第2話 オールド・ベルの温かい日常
空は重く垂れ込め、灰色に濁っていた。
大戦によって魔力が枯渇したこの世界で、人類は再び物理的なエネルギー――石炭と蒸気の力にすがりついた。巨大な鉱脈と水源地の上に築かれたその「重工都市」は、荒野における文明の生命線だ。都市の中心部からは絶えず黒煙が立ち上り、巨大な歯車の駆動音が地鳴りのように響いている。
だが、多脚歩行機『オールド・ベル』がその6本の脚を下ろしたのは、繁栄する中心部ではなく、都市の外縁部に広がる「廃炭鉱街」だった。
かつて掘り尽くされて放棄された巨大な採掘穴や、赤茶けたまま静止した鉄塔の下に、無数のテントやバラックが張り付いている。都市の厳しいギルド規制から外れたジャンク屋、スカベンジャー、出所の怪しい技術者たちがひしめくスラムの闇市。
アルドたちが大戦時の遺物といった「グレーな品」をさばき、補給を行うにはうってつけの場所だった。
「ほらよ。先日お前が暴発させた『感情で色が変わるランタン』の代金だ。ジャンク屋の親父が『面白半分で買う物好きがいる』ってんで、それなりの額で引き取ってくれたぞ」
煤煙にまみれた細い路地を歩きながら、ガレットがずっしりと重い革袋を揺らしてみせた。
「あれは暴発じゃない、論理コードの情動変数への変換効率をテストした結果だ。それに、俺の看板はれっきとした『修復師』だぞ。あんなガラクタ扱いは心外だな」
「お前が機械をいじるといっつも無駄な機能を盛って使い物にならなくするから、親父さんもガラクタ枠でしか買ってくれねえんだろうが。だが、これでようやく念願のトマトの種が買える。オールド・ベルの関節用オイルもな」
ガレットは鼻歌交じりに、露店が並ぶ市場へと歩みを進めた。
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活気と油の匂いが入り混じる市場で、ガレットがトマトの種と日用品の値段交渉に精を出している間、アルドはふらりと立ち寄った古道具屋の片隅で足を止めた。
ガラクタの山の中に埋もれた、黒ずんだ円筒形の金属パーツ。
素人目にはただの鉄屑だが、アルドは周囲の目も気にせず、油と泥にまみれたその残骸を素手で拾い上げた。装甲の隙間にわずかに残る複雑な術式の痕跡を指先でなぞった瞬間、彼の呼吸がわずかに浅くなる。
(……大戦期の高圧縮熱源コアか。信じられない、まだこんな完動品に近いものが転がっていたとは)
アルドは無意識のうちに、懐から分厚いメモ帳とペンを引き抜いていた。
(これを買い取ってオールド・ベルの魔力炉のバイパスに接続すれば、熱効率が劇的に跳ね上がる。そうすれば、ガレット念願の温室の環境維持機能が今の100倍は安定するはずだ。あいつには美味い飯を作ってもらってる恩もあるしな。よし、やってやろうじゃないか。ついでに、この未知のコアに最大負荷をかけたらどういう挙動を示すのか、テストも兼ねて……)
アルドの口から、ブツブツと無数の数式と変数名が早口でこぼれ始める。彼は市場の喧騒を完全に遮断し、古道具屋の店先で一心不乱にメモ帳へ新たな論理コード(設計図)を書き殴った。
「……よし、完璧な設計だ。冷却系のバイパスを全開にして直結させれば、この重工都市の半分を消し炭にできるだけの莫大な排熱を取り出せるぞ。たかが温室の温度維持に使うには少々オーバースペックかもしれないが……まあ、大は小を兼ねるって言うしな。出力には余裕があった方がいいに決まってる」
破滅的な破壊力を持ったシステムを組み上げながら、アルドは満面の笑みを浮かべた。
「これなら絶対にトマトも凍えない。ガレットの奴、きっと泣いて喜ぶぞ」
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「……完璧な設計だ」
移動書斎『オールド・ベル』の工作室。
帰還したアルドは、買い取った遺物のコアをさっそく機体のサブ魔力炉にガシャンと接続した。
手にしたスパナでバルブを締め込み、極細の筆に魔導インクをたっぷりと含ませる。脳内で組み上げた芸術的な論理コードを、直接コアの装甲に物理的に書き込んでいく。
「あとはこのメイン基板に展開術式を流し込めば、ガレットの温室は永遠の春を迎えるぞ」
意気揚々と最後の筆を下ろそうとした、その瞬間だった。
『――お待ちください、マスター』
工作室のスピーカーから、氷のように冷たい合成音声が響き渡った。
『あなたが今書き込もうとしているその論理コードですが。実行された場合、熱量変換の安全リミッターが存在しないため、3秒後に機体後部のボイラーが融解し、私たちはこの貧民街ごと美しい火球となって夜空を彩ることになります』
「なんだと? 馬鹿な、俺の計算に狂いはない。冷却系のバイパスを開いておくから排熱は間に合うはずだ!」
『ええ、そのバイパスの口径があなたの設計図では2桁足りていません。莫大な排熱の出力先が『温室区画』に指定されているのを見れば、マスターの「良かれと思って」だということは推測できますが……毎度テロリズムと区別がつきませんね。本当に迷惑です』
オールド・ベルは辛辣なため息をつくように駆動音を鳴らすと、アルドがインクを落とすよりも早くシステム側から強権を発動した。
『危険な過剰出力を検知。セーフティプロトコルに従い、該当の論理コードを強制デバッグします。余剰熱源はすべて……そうですね、このラインに接続しておきましょう』
コアから強烈な蒸気が吹き出し、幾つかのバルブが自動的に回転して別のパイプへと繋がっていく。
「おい待て! 安全マージンを取りすぎだ、俺の完璧なコードが! もっとロマンを……!」
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「なるほど、よく分からんが……これでお湯がすぐに出るようになったってことか」
リビング兼キッチンで、ガレットは蛇口から勢いよく出る熱湯を見て感心したように頷いた。
ベルによって強制デバッグされた結果、アルドが都市を吹き飛ばす威力を想定して組み込んだ危険なコアは、極めて安全かつ地味な『超高効率・全自動湯沸かし器(兼、温室用安全ボイラー)』として見事に制御されていた。
『ええ、ガレット。これでいつでも洗い物ができますし、温室のトマトも凍えずに済むでしょう。そこの見境のない修復師が余計な真似をしなければ、の話ですが』
「これで作物がよく育つ。ベル、よくやった。よし、まずは念願の温水シャワーで市場の泥と煤を洗い流させてもらうぞ。風呂上がりには、買ってきたばかりの野菜をふんだんに使ってとびきりのスープを煮込んでやる」
現実的な恩恵を享受し、上機嫌で夕食の支度を始めるガレット。
その背後で、アルドは一人ソファに不貞腐れて座り込んでいた。
「……チッ、ただの湯沸かし器に成り下がりやがって」
愚痴をこぼしながら、アルドは革袋から一冊の古書を取り出した。
「だがまあいい。古道具屋でこいつも安く手に入れたからな。大戦期の魔導理論の初版だ。俺の看板は『修復師』だからな、こいつを綺麗に修復して高く売り飛ばせば、また新しいパーツが買える」
それは紛れもない建前だった。本気で高く売るつもりなど毛頭なく、純粋な自分の趣味として、夜通し読み耽るつもりで買い込んできたのだ。
だが、彼が古書の表紙の埃を払った瞬間、天井から伸びたマニピュレーターが音もなく忍び寄り、その本をひったくった。
「あ」
『未登録の魔導理論を検知。スキャンを開始します』
「ばっ、お前! それは俺が修復して売る大事な商品だぞ! まだ1行も読んでないのに!」
『嘘をつかないでください、どうせ己の探求心を満たすためのコレクションでしょう。……ほう、これはまた、興味深い理論体系ですね……っ!』
冷徹なオールド・ベルの声が、本を吸い上げた途端に再び甘ったるい熱を帯びる。情報酔いだ。
「おい、またこいつ本食って酔っ払ってるぞ!」
『マスター……この理論の実証実験が行われた観測所の記述と、私の地理データベースを照合……正確な所在地が割り出せました……。北西へ800キロ。錆荒野の果てに……未踏の大戦時の遺構が存在します……!』
「なんだと?」
アルドの顔つきが、不満げなものから一瞬でプロのそれへと切り替わった。
ガレットも包丁を止め、ため息をつきながら振り返る。
「……おいおい、今ここで落ち着いたばかりだぞ。また砂埃まみれの遺跡探検か?」
「文句を言うな、ガレット。未踏の遺構だぞ、まだ見ぬ技術書が山のように眠っているかもしれん!」
『……行きましょう、マスター……。私の書庫が、新しい知識を欲していますわ……!』
「ほら見ろ、ベルも行く気満々だ! 明日の朝一番で出発するぞ!」
ヤバい光を目に宿した主と、情報酔いで上機嫌な巨大書斎。
夕食のスープの香りが漂う中、ガレットは呆れ果てたように天井を仰ぎ、短く息を吐いた。
「……やれやれ。ベルが行く気なら、護衛くらいは付き合ってやるよ。トマトの世話もあるしな」
口ではぶっきらぼうに言いながらも、相変わらずオールド・ベルにだけは甘い用心棒の言葉に、アルドは満足げに笑った。
巨大な重工都市の煤煙を背に、多脚歩行機は新たな座標へ向けて、再び荒野へと歩み出すのだった。
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