第41話 柄にもなく、誰かのために動くこともある
ジャックの言葉が落ちた後、ドックには石炭を砕く遠い音だけが残っていた。
アルドは作業台に置いたレンチを手持ち無沙汰に転がしながら、何も言わない。ガレットが腕を組んで傍らに立ち、カーラは装甲車の車体にもたれて細い目を動かしている。
「……で? お前はどうするつもりなんだ、アルド」
ジャックが沈黙に耐えかねたように口を開いた。
だが、アルドは手の中のレンチを転がすだけで答えようとしない。見かねたように、カーラが淡々とした口調で割って入った。
「ジャックの言う通り、実物を引き渡すのが一番手っ取り早いわ。プラントから引っこ抜いてきた精霊──あの論理基盤を、企業連にそのまま渡してしまえばいい。ジャック、あんたなら実績があるんだから、適当な経緯をでっち上げてうまく報告できるでしょ」
二人の視線を浴びても、アルドはレンチを指先で回し続けている。
「何を渋ってんだ? 大戦期の貴重な精霊だろうが、代えの利く部品だろう。命や自由には代えられねえ。惜しんでる場合じゃねえぞ」
ジャックが声を荒らげた。
その瞬間、機体スピーカーが鳴った。
『──却下します、マスター』
冷たく、澄んだ合成音声だった。
ジャックの眉が跳ね上がる。つい先ほど正体を知ったばかりの「鉄の塊」が、議論に割って入ってきた。
『あの基盤は代えの利く単なる部品ではありません。中に存在する固有の論理パターンは、世界に二つと存在しない"この子"だけのものです』
スピーカーの音声は揺るぎなかった。
『手放すことは絶対に認めません』
ジャックが口を半開きにしたまま、機体を見上げている。カーラも腕を組んだまま動かない。
「ったく」
アルドがレンチを作業台に放り投げた。乾いた金属音がドックの天蓋に跳ね返る。
「ただの論理基盤に情が移ってんじゃねえよ」
文句を言いながらも、その声に怒りはなかった。
ガレットが静かに頷いた。
「うちの家主がイヤだと言っているなら、別の手立てを探すまでだ」
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機体のハッチを潜り、一行は機内の工作室へ移動した。
拡張された作業空間には、使いかけの工具やぼろ布、木箱に詰められた雑多な部品が所狭しと並んでいる。壁際の棚には古い基盤の残骸やコイル、変色した歯車が無造作に積まれていた。
ジャックは工作室を見回し、カーラは壁にもたれた。ガレットはハッチの脇に立ち、腕を組んだまま動かない。
ルカだけが、作業台の上に転がっている見慣れない部品を一つずつ手に取っては眺めている。歯車の欠けた古い制御盤を裏返して覗き込み、ぐるりと工作室を見渡してから、ふいに口を開いた。
「なぁ、精霊って作れないのか?」
工作室の空気が止まった。
ジャックが怪訝な顔でルカを見た。カーラの片眉がわずかに上がる。
普通の技術者なら笑い飛ばす。大戦期の遺物を自作するなど不可能だ──荒野の常識ではそうなる。
だが、アルドは笑わなかった。
作業台に片手をついたまま、自分の指先をじっと見つめている。油の染みた爪と、無数の細かな火傷の痕。
「作れないわけじゃない」
低い声だった。
「だが、大戦期の基盤を物理的に組むだけじゃ駄目だ。並大抵じゃない技術と労力が要る」
アルドは作業台から腰を上げ、棚の上に転がっている古い論理基盤の残骸を一つ、手に取った。
「それにな、こいつの中で──どういう制御が行われるべきなのかを、正確に把握して組み込まないといけない。それが分からなきゃ、本物同然に機能する精霊にはできないんだ」
ルカは首を傾げた。
「えー、並大抵じゃない技術ってアルドじゃできないの?」
「……技術はどうにでもなる。だが、どういう制御が──」
「あと」
ルカが遮った。
「精霊がどう動くかは、ベル姉が分かるんじゃないの? ベル姉も精霊なんだから」
工作室が、もう一度静まり返った。
アルドの手が止まった。
基盤の残骸を握ったまま、ルカの顔を見て、それからベルを見つめるかのように頭上を見上げた。
「……あ、あれ?」
アルドの声が裏返った。
「待て。プラント中枢の基盤でどういう制御が行われるべきかをベルが解析して──俺たちが手作業と演算の全技術を注ぎ込めば」
基盤の残骸を握る指に力が入った。
「企業連を100%納得させる──本物同然に自律稼働する自作精霊なら、作れるんじゃないのか」
ジャックが目を見開いた。カーラの口元に、面白がるような笑みが浮かんでいる。
「だが」
アルドは基盤を作業台に置き、声を低くした。
「ジャックの話だと既に捜査は進んでいるはずだ。時間をかけている余裕はないぞ」
『マスター』
合成音声が割り込んだ。
『今回の論理基盤のサイズ的に、二人並行して記述作業を行えば時間は短縮可能です』
「二人って……」
アルドが眉をひそめた。
「俺ともう一人、誰が論理コードを書けるんだよ?」
『私がやりますよ。こう見えても器用なんですよ』
スピーカーの声が響くのと同時に、工作室の天井近くに格納されていた作業用アームが動いた。関節を軋ませながら伸びてきた鋼鉄のマニピュレーターが、カチャカチャと指先──三本の精密把持爪──を器用に開閉してみせる。
まるで手遊びでもするかのように、左右のアームが交互にリズムを刻んだ。
アルドは何とも言えない顔でそれを見上げた。釈然としないものが表情に残っていたが、やがて短く息を吐いた。
「……分かった」
言いながら、工作室の奥へ向かった。棚と壁の間に押し込まれた古い木箱を引きずり出す。蓋を開けると、中には変色した論理基盤の空き骨格や、接合用の古い魔導線、ハンダの棒が雑然と詰まっていた。
二つ目の木箱。三つ目。
普段から機内のあちこちに溜め込んでいたジャンクパーツが、次々と作業台の上に積み上がっていく。
『……マスター』
合成音声のトーンが、わずかに下がった。
『マスターのあの無駄なジャンク漁りが、まさか役に立つ日が来るとは』
排熱ファンが、一度だけ低く鳴った。
『何てめでたい日でしょう』
スピーカーから流れた皮肉は、冷たく澄んだ合成音声に薄い笑みを貼り付けたような響きだった。
「余計なことを言ってる暇があったら手伝え!」
アルドが木箱を抱えたまま怒鳴った。ジャンクの山からコイルが一つ転げ落ちて、床の上を転がっていく。
ルカが声を上げて笑い、カーラが葉巻を探しながら肩を揺らした。
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「俺とベルはこのまま自作精霊の組み上げに入る」
アルドがジャンクの山を作業台に広げながら言った。
「ジャック、完成までの時間稼ぎが要る」
「言われるまでもねえよ」
ジャックが外套の襟を立てた。
「カーラ、街の同業者どもに噂を流すぞ。企業連の目を撹乱する」
「上等じゃないの。面白くなってきたわね。ついでに、連中の調査の進み具合も調べてきてあげる」
カーラが立ち上がり、外套を翻して後に続く。
「なら、食い物は俺たちに任せろ」
ガレットがルカの肩を軽く叩いた。
「アルドの奴は作業に入ると飯を食うのを忘れる」
「おう! いいもん見つけてくるぜ、おっさん」
「ジャック、カーラ。戻ったら飯にしろ。温かいのを作って待っている」
「あら、それは楽しみね」
カーラが微笑み、ジャックは背を向けたまま軽く片手を挙げた。
四人の足音がハッチの向こうへ遠ざかっていく。
工作室に残ったのは、アルドと、スピーカーの向こう側の合成音声だけだった。
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ジャンクの山から選り分けた空き基盤を、アルドは作業台の中央に据えた。大戦期の軍用規格──変色して角が欠けているが、骨格の配線路はまだ生きている。
その横に、洋上プラントの中枢から持ち帰った論理基盤を慎重に置いた。
『では、始めます』
合成音声が静かに告げた。
ベルの処理回路が、プラント中枢の論理基盤に記録された配列への深層読み込みを開始する。表層のログを拾い上げただけの時とは、負荷の次元が違う。一世紀近く放置されても崩壊しない、濃密で堅牢な大戦期のアルゴリズム──その全構造を、丸ごと解読する作業だった。
数秒。
機体の排熱口から、蒸気の噴出量が目に見えて増した。
工作室の天井近くを走る配管が低く唸り、パイプの継ぎ目から白い湯気が滲み始める。
「……おい」
アルドが顔を上げた。
機体内部の駆動音が変わっていた。普段の安定した低音ではない。処理負荷が急激に跳ね上がった時に特有の、不規則な高周波が混じっている。排熱蒸気の量はさらに増し、工作室の空気がじわりと温度を上げた。
『…………っ』
スピーカーから、微かな音が漏れた。
ノイズではなかった。合成音声の語尾が、ほんのわずかに震えている。
普段の冷たく理知的なトーンが──排熱蒸気の上昇に引きずられるように、ほんの少しだけ、低く、熱を帯び始めていた。
『……なるほど。これは……予想以上の、密度ですね……』
言葉の端が、吐息のように掠れた。
アルドは小型工具を手に取ったまま、天井のスピーカーを見上げた。
「……また厄介な仕様が出やがったな」
長い息を吐く。ペンのような工具のグリップを無言で握り直す。
『……マスター。配列の解読が完了した区画から、順次出力します……基盤の左端から0.3ミリ間隔で、第1層の論理経路を……刻んでください……』
吐息混じりの声が、それでも正確な座標と手順を紡ぎ出した。
『……それと……マスターの指先の動きが、いつもより幾分乱暴ですね……』
アルドの手元で、工具の先端がわずかに止まった。
『もう少し丁寧になさってくれないと……配列の精度が、保てません……』
排熱蒸気が天井の配管からゆるりと降りてきて、工作室を白く煙らせている。
アルドは何も言わなかった。
工具を握り直し、基盤に向かう。
基盤の表面に、極細の論理経路を一本、正確に刻み込んでいく。
吐息交じりの合成音声が座標を読み上げ、油まみれの指がその指示通りに論理配列を刻んでいく。
排熱蒸気の白い幕の向こうで、マニピュレーターの精密把持爪もまた別の基盤の上を静かに走り始めた。二本のアームが、左右から同時に、精密な配線作業を進めている。
人間の職人と、処理回路を焼き切りそうなほどの過負荷を抱えた合成音声。
二つの手が、夜を徹して論理配列を刻む。
廃炭鉱街の片隅で、その熱い作業は静かに幕を開けた。
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