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第5話 書物修復師の仕事

 薄暗い観測所の地下金庫室。崩れゆく大戦期の特級資料を前に、アルドはただ無言でページを睨みつけ、分厚い手帳へ常軌を逸した速度でペンを走らせていた。

「ちょっと、聞いてるの!? ただ書き写すだけじゃなくて、ちゃんとその本自体を修復しなさいよ!」

 外界を完全にシャットアウトして写本に没入するアルドの背中へ、カーラが苛立たしげに葉巻の煙を吹きかけながら詰め寄る。

「顧客の企業連が求めているのは、本物の歴史的遺物としての『現物』なの! あんたが知識だけ盗んで放置したら、ただの灰の山になっちゃうでしょ! 修復料も売却益も弾むって言ってるんだから、さっさと依頼された仕事をやりなさいよ!」

「彼女の言う通りだぜ。たまには『本業』で稼いでもらわねえと、うちの生活費も底をつくからな」

 背後から飛んでくるカーラの罵声に、ガレットまでもが呆れたように乗っかる。

「……チッ。うるさい奴らだ」

 二人がかりの催促を浴び続け、アルドは未完成のまま手帳をパタンと閉じた。

 アルドは大きく息を吐き出すと、渋々といった様子で腰のポーチを探った。

 彼は取り出した定着用の魔導スプレーを崩れかけの本へ無造作に吹きかけると、現物がこれ以上風化しないよう固め、持ち運び用の専用ケースへと雑に放り込んだ。

「運搬用の応急処置だ。修復は戻ってからやる」

 アルドはそれだけ言い残し、さっさと踵を返して遺構の出口へと向かった。


---


 煤煙交じりの風が吹く遺跡の外周。それぞれの機体へと歩いて戻る道すがら、ガレットがふと思い出したようにカーラへ尋ねた。

「そういえばさっき、金庫室で俺たちの機体を『移動書斎』って呼んでたな。どういう意味だ?」

 前を歩くアルドは他人の評価など微塵も興味がないらしく、振り返りもしない。カーラは呆れたように肩をすくめた。

「界隈の連中がそう呼んでるのよ。外観は無骨な多脚機なのに、どうせ中には本ばかり詰め込んでいる悪趣味な鉄クズなんだろうなってね」

「……まあ、当たらずとも遠からずだな」

 ガレットは小さく苦笑いをこぼし、オールド・ベルの分厚いハッチへと手をかけた。

 カーラと傭兵たちも自らの装甲車に乗り込み、エンジンを唸らせる。二つの巨大な車両は、共通の目的地である重工都市の最外周スラム『廃炭鉱街』へ向けて、荒涼とした大地を並走しながら帰路についた。


 激しい悪路の錆荒野を歩行するオールド・ベルの機内。

 外では装甲車が岩盤に乗り上げて激しく上下に揺れているはずだが、巨大な多脚歩行による完璧な姿勢制御の恩恵で、機内の工房には一切の振動が存在しなかった。

 誰の目も届かないその無振動の空間で、アルドは修復作業を開始していた。

 彼は机の上に特殊な音響共鳴器を展開し、特定の周波数の音波を当てていく。すると、ケースの中で崩れかけていた灰や紙の繊維が、元の本の形に近い状態で空中にふわりと滞空した。

 アルドは蒸気圧式の極細シリンジを手に取り、宙に浮いた無数の紙の繊維や古いインクの残滓へ、粘度の高い速乾性の魔導インクを撃ち込んでいく。

 紙の繊維同士を新たなインクで微細溶接し、風化して千切れた文字のインク跡を立体的に書き繋いでいく。それは外の荒野を移動中であることなど微塵も感じさせない、常軌を逸した精密な修復作業だった。

 やがて魔力を通したインクが一気に収縮・硬化すると、空中の粒子がパズルのように引き寄せられ、完璧な状態の分厚い特級資料として机の上に実体化した。

 新品同様に蘇ったその本を開き、アルドは中断していた写本作業を嬉々として再開した。

 極度の集中を要する修復と写本を終えたアルドは、完成した本と乱雑に書き殴られた手帳を机に放り出すと、満足げに深い眠りへと落ちていった。


---


 数日後。重工都市の最外周スラム・廃炭鉱街。

 その巨大な停泊ドックにオールド・ベルの巨体が腰を下ろした。

 アルドがハッチを開けると、隣に停まっていた装甲車から降りてきたカーラへ、修復を終えた本をポンと放り投げた。

「ほらよ。完璧に修復された特級資料だ」

 受け取った本を見たカーラは、文字通り呆然と立ち尽くした。

 あの遺構では触れただけで灰になる寸前だったゴミが、帰路の移動中に行われた作業だけで完全に復元されている。しかもなぜか過剰に防弾・防水処理まで施され、鈍い光沢を放つ完璧な状態になっていた。

「……一体、あの揺れる鉄クズの中でどんな手品を使ったらこんな真似ができるのよ」

「手品じゃない。ただの仕事だ。修復料はきっちりもらうぞ」

 アルドが手を差し出すと、カーラはハッと我に返り、苦々しい顔で首を振った。

「……駄目ね。修復があまりにも完璧で『新品同様』になりすぎてるわ。これでは企業連の鑑定士に、ただの精巧な模造品だと疑われる」

「なんだと?」

 アルドの眉が不機嫌そうにピクリと動く。

「最高額で売却したいなら、修復した本人であるあんたが立ち会って。そして、これが元の灰から物理的に再構築された真正の遺物だと証明して頂戴」

「……顧客対応など面倒だ。お前らだけで行け」

 アルドは即座に吐き捨ててハッチを閉めようとする。しかしカーラは、その扉の端を力強く掴んで彼を睨みつけた。

「そう言うと思ったわ。でも企業連の技師どもは『荒野のアナログ技術なんて、我々の近代的な蒸気設備に比べれば原始的だ』って普段から見下してるのよ。あんたが直接証明してやらなきゃ、この完璧な修復本も偽造品扱いされて買い叩かれるわ。自分の仕事をコケにされたままでいいの?」

 ピタリ、とアルドの動きが止まった。

「……石炭まみれの三流技師どもが、俺の仕事を原始的だと言ったか?」

 低い声で呟くアルドの横顔を見て、ガレットはやれやれと肩をすくめた。こうなると、もう誰にも止められない。

「……いいだろう。その三流どもを、俺の手で直接黙らせてやる」

 アルドは不敵な笑みを浮かべ、自らの足で重工都市の中央区へ乗り込むことを決意した。


 ハッチを閉ざして機内へと戻ったアルドは、道中ずっと放置していた「手帳(写本)」をようやく書庫の棚へと押し込んだ。

「ほら、お前の飯だ。とびきり古いぞ」

 しかし、書庫の奥深くから返ってきたのは、ひどく熱を帯びた、艶めかしく震える合成音声だった。

『ん、ぁ……マスターの字、すごく乱暴で……っ。おまけに中身も、とんでもなく重くて……私、もう……』

 道中ずっと放置されていた写本を一気に読み込んだオールド・ベルは、アルドの悪筆と難解すぎる内容のコンボによって、完全に「悪酔い」状態に陥っていた。

『うぅ……思考が、ぐるぐるします……次からは、もっと優しく……丁寧に、書いて……ください……っ』

 熱っぽい抗議の声を最後に、巨大な機体の駆動音がふっと沈黙する。

 呆れるガレットをよそに、一行は巨大な重工都市の中心部へと足を踏み入れていくのだった。


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