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第23話 逢うは別れの始め

 赤錆を含んだ乾いた風が、荒野の地表を這うように吹き抜けていく。

 ひび割れた大地を踏み砕き、巨大な多脚で歩みを進めるオールド・ベルの分厚い装甲の外は、生命を容易く拒絶する過酷な世界だった。

 だが、その強固な外殻に守られた機内の奥深くにはいま、外の荒野とは全く別の意味で「過酷な熱」に満たされた空間が実体化していた。


 石造りの薄暗い小部屋。魔力炉の廃熱を安全に蓄熱し、空気を循環させることで、常に高温の熱気を維持し続ける特殊な空間だ。

 ガレットが手桶から柄杓で水をすくい、中央に積まれた焼けた石へとゆっくりとかける。温室で育てたユーカリとミントの葉を浮かべた水が、ジュワァァッという激しい音と共に弾け、部屋全体に強烈な蒸気と清涼な香りが充満した。

「くぅぅっ……たまらんな、こりゃ……」

 タオルを頭に乗せたアルドが、滝のような汗を流しながら至福の呻き声を上げる。ガレットも分厚い胸板を汗で光らせ、深々と息を吐き出した。

 過酷な荒野を旅する彼らにとって、全身の毛穴から大量の汗を絞り出せるこの空間は、何物にも代えがたい最高の贅沢だった。

『マスター、大戦期の高度な熱力学を駆使して何を作ったかと思えば……わざわざ密室で汗だくになるとは。あなたのその無駄な情熱、まったくもって理解に苦しみます』

 ひどく平坦で、抑揚の抜け落ちたオールド・ベルの合成音声が響いた。

 リビングから、カーラの楽しげな声も同調する。

「ほんと、熱い部屋でわざわざ我慢大会だなんて。相変わらずあんたたち男の趣味は理解できないわね」

 アルドはタオルで顔の汗を拭い、サウナの熱も相まって顔を真っ赤にしながら天井を睨んで言い返した。

「うるさい! ただの我慢大会じゃない、荒野のサビと疲れを蒸気で洗い流す至高の贅沢だ! サウナこそ限られた熱量を効率よく人体に伝える熱力学の最高峰だぞ!」

『はいはい、そうですね。のぼせて倒れても知りませんよ』

 呆れたような合成音声に構わず、男たちはさらに熱した石へと水をぶちまけた。


---


 煤煙で分厚く曇った空の下、地平線の彼方に巨大な重工都市のシルエットが霞んで見えた。

 アルドたちは、都市から少し離れた荒野の崖際でオールド・ベルの多脚を止めた。

「これ以上近づくと目立つからな。すまないが、ここで降ろさせてもらうぞ」

 操縦桿から手を離したガレットが告げると、分厚いコートを羽織ったカーラは小さく頷いた。彼女は、今回の依頼の成果である魔石の調査報告書や、一部のサンプルを収めた堅牢なトランクを手にハッチへ向かう。

「いいわよ。それじゃ、私は都市開発局へ報告書を提出して、今回の報酬を受け取ってくるわ。ついでに廃炭鉱街に寄って、あんたたちの噂がどんな状態なのかも探ってくるから」

「頼んだ。俺たちは、お前の装甲車が地雷を踏んだあの渓谷に移動して待機しておく」

 都市へ向かう道中、すでにあの渓谷へ立ち寄り、放置した装甲車が野盗などに解体されず無事に残っていることは確認済みだった。

 アルドは作業台の部品から目を離さず、背中越しに片手でスパナを一度だけ振った。

 ガレットも無言で短く顎を引くと、重厚なハッチの開閉レバーをガコンと引き下ろす。


---


 数日後。以前、野盗の襲撃によってカーラの装甲車が大破した渓谷。

 目立たない岩陰にオールド・ベルを停泊させ、アルドは機関室で油まみれになりながら魔力炉の配管をスパナで叩いていた。

『熱効率の最適化自体は完璧ですが……美しく制御された廃熱の行き先があのサウナ室とは。本当にマスターの情熱の方向性は理解に苦しみます』

 ベルの合成音声がやれやれと言わんばかりに響く。

「何言ってんだ。多脚の関節ギアへの出力も完全に安定したし、どうせ出た廃熱を処理するならサウナに回すのが一番合理的だろ」

 アルドは配管のバルブを力強く締め直すと、スパナの柄で配管をコンコンと叩いた。

 すると、傍らでサウナ上がりの水をジョッキで煽っていたガレットが、不意に口を開いた。普段はアルドの無茶な改造を咎め、ベル側に付くことの多い彼だが、今回ばかりは様子が違った。

「ベル、わかってやってくれ」

 ガレットは分厚い胸板をポンと叩き、大真面目な顔で語りかけた。

「サウナは男のロマンなんだ。この過酷な荒野の人生には、絶対に必要なんだよ」

『……ガレットまで、完全に毒されていますね』

 思わぬ裏切りに、ベルの音声がわずかに低くなった。


---


 渓谷の入り口に、土煙を上げて一台のトレーラーがやってきた。運転席から降りてきたのはカーラだ。

 リビングに招き入れられた彼女は、ドサリと分厚い小切手の束をテーブルに放り投げた。

「頼まれてた調査の報告よ。例の死亡偽装の件だけど、みんな見事に信じ込んでて、あんたたちは本当に死んだことになってたわ」

 カーラは椅子に腰掛け、肩をすくめた。

「もう誰も気にしてないわ。噂を疑って、今もあんたたちを探し回ってるような面倒な連中もいなかったしね」

「そりゃ好都合だ」

「それと、あんたたちが気にしてた企業連の件だけど……あれ、裏で糸を引いてたのは『兵器開発局』だったみたいね。まあ、彼らも死んだはずのあんたたちを追跡してる様子はなかったわ。目立たないようにしてれば、廃炭鉱街に戻っても問題なさそうよ」

 だが、アルドは即座に顔をしかめた。

「……兵器開発局だと? よりによって一番キナ臭い連中が絡んでたってわけか。だったら尚更、当分あの街には近づけねえな」

 ガレットも腕を組み、深く頷く。

「同感だ。いくら追われてないとはいえ、わざわざそんなヤバい連中の近くに戻るリスクを冒す必要もねえだろ」

 その反応を見たカーラは、ふっと口角を上げて笑った。

「あんたたちならそう言うと思ってたわ」

 彼女はコートのポケットから一枚の地図を取り出し、テーブルの上に広げた。

「遊牧街よ。絶えず荒野を移動し続ける巨大なコミューン。企業連の目を逃れてほとぼりを冷ましたいあんたたちの拠点には、うってつけでしょ」

 カーラは地図上のルートを指先で叩き、次なる新天地を提示した。

「あんな定住しない連中は、普段ならこっちも商売相手にしにくいのよ。だから、私が今後向こうで商売しやすいように、あんたたちがどんな場所なのか行って調べてくるの。……恩に着る必要はないわよ」

「それと、外のトレーラーに物資を積んできたわ。食料に水、燃料、それにベルちゃん用の特上の魔導オイル。遊牧街に着くまで干上がらないくらいの量は揃えておいたわよ」

 カーラが親指で外を指差すと、そこには山のような補給物資が積まれていた。

「もちろん、代金と私のお駄賃は、今回の報酬からきっちり引いてあるからね」

 相変わらず用意周到すぎる手回しに、アルドとガレットは顔を見合わせて苦笑した。

「……あっ、そうそう」

 カーラが思い出したように手を叩き、にっこりと笑う。

「出発する前に、そこの岩壁に突っ込んだままの私の装甲車をトレーラーに積むの手伝ってよね。クレーンとあんたたちの筋肉があれば簡単でしょ?」

『さすがお姉様。私も見習わなければ』

 一連の抜け目ない手回しを聞いていたベルが、深く感心したように独り言ちる。

「おいおい、わざわざここを合流場所に指定してきたのはそのためかよ……」

「文句を言わない。ほら、さっさと働く!」

 ガレットの呆れ声をカーラが一蹴する。

 結局、二人は文句を言いながらも装甲車の引き上げ作業を手伝わされた。

 すべての積み込みを終え、オールド・ベルが排気管から威勢よく高圧の蒸気を吹き上げる。巨大な多脚が大地を踏みしめ、彼らを乗せた移動書斎は、新たな拠点候補である遊牧街へと向かって再び荒野を歩き出した。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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