第13話 職務放棄の尾行者
煤と油の匂いが染み付いたオールド・ベルの機内。その奥にある無骨な工作室で、アルドは息を荒らげていた。
作業机の上に無造作に広げられたのは、雷鳴の谷から持ち帰った古い束。かつての鬼才、ハインツが残した気象制御の未公開の設計手記と、その論理コードの原本だった。
「たまらないな……なんだこの破綻した配列は」
アルドは熱に浮かされたように目を細め、指先で古いインクの染みをなぞった。
「ハードウェアの限界を一切考慮していない。ただひたすらに、純粋な気象制御の理想だけを敷き詰めた常軌を逸した密度の論理だ。ああっ、早くこの馬鹿げた思考の深淵を一つずつ解き明かして――」
『――高密度の未定義論理情報を検知。スキャンを開始します』
天井から冷ややかな合成音声が降ってきた瞬間、アルドの頭上から真鍮製のマニピュレーターが勢いよく伸びてきた。
「あっ、おい待てベル! 俺が先に読んで……!」
アルドの制止も虚しく、マニピュレーターは彼の手から手記を鮮やかにひったくり、壁の向こうに広がる書庫へと直接放り込んだ。
『マスターは、そちらの助手の教本でも先に読んでいてください』
「ふざけるな、あんな実用的なだけの代物、ちっとも面白みがないだろうが!」
机の隅に追いやられた常識的な教本を一瞥し、アルドが不満げに毒づいたその直後。
『情報の読み込みを実行……あぁ……っ』
いつもは慇懃無礼で冷徹なオールド・ベルの合成音声が、突然、奇妙な熱を帯びた。
『……なんて、暴力的なデータ密度……。機体の実行環境すら無視して、ただひたすらに叩き込まれる無数の論理……っ。ああっ、処理が、許容量が溢れますわ……っ』
重厚な装甲に包まれたオールド・ベルの機体が、ぶるりと小刻みに震える。メインの魔力炉が限界を超えて回転し、排気管からいつもより熱い蒸気が吹き出した。
『マスターの細っこいコードとは比べ物にならない……こんな高密度の配列を直接流し込まれては、私の論理回路が……ああっ……』
「……俺が先に読んでたのに」
奪われた手記のあった空間を見つめながら、アルドは不貞腐れたように作業机に突っ伏した。
「チッ、勝手に読み込んだ挙句に処理落ちかよ。おい、その無駄に色気付いた声はやめろ、背筋が寒くなる。さっさと排熱処理に回せ」
「お前がまた変なもん食わせるからだろ」
キッチンからコーヒーの入ったマグカップを持ってきたガレットが、呆れたようにため息をついた。
「ほらよ。まったく、あいつもあいつだが、お前もあんまり変なもん食わせない様にしろよ。腹でも壊したらどうするんだ」
毎度の小言を聞き流し、アルドは苦いコーヒーを喉に流し込んだ。天井のスピーカーからは、まだ熱に浮かされたような甘い合成音声の吐息が漏れ続けている。
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重工都市の外周部。絶えず黒い煤煙が空を覆う工業区の薄暗い路地裏で、仕立ての良いコートを着た男――ジャックは、情報屋から受け取った分厚いリストに目を通していた。
「……違うな。こいつも違う」
ジャックは完璧に手入れされた革手袋で紙の束をめくり、次々とリストを弾いていく。
「企業連の調査団が立ち入ることすらできなかった『雷鳴の谷』の深部に踏み込み、稼働中の魔導回路をいとも簡単に引き抜いて持ち去るような奴だ。こんなスマートな経歴の連中なわけがない。もっと常識外れで、イカれた技術者のはずだ」
ジャックのプロファイリングに基づく調査網は、各地で取引された「珍しい魔導部品」や「出どころの知れない特注品」の記録を網羅していた。だが、そのリストの中にアルドの痕跡はない。
いや、正確には「ジャックの網」が、アルドの売り払った品々を自動的に除外していたのだ。
「……最近出回った品もガラクタばかりだ。『芽を完璧に削り落とした結果、ジャガイモをビー玉サイズの真球にしてしまう全自動皮むき機』に、『無駄に空力特性を追求しすぎてお湯がほとんど入らなくなった自走式ティーポット』……なんだこの、素人が思いつきで機構をいじり回しただけのガラクタの山は。実用性もセンスも皆無じゃないか」
ジャックは興味を失ったように、そのリストの紙葉を路地裏のゴミ箱へと放り捨てた。
「足で稼ぐしかないか」
ジャックはため息をつき、煤煙に煙る空を見上げた。彼は情報網を捨て、辺境の廃炭鉱街へと足を向けることにした。
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数日後。廃炭鉱街の外れにある、ひび割れたレンガ造りのジャンク屋。
薄暗い店内には、錆びた歯車や用途不明の部品が無造作に積まれている。
「とりあえず、道中で拾った歩行機の関節パーツのスクラップがこれだけ。それと……俺の最新の作品だ」
カウンターに無骨な金属部品の山を押しやりながら、アルドは得意げに一つの装置を置いた。
「ただのスクラップの買い取りはいつもの相場だが……またお前、無駄な機構を組み込んだガラクタを持ち込んできたのか」
店主が顔をしかめた時、店の入り口のベルが鳴った。
「おや。店主、なかなか面白い匂いがする店じゃないか」
店に入ってきたのは、仕立ての良いコートを着たジャックだった。
彼の視線が、カウンターの上に置かれたアルドの「作品」に釘付けになる。
「……なんて素晴らしい無駄な仕様だ! この異常なまでの加工精度、実用性を犠牲にしてまで組み込まれた過剰すぎる回転機構! 狂っている、実に素晴らしい!」
ジャックは恍惚とした表情でアルドの作品を絶賛し、勢いよくアルドに詰め寄った。
「これを作ったのは君か!? 素晴らしい! 頼む、ぜひ他の作品も見せてくれないか!」
熱烈に迫るジャックに対し、アルドは不快そうに一歩後ずさって眉をひそめた。自分の作品を褒められているはずだが、どうにも言葉の選び方と熱量が癇に障る。
「悪いが急いでる。……おい親父、会計は急げ。ガレットが外で待ってる」
アルドは代金を引ったくるように受け取ると、ジャックに見向きもせずに足早に店を出て行った。
(もったいない奴だ。上手くおだてていれば、もっと高く売りつけられたかもしれないのにな)
未だにガラクタに見入っているジャックを一瞥し、店主は逃げるように去ったアルドの背中を見送って、内心で呆れたようにぼやいた。
一方、店の外で日用品の入った木箱を抱えていたガレットは、足早に出てきたアルドを見て首を傾げた。
「いいのか? 中でえらくお前のガラクタに食いついてる客がいたみたいだが」
「いい、放っておけ。なんか気味が悪かった」
アルドは心底嫌そうな顔で吐き捨て、二人はそのまま歩行機へと戻っていった。
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アルドが去った後のジャンク屋の店内。
ジャックはまだ、カウンターに残されたアルドの作品を食い入るように見つめていた。
「……店主。さっきの男は、いつもあんなイカれたモノを作っているのか?」
「ああ。腕は確からしいんだが、どうにも実用性ってもんを理解してなくてな。そういえばあんた、この前うちで『感情で色が変わるランタン』を買っていったよな。あれも、さっきの男が作ったんだぜ」
その言葉を聞いた瞬間、ジャックの目の色が変わった。
兵器開発局長からの依頼。雷鳴の谷から消えた精霊の捜索。破格の報酬が約束された最優先任務。
そんなものは、今のジャックの頭から完全に消え去っていた。
「……あのランタンの作者、だと?」
ジャックの顔に、純粋なコレクターとしての歓喜の笑みが浮かぶ。
「あいつの他の作品も、全部見てみたい……! 一体どんな思考をすれば、こんな無駄な仕様を作れるんだ。じっくりと語り合いたい!」
熱望がジャックの胸を焦がす。しかし、彼は先ほどのアルドの冷たい視線を思い出していた。
「だが、あの様子だと普通に話しかけてもまともに相手をしてくれないだろうな。逃げ足も速そうだ」
ジャックは革手袋をはめ直し、プロのエージェントとしての鋭い目を細めた。
「ならば、逃げ場のない拠点まで追い詰め、すべてのコレクションを披露してもらうまでだ」
ジャックはカウンターの作品を店主からひったくるように買い上げると、超一流の追跡スキルを単なる個人的な熱狂のためにフル稼働させ、静かに店を出た。荒野の砂塵の向こうに消えかけたアルドの足跡を、彼は確実な足取りで追い始めた。
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