第38話 一体何者なんだ、そのベルって女は?
──時間を少し遡る。
カーラたちを乗せた装甲車が海岸線に到着するより、いくらか前のこと。
灰の海から生還し、廃ドック跡で十分な休息と実験を終えたいま。いよいよ荒野へ向けて出発しようとするオールド・ベルの多脚が、重々しい軋みを上げ始めている。
アルドは機体の足元に立ち、見上げるようにしてそれを眺めていた。
泥まみれの外輪。ありあわせの装甲板を繋ぎ合わせた無骨な手造りの船。
「こんな完璧な大推力船、置いていくのはもったいないな」
アルドが腕を組み、未練がましく呟いた。
「牽引するか。ワイヤーで後ろに括りつけて──」
「機体よりデカいモン引っ張れるか」
ガレットが開け放たれた機体のハッチから、呆れたように見下ろした。
「俺は一秒でも早く、この泥臭い海風から離れてえんだ。ここで無駄口叩いてる暇があったら、さっさと出発の準備をしろ」
『ガレットの意見に同意します』
アルドの腰に提げた通信機から、冷たい合成音声が響いた。
『物理的な積載上限を無視する思考は病気です。未練は捨ててください、マスター』
「……お前らは本当に俺のロマンを理解しねえな」
アルドは渋々腕を解き、船の方へ歩き出した。手早くケーブルの束を外し、接続部品を回収していく。外したボルトを、苛立った手つきで工具箱の底へ乱暴に投げ込んだ。
最後の配線を引き抜き終えると、アルドはもう一度船を見上げた。
「しゃあねえ。企業連の連中に見つかると後々厄介だからな。適当に隠していくか」
アルドは手近な岩陰に船を押し込み、上から防水布を被せた。
『マスター』
「なんだ」
『見つけられたくないのであれば、完全に解体して証拠隠滅するべきでは?』
合成音声が、至極もっともな正論を突きつけた。
『痕跡を残すことは、論理的に見て最悪の選択肢です』
「バカ言え」
アルドは振り返りもしなかった。防水布の端を瓦礫の下に押し込みながら、低い声で言い返す。
「俺の完璧な力作を壊せるか。いつかまた使うかもしれねえだろ」
『……その非論理的な執着心こそが、マスターの最大のバグですね』
「うるせえ」
ガレットがハッチの縁で深く溜息をついた。腕を組み、荒野の方角に目を向ける。
「お前らの口喧嘩は道中いくらでも聞いてやるから、いい加減乗り込め。出発するぞ」
アルドは防水布に最後の瓦礫を一つ乗せ、砂利を蹴って昇降用の梯子を駆け上がった。
分厚いハッチが閉まる。多脚の駆動音が低く唸りを上げ、機体がゆっくりと岸壁から離れた。砂利と泥を踏み砕く足音が遠ざかり、やがて荒野の風に溶けて消える。
廃ドック跡には、防水布を被った不格好な塊だけが取り残された。
重たい海風が布の端を捲り上げ、その下から錆びた外輪の一部が覗いている。
---
装甲車のボイラーが喘いだ。
硬い岩盤から砂利混じりの海岸線へと地面が変わり、タイヤが細かく滑る。
フロントガラスの向こうに広がるのは、鈍い鉛色に淀んだ巨大な泥の海だった。かつて一寸先も見えなかった分厚い靄は薄れつつあるが、それでも生暖かい泥風がねっとりと肌にまとわりつく。波打ち際に転がっているのは、赤錆に覆われた大戦期の残骸と、泥にまみれた得体の知れない漂着物ばかりだ。
「ここか」
ジャックが助手席の窓から身を乗り出した。手帳を膝の上に広げたまま、海岸線を見渡す。
「灰の海沿岸の廃ドック跡。航路開拓局の記録じゃ、この辺りに大戦期の係留施設の残骸が複数確認されてる。……ま、ついでにあいつらが泥に沈めた調査船の残骸も、そこら中に転がってるだろうがな」
「ずいぶん寂しいところね」
カーラがサイドブレーキを引き、エンジンを切った。蒸気の残響が排気口からしゅうと漏れる。
荷台からルカが飛び降りた。砂利に着地し、泥臭い海風に目を細める。
「で、ここに船があるかもしれないって話だろ? 企業連の捜索隊は見つけられなかったんだよな」
「ああ。だが、見つけられなかったというより、真剣に探さなかったというのが正解だろうな」
ジャックは車を降り、海岸線をゆっくりと歩き始めた。
「普通の連中は、わざわざ船で海を渡ってきた奴らが、その船を乗り捨てて陸路でどこかへ行くなんて考えない。企業連の捜索隊は、あくまで海上の痕跡か、そのまま船で逃げた線を探ったはずだ。そこが盲点になった」
崩れた岸壁の残骸、朽ちたクレーンの骨格、打ち上げられた鉄くずの山。淀んだ海風に晒されて赤錆に覆われた景色が続く。
「アルドたちは自分の痕跡を隠す気が全く無い」
ジャックは独り言のように呟いた。手帳のページを捲る。
「雷鳴の谷じゃ、落雷の過電流でゲートの配線を焼き切った痕跡がまんま残ってた。洋上プラントにも多脚の足跡をそのまま残してやがった。もし船で渡ったなら──」
手帳を閉じ、海岸線の地形を眺め回した。崩れた屋根の残骸。鉄くずの山。その間に挟まれた、不自然に平坦な影。
「──どうせその辺りに適当に放置してあるはずだ」
ジャックは岩陰の方へと足を向けた。カーラとルカがその後に続く。
崩れたドックの屋根と鉄くずの山の間。防水布が瓦礫の下から覗いていた。端が潮風に捲れ上がり、その下から泥にまみれた金属の外殻が見えている。
ジャックは無言で防水布を掴み、一気に引き剥がした。
瓦礫が転がり落ち、砂埃が舞い上がる。
その下に横たわっていたのは、継ぎ接ぎだらけの船だった。サルベージした装甲板を溶接で繋ぎ合わせた、いかにも手造りの無骨な船体。泥まみれの推進外輪。塩の結晶をまとったケーブルの束。どこからどう見ても、正規の造船所で建造されたものではない。
「……ビンゴだ」
ジャックが鼻を鳴らした。
ルカが船体を見上げ、呆れたように首を振った。
「アルドの奴、雷鳴の谷で重要そうなパーツをいきなり引っこ抜いてたけど……マジで後先考えないんだな」
「考えてないんじゃないわよ。考えた上で面倒くさがってるのよ、あのバカは」
カーラが腕を組み、船体の溶接痕を眺めながら言った。
「さ、中を見ましょう。確証が要るわ」
---
船内は、予想以上に広かった。
外から見た継ぎ接ぎの印象とは裏腹に、内部の構造は合理的に組まれている。
だが、機関部へ足を踏み入れたジャックは、その異様な光景に眉をひそめた。
「……なんだこりゃ。魔力炉と推進器が直結されてる。安全装置の類いが一切無えぞ」
ジャックは呆れたように、壁面を這う極太のケーブルを見上げた。
航路開拓局の調査船なら必ず備わっているはずの、出力を抑えるための計器や複雑なバイパス回路が丸ごと省かれている。ただひたすらに、異常な出力を外輪へ叩きつけるためだけの、暴力的でシンプルな構造だった。
「遊牧街のトビーが言っていた通りだ」
ジャックは手帳を開き、走り書きのメモに目を落とした。
「安全マージンを最初からゼロにして、泥の抵抗をねじ伏せるためだけの過剰な出力を流し続ける……。頭のイカれた『限界制御』ってやつを、本当にこのデカブツでやりやがったんだ」
カーラは別の方向へ進んでいた。機関部の最深部。船全体の制御系統が集中するコンソール跡。
彼女の足が止まった。
「ジャック。ルカ。こっちに来て」
カーラの声に抑揚はなかったが、二人はその静かな呼びかけに含まれた確信の響きを聞き逃さなかった。
カーラが指差したのは、コンソールの中央に据えられた無骨な金属の受け口だった。
何かを差し込んで固定するための、がっしりとした爪付きのソケット。接続端子は綺麗に磨かれており、最近まで使用されていた形跡がある。ケーブルの束がそこから放射状に伸び、船全体の機関系統へと繋がっていた。
「見覚えがあるわ」
カーラが静かに言った。
「強酸湖のボート。アルドが即席で組んだ小さなボートの中央コンソールにも、これとそっくりの受け口が取り付けてあった」
カーラは屈み込み、ソケットの爪の形状を確認した。
「あの時は、ここにオールド・ベルの制御部品をガチャンと嵌め込んで、ボートをベルちゃんに直接操縦させていたのよ。接続方式も、爪の噛み合わせも──間違いないわ」
立ち上がり、ジャックとルカを見回した。
「同じ仕掛けよ。あいつら、本当にこの船を自作して灰の海を渡ったのね」
ルカが低く口笛を吹いた。
ジャックは手帳に最後の図を描き込み、ペンを閉じた。
「確定だな。洋上プラントの精霊を抜き取ったのは、アルドたちだ」
---
船を出ると、泥と油の混じった海風が汗ばんだ肌を叩いた。
ルカは岸壁の端に腰を下ろし、足をぶらぶらさせている。カーラは装甲車に戻って水筒を取り出し、一口含んだ。
ジャックは手帳を閉じ、岸壁に背を預けた。しばらく無言で鉛色の水平線を眺めていたが、ふと思い出したように口を開いた。
「ところでさ」
「ん?」
「あんたがさっき言ってた『ベルちゃん』って、アルドたちの多脚機にいるオペレーターの名前か?」
カーラの手が水筒の蓋を閉める途中で止まった。
ルカがちらりとカーラを見た。
「以前、俺が機内に入った時に『ベル』と呼ばれてるのは聞いたんだ。だが、声しか聞こえなくて姿は見えなかった。名前からして女だろ」
ジャックは腕を組み、真剣な顔で首を傾げた。
「あの頭に来る喋り方と、俺をワイヤーで取り押さえた時の手際の良さ……一体何者なんだ、そのベルって女は?」
数秒の沈黙が落ちた。
カーラとルカの視線が交差した。
ルカが口元を手で覆い、肩が小刻みに震え始めた。カーラは水筒の蓋をゆっくりと閉め直し、口元に薄い笑みを浮かべた。
「……ふーん。気になるの」
「そりゃ気になるだろ。あれだけ生意気な口を叩く女が、あんなむさい男二人と旅してるんだぞ」
「そうねえ」
カーラはわざとらしく天を仰ぎ、それから白々しい笑みを浮かべてジャックを見た。
「追いついた時に、直接その『オペレーターさん』に聞いてみたら? きっと丁寧に教えてくれるわよ」
ルカの肩の震えが一段激しくなった。顔を背け、必死に笑いをこらえている。
ジャックだけが真顔のまま首を傾げていた。
「……何がおかしいんだ」
「別に。さ、犯人は確定したわ」
カーラは水筒を装甲車の荷台に放り込み、運転席のドアに手をかけた。振り返り、鉛色の海を一瞥する。
「問題は、ここからあいつらがどこへ向かったか、よ」
ルカが岸壁から飛び降り、荷台に駆け寄った。まだ口元がにやけている。
ジャックは釈然としない顔のまま、助手席のドアを開けた。
パチッ。
「…………」
腕輪の放電を無言でやり過ごし、車内に滑り込む。
ボイラーが低く唸りを上げた。蒸気が排気口から噴き出し、装甲車は砂利を巻き上げて海岸線を離れていく。
廃ドック跡には、防水布を剥がされた継ぎ接ぎの船だけが残された。
淀んだ海風が錆びた外輪を舐め、塩の結晶がぱらぱらと砂利の上に落ちていった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
「続きが気になる!」「この関係性が好き」と思ってくださった方は、ぜひ広告下部にある【ブックマークに追加】や、下部の【ポイント評価(★をタップ)】で応援していただけると嬉しいです!




