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第6話 都市と荒野の生き様

 灰色の空を遮るように高くそびえる防壁の向こう。廃炭鉱街のドックには、無骨な装甲に包まれた移動書斎が鎮座していた。

『ご武運を。万が一お戻りにならなかった場合、この書庫の所有権は私が引き継ぐということでよろしいですね?』

 ノイズ混じりの合成音声による皮肉な見送りを受け、アルドは機体を背にして歩き出した。

 目指すは、企業連が牛耳る中央区。

 分厚い壁に穿たれた巨大なゲート――検問所を抜けるのは容易ではなかった。電子的な認証などという便利なものはなく、全ては武装した門番たちによる厳重な物理チェックである。

 ガレットは愛用の長物を預ける羽目になり、アルドに至っては「外部との通信機持ち込み禁止」という規則を盾に、通信機を置いていくことを余儀なくされた。

「面倒な都市だ」

 検問を抜け、中央区のメインストリートに足を踏み入れたアルドは、舌打ちを一つこぼした。

 足元には泥一つない滑らかな石畳が広がり、規則正しく蒸気自動車が行き交っている。すれ違う人々は皆、煤汚れとは無縁の仕立ての良い服に身を包んでいた。過剰なまでに清潔で、些細なルールでがんじがらめになったこの空間は、アルドにとって息の詰まる檻にしか見えなかった。


---


 企業連の威信を示すかのような豪奢なビルの高層階。文化保全局、古書部門の修復・保存室は、塵一つ落ちていない、過剰なまでに白く無菌的な空間だった。

 持ち込まれた一冊の古書と、油と泥の匂いを漂わせるアルドを囲み、純白の作業着に身を包んだ古書部門長や若い保全技師たちが、あからさまな嫌悪と嘲笑を浮かべていた。

「馬鹿馬鹿しい。こんな泥だらけの男を神聖な修復室に入れただけでも反吐が出るというのに……これが本物だと? 精巧な偽造品に決まっているだろう。我々の最新技術を馬鹿にしているのかね」

 部門長の鼻で嗤うような態度に、アルドは眉間を寄せた。自らの手業を「原始的」と見下す中央区の連中への怒りが燻っていたアルドは、手元から本を奪い返し、目の前の三流どもをまとめて黙らせてやろうと口を開きかけた。

 だが、不意に保存室の自動扉が開き、張り詰めていた空気が一変した。

「……邪魔をする」

 静かだが絶対的な威圧感を持つ声。文化保全局の局長その人が姿を現したのだ。

 その顔を見た瞬間、アルドは意表を突かれたようにスッと毒気を抜かれ、口をつぐんだ。

 局長はアルドの不機嫌な顔と部下たちの態度を一瞥し、その一瞬で事の顛末を察したようだった。

「お前が修復したのか?」

 淡々とした問いかけに、アルドはただ無言で頷く。

 局長は手袋をはめた手で古書を手に取り、その装丁や紙の質感を自らの指先と目で確かめた。

「……見事な手際で新品に見えるが、紙片とインクは大戦時の素材であると確認した。本物だ」

 トップとしての公式な検品と判断。局長は傍らに立つ部門長へ視線を向けた。

「適正価格で買い取れ」

 その絶対的な一言に、先ほどまで息巻いていた部門長たちは絶句する。彼らの狼狽ぶりを見たアルドは、鼻で短く息を吐き、静かに肩の力を抜いた。

 局長はそのまま、淀みない口調で指示を続ける。

「部門長、ディーラーを別室へ案内して手続きを進めろ。若い者も下がれ」

 局長の言葉に従い、カーラと部門長、そして護衛のガレットもスマートに部屋から退出していく。

 用は済んだ。アルドも「じゃあな」と短く告げ、あっさり彼らに続いて出て行こうとした。

「そこの修復師」

 局長の低く通る声が、アルドの背中を止めた。

「修復作業の内容についていくつか質問したいから、少し残ってくれ」

 アルドは面倒そうに頭を掻き、部屋に留まるしかなかった。


---


 防音扉が閉まり、過剰に清潔な室内に局長とアルドの二人きりになった。

「なんで局長ともあろうあんたが、こんな末端の取引に出てきてるんだよ」

 アルドが呆れたように尋ねると、局長はわずかに口元を緩めた。

「有能なディーラーが事前に伝えてきていたからな。依頼の特級資料を引き渡す際、それを直した『荒野の天才修復師』も連れて行くとな。もしやと思って覗きに来てみれば、案の定お前だったというわけだ」

 そう語る局長は、どこか呆れたような、それでいて懐かしむような笑みを浮かべた。

「先ほどの本に付与されていた、防弾と防水の過剰な術式……親切心と好奇心で頼まれもしない無駄な仕様を山盛りにしてしまうスタンスは、昔から何も変わっていないようだな」

「……嫌味を言うために、わざわざ俺を引き止めたのかよ」

 アルドが不機嫌そうに吐き捨てると、局長は「まさか」と短く返し、防湿保管庫から一つのケースを取り出した。中に入っていたのは、本と呼ぶのも憚られるほど劣化した、ただの紙片の束だった。

「お前のその過剰な技術を見込んでの、追加の依頼だ。我が局の最新機材で修復不可能なこれを直せるか?」

 それは、古書部門が匙を投げた特級資料のクズだった。

 だが、ケースの中身を見た瞬間、アルドの表情から先ほどまでの不機嫌さが嘘のように消え去った。

「……あいにく、今日は手ぶらでね。あんたらの言う、その『最新機材』とやらを使わせてくれ」

 局長が許可を出すより早く、アルドは修復室に並ぶ見慣れぬ機材へと身を乗り出し、食い入るようにパネルを操作し始めた。

 崩れゆく紙の繊維を微細な動きで繋ぎ合わせ、欠落した情報を次々と補完していく。淀みないその手業を見つめながら、局長が静かに呟いた。

「……我が局の技師たちには、この機材を使っても修復できなかったのだがな」

「機材がどれだけ進歩しようが、構造を理解してない素人には宝の持ち腐れだ」

 画面から視線すら外さず、アルドはあっさりと吐き捨てた。

(……やはり、お前の居場所はこの都市じゃないんだな)

 かつて同じ場所で働いていた頃と何一つ変わらない、知識を形にしていくその生き生きとした横顔を、局長はどこか嬉しそうに鑑賞していた。

 数分後。完璧に復元された資料を突き返し、アルドは短く息を吐いた。

「……いい機材だな」

 嫌味でも何でもない、本心からの称賛だった。アルドは提示された追加報酬を容赦なく受け取ると、無造作にポケットへねじ込んだ。

「知識ってのは、飾るもんじゃない。使われてこそ意味があるんだよ」

 アルドの言葉に、局長は少しだけ口角を上げた。

 無言で去り行く背中を見送る眼差しに、非難や説教の色は一切ない。

(……檻の中では、その輝きも失われてしまうか)

 分厚い防音扉が完全に閉まり切ると、局長は満ち足りたような、それでいてひどく寂しそうな溜息を一つだけこぼした。


---


 アルドは一人で部屋を出た。

 扉の外では、ガレットとカーラが壁に寄りかかって待っていた。カーラはアルドのポケットの不自然な膨らみを目ざとく察知すると、すかさず歩み寄ってきた。

「なんか追加で依頼された? ついでだから私が交渉して、もっとふんだくってきてあげましょうか。マージンはもらうけど」

 ちゃっかり営業をかけてくるカーラに対し、アルドは短く首を振った。

「……いや、これは個人的な依頼だからいい」

「そう。まあいいわ」

 カーラはあっさりと引き下がると、恐ろしい額の記された小切手をドヤ顔で見せつけた。

「ほら、見てよこれ。限界まで絞り取ってやったわ。局長直々の『適正価格』でしょ?」

 悪びれもせず笑う彼女に、アルドとガレットは同時に呆れたような溜息をついた。

「……えげつない商売人だ。優秀なディーラーで助かったよ」

 ガレットが肩をすくめて言うと、カーラは得意げに微笑んだ。

「最高の褒め言葉ね」

 魂が抜けたようになっている古書部門長たちには一瞥もくれず、一行は検問所へと向かった。

 預けていた荷物を受け取り、防壁を抜けて煤煙と油の匂いが漂う廃炭鉱街のドックへ帰還する。

 機体に戻り、預けていた通信機の電源を入れた途端、待たされていた合成音声の小言が響き渡った。

『遅い。私をこんな吹きさらしの場所に放置して、随分と優雅な観光だったようですね。……で、お利口に留守番をしていた私への手土産となるような珍しい書物の一冊くらいは、まさか忘れてはいませんよね?』

 相変わらずの図々しい要求を聞きながら、アルドは笑みを浮かべた。

「綺麗なだけの都市は息が詰まる」

 そう言って、アルドは煤煙と機体の油が混じったドックの空気を思い切り胸に吸い込んだ。

「やっぱりここの空気が一番美味い」


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