第20話 女のお喋りに、男は混ざるものではない
分厚い装甲ハッチを潜り抜けた先は、薄暗く埃っぽい機械室……ではなかった。
そこにあるのは、無骨で小汚い多脚機の外観からは到底結びつかない光景だった。磨き上げられた木の床、アンティークの家具が並ぶ豪奢なリビング。そして何より、見上げるほど高くそびえ立つ、物理法則を無視した巨大な書庫空間。
一歩足を踏み入れたカーラは完全に言葉を失い、その場に釘付けになった。
「……は?」
百戦錬磨のディーラーである彼女でさえ、想定外の光景にまともなリアクションが取れず、ただ間抜けな声を漏らすことしかできなかった。
「おいベル。何でいきなり書庫に繋がるようになってるんだ」
驚愕するカーラを尻目に、アルドが呆れたように天井を睨みつける。
「あんたたち……。何よこの、馬鹿デカい書庫は」
ようやく我に返ったカーラが、見上げるほど高い天井と無限に続くような本棚を交互に見上げながら、震える声で言った。
「どう見たって、外から見た機体より広いじゃない……! こんな出鱈目なことができるってバレたら、企業連の連中が血眼になって追ってくるわよ」
「だから言ったろ。乗せる代わりに見なかったことにしろって」
アルドは面倒くさそうに首を鳴らした。
「あんたもプロのディーラーなら、自分の命より重い情報は黙って腹に収めとくんだな」
「……ええ、そうね。アタシもこんなヤバい秘密と心中する気はないわ」
カーラは小さく息を吐き、肩をすくめた。
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『ようこそ、オールド・ベルへ。カーラさん、お噂はかねがね伺っております』
不意に、天井のスピーカーから澄んだ合成音声が響き渡った。
『大切なお客様に驚いていただこうと思いまして。マスターの美意識の無さには常々呆れておりますので。……改めまして、この機体の制御を担っております知識の精霊、オールド・ベルと申します』
カーラは目を瞬かせ、アルドとスピーカーを交互に見比べた。
「……精霊って、喋るんだっけ?」
「喋るわけないだろ」
アルドは即座に吐き捨てた。
「こいつは自称精霊だ。精霊っぽい何かであって、本物の精霊じゃない」
『マスター。お客様の前で私のアイデンティティを貶めるのはやめていただけますか。非常に不愉快です』
合成音声の淀みない抗議に、カーラは数秒だけ沈黙した。だが、すぐに面白そうに唇の端を吊り上げる。
「へえ……。あんた、なかなか口が達者じゃない」
カーラは天井のスピーカーに向かって話しかけた。
『事実を述べているまでです。先ほども申し上げた通り、マスターは足の泥すら落とさずにリビングへ上がろうとする無神経な男ですので』
「ふふっ、なるほどね。あんたも苦労してるみたいじゃない、ベルちゃん」
カーラはどこからかティーカップを取り出してきたガレットから紅茶を受け取り、小さく笑った。
「まったくよ。技術屋ってやつは、油まみれの手で平気で機材を触るしね。アタシの装甲車の中もいつも泥だらけよ」
『……! なんと素晴らしい。私のこの長年の心労を、そこまで深く理解していただけるとは』
合成音声が、パッと花が咲いたように明るく弾んだ。
『やはり洗練された女性のゲストをお迎えできるのは無上の喜びです。全く同感です、カーラお姉様』
「お姉様?」
突然のランクアップに、アルドが素頓狂な声を上げた。
「ちょっと待て、お前、俺に対する態度と違いすぎないか!?」
『黙っていてくださいマスター。今、私とお姉様は極めて建設的な対話を行っている最中です。……それで、お姉様。昨日もマスターが未処理のスクラップを廊下に放置しておりまして』
「あー、分かるわ。そういうのって絶妙に邪魔なところに置くのよね」
その後も、アルドのズボラな生活態度を嬉々として暴露する合成音声と、それに手を叩いて共感するカーラの弾んだ笑い声が、重厚なリビングに華やかに響き渡り続けた。
自分の悪癖を肴に盛り上がる一人と一機を前に、アルドは頭を抱えて深くため息をつくしかなかった。
「おい、アルド」
一人蚊帳の外に置かれたアルドに、ガレットが呆れたように声をかけた。
「俺たちはカーラの荷物をこっちに運び込むぞ。ボーっとしてないで手伝え」
「……分かってるよ。クソッ、どいつもこいつも」
アルドは恨めしげに悪態をつきながら、逃げるようにハッチのほうへと歩き出した。
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数時間後。奇妙な結束が生まれた車内は、長旅の緊張を感じさせないほどに寛いだ空気に満ちていた。
「それにしても」
ソファでくつろいでいたカーラが、ふと素朴な疑問を口にした。
「オールド・ベルって、あんたにしては随分可愛らしい名前ね。何か特別な由来でもあるの?」
その問いに、アルドはあからさまに気まずそうに目を逸らし、手元の工具を弄り始めた。
だが、キッチンからコーヒーのおかわりを持ってきたガレットが、鼻で笑いながらあっさりと暴露した。
「こいつが名付けた理由は、そんなロマンチックなもんじゃないらしいぜ。大戦期の古い精霊だから『オールド』。そいつを、身の回りの世話をさせる執事を呼ぶための『卓上ベル』にしたから、そのままくっつけて名付けただけだって、昔こいつが酔っ払った時にこぼしてたからな」
「はあ? 呼び出し用の、卓上ベル?」
カーラがポカンとした顔でアルドを見た。
「え、じゃあなんで単なる呼び鈴がこんなに自我を持ってるのよ?」
「自我なんてあるわけないだろ!」
アルドは弾かれたように顔を上げ、むきになって否定した。
「ただの演算エラーの塊だ。異常な数のバグが絡み合って、偶然そう見えてるだけだ!」
「何だっけな」
ガレットはコーヒーカップを片手に、わざとらしく小首を傾げた。
「『適当に雑用やっとけ』なんて雑な命令を出したら、適当な雑用が何かわからなくて暴走したんだっけ?」
「……ッ!」
返す言葉も失ったアルドは、耳の裏まで真っ赤にしてうめき声を上げると、両手で顔を覆って突っ伏した。
「あっはははは! 何それ、あんたの自業自得じゃない!」
カーラは腹を抱えて笑い転げ、ティーカップを揺らした。
『……マスター。私の起源がそのような屈辱的な役割であったとは初耳です。私をただの卓上ベル扱いするとは、到底看過できません』
「うるさい、お前はちょっと黙ってろ!」
アルドの悲鳴のような怒声と、カーラの笑い声、そしてベルの不満げな合成音声が機内に響き渡る。それは、外の過酷な荒野とはひどく対照的だった。
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カーラを乗せてから数日が経過した。
荒野の旅路は概ね順調だったが、目的地の座標である「エネルギー変換実験施設」を目前の丘の先に捉えたとき、オールド・ベルの足取りが不意にピタリと止まった。
「どうした、ベル。駆動系にトラブルか?」
アルドが計器盤を覗き込む。
『いいえ。機体は正常です。ですが、想定外の地形障害に遭遇しました。モニターへ視覚情報を出力します』
メインモニターに映し出された光景に、アルドたちは息を呑んだ。
丘の眼下に広がっていたのは、本来の荒野の地形図には存在しない広大な「湖」だった。
青く澄んだ美しい水面ではない。周囲の岩肌は変色して崩れ落ち、不気味な黄緑色の蒸気が水面から絶えず立ち上っている。そして、その対岸には、目的の施設らしき巨大なコンクリートの残骸が霞んで見えた。
「……冗談でしょ」
荒野の専門家であるカーラが、呆然と呟いた。
眼前の異常な湖を前に、オールド・ベルの歩みは完全に阻まれていた。多脚歩行機の中で、アルドはただ無言で湖面を睨みつけていた。
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