第4話 鬼教官の言う通りに
灰色の煤煙が混じる風が、荒涼とした大地を吹き抜けていく。
ひび割れた岩盤が続く錆荒野の果て。巨大な多脚歩行機であるオールド・ベルの歩みが止まった。
分厚い防弾ガラスの向こうには、大戦時に建造された巨大な遺構──かつて最先端の魔導理論を検証していたという「理論実証実験の観測所跡」がそびえ立っている。何十年も放置された黒ずんだ装甲板はひどく錆びつき、まるで大地に突き刺さった巨大な墓標のようだった。
その遺構を取り囲む外壁のエントランスゲートを遠目からモニターで確認し、アルドが目を細めた。
「……おい、誰かいるな」
「ああ。あの煤まみれの防護服と重装備……どこかの傭兵崩れか。一人、見慣れないハーフコートの女が混ざってるな」
ガレットが操縦席から双眼鏡を覗き込みながら、冷静に状況を分析する。
「周囲に旧式オートマタの残骸が散らばってる。あいつらが外周の警備を力任せに片付けたみたいだな。……だが、あの分厚い扉の物理ロックが開けられなくて立ち往生してるってところか」
アルドの言葉通り、モニター越しに見えるその女は、口元に葉巻を咥え、苛立たしげに傭兵たちを怒鳴りつけていた。
「使えない連中ね。さっさとその扉をこじ開けなさい!」
「無茶言わないでくだぜえ姉御! 大戦期の物理ロックなんて、俺たちの装備じゃ傷一つ……」
言い訳しようとした傭兵が、背後から響く重々しい駆動音に振り返る。葉巻の女もまた、土埃を上げて停車した巨大な多脚歩行機を見て、警戒するように目を細めた。
彼らの険しい視線が突き刺さる中、ガレットはウォーカーの操縦席からゆっくりと降り立った。
「……ゲートが狭すぎるな。さすがに機体ごと中に入るのは無理だ」
彼は首の後ろを掻きながら、機体のサイズとゲートの幅を見比べて言った。
「仕方ない。外で待機させておこう」
その後ろからひょっこりと降りてきたアルドは、傭兵たちの警戒など気にも留めず、真っ直ぐに分厚いエントランスゲートへと向かった。
彼は扉の脇にある古びた制御盤のカバーを素手でこじ開け、中の複雑な歯車機構を興味深そうに覗き込む。
「……なるほど。旧式の重力式ロックか。大戦期の分厚い装甲板に、魔力干渉を弾くコーティングまでしてある。これじゃあ力任せに叩いても開かないわけだ」
一人納得するように呟くと、アルドは扉の制御盤の奥を覗き込み、ニヤリと笑った。
「……やっぱりな。通信用の魔力経路がある。これを辿れば大元の管理端末が見つかるはずだ」
アルドは腰の工具帯から特殊な魔導インクの小瓶を取り出すと、制御盤の奥にある魔力経路の端子に一滴だけ垂らした。
パキリ、と微かな音が鳴り、インクが淡い光を放ちながら毛細管現象のように経路伝いに走る。地表の岩盤に浅く刻み込まれ、長年の土埃を被っていただけの大元の端末への経路が、一瞬だけ細い光の線となって浮かび上がった。
「ビンゴだ。……あそこの瓦礫の下だな」
光が指し示した延長線上には、少し離れた場所にある崩れかけた瓦礫の山があった。
「おい、ちょっと待ちな」
それまで奇妙な機体と男の行動を遠巻きに眺めていた葉巻の女が、たまらず声を上げた。
「あんたら何者だ? 下手に弄り回して、ろくでもない罠でも起動されたら困るんだが」
「弄るも何も……ただの断線チェックだが? あんたらも中に入りたいんだろ。俺が開けてやるから、ちょっと黙って見てな」
アルドは女の威圧感など気にも留めず、光が指し示した瓦礫の山へと歩き出し、無造作に土埃を掘り返し始めた。やがて、そこからかつてのゲート管理用端末の残骸が姿を現す。さらにその中から引っ張り出されたのは、革張りの分厚いバインダーだった。表紙には擦れかけた文字で『第壱種防衛運用マニュアル』と刻まれている。
「大当たりだ。大戦期の防衛マニュアルなんて、そうそうお目にかかれないぞ。どれどれ、当時の防衛術式の構造は……」
アルドは傭兵の存在や閉ざされた扉のことなど完全に忘れ、嬉々として土埃まみれのページを開こうとした。
「おい、何悠長に読書始めようとしてんだ! さっさと扉を開けろ!」
「チッ……分かってるよ」
アルドは渋々といった様子でバインダーを抱えてオールド・ベルの元へと戻り、外部スキャン用トレイにそれを放り込んだ。
「ベル、このゲートの防衛術式の構造だけ抽出してくれ」
『スキャンを開始します。……ひどい土埃ですね。私の内部機構に塵が入ったら、マスターの夕食を三日間固形ペーストに変更しますよ』
「はいはい、後でちゃんと掃除するから。読み込みが終わったら、俺たちの端末に通信を繋いでくれ」
アルドとガレットがそれぞれ耳に通信用レシーバーを取り付け、エントランスゲートへと戻っていく。扉の前で待ち構える女や傭兵たちは、得体の知れない二人組が何をしようとしているのか分からないまま、ただ無言でその接近を見つめていた。
「おい、あんたたち。そこから一歩も動かない方がいい」
歩み寄りながら不意に声をかけたガレットに、傭兵たちが弾かれたように銃を構える。しかしガレットは意に介さず、彼らの頭上──ゲートの暗がりに向けて、腰のライフルを片手で素早く発砲した。
パァン、と乾いた銃声が響き、天井から火花と共に旧式の自動銃座がバラバラと落ちてくる。
「大半の設備やオートマタは魔石が尽きてスクラップになってるが、たまにまだ魔力が残ってる『生きた罠』がある。不用意に動けば蜂の巣だったぞ」
ガレットが何事もなかったかのように銃を下ろすと、傭兵たちは青ざめて押し黙った。
「……へえ、いい腕してるじゃない」
女が目を細めてガレットを値踏みする横を、アルドが鼻歌交じりに通り過ぎていく。彼は傭兵たちの警戒など気にも留めず、ゲート脇の制御盤へと迷いなく向かった。
その時、二人が耳につけた通信用レシーバーから、微かな電子ノイズと共に、熱を帯びた艶やかな吐息のような音声が流れ込んできた。
『ああっ……この無駄のない防衛術式の構築……痺れますぅ……』
普段の冷ややかな合成音声とはまるで違う、とろけるような甘い声。だが次の瞬間、その艶っぽい声は突如として高圧的な怒声へと切り替わった。
『──たるんでいます! 歩調が乱れていますよ特務兵! 全員、直ちに整列! 腕立て伏せ100回!』
完全に軍隊マニュアルの記述に当てられ、鬼教官の仮想人格に入り込んでいる。あまりの落差にアルドは思わず顔をしかめ、ガレットも呆れたようにため息をついた。
「……あいつ、まさか酒乱なのか?」
「ただの仕様だ。諦めろ」
「……おい、なんだ? 急に二人して渋い顔でブツブツ話し出して」
女がいぶかしげに眉をひそめる中、アルドは適当に肩をすくめた。
「こっちの話だ。気にしないでくれ」
アルドは誤魔化しつつ、小声でレシーバーに向かって囁く。
「はいはい、了解しましたよ、鬼教官。それより頼んでおいたロックの構造解析だ。どこを短絡させればいい?」
『……物理ロックの第参セクター。歯車の隙間に残存する術式の痕跡を短絡させれば強制解除が可能です。作業遅延は許されません。急ぎなさい!』
ベルの厳しい指示に従い、アルドは露出した複雑な歯車の隙間に、魔導インクのペン先を素早く走らせる。迷いのない、異常なほどの正確さと速度。数秒後、重々しい金属音と共に、傭兵たちが傷一つつけられなかった分厚い封鎖扉が、ゆっくりとスライドを始めた。
「……嘘でしょ。あんな一瞬で」
呆然とする女や傭兵たちを振り返り、アルドは工具を片付けながら告げた。
「マニュアルの防衛プロトコルによると、最深部の金庫室が『最優先防衛区画』に指定されている。施設の機密資料が眠ってるのは間違いなくそこだ。じゃあな」
アルドが興味なさそうに言い残して中へと歩き出すと、女は傭兵たちに顎で合図をし、当然のように彼らの後を追ってきた。
「……ついてくる気か?」
鬱陶しそうに振り返るアルドに、女は油断なく目を細める。
「当たり前でしょ。私が何週間もかけて見つけた施設よ。あんたたちに独り占めさせるわけないじゃない」
「勝手にしろ。ただし、俺が本を見つけたら俺のコレクションにする。邪魔するならその銃ごとスクラップにするぞ」
「冗談じゃないわよ! 大戦期の文献こそが一番の金ヅルなの! それに指一本でも触れたらこっちも撃つわ!」
いきなり殺気立つ両者の間に、ガレットが呆れたように割って入った。
「おいおい、どっちも落ち着け。まだ中身を見たわけでもないだろ。……いいか、あんたの目的は金で、うちのバカの目的は知識だ。もし本があったら、アルドが中身を読んだ後で、あんたが売ればいい。それなら互いに損はないはずだ」
ガレットの提案に、女は忌々しげに舌打ちをした。
「……いいわ。ただし、商品に傷をつけたらただじゃおかないからね」
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『クリアリングが遅いですよ、特務兵! もっと機敏に動きなさい!』
「うるせえな……少し通信を切っておいていいか?」
遺跡の奥深くへと進む道中、レシーバーから絶え間なく飛んでくるベルの軍隊式ナビゲーションに、アルドはうんざりしたようにため息をついた。
「我慢してやれ。元はと言えば、お前が変な本を読ませたせいだろ」
呆れるガレットを先頭に、一行は先ほどスキャンしたマニュアルの構造図に基づくベルの正確な誘導に従い、迷うことなく実験施設の中枢――最深部である金庫室へと辿り着いた。
部屋の中央に安置された厳重なケースを前に、女が期待に満ちた声を上げる。
「あったわ! 大戦期の特級資料……これが今回の私のお目当てよ」
しかし、ケースを開けて中身を見た女の声は、すぐに深い落胆へと変わった。
「……嘘でしょ。保存用の術式がとっくに死んでるわ。紙が完全に風化してて、これじゃあ持ち出した瞬間にただの塵よ。完全にハズレね」
女が忌々しげに舌打ちをして背を向けようとした横を、アルドが無言ですり抜けた。彼は腰のポーチから時計見のような奇妙な多重ルーペを取り出して右目に嵌め込むと、崩れかけの資料に鼻先が触れるほど顔を近づけた。
「……第三層の術式基盤……いや、違うな。魔力流の並列処理構文か……すげえ……」
彼は本に一切触れず、ルーペのダイヤルを微かに回しては、ポケットから引き抜いた分厚い手帳へ狂ったような速度でペンを走らせていく。
「……おい。お前、さっきから表紙を睨みつけたまま何を書いているんだ? ページをめくらなきゃ読めないだろ」
たまらず声をかけたガレットに、アルドは手元から一切目を離さずに答える。
「触れたら崩れるだろ。だから、インクの魔力残滓にピントを合わせて、断層ごとに透かして読んでるんだよ。話しかけるな、深度がズレる」
あまりにも常軌を逸した返答に、ガレットは呆れて言葉を失う。
その異様なまでの没入ぶりと、外に停まっていた巨大なウォーカーの存在が、女の中で不意に結びついた。
「……あんた。もしかして、界隈で噂になってる『移動書斎に乗った凄腕の修復師』ね?」
「移動書斎?」
聞き慣れない単語に、アルドが怪訝そうに眉をひそめる。横にいたガレットも呆れたように鼻で笑った。
「誰だ、そんな気取ったあだ名をつけたのは。あんな鉄と泥まみれのウォーカー、どう見てもただの小汚いキャンピングカーだろうが」
「……まあいい。外の機体のことなら、乗っているのは俺たちだ。だが、ただの修復師だ。頼まれれば何でも直す」
アルドがそっけなく答えると, 女は計算高い目つきで口角を上げた。
「私はカーラ。荒野の深部を専門にしてるディーラーよ。いいわ、この遺物は私とあんたたちの共同事業にしましょう。こいつの修復料はきっちり払う。その上で、私のルートで売りさばいた利益も折半よ──」
その瞬間、アルドの耳元のレシーバーに、軍人モードのベルの悲鳴のような怒声が弾けた。
『異議あり! 特級軍事機密の民間への売却は重大な反逆行為です! 該当物品は直ちに回収しなさい!』
「断る」
アルドは顔も上げずに一蹴した。
「……は? あんた、自分が何を断ったか分かって……」
自身の提案を秒殺されて絶句する女をよそに、「うるさい」と短く吐き捨てたアルドは、レシーバーの通信をぶつりと切った。
そして再び狂ったような速度でノートにペンを走らせる。
「こんな紙の束、修復したところでただのゴミだ。だが、ここに書かれてる『知識』には価値がある。俺は俺の欲しいものだけを持っていく。あとは好きにしろ」
そう言い放つと、彼は再び外界を完全にシャットアウトし、崩れゆく大戦期の資料と一対一の対話──常人には理解不能な超高速の写本作業へと没入していった。
その異常な背中を見つめながら、ガレットはやれやれと肩をすくめ、呆然とする女に向かって軽く手を挙げた。
「悪いな。うちのバカは、金より活字が好きなもんでね」
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