第16話 嫌がらせの天才
天井の闇に向かって際限なく伸びる巨大な書架。壁面に灯る真鍮のランタンの鈍い光が、床板に転がるいびつな影を浮かび上がらせていた。
太いワイヤーで簀巻きにされた男──ジャックは、冷たい床から「よう」と引きつった笑みを向ける。そんな彼を、ガレットとアルドが呆然と見下ろしていた。
「なんでこの間の変な奴が中に入り込んでるんだ」
アルドがひどく嫌そうな顔で眉をひそめると、スピーカーから淡々とした合成音声が降ってきた。
『彼はあの論理基盤を盗み出そうとしていたようです。ちなみに床が汚れるので、消してしまうなら外でお願いします』
ベルの無慈悲な報告と処分の提案に、ガレットは短く息を吐いた。
「そうだな。機内の構造を見られた以上、荒野に埋めるのが一番手っ取り早い」
彼はあっさりと同意し、ジャックを包むワイヤーの端を無造作に掴んで引きずり出そうとする。
「待て。俺を殺せば企業連が黙っちゃいないぞ」
そのまま連行されかけたジャックは、ワイヤーが食い込む痛みに耐えながら低く通った声で牽制した。
その言葉に、ガレットはピタリとワイヤーを引く手を止める。
「企業連だと? ……なるほどな。熱心なファンだって奴が、アルドの発明品には目もくれず、よりによって真っ先に『あの古い基盤』を狙ったのはおかしいと思ったぜ」
合点がいったようにジャックを見下ろす傭兵の冷たい視線を受けながら、ジャックは深く息を吐き出した。
「あいつらの依頼は、雷鳴の谷から消えた『精霊』の回収だ」
ジャックはワイヤーの痛みに小さく息を詰めながらも、声から先ほどの焦りを完全に消し去り、淡々と事実を並べ立てる。
「俺は裏ルートを使ってあんたらの身辺を調べた。俺がここで消えれば、その痕跡から間違いなくあんたらに疑いが向く」
ガレットが警戒するように目を細めるのを確認し、ジャックは間髪入れずに言葉を重ねる。
「俺を生かしてその基盤を渡せば、『犯人を始末し、精霊を奪い返した』と企業連に嘘の報告をしてやる。そうすればあんたらの追跡は完全に終わる」
ガレットは値踏みするようにジャックを見下ろした。
「……ずいぶん都合のいい話だが、嘘はついてねえだろうな?」
「俺は何でも屋だ。企業連には金で雇われただけだ、命までは懸けねえよ」
ジャックが口の端を歪めて笑うと、頭上のスピーカーから無機質な合成音声が割って入った。
『心拍数、および瞳孔などの生体データをスキャン。対象の言動に虚偽の反応は認められません』
ベルの客観的な保証を聞き、ガレットはゆっくりと顎を撫でた。
「……火の粉を完全に払うには、実物をあいつらに握らせて納得させるしかねえか」
小さく舌打ちをしたガレットは、肩をすくめてアルドへ視線を向けた。判断を委ねられたアルドは、手元にある古い基盤を忌々しげに睨みつける。
「……このまま渡して、企業連の連中に好き勝手いじり回されるのは癪だ。二度と使い物にならないよう、中身を少し弄ってからくれてやる。ガレット、そいつを工作室へ引きずってこい」
そう言って、アルドは背を向けて足早に書庫を後にした。
油と煤の匂いが染み付いた無骨な工作室。
アルドは作業机にどっかりと腰を下ろすと、手元の工具箱を引き寄せ、古い基盤の作業を始めた。
手際よく内部の術式を断線させ、満足げに工具を置く。だが、作業を終えた基盤をガレットへ押しやろうとしたところで、アルドはふと床に転がるジャックへと視線を向けた。
「……そういや、こいつが裏切らないための担保も要るな」
意地の悪い笑みを浮かべて呟くと、アルドは再び工具箱に手を伸ばし、今度は真新しい部品を無造作に繋ぎ合わせ始める。
そして、素早く組み上げた冷たい金属の腕輪をジャックの右腕に取り付けた。
「こいつは周囲の音を常に拾って送信し続ける。音を拾う以外の機能をすべて削った代わりに、かなり遠くからでも受信できるように組んでおいた。逃げようとしても無駄だぞ」
捕虜に対する宣告とは思えないほど弾んだ声で、アルドはさらに言葉を継いだ。
「あと、無理に外そうとすれば発火して、手首から先が吹き飛ぶようにしといた。すごいだろ」
屈託のない笑顔で告げられた凄惨な機能に、ジャックの顔が激しく引きつる。その怯えた表情を見下ろしながら、アルドはふと数日前に機体の外で接触した時の出来事を思い出した。
目の前に転がるこの男が、自分の作った「局地的な静電気を無駄に発生させるためだけのオモチャ」を食い入るように見つめていた光景だ。
アルドは口元にさらに意地悪な笑みを深めた。
「……そういえばお前、この前『無駄にパチパチ鳴るだけのおもちゃ』を見て気に入っていたみたいだな?」
「い、いや、あれはただの世間話のつもりで……」
「発火装置と一緒にすると暴発するから、もう片方の腕には『何かに触るたびに痛烈な静電気が発生し続ける』専用の腕輪を作ってやる。嫌なら後で俺のところに外しに戻ってこい」
アルドは怯むジャックの言葉を遮り、平然と宣告する。そして、作業の手を止めることなく虚空へ向かって声を張った。
「……おい、ベル! 急ぎだ、手伝え」
呼びかけに応じ、何もない空間から不意に合成音声が響き渡る。
『はい、マスター。何用でしょうか?』
「あのロマンのかけらもねえ理論が必要だ。『大気中における誘電分極と静電誘導の連続的かつ異常な放電現象の応用』。俺がちんたら読んでる暇はねえから、お前が読んで必要な論理だけを抜き出せ」
アルドは命じながら、作業机の端に押しやられていた一冊の分厚い古書を掴み、頭上へ無造作に突き出した。
天井から伸びてきた真鍮製のマニピュレーターがそれを素早く引ったくると、壁の向こうの書架へドサリと乱暴に押し込まれる音が響いた。直後、機体の駆動音が甲高く跳ね上がり、スピーカーから事務的な合成音声が響く。
『――スキャン開始。必要な術式を抽出し、音声出力を……ああっ……マスターの乱暴な手付き……こんなに堅くて実用的な論理、一気に奥まで入ってきちゃいますぅ……』
途中から熱を帯びた吐息のようなノイズ混じりに急変した音声に、ジャックが目を丸くして硬直する。だが、当のアルドは慣れた手つきで作業を続けながら、心底呆れたように溜息をついた。
「……相変わらず最悪な仕様だな。いいから早くしろ」
アルドが急かすと、機体の駆動音が規則的なリズムを取り戻し、ベルの音声は一転して不自然なほど冷徹なトーンへと切り替わった。
『──そもそも! 未検証の論理を他者の身体に装着させるのは安全基準に著しく違反しています! また、捕虜に対する非人道的な威嚇行為はコンプライアンスの観点から推奨されません!』
大音量でまくしたてられる正論の嵐に、アルドは忌々しげに舌打ちをする。
「……真面目かよ」
死を覚悟した緊迫の尋問の空気が完全に崩壊していく。両腕に悪魔のギミックを宣告され、覚悟を決めていたはずのジャックは、想定外すぎる状況のギャップに呆然と口を開けたまま、ただ固まることしかできなかった。
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