第22話 仕上がってきました
毒々しい黄緑色の強酸が波打つ湖の中央に、黒々とした大戦期の実験施設が孤島のように浮かんでいた。
数え切れないほどの魔石の熱量をこの湖へと排出し続けた巨大プラントの成れの果てである。長年の風化によって外壁のコンクリートは崩落し、剥き出しになった赤錆の鉄骨が、まるで巨大な獣の肋骨のように空へ突き出している。酸の蒸気に包まれたその廃墟は、死に絶えた後もなお、近づく者を拒むような冷たい威容を放っていた。
凄まじい水飛沫と推進器の爆音を響かせながら、巨大な機体を載せた即席ボートが、その施設の錆びついた接岸桟橋へと荒々しく乗り上げた。
ボートから桟橋へと降り立ったアルドは、コンソールに繋がれたままのベルに向かって声をかけた。
「さすがに、その図体じゃ施設の中までは入れねぇからな。今度こそ大人しく待ってろ」
『……まったく、仕方ありませんね。か弱い生身のマスターが廃墟で野垂れ死なないよう、ここから通信機越しに監視して差し上げましょう。ですから、通信は絶対に切らないでくださいよ。私を退屈させたら、帰りのボートを湖の底に沈めて差し上げますから』
「はいはい、わかってるよ」
毒づく合成音声に軽く手を振り、アルドたちはカビと古い油の匂いが漂う薄暗い施設内へと足を踏み入れた。
機能を停止した巨大な実験プラントや、ひしゃげた配管が入り組む通路。広大な施設内は完全に迷路となっており、案内板の類もすっかり腐食して読み取れなかった。
「こりゃあ骨が折れそうだな。どこから探す?」
ガレットが首を鳴らす横で、アルドは埃を被った天井の配管を見上げた。
「ここはエネルギー変換の実験施設だ。一番太い冷却パイプを辿ればメインの実験炉に行き着くが、そこにあるのは使い古された魔石のカスだけだ。俺たちが欲しいのは未使用の魔石だからな」
「じゃあ、実験炉じゃなくて倉庫を探すのか?」
「ああ。高純度の魔石は未使用でも熱を持つ。メインの実験炉からは少し離れた安全な隔離区画にありつつも、熱暴走を防ぐための独立した冷却ラインが繋がっているはずだ。極太のメイン配管から分岐している、中細の断熱管を探せ」
「おい、あそこだ。右の通路に一本分岐してる配管があるぞ」
ガレットの指差す先をアルドが目で追うと、確かに中細のパイプが暗がりへと伸びていた。
「ああ、間違いない。あれを辿ろう」
「闇雲に歩き回るよりはマシね」
成り行きを見守っていたカーラが短く同意し、三人は右の通路へと分岐する配管を辿っていく。やがて『厳重保管区画』と掠れた文字で示されたエリアへと到達した。
一行の前に立ち塞がったのは、魔力遮蔽用の分厚い鋼鉄の扉だった。表面は赤錆に覆われているが、中央の制御盤には今も微かに魔力光が明滅している。
「大戦期の軍用ロックか。百年経ってもまだ回路に魔力が循環してる。大した耐久性だな」
アルドは制御盤のカバーをドライバーでこじ開け、内部の基板を覗き込んだ。懐から魔導インクのペンを取り出し、迷いのない手つきで古い回路の隙間を短絡させていく。
パチン、と乾いた音がして、制御盤の光が完全に消沈した。
「よし、魔導ロックは解除した。あとは中央のハンドルを回して開けるだけだ」
「理屈は簡単だが、力仕事になりそうだな。こいつの出番だ」
ガレットが巨大なパイプレンチを肩に担いで進み出た。彼は扉の回転ハンドルの根本にたっぷりと潤滑スプレーを吹き付ける。百年分の煤と錆で完全に固着したハンドルにレンチを噛ませると、アルドと二人がかりで顔を真っ赤にして全体重をかけた。
ギギギギッ、と連動する内部の重いカンヌキが削れる不快な金属音を立てて、ようやくハンドルが回り切る。アルドたちが荒い息を吐きながら扉を引くと、密閉されていた保管庫がゆっくりと重い口を開いた。
少し離れた壁に背を預けていたカーラが、満足げに笑う。
「やっぱり、あんたたちについてきてもらって正解だったわね」
金庫室内は完全な密閉状態だったため、驚くほど保存状態が良かった。一行はそこから、劣化の少ない高品質なサンプル魔石と、アルドが目当てにしていた『大戦期のエネルギー変換の専門書』を無事に回収した。
---
用が済んだ一行は、施設の桟橋に停泊させてある、機体を載せたボートへと帰還した。
アルドは腰の通信機を手に取り、念を押すように声を張った。
「おい、今度こそ絶対にゆっくり走れよ! 行きみたいに振り落とされそうになるのは御免だぞ」
『……承知いたしました。安全第一の、無意味に時間を浪費する退屈な速度で航行します』
巨大な機体を載せたボートは、行きの爆走が嘘のように、ひどくゆっくりとした速度で強酸の湖を進み始めた。
『現在、推進器の出力はわずか三パーセントです。……せめて十パーセントまで引き上げても』
「却下だ。そのまま行け」
『マスターは本当に臆病ですね。あの大戦期の素晴らしい推進器のポテンシャルを殺しています。……ああっ、また波に抜かれましたよ。屈辱です』
アルドは無言で腰の通信機のボリュームを絞った。
やがて無事に元の湖畔へと帰り着き、機体の分厚いハッチが閉ざされる。外の風音が完全に遮断されると、機内にはいつもの静寂と微かな駆動音が戻ってきた。
リビングのソファに腰掛けたカーラは、手のひらで転がるサンプル魔石と測定データを交互に見つめ、上機嫌に足を組んだ。その向かい側では、アルドが分厚い専門書の埃を払いながらホクホク顔でページをめくっている。
「さて、目的のブツは手に入ったし、ここからの段取りを詰めましょうか」
カーラが葉巻に火を点け、細い煙を吐き出しながらアルドたちを見遣った。
「まずは適当に都市の近くで私を降ろしてちょうだい。私が企業連への報告を済ませてくるわ」
「その間、俺たちは荒野で息を潜めて待つってわけか。合流場所はどうする?」
「そうね。……途中で、私が装甲車を置いてきたあの渓谷へ寄ってくれる? 他のスカベンジャーに解体されず、まだ装甲車が無事に残っているなら、そこを合流場所にしましょう。私を降ろした後、あんたたちはあそこで待機してて」
「了解だ。ハイエナ共に部品を剥ぎ取られてなきゃいいがな」
「ええ。……企業連へ報告に行くついでに、約束通り、あんたたちの死亡偽装がどこまで信じられているか探ってきてあげるわ」
「ああ、頼む。プロのディーラーの情報網なら確実だな」
「ええ。今回の見事な働きへのボーナスってことで、企業連の内部の動向まで念入りに調べてきてあげる」
ガレットが頷き、アルドも専門書から顔を上げて笑みを返した。
機体が重々しい唸りを上げ、多脚が荒野の土を噛む。オールド・ベルは都市近郊の降車ポイントへ向けて、のんびりとした長旅を出発させた。
---
穏やかな巡航が続く機内で、スピーカーからベルの不満げな合成音声が響く。
『マスター。施設で手に入れたあの専門書はどこに隠したんですか? もう三日です。いい加減に私にも読ませてください』
「うるさい。俺が先だって言ったろ。あと数ページなんだ、黙ってろ」
アルドは書架の奥深く――機内に張り巡らされたマニピュレーターが決して届かない物理的な死角――に胡座をかき、ランタンの灯りで舐めるようにページをめくっていた。
『……姑息ですね。私にスキャンさせれば、たったの数秒で全データを解析して差し上げますのに』
「馬鹿野郎、本ってのは、書かれた複雑な論理を自分の頭で一つ一つ解体しながら読むから面白いんだ。お前の口から要約された結論だけ聞かされてたまるかよ」
アルドはようやく最後のページを読み終えると、分厚い本を閉じて満足げなため息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。彼は天井のセンサーを見上げ、手に持っていた専門書を頭上へ突き出す。
「よし、待たせたな。こいつをスキャンしてくれ。大戦期の熱力学とエネルギー変換の専門書だ。ようやく気が済むまで読み込めたぞ」
直後、天井から伸びてきた真鍮製のマニピュレーターがひったくるように本を奪い取った。壁の向こうの書架へドサリと乱暴に押し込まれる音が響く。
『……遅すぎます。ただちにスキャンを実行し、大戦期の論理を余すことなく解析します。……ああ……』
読み込みが始まった途端、メインスピーカーからの音声が、熱を帯びた艷っぽい吐息へと崩れた。
『なんて濃厚なコード……内側から熱が、あふれて……』
「は? ちょっと、何なのよ急にこの声……!」
「放っておけ。ただの仕様だ」
顔を引きつらせるカーラに、アルドは気だるげに欠伸を返した。
『……燃やしなさい! 己のカロリーを! 熱量こそがパワー! エントロピーを増大させて体液を循環させなさい、この軟弱なオジサンたち!』
「な、なんだ急に……!」
「今回はずいぶんと暑苦しいバグり方だな……」
「エネルギーの専門書だから、エネルギッシュにってことかしら? ベルちゃん、ギャグのセンスはちょっと悪いわね」
呆れ返るカーラの横で、アルドとガレットは開いた口を塞げずに頭上のスピーカーを見上げた。
『筋肉の振動! 心拍数の上昇! 完全なる熱平衡を目指して汗を流すのです!』
『まずは基礎代謝の改善から! メイン魔力炉の熱量制御、最適化完了! ……次! マスターがかつて設計し、リビングを丸焦げにして凍結された情けない空間拡張術式……たるんでいます! この私が無駄なバグを削ぎ落とし、完璧なボディへと再構築して差し上げます! さあ、極限のビルドアップの時間です!』
最後までお読みいただきありがとうございました!
「続きが気になる!」「この関係性が好き」と思ってくださった方は、ぜひ広告下部にある【ブックマークに追加】や、下部の【ポイント評価(★をタップ)】で応援していただけると嬉しいです!




