第37話 何でも屋とディーラーと、小さなスカベンジャー
どこの集落だったかも覚えていない。
薄暗い闇市の一角。天幕の下にごちゃまぜに積まれたガラクタの山を、アルドは無造作にかき分けていた。錆びた歯車、割れた計器板、曲がったパイプ。指先が油と泥にまみれるのを気にした様子はない。
ふと、手が止まった。
山の底に埋もれていた一冊。背表紙は泥でほぼ見えないが、革の継ぎ方が違う。指先でそっと泥を払うと、背の刻印にかすれた文字が浮かび上がった。
アルドの目が一瞬だけ見開かれ──すぐに半眼に戻る。
何食わぬ顔で本をガラクタの山に戻し、店主の方へ顎をしゃくった。
「おい。この辺の紙くず、まとめていくらだ」
「紙くず? ああ、そんなもん好きなだけ持っていきな。金属を買ってくれりゃ、紙なんかおまけでつけてやるよ」
「なら、その辺の鉄くずを適当に見繕う。紙くずとまとめて、この額でどうだ」
交渉は一瞬で片がついた。店主は金属の方にしか興味がない。アルドは鉄くずの入った袋を小脇に抱え、もう片方の手で──あの本だけはそっと作業着の内側に滑り込ませた。
分厚い金属のハッチが閉まる。
機内の薄暗い通路に入った瞬間、アルドの口元が裂けるように歪んだ。
「あのバカ店主め」
内ポケットから本を取り出し、泥を丁寧に拭い取る。革の装丁の下から現れたのは、大戦期の技術書の刻印だった。
「何が紙くずだ。これがどれほどのものか分かってねえ──」
下品に笑いながら、通路の壁に背をもたれかけさせて表紙を捲ろうとした、その時。
『またどこかの哀れな店主を騙して、その『紙くず』をせしめてきたのですね』
天井のスピーカーから、冷ややかな合成音声が降ってきた。
『マスターの性根の卑しさがよく表れていて素晴らしいです。本日も変わらず最低で安心しました』
「うるせえ。これはただの紙くずじゃねえし、騙してもいない。あいつが価値を知らなかっただけだ」
『それを世間では詐欺と呼ぶのですが、マスターの辞書にはその項目が欠落しているようですね』
取り合うだけ無駄だと悟ったアルドは、鼻を鳴らして工作室へと歩き去る。
その背中に、スピーカーの合成音声がもう一言だけ追いかけた。
『──スキャンは後ほど、私のところへお持ちくださいませ。楽しみにしていますから』
アルドは振り返らない。ただ、片手を軽く上げただけだった。
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装甲車の荷台が跳ねた。
硬い岩盤の段差を越えるたびに、鉄板を継ぎ接ぎした車体が軋んで揺れる。荒野の陽射しが容赦なくフロントガラスを焼き、車内は埃と熱気で蒸されていた。
パチッ。
「──ッ」
ジャックの右手首に巻かれた腕輪が小さく放電し、彼の肩が跳ねた。服の袖が座席のレザーに擦れただけだった。舌打ちをして手首を振り、助手席で広げていた手帳に視線を戻す。
「それで、どこに向かうんだよ」
ジャックは手帳から目を上げずに聞いた。
「アルドたちが身を隠せるように、私が紹介してやった潜伏先よ。移動コミューン、『遊牧街』。あそこは常に移動してるから、紹介した時とは場所が変わってるけど……ま、タダで護衛を引き受けてくれた『何でも屋さん』をこき使えば、他の追手よりは早く見つけ出せるでしょ」
ハンドルを握るカーラが、前方の荒野から目を離さずに、愉快そうに口角を上げた。
パチッ。
「……くそ」
また揺れた拍子に放電を食らったジャックが、右手首を左手で押さえる。彼はアルドが仕込んだ悪意ある仕様に歯を剥きながら、手帳に走り書きされたメモを追った。洋上プラントの現場資料。多脚の足跡の方角。灰の海の海図と、航路開拓局の沈没記録の断片。
「ところでさ。何であんたはアルドたちを殺したなんて嘘ついてるのよ。教えてくれても良いでしょ」
ジャックは答えなかった。手帳のページを捲り、印画紙の間に挟んだメモ書きを引き抜いて眺める。
沈黙。
車内に響くのはボイラーの低い唸りと、鉄板の軋む音だけだ。
「先は長いんだから、そうやってずっと黙ってるのはつらいわよ。まあ、その内聞かせてもらうわ」
カーラはまるで堪えた様子もなく、ハンドルを片手で握り直した。
「……そういえば。酒場で言ってた『洋上プラント』のことなんだけどさ」
パチッ。
「痛ッ──おい、話しかけるのをやめろとは言わないが、せめて道をもう少しまともに選べ」
「あら、私の運転が荒いって言いたいの? 無料で乗せてもらっておいて、贅沢ね」
ジャックの抗議を軽く受け流しながら、カーラは次の段差へとハンドルを切った。
---
遊牧街は、以前とは違う荒野の窪地に停泊していた。
巨大なテント群と、無数の車両が犇めき合う移動集落。出力を意図的に絞り込んだエンジンが、くぐもった低音を空気に滲ませている。カーラの装甲車がその外縁に滑り込むと、何人かの住人が怪訝な視線を向けたが、すぐに興味を失って自分の仕事に戻っていった。
「──巨大な多脚歩行機? ああ、あんな目立つ連中、とっくの昔に出て行ったぞ」
最初に声をかけた男が、面倒くさそうに顎で荒野の方角を指す。
「どこに行ったか知ってるか」
「知るかよ。ある日突然いなくなっただけだ」
あっさりと空振り。ジャックは舌打ちをして踵を返した。
「あいつらはここで修復依頼を受けて仕事をしていたみたいね」
カーラが腕を組んで遊牧街の喧騒を見回しながら言った。
「依頼した人間の中で、何か知っている人がいないか調べましょう」
「俺はジャンク屋をあたる。アルドなら、変なガラクタを作って売ろうとした痕跡があるはずだからな」
数時間後。
テントの一角、工具と部品が几帳面に並べられた作業場の前で、痩せた若い技師トビーがオドオドとした目で二人を見上げた。
「あの……僕に何か」
「あんた、アルドたちに仕事を頼んだことがあるって聞いたんだけど」
カーラが腕を組んだまま問いかけると、トビーはぎこちなく頷いた。
「はい。修復を依頼しました。……これです」
彼が差し出したのは、分厚い革装の手記だった。ページを開くと、特定の項目だけが太い黒インクで執拗に塗り潰されていた。その部分の元の文字は完全に読み取れない。
「アルドさんたちがここを出ていく前に、最後に仕事を依頼したのは僕だと思います」
トビーは手記を両手で抱え直しながら、視線を伏せた。
「これを受け取って帰った後、ルカから彼らが旅に出たと聞きましたから」
「じゃあ、アルドたちと最後に話したのはその『ルカ』って子かしら。直接話を聞ける?」
カーラが尋ねた瞬間だった。
「──おっさんたちのことを聞いて回ってるのは、あんたらか」
横合いから、低くて小さな声が割り込んできた。
テントの影から姿を現したのは、煤けた作業着を纏った小柄な人影だった。短く切り揃えた髪の下で、鋭い目がカーラとジャックを交互に射抜く。
「ルカ。この人たちがアルドさんたちのことを──」
「聞こえてた」
ルカはトビーの言葉を遮り、担いでいた荷物をテントの柱に預けた。細い腕を組み、二人の大人を見上げる。
「アルドたちが出ていった時のことなら、オレが一番よく知ってるぜ」
「それは助かるわ。何か知ってることを教えてくれない?」
カーラが穏やかに水を向けた。ルカはトビーの方をちらりと見た。
「トビーの兄ちゃんが持ってるそれの内容を見て、アルドが『こんなところで油を売ってる場合じゃない』って、何かを思いついたように出て行ったんだぜ」
ルカの視線がトビーの上を滑った。一瞬だけ。それ以上は踏み込まない。
ジャックは黙って聞いていた。ルカの言葉を反芻しながら、トビーの手元の手記に目を落とす。異様なまでの黒塗りの痕。
「アルドが内容を見たって言うが」
ジャックがトビーに向き直った。
「その黒塗りの下には、一体何が書いてあったんだ?」
トビーの顔から血の気が引いた。手記を胸の前に抱え込み、視線が忙しなく左右に泳ぐ。
「……安全マージンが一つもない、恐ろしい限界制御理論です」
絞り出すような声だった。
ジャックの目が細くなった。限界制御理論。安全マージンなし。
──洋上プラントの現場資料に残されていた、あの多脚機の足跡。企業連の船すら沈む泥の海をねじ伏せて航行したとするなら、常識では説明のつかない出力。そしてそれを可能にするであろう理論。
カーラも同じ結論に辿り着いたらしい。組んでいた腕をほどき、ジャックと視線を交わした。
「行くわよ、ジャック」
カーラが踵を返し、テントを立ち去ろうとした瞬間。
「待てよ」
背後から、ルカの低い声が飛んだ。
カーラが肩越しに振り返る。ジャックも無言で足を止めた。
「あんたら、おっさんたちを何で探してるんだ」
ルカはテントの柱から離れ、二人の方へ歩み寄ってきた。細い腕を体の脇に下ろし、鋭い目で睨みつけている。
「さっきからずっと聞いてたけどさ。あんたら、おっさんたちの知り合いなのか? 何者なんだよ」
答えが返ってこないのを見て、ルカの目が据わった。スッと二人の前に回り込み、行く手を遮るように立ちはだかる。
「あんたらが、おっさんたちに手出ししねえって分かるまで、絶対に行かせない」
一歩も引く気はないとばかりに、小さな体で真正面からカーラを見据えた。
数秒の沈黙が流れた。
カーラの口元が、僅かに弧を描いた。
「ジャック」
「あん?」
「この子に事情を説明しなさい」
唐突な命令に、ジャックが露骨に顔を歪めた。
「何で俺が」
「何でって、あんたがアルドたちを探したいんでしょ。いいからこの子がちゃんと納得するように説明するのよ」
有無を言わせぬ口調だった。カーラはテントの柱にもたれかかり、自分はすっかり見物の姿勢を決め込んでいる。
ジャックは天を仰いだ。長い溜息が砂埃に溶ける。
「……分かったよ。ルカだっけか、ちょっとこっちに来い」
ぶっきらぼうに手招きして、少し離れたスクラップの山の陰へと歩き出す。ルカは警戒を崩さないまま、間合いを保ってその後に続いた。
カーラとトビーの場所からは、二人の姿が小さく見えた。
ジャックが何かを必死に説明している。手帳を広げ、身振り手振りを交えている。途中で腕輪を指さし──何かを見せようとした、その時。
パチッ。
ジャックの体が弾かれたように跳ねた。右手首を押さえてうずくまる。
ルカの甲高い笑い声が、遊牧街の喧騒を突き抜けて響いた。腹を押さえて前のめりになり、笑い転げている。ジャックが何か言い返しているが、ルカの笑い声にかき消されている。
「……あの腕輪が何なのか、あの子に聞かれたみたいね」
カーラが愉しげに呟いた。
トビーは何が起きているのか分からず、ただ目を丸くして二人のやり取りを眺めていた。
しばらくして、二人が戻ってきた。
ルカはまだ目尻に涙が滲んでいる。何度も咳き込みながら、時折ジャックの方を見てまた吹き出しそうになっている。
ジャックはひどく嫌そうな顔をしていた。右手首を庇うように左手で包んだまま、カーラの方を睨む。
「おっさんたちが大変なことになるかもしれないのは分かった」
ルカは笑いの残る声で言いながら、袖で目元を拭った。それから二人の大人を見上げ、ニヤリと口角を上げる。
「……でも、あんたらこの辺の地理には詳しくないんだろ? オレが道案内してやるよ」
「子供の出る幕じゃないわよ」
カーラが即座に切り返した。
「子供じゃねえよ。あんたらが荒野で迷ったらそれこそおっさんたちを見つけるのが遅れるだろ」
ルカは一歩も引かなかった。カーラの目を真っ直ぐに見返し、煤けた指で自分の胸を叩く。
「雷鳴の谷でだって一人で生きてきたんだ。この辺の地面の読み方なら、そこらの傭兵よりよっぽど知ってる」
カーラは数秒だけルカを見つめた。それから小さく鼻を鳴らし、街の外縁の方角へ顎をしゃくる。
「私はカーラ。そっちの冴えない男がジャックよ」
「オレはルカだ。よろしくな、カーラ」
「車に乗せるわ。でも足手まといになったら途中で降ろすからね」
「上等だ」
ルカが身軽にカーラの後を追う。
外縁に停めていた装甲車に戻ると、ルカは迷わず荷台に飛び乗った。ジャックは何も言わずに助手席のドアに手をかけ──パチッ。
「…………」
無言で天を仰いでから、車内に滑り込んだ。
ボイラーが低く唸りを上げた。蒸気の吐息が排気口から噴き出し、装甲車は砂煙を巻き上げて遊牧街を後にする。
灰の海の海岸線へ。
荷台から身を乗り出したルカが、風に目を細めながら叫んだ。
「おい、もっと飛ばせよ!」
「うるさい子ね」
カーラがアクセルを踏み込む。
パチッ。
「……頼むから道をまともに──」
ジャックの抗議は、ボイラーの轟音にかき消された。
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