第18話 旅は道連れ世は情け
分厚い鉛色の雲が空を覆い、風が吹くたびに錆びついた巨大なクレーンが悲鳴のような軋み音を立てる。
薄暗い廃炭鉱街のドックには、長年の操業で染み付いた微かな煤の匂いと、饐えた油の臭気が漂っていた。見渡す限り瓦礫と鉄屑が転がるその廃墟の中心に、周囲の風景を圧するほどの巨大な多脚機体――オールド・ベルが息を潜めるように駐機している。
その分厚い装甲板に守られた機体の内部で、ガレットが油まみれのウエスで巨大なレンチを拭きながら口を開いた。
「なあアルド。あのこそ泥に企業連への死亡報告を済ませさせたとはいえ、いつまでもこんな街の近くに居座るべきじゃないな。誰かに見られて『生きていた』なんて噂が連中の耳に入ったら、せっかくの偽装が台無しだ」
「ああ、同感だ。死んだはずの人間がいつまでも現場の近くに居座るべきではない。早急にこの街を離れる準備を始めよう」
アルドは手元の作業盤から一切目を離さずに淡々と同意した。
「……だったら、さっきから何をやってるんだ、お前は」
ガレットが呆れたように眉間を揉む。アルドの手元には、分解された真鍮製の室温計が置かれていた。
「見ればわかるだろう。室温計だ」
アルドは極小の工具で内部の真鍮パーツに論理コードを彫り込みながら、悪びれもせずに答えた。
『マスター。外気圧から微細な魔力粒子の変動まで、小数点以下8桁まで計算する環境変数演算コードは、到底「室温を測る」だけのものではありません。相変わらず、目的を逸脱した非合理的な過剰仕様ですね』
広々とした機内のメインコンソールから、感情の抜け落ちた抑揚のない合成音声がすかさず小言を被せた。
「細かい環境変化の把握は、古い蔵書を保管する環境の維持に不可欠だ。お前はさっさと出発に向けたボイラーの出力調整でもやっていろ」
『……言い訳だけはご立派ですね。ですが、室温計に大戦期レベルの術式を組み込む理由にはなりません。要するに、ただの個人的な趣味ですよね』
アルドの意に介さない返答に、ベルがさらに冷ややかな小言を被せる。
街を離れようと言う話し合いをしているにも関わらず、機内には焦燥感の欠片もない、いつも通りの呆れたやりとりが響き続けていた。
---
――それから二日後の早朝。
いよいよ出発の準備が整おうとしていた頃だった。
ガン、ガン、ガン!
突然、分厚いハッチが外から荒々しく叩かれた。
「ちょっと! さっさとハッチを開けなさいよ! 中にいるんでしょ!」
分厚い装甲越しに、ひどく苛立った女の怒声が響く。
聞き覚えのある声に、アルドとガレットは無言で顔を見合わせる。ガレットがため息をつきながら、分厚いハッチのロックレバーを引き下げた。
プシューッ、と圧力の抜ける音とともに重い軋み音を立ててハッチが開く。
外のラダーには、片手に大型のレンチを持ったカーラが立っていた。
「なんだ、やっぱり生きてるじゃないの。……馬鹿馬鹿しい」
カーラは心底つまらなそうに鼻を鳴らす。
「『生きてるじゃないの』とは随分な挨拶だな。こんな朝早くから一体何の用だ?」
ガレットが呆れたように問い返すと、カーラは無造作にレンチを肩に担ぎ直した。
「あんた達がくたばったって噂が出回ってたから、もし本当に死んでるならこの機体を頂いていこうと思っただけよ。飛ばして損したわ」
「相変わらずがめつい奴だ。だが、拾い物をするだけにしては随分とエンジンを焼いてきたじゃないか。死人は逃げやしないぞ」
ガレットは、彼女の後ろに乱暴に停められた泥だらけの装甲車を顎でしゃくって見せた。
「……他の連中に横取りされる前に唾をつけようと思っただけよ。うるさいわね」
カーラは気まずそうに顔を背けると、誤魔化すように鋭い視線で問い正した。
「ただ『死んだ』じゃなくて『殺された』なんて物騒な噂が流れてたから確かめに来たのよ。一体何があったの?」
アルドは表情を変えずに淡々と首を振った。
「厄介な連中との縁を切るために、わざと流したただの偽装だ。少し街を離れて身を隠せば、ほとぼりは冷める。……ところで、俺たちが殺されたって話は、もうそんなに広まってるのか?」
「馬鹿言わないで。こんな朝早くに出来立ての噂を掴めるのは、私の優秀な情報網くらいなもんよ。末端の連中にまで広まるには、まだ数日はかかるわね」
カーラは得意げに鼻を鳴らす。
「なるほどな。なら、本格的に噂が広まる前に街を離れるべきだな」
ガレットは納得したように頷くと、改めてカーラに向き直った。
「そういうわけだ、カーラ。俺たちはほとぼりが冷めるまでしばらく姿を隠す。悪いが、お前も俺たちのことは見なかったことにしてくれ」
「姿を隠すって、どこかあてはあるの?」
「いや、特にはない。とにかく重工都市から遠く離れた場所まで行って、新しく拠点にできそうな場所を探すつもりだ」
「……なるほどね。あんたたちがあてもなく遠くへ行きたがってるなら、ちょうどいいわ」
ガレットの言葉を聞いたカーラは、即座に互いの利害が一致したと判断したらしい。彼女は手にしたレンチを下げ、いつもの隙のないビジネスの顔に切り替わった。
「都市開発局からの依頼よ。未踏の大戦期施設――エネルギー変換実験施設に残された魔石の調査に同行してくれない?」
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「断る。俺たちは傭兵じゃない。第一、さっきは詳しく言わなかったが、俺たちが縁を切りたい『厄介な連中』ってのは企業連だ。都市開発局の依頼で動いているあんたとは同行できない」
アルドは取り付く島もなく吐き捨てた。
「早とちりしないで。局の連中が同行するわけじゃないわ。私が依頼されたのは、そこに魔石が残っているかどうかの事前調査よ。報告に行くのは私一人なんだから、あんたたちは調査が終わったタイミングで、そのまま好きなところへ姿を消せばいい」
機体へ戻ろうとするアルドの背中に、カーラはすかさず言葉を投げかける。
「おまけに、報告のついでに私が重工都市の様子を探ってきてあげる。企業連の動きも、噂の広まり具合もね。ほとぼりが冷めたかどうか、あんたたちは遠くから安全に確認できるわよ」
ガレットは静かに顎を撫でたが、アルドは振り返ることもなくラダーに手をかけた。
その背中を見つめながら、カーラは面白そうに口角を上げる。
「――それにね、アルド。その施設には、大戦期のエネルギー変換に関する技術書がそっくりそのまま眠っているはずよ」
ラダーに足をかけていたアルドの動きが、ピタリと止まる。
振り向いた彼の表情には一切の変化がない。だが、その声は明確に先ほどとは違う、低く張り詰めた熱を帯びていた。
「……いつ出発する」
アルドの言葉に呼応するかのように、機体の奥深くから強烈な駆動音が鳴り響いた。
機体下部の排気管から、甲高く弾むような蒸気がまるで荒い鼻息のように「プシューッ!」と連続して吹き出す。
「またかよ。どいつもこいつも……」
ガレットは深く重いため息をつくと、ラダーで固まっているアルドを押し退けるようにして機内へと登っていく。
そのまま居住区の奥へと向かうと、呆れ顔でボイラーの分厚い耐熱扉を開け、石炭をくべて火力を上げた。
「じゃあ、準備ができたらついてきなさい。私が先導するわ」
満足げに笑ったカーラはそう言い残し、傍らの装甲車へと乗り込んだ。
やがて、重工都市の空を覆い尽くす分厚い煤煙を背に、二つの影が荒れ果てた大地へと踏み出していく。果てしない荒野の旅の始まりを告げるように、オールド・ベルの鈍重な足音が、ズシン、ズシンと大地を揺らした。
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