第1話 煤煙の荒野の二人と一機
ひび割れた固い岩盤がどこまでも続く錆びた荒野に、重々しい金属の駆動音が響き渡っていた。
灰色の空の下、巨大な6本の鉄脚が起伏の激しい岩場や抉れたクレーターを難なく跨ぎ、3次元的な悪路を這うように進んでいく。かつての大戦で使われた旧世代歩行兵器の装甲とフレームを繋ぎ合わせた巨大な鉄の塊。それが、アルドたちの「家」であり、世界で唯一の移動書斎だった。
外見は煤と油にまみれた無骨な残骸にしか見えない。だが、分厚い装甲の内側には、外からは想像もつかないほど広大な空間が広がっていた。
「おい、アルド! また変な爆発を起こしやがったな。スープに煤が入ったらどうするんだ!」
「爆発じゃない。論理コードのコンパイル時に発生した微小な魔力排熱だ。まあ、ランタンのガラスは吹き飛んだが」
キッチンから響く怒声に、アルドは顔を煤だらけにしながら作業机で肩をすくめた。
彼の目の前には、廃棄された鉄屑を魔改造して作った「感情で光るランタン(失敗作)」が転がっている。位相拡張魔導によって物理的な容積を無視して構築されたこの室内には、書庫、工作室、リビング、そしてガレットが腕を振るう立派なキッチンが完備されていた。
ガレットはエプロン姿のまま、筋骨隆々とした巨体を揺らしてリビングに現れた。彼の腰には、使い込まれた大口径の散弾銃と、魔導インクで術式が刻まれたサバイバルナイフが吊るされている。
「いいから換気扇の出力を上げろ。そもそもお前が適当なガラクタばかり作るから――」
『――ガレットの言う通りです、マスター』
ガレットの小言を遮るように、天井の真鍮製スピーカーから、ひどく慇懃無礼で冷ややかな合成音声――『オールド・ベル』の声が降ってきた。
『マスターが無駄な演算リソースを消費するせいで、私の第2関節のジョイントが軋んでいます。ただでさえこの荒野は足場が悪いのですから、これ以上の無意味な魔力消費は控えていただきたい』
「ベル、お前の足回り制御のデバッグは昨日終わらせたはずだぞ」
『ええ。ですが、あなたの書いた非効率な論理コードのせいで、私のメインメモリは常に圧迫されています。全く、高邁な知識の精霊である私に対して、重機の足回りを制御しろなどと不敬極まりない』
「精霊ねぇ……」
アルドは呆れたように鼻で笑った。
『聞いていますかマスター? ガレット、本日のマスターの夕食は、乾燥マメの塩茹で1つで十分かと存じます』
「おいおい、ベル。そんな殺伐としたメニューじゃ俺の腕が鳴らないだろ。安心しろ、今日は干し肉のシチューだ」
ガレットは肩をすくめると、キッチンの棚から小さな金属製のボトルを取り出した。
「……あとで、お前の軋んでる第2関節にも、特製のオイルを注してやるよ。こいつの作業が終わってからな」
『……過剰なメンテナンスは不要ですが、推奨事項として記録しておきます』
アルドはスパナを置いて立ち上がった。
「さて、飯の前に仕事だ。前方3キロの地点に、大戦時の通信施設らしき遺構の反応がある」
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剥き出しの鉄骨と崩落したコンクリートが散乱する大戦時の廃施設。多脚歩行機では入り込めない地下への入り口の前に、2人の男が立っていた。
「ベル、周辺の警戒とアイドリングを維持しろ。俺たちは中を探る」
『了解しました。マスターが罠にかかって死体にならないよう、計算リソースの片隅で祈っておきます』
指示を出したアルドは、通信機越しの皮肉を聞き流して肩をすくめた。
一方、ガレットは地下への入り口を前にして背中に散弾銃を回し、代わりに腰のサバイバルナイフを抜いた。
「閉所で発砲音を鳴らせば、施設中の防衛機構が全部目を覚ますからな。俺が前を歩く」
アルドはランタンを片手に、その後ろへ慎重に続いた。
地下の通路は狭く、湿ったカビの匂いが充満していた。
「……止まれ。右前方だ」
先頭のガレットが低く囁いた瞬間、崩れた壁面から錆びついた防衛用オートマタが這い出してきた。大戦時の遺物であるそれは、赤いレンズを光らせて真っ直ぐに跳躍してくる。
「遅い」
ガレットは踏み込むと同時に、柄のスイッチを押し込んだ。刀身に刻まれた魔導インクの術式が青白く明滅し、刃先が超振動を帯びて空気を震わせる。アルドが強固な兵器の装甲を解体するために書き込んだ「切断用論理コード」だ。
振動音を響かせるナイフが一閃される。強化された刃が、オートマタの関節――最も装甲の薄い駆動系を正確に捉え、硬い金属をバターのように鮮やかに切断する。まるで手慣れた料理人が肉を捌くような、無駄のない動きだった。
「助かる。そのまま奥の扉を塞ぐロックを解除するぞ」
アルドは分厚い隔壁の前に立ち、制御盤のカバーをスパナで叩き割った。内部に露出した古い論理コードの基板に、持参した魔導インクを直接流し込む。物理的なハッキング。数秒後、重々しい音とともに隔壁がスライドし、奥の部屋が姿を現した。
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「……素晴らしい」
埃まみれの資料保管庫の奥で、アルドは震える手で1冊の分厚い専門書を持ち上げた。
『高度環境制御と位相維持の論理』。大戦当時の技術書だ。装丁は傷んでいるものの、中身の記述は完全に保存されている。
「おい、周囲の安全は確保したが……そんな紙屑1つで、こんなに興奮できるお前の神経が理解できねえよ」
「紙屑1つだと!? ふざけるな、この1冊にどれだけの価値があると思ってる! いいか、ただの通信施設になぜこんな専門書があるのか分かるか?」
「あ? 空調の修理用だろ?」
「違う! 大戦末期、この基地は敵の爆撃を逃れるために『地下の独立位相空間』に丸ごと隔離されていたんだ! 外界から完全に遮断された空間で、長期間にわたり大気と生態系を維持するための『閉鎖環境の魔導理論』……当時のトップエンジニアたちが血反吐を吐いて最適化した、至高のサバイバル技術の結晶だぞ! ああっ、この見事な数式の配列……! 早く帰って徹夜で隅々まで解読したい。さあ、1秒でも早くオールド・ベルに戻るぞ!」
アルドは恋人を扱うように本を大切に抱き抱え、早口でまくしたてながら足早に施設跡を後にした。彼の瞳には、未知の魔導理論に対する狂気的な渇望が宿っていた。
移動書斎に戻り、アルドはリビングのソファに腰を下ろした。
「ガレット、コーヒーを頼む。濃いやつだ」
「はいはい。全く、命がけで拾ってきたのが本1冊とはな」
ガレットがキッチンへ向かおうとした、その時だった。
『――高純度の論理情報を検知。未定義のインストール対象を確認しました』
「は?」
アルドが目を見開いた瞬間、壁面から伸びたマニピュレーターが、アルドの腕の中から分厚い技術書をひったくった。
「ばっ、お前、ベル! 俺がまだ1行も読んでないのに!」
『スキャン開始。……あぁ、これは……とても、芳醇な魔導理論ですわ……っ!』
普段の冷徹な合成音声が、甘ったるい熱を帯びた声へと変質する。彼女のメイン魔力炉が限界を超えて回転し始め、機体全体が小刻みに震え出した。
「おいアルド、こいつの喋り方……また本食って酔っ払ってんぞ!」
「ベル! 魔力炉を落ち着かせろ! 暴走するぞ!」
『最適化を実行。……マスター、あなたが以前記述して放棄した未完の空間拡張コードを、新たな論理を用いて再コンパイルします……展開!』
次の瞬間、激しい地鳴りのような音と共に、リビングの奥の壁がグニャリと歪んだ。
位相拡張魔導が強制的に実行され、新たな空間が実体化していく。砂埃が収まった後、そこに現れたのは、ガラス張りの美しい「温室スペース」だった。
アルドは膝から崩れ落ちた。
「俺の……俺が自力で読み解いて実装するはずだった未知の魔導理論が、一瞬でスキャンされて勝手に実行されちまった……っ!」
『感謝してください、マスター。あなたが以前書いた未完の拡張コードには、物理冷却を無視して魔力炉を直結暴走させる致命的な欠陥が仕込まれていました。私が新たな論理を用いてわざわざデバッグしなければ、この機体は温室が展開されるのと同時に、右脚の関節が熱で融解してただの鉄屑になっていましたよ』
「……チッ、熱計算が1桁狂ってただけだろ。余計なことを……。俺はあの欠陥と一晩中格闘するのを楽しみにしてたんだぞ!」
未知の専門書を読み解く娯楽を奪われ、さらに自分の残した致命的なバグを安全な「普通の仕様」に強制修正されていら立つアルドの傍らで、ガレットは信じられないものを見るように温室へ歩み寄り、そっとガラスの棚に触れた。
「アルド……お前、俺が昔『畑が欲しい』って言ったの、覚えてて術式を組んでくれてたのか」
「……ああ。だが排熱計算が上手くいかなくて放置してたんだ。それをベルの奴が、勝手に……」
項垂れるアルドとは対照的に、ガレットの顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「いや、余計なことじゃねえよ! ベル、よくやった。これで普通の、本当に普通のトマトが育てられる! おい、明日一番で種を買いに行くぞ!」
『ええ、ガレット。新鮮なトマトはマスターの貧弱な健康状態の改善にも役立つでしょう。フフ……素晴らしい知識でした……』
本を奪われて床に突っ伏すエンジニア。念願の家庭菜園を手に入れて喜ぶ用心棒。そして、高度な知識を吸い上げて満足げに稼働音を鳴らす巨大な鉄の塊。
翌日、移動書斎は重工都市の煤煙に包まれた空の下に到着した。
「よし、とりあえずあの爆発したランタンをジャンク屋に売り飛ばして、トマトの種と石炭を買うぞ」
「……そして、今度こそ俺が読むための新しい本を探す」
未知の魔導知識を集める修復師、アルド。
料理と畑いじりをこよなく愛する凄腕の用心棒、ガレット。
巨大な移動書斎『オールド・ベル』と、そこに宿る口の悪いもう一つの『オールド・ベル』。
三者三様の欲望を乗せ、多脚歩行機は今日もまた、新たな足跡を錆びた荒野に刻んでいくのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
本作は、蒸気と歯車の世界で古書を修復する風変わりな男たちと、移動書斎そのものである口の悪い精霊の旅を描いたファンタジーです。
本日から連載スタートとなります。
本日は第3話まで一気に公開し、明日からは毎日20:15に毎日更新していきます。




