「俺たちも、今のところ拠点はこの廃炭鉱街だ。書物修復師なんて変わり者は他にいない。仕事を持ってきたいなら、適当に探してくれ」
「だから俺は書物修復師じゃなくて、修復師だと……」
「分かったわ」
言いかけたアルドを気にも留めず、彼女は短く応じると、振り返ることなく傭兵たちが待つ装甲車へと歩き出した。
装甲車の姿が煤煙の向こうに見えなくなると、アルドとガレットは重いハッチを開いて機内へと戻った。
「で、俺たちはこれからどうする? すぐに次の仕事を探しに荒野へ出るのか?」
ガレットが愛用の長物を壁に立てかけながら尋ねると、アルドは油まみれの指先を布で拭いながら首を振った。
「いや、しばらくはこの街で物資を補充しながら休むか」
「じゃあ、俺は市場へ買い出しに行ってくる」
ガレットが踵を返そうとしたその時、コンソールの奥から静かで冷ややかな、しかし妙に圧のある合成音声が響いた。
『……また私を一人でお留守番させるのですね。今回は、絶対に、私のためのお土産を買ってきてください』
「お、おう。分かった、任せとけ!」
前回の依頼で一人にされた鬱憤がひしひしと伝わってくる声色に、ガレットは二つ返事で引き受けた。しかし、数歩歩いてピタリと足を止める。
少し間を置いて、彼は気まずそうに背後を振り返った。
「……おいアルド、お前のジャンク漁りのついでに、ベルが喜びそうな本を見繕ってやってくれ」
「俺の買い出しがついでかよ」
アルドは短く肩をすくめた。二人はそれぞれ別の方向へ、街並みへと散っていく。
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ドックのある廃炭鉱街を抜け、都市の内側へと足を進めるにつれ、周囲の景観は露骨に変わっていく。
つい先ほどまでいた中央区の、泥一つない無菌の石畳とは違う。ガレットが足を踏み入れた外周工業区の市場は、耳をつんざくような工場の排気サイレンが鳴り響き、油と汗にまみれた労働者たちがひしめき合っていた。
ガレットは懐の報酬を取り出すと、新鮮な肉の塊を無造作に買い込んだ。
「ま、今回はあいつが本業で稼いだ報酬だからな」
誰に言うともなく独りごちながら、さらに滋養のつきそうな香草の束を麻袋へ放り込む。続いて酒屋の店主と小銭単位の短い値切り交渉を交わし、一番安い酒のボトルを勝ち取った。
ふと並びの商店に目を留めた彼は、少しだけ頭を掻いた。
「……そういや、約束してたな」
苦笑いを浮かべると、彼は予定になかった特上の魔導オイルの小瓶を一つ買い足した。
市場の隅で、温室用の新しい野菜の種を見つけると、それも袋へ押し込んだ。
同じ頃、アルドは外周工業区の片隅にある巨大なスクラップヤードに足を運んでいた。
彼は店の奥に積まれた、遺物ハンターから買い取ったばかりの未整理の木箱を物色していた。油まみれのガラクタの中から、一つの古びた残骸を掘り出す。
「極地用気象制御術式のコアか……悪くない」
呟きながらさらに同じ木箱の底を漁ると、分厚い長方形の鉄の塊を見つけた。継ぎ目すら見えないのっぺりとした外見は、素人目にはただの装甲板の切れ端にしか見えない。しかしアルドには、それが大戦期の特殊な偽装が施された専門書だとすぐに分かった。
周囲の目を盗み、懐から取り出したペンのような小型工具の先端を、表面の僅かな窪みに押し当てる。微かな駆動音と共に魔導ロックが解除され、僅かに開いた隙間からページを一瞥した。びっしりと書き込まれた難解な気象理論の数式を確認したアルドの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
彼は無言のままケースの継ぎ目を完全に閉じると、気象制御のコアと一緒に店主の前に放り投げ、ただの金属クズとして短い値切り交渉を済ませ、足早にドックへと戻っていった。
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二人の主が戻るより少し前。
静まり返った『オールド・ベル』の暗い機内では、単調な排気音だけが響いていた。
『……遅いです。たかが人間の食料と部品の調達に、何時間かかっているのですか。どうせマスターはガラクタの山に埋もれて時間を忘れているのでしょうし、ガレットは安い酒を値切るのに無駄な労力を使っているに違いありません』
コンソールの奥で、合成音声が誰に言うでもなくぶつぶつとぼやいた。
『次こそ私へのお土産を忘れたら、ただではおきませんよ。……とりあえず、帰還時の機内温度を推奨値より2度下げておきます。キッチンのボイラーも、無駄に予熱して燃料を浪費してやりましょう』
腹いせのようにコンソールを操作し、次々と機内の環境設定をいじっていく。
誰もいない暗い機内で、彼女は静かに主の帰還を待ち続けていた。
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さらに数時間後。ハッチを開けて工作室へと足を踏み入れたアルドは、ふと足を止めた。
誰もいないはずの機内は、すでにアルドが好む少し低めの室温に調整されていた。壁越しに聞こえるキッチンのボイラーも、ガレットがすぐに火を使えるよう、すでに熱を帯びた稼働音を立てている。
アルドは無言でコンソールを一瞥すると、買ってきた冷却器のコアとジャンク部品を机に並べ、直ちに組み立てを始めた。
周囲の騒音も油の匂いも忘れ、彼は躊躇なく配線を繋ぎ、ブツブツと数式をこぼしながら凄まじい速度で作業に没頭していく。
そして、最後の論理コードを接続し、魔力を流し込もうとした瞬間だった。
『マスター』
静かな合成音声が、工作室に響き渡る。
『この馬鹿マスター。保冷庫を作るのに、なぜ極地用の凍結気象制御コアなどを直結したのですか。庫内の食材だけでなく、この機体ごと絶対零度で保存する気ですか。出力の99%にリミッターをかけます』
「おい待て、大は小を兼ねるだろうが! ガレットが買ってくる生肉や酒だって、一瞬で凍らせた方が鮮度が保てるに決まってる。余力があるなら最大効率で――あっ」
有無を言わさぬ速度で、機体のシステムがアルドの組んだコードに強引な書き換えを走らせる。広範囲の天候を操るはずだった巨大な術式の残骸は、ただの「よく冷える安全な保冷庫」へとあっさり弱体化させられた。
「俺の出力が」
手元のスパナをテーブルに叩きつけ、アルドは派手に舌打ちをした。「ちっ……つまらん。せっかくの遺物も、これじゃあただの『よく冷える冷蔵庫』だ」
しぶしぶ工作室を出てリビングへと向かうと、ちょうどガレットがキッチンから湯気を立てる鍋ごと料理を運んできたところだった。
「ベル、馬鹿の尻拭いからボイラーの予熱まで、いつもすまないな」
ガレットは壁越しの騒動に呆れたように苦笑いを浮かべている。
中央区の高級レストランで出される澄んだスープではない。温室で収穫された不格好なトマトと、市場の香草がたっぷり入った泥臭い煮込み料理だ。
アルドは、完成したばかりの安全な保冷庫からさっそく酒のボトルを取り出すと、ドンと食卓に置いた。
そして無言で専門書をリビングのコンソールの上に放り投げると、合成音声がかすかに弾んだ。
『まったく、私がいないと明日の朝すら迎えられない方々ですね』
嬉々として古書のスキャンが開始される。
未知の数式を処理する機体の演算音が急激に高まっていく中、アルドはさっそくガレットの手料理を無言で平らげていった。
男二人の空いた皿とスープの鍋を片付けながら、ガレットはやれやれと短く息を吐いた。
それでも彼は文句を言うことなく、一人で静かにハッチを開けて外へ出ると、買ってきた特上の魔導オイルを、軋む機体の関節部へと無言で注いでやるのだった。
次の瞬間、難解な気象理論の異常な情報量と、極上オイルの滑らかさが同時に流れ込んだ演算機が、盛大に熱を帯び始めた。
『あぁ……なんて滑らかで、甘い数式……極上の油が、演算の奥深くまで熱く浸透していきます……世界の大気が、すべて私の論理の中でとろけ合って……ふふっ、私は風……私は、雷鳴……』
かつてない情報酔いを起こしたオールド・ベルは、艶を帯びた合成音声でうわ言のように数式を紡ぎ出し、そのまま不意に機能休眠へと落ちていく。
「やれやれ、また酔っ払ったのか」
ガレットが呆れたように笑って杯を傾ける横で、アルドは静かに専門書の表紙に目を落としていた。
「……平和なのは今夜だけだぞ、ガレット」
本の著者の名前に気づいたアルドは、酒の入ったグラスを置いて不敵な笑みを浮かべた。
「いい玩具が手に入ったな」
機内には、すやすやと寝息を立てるような微かな駆動音だけが響いている。
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