第25話 遊牧街の見えない檻
赤茶けた荒野に停泊する遊牧街には、都市部のような華やかな喧騒はない。
点在する無骨な機体の巨躯に反して、そこから聞こえてくるのは、どれも出力を絞りきった息も絶え絶えな鈍い駆動音ばかりだった。
この街に滞在するようになって数ヶ月。アルドのもとには、住人たちから日々様々な修理の依頼が舞い込んでくる。
だが、持ち込まれるのは機械や道具ばかりではなかった。
事の始まりは、ガレットが機体の装甲にぶら下げている『なんでも直します』という胡散臭い看板だ。ある日、それを冷やかし半分に見た住人の一人が、ボロボロに風化した紙の束を持ってやってきた。
「じゃあ、こういうのも直せるか?」
それを見たガレットはニヤリと笑い、即座に請け負った。
「おっ、いいじゃねえか。任せとけ、あいつの『本業』はこっちだからな」
そうしてガレットに安請け合いされ、機内に放り込まれた紙の束。だが後日、アルドがそのページを寸分の狂いもなく繋ぎ合わせ、完璧な装丁を施して返したことで、噂が立つようになった。
「あそこの修理屋、古い紙の束まで新品同様にしてくれるぞ」
その噂は砂風に乗って街中に広まり、今では機械の修理に混じって、度々古書の修復依頼も持ち込まれるようになっている。
修復を終え、機内の書庫スロットに真新しい写本を押し込むたび、ベルとは決まってこんなやり取りになる。
『また他人の日記ですか。魔導回路の欠片もない俗物的な記録など、我が書庫の容量の無駄遣いです』
「仕事は仕事だ。それに本は本だし、知識は知識だ。修復のついでに依頼主から許可は得て写本した。俺が興味のある知識は無かったけどな。つべこべ言わずにしまっておけ」
『……ご自身でも一読すらしていないくせによく言いますね』
「読んでねえとは言ってねえだろ。興味がなくて頭から抜けただけだ」
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砂混じりの熱風が吹き抜ける街の片隅。
幾重にも張られた厚手の日よけ天幕の下で、今日もまたアルドは手元の真鍮製の配線を繋ぎ直していた。
腐食した外殻を剥がし、内部の魔導回路をピンセットで慎重に繋ぐ。
「ここの配列をいじれば、出力が今の3倍に跳ね上がるぞ」
アルドが短く告げると、依頼主である若手技師のトビーは、慌てて首を横に振った。
「や、やめてくださいよ! ただの湯沸かし器なのに、何でそんな恐ろしいことしようとするんですか。出力を抑えるのがこの街のルールなんです。そんな過剰な力を持たせて見つかったら、俺が怒られるんですよ。長持ちするように、どうか最低限の出力で回るようにしてください……」
「……ロマンの無い奴らだ。修復を依頼してくる奴、どいつもこいつも判で押したように同じことを言いやがる。街のルールだってな」
アルドは少し拗ねたように唇を曲げ、せっかく繋いだ美しい配線を無造作に引き抜いた。
「大体、お前だって一応は技師の端くれだろ。この安全マージンがどれだけ無駄で過剰かなんて見ればわかるだろうに。くだらない手間をかけさせやがって」
不満げに文句を垂れながら、アルドはひどく鈍重な配列へと渋々組み直していく。
やがて修理を終えた湯沸かし器と引き換えに、アルドはくすんだ硬貨を受け取った。
「おいトビー。お前が面倒見てるガキ……ルカにこれ食わしてやってくれ。お前の分もある」
背後の機体のハッチから顔を出したガレットが、トビーに向かって赤く熟れたトマトを二つ放り投げる。
トビーは慌ててそれを受け取ると、気まずそうに何度か頭を下げて、足早に天幕から出て行った。
足音が遠ざかったのを確認した直後、アルドは手にしていたスパナを工具箱の中へ乱暴に放り投げた。ガァン、と耳障りな金属音が天幕の中に響き渡る。
作業台の上のランプを吹き消し、アルドは背後に鎮座する巨大な装甲の塊――オールド・ベルの機内へと足を踏み入れた。
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『また無断で出力を上げて、結局やり直しですか。相変わらず無駄な労働ですね』
ハッチが閉まるや否や、頭上からノイズ混じりの合成音声が降ってきた。
「お前の作るもんが危なっかしいからだろ」
壁際のソファで長銃の手入れをしていたガレットが、呆れたようにツッコミを入れる。
「素人が分かったような口を利くな。魔力炉だろうが湯沸かし器だろうが、必要なのは安全マージンと出力の最大化のバランスだ。この街の奴らが言う『最低限の出力で』ってのは、単なる思考停止に過ぎない」
『……マスターにも、そんな常識があったのですね』
「黙れ。そもそも制御が完璧なら、最大出力こそが最高のバランスだろうが」
「たまに爆発するのは、その最高のバランスの成果ってわけだ」
ガレットに痛いところを突かれ、アルドは忌々しげに舌打ちをして油にまみれた作業着の袖で額の汗を拭った。
薄暗い機内には、微小な歯車が噛み合う音と、魔力炉の低い駆動音が常に響いている。外の息の詰まるような静寂とは正反対の、騒がしくも心地よいノイズの海だった。
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一歩外へ出るたびに直面する自制と縮小の思想。それはアルドに、二度と思い出したくもないかつての光景をフラッシュバックさせていた。
煤煙に沈む都市の奥深く、企業連の文化保全局。
大戦によって失われた文化を保全するという名目のもと、各地から集められた遺物や古書の修復を担う機関である。だが、それはあくまで表向きの顔に過ぎない。
真の役割は、大戦期の技術が無秩序に流出し、都市の存続に不可欠な魔石などのリソースが枯渇するのを防ぐこと。すなわち、無用と判断したロストテクノロジーを自らの管理下に置き、安全な暗闇へと「封印」することであった。
一方で、重工都市のインフラ延命に使える技術だけは、例外的に抽出され活用されている。結果として、この局の奥底には、世界のどこよりも膨大で純粋な大戦期の知識が集積していた。
そんな知識の集積所に在籍時、底なしの探求心を持つアルドを歓迎する部署はどこにもなかった。
『ここにこの式を足せば、出力が跳ね上がって完璧な機構になる』
どの部門へ配属されても、そう提案して過剰仕様を組み込もうとするたび、上層部は眉をひそめた。
『無駄だ。出力を抑えろ。安全に、長く持たせることだけを考えろ』
厄介者として局内のあらゆる部門をたらい回しにされたアルドは、皮肉にもその過程で、各部門に眠る技術と知識を片っ端から自身の頭へと吸収していくことになった。
そうして疎まれ、追い出され、最終的に押し込められたのが、最も物理的な出力から遠い古書部門だった。
チリ一つない、無菌室のような純白の修復室。
そこでの仕事は、大戦期の天才たちが組み上げた美しく緻密な論理配列から、過剰な出力部分を泣く泣く削り落とし、ひどく鈍重な劣化版の翻訳マニュアルを作ることだった。本来の美しい術式が記されたオリジナルには、自らの手で強固な魔導ロックを施し、二度と誰も触れられない暗闇の保管庫へと葬り去る。
『今日も無秩序な技術の流出を防ぎ、都市の限られたリソースを守った』
純白の作業着を着た周囲の技師たちは、自らの情報統制を正義と信じて疑わず、そう言って自画自賛の拍手を送っていた。アルドは表情を消したまま、強固な鍵の掛かった保管庫の扉を見つめ続けるしかなかった。
泥まみれの荒野を旅する遊牧民と、清潔な都市でふんぞり返るエリートたち。
着ている服も食べている物も、何もかも真逆だというのに、彼らの根底にあるイデオロギーは全く同じだった。制限によって延命するという、見えない檻。
あの息の詰まる無菌室から逃げ出したはずだったのに、この見渡す限りの広大な荒野の真ん中に、全く同じ檻が作られている。
アルドは深く息を吐き出し、乱雑に積まれた機内の本の上に身を投げ出した。
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その時、機体の外から騒がしい足音が近づいてきた。
「アルド、おっさん、いるか!」
ルカの甲高い声と共に、ハッチが乱暴に叩かれる。
アルドが面倒そうに扉を開けると、そこにはルカと、その後ろで気まずそうに視線を泳がせるトビーの姿があった。
「……何の用だ」
「面白い仕事を持ってきてやったぜ」
ルカは得意げに笑い、小脇に抱えていた布の包みをアルドの胸に押し付けた。
アルドが無言で布をめくると、中から現れたのは、ボロボロに風化し、ページの大半が癒着して石のようになった手記の束だった。
「先代の技師たちが使っていた、古い機械の手引書らしいんだが、もう誰も読めなくなっちまっててな。トビーが直そうとして逆にぶっ壊しそうになったから、俺が止めたんだ。アルドなら完璧に直せるぜってな」
ただの古い手引書ならば、いつも通りに仕事として無言で受け取るだけだっただろう。だが、風化したページの断面から、見慣れぬ古い魔導インクの痕跡がわずかに覗いていた。
(これは、ただの文字じゃない。大戦期に使われていた、極めて複雑な論理配列の断片だ……)
アルドは無意識のうちに手記の表紙を強くなぞる。
先ほどまでの徒労感は、霧散するように消え去っていた。石のように固まった古書を見つめるアルドの目に、微かで熱を帯びた光が宿る。
「……少し、時間がかかる。それに、いつもの仕事と同じように、控えの写本は一部作らせてもらうぞ」
「よっしゃ! 任せたぜ、アルド!」
「あ、はい……写本くらいなら構いません。よろしくお願いします……」
ルカの無邪気な歓声と、トビーの気弱な承諾を背中で聞き流しながら、アルドは手記を抱えたまま、足早に機内の奥深くに据えられた作業台へと向かった。
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