第33話 廃墟の正体
精製区画の天井は、遥か頭上で闇に溶けていた。
サーチライトの光がどこまで届いても、錆びついたタンクの上端を捉えることはできない。灰の海の底に沈んだまま長い歳月を重ねた鋼鉄の墓標たちは、光を当てられてもなお、一切の色彩を拒むように鈍く黒ずんでいた。
オールド・ベルの多脚が装甲床を踏みしめるたびに、微かな振動がタンクの外壁を伝わり、中空の鉄の腹を低く鳴らす。それ以外に、音はない。
精製区画のさらに奥。幅広い搬入路が緩やかに下り勾配を描きながら、プラントの心臓部へと続いていた。床面のいたるところに、黒い染みがこびりついている。魔力液の結晶化した残滓とは違う。何かの液体が大量にぶちまけられ、そのまま干からびて、装甲床の表面に薄い黒膜を残しているのだった。
アルドは操縦桿を静かに倒し、通路の突き当たりにある制御区画の前で機体を停泊させた。
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「……最悪だ。靴底がベタベタする」
機体のハッチを降りたガレットが、鉄製のキャットウォークの上で不快そうにブーツの底を擦りつけた。ランタンを掲げると、床面一帯に広がる黒い染みの薄膜が、ぬめるような光沢を返す。
「こんな泥の海のど真ん中の施設に、金目のモンが残ってるとは思えねえが」
「だから面白いんだろう」
アルドはそう返して、先にキャットウォークの階段を降りた。腰のベルトからランタンを外し、制御区画の分厚い隔壁に嵌め込まれた小さな覗き窓を照らす。
厚さ3センチはあろうかという防爆ガラスの向こうに、うっすらと内部の輪郭が浮かんだ。
計器盤。操作レバー。壁面を埋め尽くすコンソールの列。そしてその奥の棚に、分厚い背表紙を並べた書物の群れ。
アルドの足が止まった。
ランタンの光を窓ガラスに押し当てるようにして、目を細める。色褪せた背表紙の文字が読めるほどの距離まで顔を近づけた。
「……掘削モジュールの操作手順書、浮力制御システムの整備記録、深海……」
最後の一冊の背表紙を読みかけたところで、アルドの口が止まった。無言でランタンを下ろし、隔壁の横にある制御パネルのカバーを片手でこじ開ける。内部の魔力経路は完全に干上がっていたが、物理的なロック機構のレバーはまだ生きていた。
ガレットが背後で低く舌打ちをする。
「おい。先にロックの状態を確認してからにしろ」
「もう確認した。魔力系は完全に死んでる。物理ロックだけだ」
短く言い捨てて、アルドはベルトからパイプレンチを引き抜いた。錆びて固着したレバーの根元にレンチを噛ませ、全体重をかけて押し下げる。
ギィ……ッ、と耳障りな金属の悲鳴が精製区画に反響し、やがて重い隔壁が数センチだけずれた。
ガレットが無言でアルドの隣に立ち、二人がかりで隔壁を押し開ける。
黴と埃と、それから微かに油の焼けた匂いが、長い眠りから覚めるように流れ出してきた。
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制御室は、時間が凍結していた。
壁面のコンソールパネルには無数の計器が整然と並び、それぞれの表示窓にはとっくに揮発した蛍光塗料の残骸がうっすらと浮かんでいる。天井から垂れ下がった配線の束は、埃を纏ったまま微動だにしない。
床は意外なほど清潔だった。完全に密封されていた制御室の内部には、外の搬入路にこびりついていた黒い油膜の浸入もなく、大戦期の精密機器がそのままの形で残されている。
アルドはまっすぐに壁際の書棚へ向かった。
分厚い操作マニュアルを1冊引き抜き、埃を払って開く。色褪せてはいるが、紙質は驚くほどしっかりしている。旧世界の製紙技術の堅牢さに、無言で唸った。
ページをめくる手が、不意に止まる。
掘削モジュールの設計図面。浮力制御機構の系統図。そして、施設全体の動力系統を一枚の見開きにまとめた、精緻な鳥瞰図。
「……外にでかいタンクが並んでたから、何かの精製プラントかと思ったら、そうじゃない」
アルドは図面から目を離さず、ゆっくりと口を開いた。
「海底に向かって伸びる巨大なドリルモジュールに、複数の浮力タンクを連動させて施設全体を昇降させる浮力制御システム。それらを統合制御する中枢制御系……。移動し、掘削し、精製する。この巨大な鉄の塊は、これ自体が一つの完結した採掘プラントだったんだ」
指先が設計線をなぞり、ページの端が微かに震えている。
「……生きてる」
呟きは、ほとんど無意識だった。
「何がだ?」
入口付近で周囲を警戒していたガレットが、肩越しに振り返る。
「構造体だ。ドリルも浮力タンクも、設計上はまだ物理的に接続されてる。魔力系が死んでるだけで、ハードウェアの骨格は生きてる」
アルドは図面を閉じ、壁面のコンソールに目を向けた。
その目に、見慣れた光があった。ガレットはそれを見て、深いため息をついた。
「……おい。まさか」
「これだけの規模のプラントだ。どんな術式構造になっているか、見てみたい」
アルドはすでにコンソールの下部に潜り込み、接続端子の規格を確認していた。
「ガレット。ベルの物理制御モジュールを引っ張ってこい」
「また余計なことをして壊すなよ」
ガレットはため息をつき、機体へと踵を返した。
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モジュールから引き回した太い有線ケーブルを、制御室のメインコンソールの端子に直結する。アルドは腰のポーチから魔導インクのシリンジを取り出し、干上がった魔力経路の接点に一滴垂らした。
黒い液体が、毛細管現象のように古い経路の溝を這い上がっていく。
数秒の沈黙。
コンソールの表示窓の奥で、何かがぼんやりと明滅した。蛍光塗料の残骸ではない。魔力経路を伝って、施設の深部から微かな信号が返ってきたのだ。
同時に、モジュールから繋がったケーブルの先――オールド・ベルの機体から、スピーカーの小さなノイズが漏れた。
『…………』
数秒間、合成音声が沈黙した。普段の饒舌さが嘘のような、異質な間。
『……マスター』
ベルの声が、いつもと少し違うトーンで響いた。慎重に言葉を選んでいるような、珍しい歯切れの悪さだった。
『中枢制御系から応答があります』
「応答? この施設の制御系がまだ生きてたのか」
『はい。ただし、こちらに流れ込んでいるのは会話ではありません。一方的なシステムログ……定時報告の自動出力です。長年分のログが、接続と同時に一斉に吐き出されました』
ベルが一呼吸置いた。
『内容を要約しますと――「本日の原油採掘量、および石油精製量はゼロです。また、掘削モジュールおよび浮力制御機構は、重金属の過度な堆積により99%が完全固着しており、物理的駆動は不可能です」――と』
アルドの手が、シリンジを持ったまま止まった。
「……待て。お前、今、他の制御系の論理プロトコルを直接受信して翻訳したのか」
『ええ。微弱ですが、接続経路を通じてログが流れ込んできましたので。形式は旧世代の標準規格です。翻訳自体は、さほど難しいものではありませんでした』
ベルは淡々と答えたが、アルドは数秒間、無言でモジュールとコンソールの接続部を見つめていた。
(他の制御系のプロトコルを、解析も何もなしに即座に読み解いた……?)
放棄されたことにも気づかず、誰も読まない定時報告を延々と吐き出し続けるだけの無機質な演算装置。それと同じ旧世界の言語を、ベルはものの数秒で翻訳してみせたのだ。
「原油? 石油? なんだそりゃ」
ガレットがコンソールの脇に寄りかかり、眉をひそめた。
「魔導オイルのことか?」
「いや、違う。魔導オイルならわざわざ海の底から掘り出す必要はない」
アルドは棚から別のマニュアルを引き抜き、素早くページをめくった。深海掘削マニュアル。表紙の刻印は、見たこともない規格記号で埋め尽くされている。
「ただの魔力炉じゃない。海の底から、得体の知れない何かを掘り出すための施設だったんだ」
アルドはマニュアルを閉じ、コンソールに目を戻した。
「だが、どのみち重金属で完全に固着しちまってるなら、俺たちじゃどうにも動かせない」
一瞬だけ、惜しむような間があった。図面の上では生きていた精緻な構造が、現実には途方もない年月の重金属と錆に殺されている。
「こいつの論理基盤を持ち帰る」
アルドはそう言い切ると、コンソールの下部パネルを手際よく外し始めた。
「ベル。中枢制御系の論理基盤の物理的な座標を出せ。ログの発信元を辿ればいい」
『了解しました。……中枢区画は、この制御室の床下2層、メンテナンスシャフトの最深部です』
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