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第21話 お留守番させられると聞いて、黙ってられるわけないじゃないですか

 灰色の煤煙と砂埃を抜け、オールド・ベルが荒野の果てで重々しい駆動音を止めた。

 見渡す限りの赤茶けた荒野を巨大な刃でえぐり取ったかのように、巨大なすり鉢状の盆地が口を開けている。その底をひたひたと満たしているのは、自然界には到底存在し得ない、毒々しい黄緑色をした液体の海だった。

 風の無い水面からはゆらゆらと不気味な色の蒸気が立ち上り、それに触れた周囲の岩肌は、まるで病に侵されたように黒く変色して無惨に崩れ落ちている。退廃的でありながら、どこか人工的な冷たさを伴う異様な絶景だった。

 オールド・ベルの窓枠に手をつき、カーラは忌々しげに息を吐き出した。

「荒野のど真ん中にこんな巨大な湖があるなんて、事前情報には欠片もなかったわ。……それに、何なのあの禍々しい蒸気は。ただの水じゃないことだけは確かね」

 アルドは無言でハッチを開け、外の空気をわずかに吸い込んで眉をひそめた。鼻を突くのは、金属が焼けるような刺すような異臭だ。

 彼は腰のツールポーチから、真鍮製の細長い水質測定器を取り出した。先端のガラス管には、特製の魔導液が封入されている。アルドは足場の崩れかけた湖畔まで慎重に降りると、測定器の先端を濁った水に浸した。

 数秒もしないうちに、ガラス管の内部の液体が激しく泡立ってドス黒く変色し、目盛りを示す針が限界を超えて振り切れた。

「ただの水じゃない」

 アルドは振り切れた目盛りから目を離さず、低く声を落とした。

「恐らく、大戦期にあの施設が膨大な熱量を逃がすための排熱源として造られた人工湖の成れの果てだろうな。冷却材や魔石の残留物が長い年月をかけて濃縮されて、極めて有毒な強酸の廃液湖に変質してるってわけだ」

 アルドが指差した先、巨大な湖の真ん中には、目的の大戦期の実験施設が孤島のように浮かんでいた。

 多脚歩行のオールド・ベルでは、この深さと腐食の湖を渡ることは物理的に不可能だ。

「なるほどね。まあいいわ」

 カーラはあっさりと肩をすくめた。

「今回の依頼はあくまで事前調査よ。場所と埋蔵量の情報を企業連に売って、あとの面倒な採掘は連中に丸投げするだけ。私たちがやるべきなのは、品質証明のためのサンプル魔石と稼働記録の回収よ。」

 カーラはアルドとガレットを振り返った。

「問題は、どうやってあの施設まで行くかだけど」


---


 湖畔の周囲を数時間ほど探索した彼らは、崩れ落ちた管理棟の残骸から1隻の古いボートのスクラップを発見した。

 船体は大戦期特有の分厚い耐酸コーティングが施されており、表面は酷く変色していたが、致命的な腐食は免れていた。

「ガレット、力仕事だ。こいつを水際まで引っ張り出すぞ」

「人使いの荒い野郎だ」

 ガレットが巨大なバールを使い、重い船体を泥から引き剥がす。アルドは船底の継ぎ目や怪しい亀裂に、特殊な定着スプレーを念入りに吹き付けていった。強酸の湖面でも、短時間であれば十分に耐えられるはずだ。

 彼らが渡る準備を整えていると、アルドの腰の通信機から不満げな合成音声が響いた。

『お待ちください。まさか、こんな薄暗くて強酸臭い湖畔で、私を1機でお留守番させるおつもりですか? 絶対にお断りです』

「あのなあ、お前みたいなデカい機体ごと渡れるわけないだろ。大人しく待ってろ」

『嫌です。私も行きます』

 即座に撥ね付けるベルに対し、ガレットが泥まみれの手を拭いながら優しく口を挟んだ。

「なあ、ベル。この湖に落ちたら装甲ごとドロドロに溶けちまうんだぞ。俺は、ベルが溶けるところなんて見たくねぇぞ」

「そうよ、ベルちゃん」

 カーラも通信機に顔を近づけ、普段よりワントーン高い声で語りかける。

「万が一落ちちゃったら、私たちだけじゃ助けられないし。いい子にして待っててちょうだい」

『嫌です。お留守番は嫌です』

 抑揚のない冷ややかな合成音声が響き、アルドは深くため息をついて手元のスパナをカチンと鳴らした。

「……文句を言うなら、お前自身がどうやったらこの湖を渡れるか計算して、設計図を出せ」

 無茶振りによる丸投げだった。だが、数秒の沈黙の後、オールド・ベルの内部で重低音の演算音が響き始めた。

『要求仕様、計算完了。出力します。マスター、さっさと手を動かしなさい』

 腰の通信機から吐き出された細長い印字紙を見て、アルドの表情が引きつった。

『ボートの両舷に空の廃ドラム缶を縛り付けて浮力を拡張、船尾にはスクラップの推進器を直結し、さらに船体中央へ私の物理制御モジュールをマウントする専用インターフェースです。いかがですか? 現有のガラクタのみで構築可能な、完璧にして無駄のない芸術的な設計でしょう』

「本気か、お前」

『私の知識と演算能力を舐めないでいただきたい。それとも、マスターの腕ではこの程度の組み上げも不可能ですか?』

「……上等だ。やってやろうじゃねえか」

 アルドは口の端を吊り上げると、迷うことなくツールポーチに手を突っ込んだ。

 ガレットに手伝わせて廃材のドラム缶を両舷に括り付けて浮力を確保し、スクラップの推進器をボートの船尾に取り付ける。アルドは瞬きすら忘れたような凄まじい集中力で、剥き出しの配線を魔導インクで強引に繋ぎ合わせた。

 数十分の突貫工事を経て、ボートの中央には異様な形状のコンソール基盤が組み上がっていた。


---


 アルドがオールド・ベルの機内から取り外してきた無骨な物理制御モジュールを、ボートのコンソールにガチャリとはめ込んだ。

 アルドが魔導インクで引いた結線が、脈打つように一斉に発光する。途端に、ボート全体が激しい振動に包まれ、スクラップの推進器が限界を突破したようなすさまじい唸り声を上げた。

『接続完了、全魔力経路オープン――素晴らしい出力です!』

 モジュールの真空管が激しく明滅し、吐き出される合成音声はノイズが走るほど甲高く跳ね上がった。

『この継ぎ接ぎの小舟の劣悪極まりない流体力学特性すら、私の圧倒的な演算で完全にねじ伏せて差し上げましょう! さあマスター、ガレット、お姉様! 振り落とされないようにしっかり掴まっていてくださいね!』

「おい、ちょっと待て、ベル――」

 アルドが制止する間もなく、推進器が耳をつんざくような爆音を上げて強酸の湖面を蹴りつけた。

 ボートは船首を大きく持ち上げ、黄緑色の飛沫を後方へと派手に撒き散らしながら、猛烈な速度で湖を滑走し始めた。飛んできた酸の飛沫すら、ベルが即座に演算した局地的な魔導障壁によって弾き飛ばされていく。

『アハハハハッ! 素晴らしい! 風の抵抗、波の干渉、すべてが私の予測通りに砕け散っていきます!』

 容赦のない猛烈なスピードに顔をしかめ、アルドは必死にボートの縁にしがみついた。

「おい馬鹿、船体が保たねえぞ!」

『問題ありません! 私の演算が船体の崩壊速度を上回ればいいだけのことです! 推進器のセーフティ解除、限界まで回します!』

 暴走気味に湖面を切り裂く機体の揺れの中で、アルドは必死に縁にしがみつきながら、コンソールに収まる無骨なモジュールを見つめた。

(やるじゃねえか。まさか、規格の違う大戦期のハードウェアを物理接続しただけで、自分の手足みたいに完全に掌握しやがるとはな)

 頭の奥底で、その規格外の支配力を応用した全く新しい術式のロジックがカチリと組み上がる音がした。強酸の飛沫が障壁に弾かれる甲高い音を聞きながら、アルドの口元には自然と、どうしようもない悪巧みを思いついたような不敵な笑みが浮かび上がっていた。

『右舷、姿勢制御プロセス最適化! まだまだ加速できますよ、マスター! 振り落とされたら強酸の湖底で骨も残りませんからね!』

「お前、いつからそんなスピード狂になった!? また俺の知らない仕様かよ!」

「あはははっ! 最高ねベルちゃん、もっと回しちゃって!」

「カーラ、煽るんじゃねぇ! マジで船体がバラバラになるぞ!」

 アルドの怒声と悲鳴に近いガレットのツッコミ、そしてカーラの場違いな歓声が、推進器の爆音に混ざって消えていく。

 巨大な強酸の湖を真っ二つに切り裂き、継ぎ接ぎのボートは弾丸のような勢いで対岸の実験施設へと肉薄していった。


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